とってもささやかで小さくてもいい。これからは地の塩となる生き方をしたい

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。



[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

内観法 

人は誰しも物心がつき始めた頃から、理性の分野の芽生えと発達と共に、状況や必要性に応じて、過ちに気付いたら謝罪のために、あるいは自分自身をより伸ばすために反省を行っています。周囲の方々との関わり合いを通じて、ごく自然に、あるいは意識しながらもあるでしょう。
その反省基準は、人それぞれに程度とか質による差が生じて、個の個性を作り出している元でもあると思います。

反省といえば、吉本伊信氏の内観法があります。以前にご紹介させていただきました。
でも、内観法に取り組んだ結果、小悟(ある意味で、気付き)の覚醒があっても大悟は存在しないはずです。内観法は、信次先生による釈迦の説かれた八つの規範の内の正定とはまったく異質だからです。神の概念とか、この世とあの世で広く満たされている基準である諸法がありません。
信次先生は、心を浄化するために過去の自分を振り返る場合の反省・禅定の入り口に立つための手助けというか、捉え方の一つとして、たびたび内観の手法を例にあげて講演会や研修会、著者の中で示されてあります。皆さまも信次先生のご講演をお聞きになり、その点はご存知だろうと思いますが、後日あらためてご紹介させて頂きます。

そのような信次先生の話により、内観には関心がありました。
たまたま以前の職場近くの、小さな川を隔てた目と鼻のさきに内観道場が在ることを知り、実際に私自身もわずか一日間だけでしたが体験してきました。本来は少なくとも一週間座っているそうなのですが、無理をお願いしましたが、心よく受け入れて頂きました。
内観法を理解する上では貴重な体験でした。

悩みを抱えた人が、悩み解決のために内観法に取り組み、結果を出された方の共通している点では、噴き出すかのごとく自身の奥から純粋に自然と発する感謝ということに気付かれてあります。
たとえば、感謝しなければ良くない、感謝するのが当然だ・・・など、自己暗示とか理屈が介入する、いわば頭で操作する感謝の心とは違います。

それは過去に自分との関わりがあった方々に対して調べあげていく結果、忘れていた記憶の中から細かい部分が次第に浮き上がり、もう、どうにもならないほどの涙とともに心からの感謝が足りなかった自分を発見していきます。
出来事に対して、有り難いことだったんだと、しみじみ気付いた時に、心の中からその恩を何らかの形でお返しをしたい、という報いの願いが自然と湧いてきます。

内観法は、たとえ精神的な躁鬱病が進行中であっても有効です。躁鬱が治ります。
普通は、躁鬱の人に一般的にいう反省でもさせたら、感情ばかりが前面に出て、自分に対してよけいに批判的になり、あるいは攻撃的になり逆効果であり危険です。
いわゆる反省と内観。似て非なるその差は大きいものです。


_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄


ところで、このようなことがありました。
ゆきのひとりごとに置いているメールボックスに問い合わせを頂き、昨年の秋頃にその方のご自宅に訪問させて頂いた時のことです。
そのときの談話の一つですが、その方の奥様が、私と同じく内観道場での体験があったと話してくださいました。
共通体験なので理解も同じだろうと興味を抱いて聞かせて頂きました。
ところが、内観法を否定されていました。どうしてなんだろうと話を伺うと、内観を受ける前とその後にも詳しい説明をしてもらえないで厳しく苦い体験のままだけで一週間の内観を終えられたようです。

そこでは反省ではなく、ただ思い出すだけ。
さらに、親から押し付けられて内観にきた小さな子どもさんに対して、道場側が虐待扱いをしているのを目の当たりにされたようです。

ただ思い出すだけ…
その通りには違いありませんが、思い出すだけで終始するのではありません。
それに虐待なんて、とんでもない。
もし私自身がその方と同じ道場に通ったとしたら、同じく私も内観を否定していたでしょう。

そのようなことを聞いて私は驚きました。
それらのお話のあと、私の体験談を話させて頂きました。すると、その否定されていた思いは少しばかり払拭されたようです。


_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄


私は道場での内観後、道場宛に内観の感想文を書きました。
自身の反省の中身に関わることなので具体的な感想内容は述べませんが、母親に対して、当時はあたりまえに考えていたことが本当はそうでは無かったということを、道場で少しばかりですが気付かせて頂きました。そのときに、心の奥の曇りのない空間みたいなところから反応があり、その直後に、いつの間にか自然に流れた涙がありました。それから後には母親に対するこれまでの思い方とか接し方が徐々に変わっていました。今もまだまだ親不孝もんですが!
道場の先生は私の感想文を読まれて、体験を通して私がまだ気付いていなかった押さえ所を教えて頂きました。
また、戴いた内観の小冊子を夢中になって読んで、方法についての疑問を持って、とことん何度か訪ねると親切に分かりやすく教えて頂きました。
現在は道場とは途絶えていますが。

当時の私がそのような経過を経て理解したことと、その方が体験されて理解されていた内容に大変なギャップがありました。
同じ内観道場であっても、道場の指導者の力量の差は大きいものでした。





2011112610020000.jpg


次回は、「反省のかなめ」を斜め読みした所感を少しばかり述べてみたいと思います。









[ 2011/12/02 21:25 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

It was all for myself. 

久しぶりに記事更新です。
今年は初夏に五十歳を迎えました。大げさかもしれませんが、これまでの過ぎし日とか今に至る境涯を少しばかり振り返ってみると、大きな節目をなんとなく感じています。


2011112610000000.jpg


ともあれ、最近は夜中とか、隙間時間などを利用して、「反省のかなめ」を読み返し、また、信次先生の反省の仕方に関したお話の収録も並行して聞くなど、内観の方法も改めて読んで、再度少しずつ自分の過去を振り返りながら、禅定・瞑想をしています。

実家から自動車で約10分の距離にして、瞑想にはもってこいの場所を今年の夏ごろにみつけました。
深い山間の中に浅い谷川があり、その川の流れの渦中に、大きくしっかりとした石があります。その石の上部は平らになっていて、禅定として座るのにちょうどいい石です。そこに座ると前面には段々畑の水田が見えます。川の左右にはちょっとした滝があり、目を閉じると両脇の滝の音がステレオのようになって左右の耳から心地よく聞こえてきます。
夜になると真っ暗闇になり昼間よりも禅定に集中できます。(禅定は、ほとんど眼を閉じているから夜も昼もあまり関係がありませんが・・・)
先日の昼間の事ですが、段々畑がある対岸に野生イノシシの親子を見ました。母親イノシシと六匹の小さな可愛いウリ坊が連れ立って散歩していました! 初めて見ました。
こんなのは珍しいなぁーと思いながら眺めていたら、私が目の前の対岸にいることに母親イノシシが気付いて、ブヒィ~と一声鳴きながら一目散に木々の間の茂みに逃げられました。母親イノシシの逃げ足の速いこと。子イノシシたちは何で母親イノシシが猛ダッシュしたのかが分からないみたいで、一瞬置いてきぼりみたいになっていました!!
そんな大自然の中に身を置くと心から癒されます。

そうした中から、自分自身が過去に疑問に思っていたこととか今回新たに気付いたこと、また現在断片的に思うことや浮かぶことも含めて織り混ぜて(それは自分の反省の中身を披露するという目的ではなく)、今後の自分自身のために私なりに、ぼちぼちと少しだけ綴ってみようかなと考えています。私自身の見解で・・・です。


すべては自分のために…








[ 2011/11/29 22:48 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

炉に投げ込まれる野の草 

渡辺さんのブログに以下の文章がありました。渡辺さんには断りなくご紹介させて戴きます。渡辺さん、すみません。

以下その内容です。



>下のラン(シンビジウム)は、ゴミ置き場に捨てられていたものを妻が拾ってきて株分けしたものです。

>その辺にあったビンに水苔を入れ、肥料も何もなしで、ときどき水道の水を適当に与える程度で、あとはほったらかしにしておいたものです。

>しかし、ご覧のように、見事な花をたくさん咲かせてくれています。





山上の垂訓でのマタイ伝は

「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


を、ふと、思い浮かべました。上記は聖書のコピーですが。




渡辺さんは最後の行に

>人が生きるということについて、この花から学べることがあるのではないでしょうか。

とありました。



私自身の思いですが、渡辺さんの短い文章全体を読ませて頂いて、何だか少しばかりドキッときました。
厳しい状況下に置かれたとして、自分が求めようとしているものはどちらなのか・・・






[ 2011/06/14 02:50 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

다카하시(高橋) 신지(信次) 선생님의 말을 인용했습니다. 

빛의 그릇을  


 나는 천상계에 있어도 결단코 침묵은 하지 않는다. 나를 믿고, 법을 행하는 이에게는항상 그의 속에 있고 빛과 편안함과 사는 기쁨을 줄 것이다. 왜냐하면 법은 빛이며 자비이며 구원의 사랑과 마음에 편안함이 있는 에너지이기도 하기 때문이다.
 사람의 혼은 이 세상과 저 세상과를 통하여 사는 생명이다. 양자의 사이를 차단하는 장벽은 아무것도 없다. 장벽으로서 있는 것은 오관 육근에 의한 번뇌만이다. 육의 몸을 자신으로 보고 피부에 접촉하지 않는 것은 아무 것도 없다고 하는 자기한정의 마음만이다. 이것만큼 무서운 거짓 자신은 없다. 사람은 언젠가는 감각 이외의 세계의 거주자가 되어 생명의 귀중함, 멋있음을 인식하지 않으면 안되는 것이다.

 지금 그대들에게 전하고 싶은 것은 법의 원점에 되돌아와 자기를 만들라 하는 것이다. 지상계는 지상의 인간이 사는 세계이나 지상은 그대들의 양어깨에 결려 있다. 아름다움과 추함, 선악, 하나에 관련되어 지상의 인간의 마음 하나에 있다.

 나는 지금 천상에 있으면 그대들에게 빛을 주고 손길을 뻗쳐도 그대들의 마음이 오관에 빠져 육근의 원을 넓힌다면 천상과 지상은 점점 두꺼운 벽을 만들어 빛의 다리는 신기루와 같이 미덥지 못한 것이 될 것이다.

 그대들이 마음을 다하여 번뇌에 이겨내고 법을 근거로하여 생활할 때 빛의 다리는 이윽고 확실한 것이 되고 그대들에게 자비와 사랑의 힘을 빌려 줄 수가 있을 것이다.

 나는 지금 천상에 있으며 그대들의 생각과 행동을 지켜보고 있다. 누가 어디에서 무엇을 했는가? 백명의 마음을 한순간에 읽어낼 수가 있다. 백명이란 예를 든것으로 천명, 만명의 마음에 대해서도 순식간에 알 수 있는 것이다. 이것은 육의 몸과 그렇지 않은 자의 다른점일 것이다.

 물론 실재계라고 하여도 빛의 양에 구역이 있어서 여러 영령이 사는 세계는 여러가지이나 내가 사는 천상계는 불가능한 것은 아무것도 없다.

 그러면 어째서 이것이 가능한가? 사람의 마음은 영혼자선에 의해 천상계에 연결되어 있어 인류의 영혼자선은 나의 시야에 모두 들어오고 나의 마음속으로부터 떨어지는 일이 없기 때문이다. 그대들이 자신을 바로잡고 자신을 빛의 그릇으로 할 때 신의 빛은 그대들의 그릇에 가득차, 편안함과 조화를 주지 않을 수 없다.

 나를 믿어라.

 나를 믿는다는 것은 법에 따라 산다는 것이다.

 맹신, 광신은 신의 세계가 아니다.

 믿음의 본연의 자세는 그대들이 대우주의 불변적 신리에 따라 산다고 하는 것이다.

 나는 빛이다.

 나는 법이다.

 나는 길이다.

 그대들은 서로 서로 보충하여 서로 돕고 서로 손을 맞잡고 앞으로 나아가라. 그 때 나는 그대들에게 빛의 길을 제시하여 이끌어 갈 것이다. 믿고 의심할 것 없다.


*****************************************************


 mail





[ 2011/06/09 23:38 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)
  1. ..
Profile

Author:ゆき


Admin☆彡

Information

ご訪問 ありがとうございます
  ゆき の ひとりごと の ゆき です



初めて ご訪問頂いた方は カテゴリ
  または 全記事一覧 からどうぞ!



お問い合わせとか様々なご意見は
 メールメール
から お気軽にどうぞ。

  ご連絡をお待ちしております☆



User tag
Retrieval


Twitter
Twitter
Follow me on Twitter

RSS field
the link freely

このブログをお気に入りに追加

Access counter
Online counter