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夢から頂いた教訓 

今朝方、夢を見た。 良い夢ではなかった。 
布団の中でもう一度、思い出してみる。
その夢は今の自分のマイナス面の性格というか、人間性を客観的にしっかり捉えていた夢だった。
思いがけないものではなく、
今それが自分の心であることを再認識せよ
というメッセージがあったように思う。
自分をもう一度、振り返ってみよ。
と、促された気がする。
その夢はストーリーがはっきりしていた。
途切れ途切れの意味が分からないような普段見るような夢ではなかった。
だから、その時々のおかれた自分の心境がはっきりとわかった。
夢の登場人物とか出来事がどうだった、というものが重要では無い、と起きてから、直感で夢を見せられた理由が分かった。
気づかせていただく。これは、ありがたいことでもある。
夢のストーリーがはっきりしているから、自分のその時のいろいろな、おかれた立ち場から、客観的に迷ったときなどの自分自身が持っている判断基準が見えた。
現実性に矛盾した夢ではなかったから、もし夢と同じことが現実として目の前の事実として現れてきたら、今の自分は夢と同じことを考え、行動してしまうだろう。

物事や出来事に、安易に逃げてしまう自分がはっきりと客観的に自覚できた。
もっと、堂々としておかなければならなかった。
事態を見極めて、怖気ない自分をつくる必要がある。臆病なところがある。
書くと長文になるので具体的に書けないが、根本原因は
自分だけがかわいい、と思っての行動であった。自己保存であった。
自分を捨てて、相手のために犠牲になっても良い。
という思いは、その夢にはどこにもなかった。
心のどこかに、自分都合に考える執着が現れたものだった。

自分にとって常に、注意しなければならないことがある。
正法を知識で知っているが、それを 
行動を伴い、心で理解するようにならなければいけない。
つい、頭で考えてしまい、正法を理解している、という 
自意識に要注意である。
自分は正法を知っているから、正法を行じている人間だと思い込んむ節がある。


ちょっとした夢で、大きな教訓を得た気がする。
客観的に気づかせて頂いたことは 忘れない。

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[ 2006/11/06 12:50 ] 随 想 | TB(1) | CM(0)

自分の仕事に対して 矛盾する思い 

最近までは空を見上げると、天高く見える空が気持ちよかった。
見上げるたびに自分の意識も、こうありたいと思っていました。
最近は寒くなってきたため、どんよりとした空が多い。
ちょうど一年前は、そんな想いになるどころではなかった。
国の政策であった不良債権処理の波に自分は飲まれてしまった。
そのため、銀行が自宅の抵当権回収の見込みがないと判断し、自宅を バルクセールに出されてしまった。
そこからが大変だった。三ヶ月以内に、残りの債務 一千百二十万円を一括返済しないと競売にかけられる。正月どころではなかった。毎日が針のむしろに座らせられているようだった。つらい日々でした。
ところが、運良く受け皿となって頂く銀行があって救われた。
そのとき、事の成り行きを話したら同情していただき 一千百二十万円を融資していただいた。
人の人情というものを体験しました。ありがたいことでした。

ところで矛盾と向き合って仕事をするのは、つらいものがあるます。
最近の社会面のニュースを見れば、子どものいじめによる自殺が連日、後を絶たない。そして、いじめが起きたことによる罪の意識を感じたのだろうか、学校の先生の自殺。当事者達は地獄の絵巻物を目の当たりにしたようなものだろう。命の尊さ。それがどこにあるのだろうか。目もそむけたくなるような悲しいできごとだ。気分が重くなってしまう。こんなことが連続して起きてよいのだろうか。
学歴社会がはびこり高学歴、成績優秀者が良い大学、そして良い企業に就職できるという価値観、構図は当然といえば当然だが、依然残っている。生徒の親御さんと面談していると、皆一様にそう思っている。この自分も全てではないが、そう思っている。
勉強とは、豊かな教養、知性を身につける為のはずである。せかせかと追い詰められっぱなしで勉強するのではなく、余裕があっていいはずである。そうでなければ「豊かさ」というものは実感できないはずだと思う。 
受験のための勉強になり、高校に至っては必修科目を教えない学校が次々にでてくる。他の動物にない、人間として特権として持っている 知性。何のためのものだろうか。なんだか、知性という特権がどこかで仇になっているような状況である。
マスメディアでは、こうなったのも学校教育の制度のあり方に問題があるなど色々、議論されている。
教育現場の事件の報道を目にすると、いつも自分が思うのは、教育の三本柱である 知育 徳育 体育 のバランスが大事なはずだが、特に徳育に関する教育がまったく欠いていると思う。
生徒に聞いてみると学校では、倫理、道徳に関して中学校になると、ほとんど教えていない。道徳の時間を他の教科に置き換えることが多いそうだ。
小学生に対する道徳心を教えることは、そう難しくないだろうが中学生ともなれば顔は子どもでも、ある程度大人の考えを持ち合わせている。作文を書かせて見ると良く分かる。このような時代、そのような中学生に心から、道徳、倫理を教えなければ根本解決にはならないように思う。おそらく誰でもそう思っているはずである。家庭や、地域社会までも子どもとの連帯感が薄くなり 道徳、倫理を教える共通した、しっかりとしたマニュアルはないし、学校が受験に追われる学習カリキュラムであれば到底無理である。心の教育が大事だと思いながら塾では、受験を勝ち取るために必死である。自分は、この矛盾といつまで対峙するのだろうか。
信次先生の講演の中で 
将来、今思っていることが良いことを思っているのか、間違った判断をしているのか、が後光として表れ、それを他の人も確認することができる装置ができるかも知れない。そうなったら、うかつな事を思うことができない。はずかしいから。
と、話してあった。本当にそれができれば、このような悲惨な出来事は減るかもしれない・・・。
   


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[ 2006/11/15 12:29 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

自分が三人もいた・・・夢の中の幽体離脱 

二日ぐらい前から久しぶりに、ずいぶん以前に購入していたフォーカス21以上のフェミシンクのCD数枚を、なんとなく聴きながら寝ている。
これを聴きながら、イメージ訓練をすると幽体離脱が可能だというCDだ。購入した頃は毎日、聴いていた。ところが何も変化がなかったので、あきらめて聴くのはやめていた。なぜか、その収録されている音が懐かしくなり急に聴きたくなった。
聴こえてくる色々な心地よい音や、不思議な音。
蒸気機関車のようなシュッポー、シュッポーと耳をくすぐるように聴こえてくる音。
また、あたかも自分が飛行機になって青空の下、猛スピードで自由に空を飛んでいるような風を切る音。
くら~い洞窟の奥のようなところから聴こえてくる、複数のお坊さんの発する読経の声のような不思議な音(超怖~)。
そのほか、様々な音響が収録されてある。
昨夜、寝る前に本当に幽体離脱したら面白いだろうな~、と思いながら聴いていた。その思い・・・を寝ているときにも引きずってしまったためか、今朝7:30ごろに起こされる直前、夢の中で幽体離脱していた。現実に、はっきりした意識での幽体離脱であればすごいことだが、あくまでも、とっても はっきりとした夢だった。(笑)
その夢では、部屋が明るい状態の中で、寝ている自分とそばに立っている二人の自分がいた。
なぜか、二人とも二十歳過ぎた頃の同じ顔の自分だった。目を開けている自分が、寝ているもう一人の自分の足元に立って眺めている。寝ている自分の方は、体に しびれを感じていた。同時に、二人とも同じ思いを発していたと思う。だから、どっちが本当の自分なのかが分からなかった。その二人を見ている、(感じている?)もう一人の自分の存在があり、どっちに付こうかと迷っていた。(笑)
そして、 お父さん起きて~ と、用事を頼みに来た現実の娘の声がして目が覚めた・・・・・。






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[ 2006/12/07 12:24 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

バッハのマタイ受難曲 

ある方のブログを読んだら バッハのマタイ受難曲について

この曲ほど、迷える哀れな霊に対する救いとなる曲も珍しい。

と、あった。
すぐにも、聴いてみたくなった。
さっそく DVD版の購入手続きをした。


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[ 2006/12/11 12:55 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

守護霊様から 起きれ!と促された 

先ほど、ほんの ちょっとした気付きがあったので このことを忘れないために書いておきたい。

「生命の輝きへの道」の五項目を行った後、ふとある方のブログを思い出し、
過去の出来事の反省の仕方について、いろいろと考えているとき
だんだん反省についての判断基準の疑問が出てきたので
高橋信次先生のテープを聞いてみよう・・・と考え
昭和46年の盛岡での講演テープ「心を裸にしよう」という演題で反省の仕方について
語られているテープを聞いた。

真剣に聞いていたつもりだったが、そのうちに 椅子に座ったまま、
ふらっと浅く眠ってしまった。
ほんのわずかの時間だったのですが、誰も居るはずがないのに
自分のすぐ左横を人が通った気配がした。気配というより、透明な感じに見て取れた。
こういうことは、書くのに表現がしにくいです。
びっくりして目が覚めた。起きれと促されたようでした。
そして、あー いかん ねてしまったー。
「自分は真剣さが足りないな。」と、思いながら再度、耳をかたむけた。
その時の信次先生の講演での話の内容が、「ねたみ」について
例をあげながらのお話しでした。
そのとき はっ と気付きました。目が覚めてよかったです。

私は常日頃、自分の一瞬、一瞬の考えや思い、何がどう出ているか見よう意識しよう
としています。特に、自分さえ良ければ、とか自分だけを大事にしたい、
という想いを警戒するためです。
ところが、表面的なことだけで、よく掘り下げよう、とは していなかったことがわかりました。

それは、時々友人のAさんのことを思い浮かべます。
Aさんに対しては、私は好意的であり 相手もそうだと思います。
ただ、Aさんに対して心の中では、ある共通したことで自分よりもAさんは、上をいっているのではないか。負けているかも・・。
いや、こっちの方が上だ。などと想うことがあります。
そう想ったときに、気が付けば良かったのですが テープを聞いて気が付きました。 

これは「やっかみ」であり、ねたむ心の一歩手前の状態を自分で自分が勝手に作っていました。
極端に言えば相手に対して、差別意識をもっていました。
友人というのは、お互いが切磋琢磨できる良き相手である、と分かりながらも
自分が弱いため、そう考えたようです。
もし、Aさんが自分の肉親、子どもだったら そんなAさんを素直に心から喜んでいるはずです。
そこには、自分は相手に対して心からの謙虚さがなかったと思います。
他人というのは、生まれてくる親の腹が違っているから、他人といえるけれども 
あの世では、人間はみな平等で兄弟である ということをすっかり忘れていました。
何てことは ないかもしれませんが、私にとって ちょっとした大事な気付きでした。
そして、表面的に捉えるだけでは、心からの進歩はないと思いました。


起きれ!と促されたのは、以前もありました。

いつだったか、岸田先生がこちらへ、お出で頂いた時に光を入れて頂きました。
家に帰って一人 夜、久しぶりに反省しよう、という気持ちになりました。
布団の上に座って、心しずめて瞑想しながら過去のことを振り返っていました。
ところが疲れていたためか、わずか ほんの一瞬、ふらっと寝てしまいました。
その瞬間、びっくりでした。
自分の首筋の左右、両肩を バシッ と叩かれました。
痛いようで痛くない。体が痛いのではなく、体を包んでいるものがあり
そこに バシッ と、衝撃があったようです。
そばに、誰かいるんです。
そのとき相手から瞬時、伝わってきた思いは 「起きれ!」 でした。
思いが伝わってきた時に自分が思ったのは 「しまったー、寝てしまったー」 でした。
でも、その直後からとても怖くなって反省どころではありませんでした。
守護霊様には悪いと思いながら、布団をかぶって本格的に寝てしまいました。



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[ 2006/12/15 17:23 ] 随 想 | TB(0) | CM(12)

長男のこと 

今日やっと、体調を取り戻しました。
まだ、37°ぐらいですが もう大丈夫です。

昨晩、仕事を終えて 職場で熱を計ったら 39°だった。
一緒にいた中学三年生の長男が勉強を終えて「僕も、きついから計ってみる。」
と言い、計らせたところ「お父さんに勝った」という。
「は~?」といって体温計を見たら、39、2°だった。
案外、平気でいる。私たち親子は、熱に強い。(笑)
でも、これはいけない。自分だけだったら我慢できるけど
長男も発熱していたので夜間診療を受けに行くことにした。
帰宅して早々、病院に行きました。

その病院は、救急外来が受けられる、市内でも規模の大きい病院です。
受付を済ませて、待合フロアーに二人で座って周りを見渡すと 熱さましシートを額に貼っている幼稚園児ぐらいの子どもが、お母さんに付き添われて何人もいました。
昨日は、かなり寒かったので 子どもの急な発熱でしょう。

いつだったかテレビ報道で見たことがありますが、他県で夜間の宿直小児科医がどこもいなくて 病院をたらい回しにされ、とうとう手当てが間に合わずに亡くなるケースをあげていました。
それに比べて、こんな地方都市でも、ちゃんとした夜間緊急病院がある。その点では、この地域は 恵まれていると思います。

静かなフロアーで、ひときわ大きな泣き声で
「いたーい、いたーい、かえりたーい」と、聞こえてきました。
声の方を向くと、4才か5才ぐらいの子どもでした。どこかケガをしているのか、その子のお母さんが、なだめていますが泣きやみません。
お母さんの気持ちを察すると、なんだか 私まで泣きたくなりました。 
そして、待つこと15分。
診察室に入って、診ていただく。
これは、お二人とも風邪をこじらせていますね。
市販の薬を三日服用して、効かなかったら病院に行くべきでしたね。
といわれた。

そうなのか。それは、知らなかった。(笑)
私は 40°前後の発熱の場合、病院に行かなくとも、市販の薬で約一週間ぐらいで治っていました。

私には注射をうってもらえず薬のみで、長男は点滴と注射をうっていただく。
点滴をうっている間、傍に座って、終えるのを待っていた。
久しぶりの入院気分は、どうねぇー。
と、聞いたら長男は苦笑いしていた。

そのとき思い出していたのは、幼稚園に入った頃から、およそ二年位経った時のことでした。
五月でした。かかり付けの小児科の先生が、
大学病院に紹介状を書きますから 緊急に入院させてください。
それを聞いて驚き、すぐに病院へ連れて行きました。
その日は冷たい小雨が降っていました。
車を降り、長男をだっこして 大学病院の、一部天井が無い渡り廊下を小走りし、空を見上げながら、これから この子はどうなるんだろう。という思いで病室に運びました。

この長男は伴侶と私の考えで、四年保育をさせました。
三才の誕生日を迎えたときから、幼稚園です。
毎朝、私の車で市内のカトリック幼稚園に7:30~8:00の間に着くよう、連れて行きます。
門前に着くと、最初の頃は幼稚園の先生が助手席のドアを開けて、泣いて嫌がる長男を、人さらいのように すばやく連れ去っていきました。(笑)
すぐに車を走らせ、私の姿を消しました。その時、本当に辛かったです。
そして幼稚園には、だいぶ慣れた頃、長男はちょっとした運動でも、すぐに 
つかれた~、きつい~。だっこして~ の連発でした。
これは、ちょっと何かおかしい と伴侶が思い、小児科医院に連れて行った。
そしたら、腎臓病の一種である ネフローゼ と診断されました。
すぐに大学病院への入院手続きをして頂きました。
症状に気づかずにいたら命を落とすところでした。

点滴をうたれ、寝ている顔を見ながら、私と比べれば よくもまぁ、これまで素直に育ってくれたものだと思いました。小学校三年生の時から勉強よりも少年野球を楽しみながら、ついこの夏まで自分なりに一生懸命やってきました。

そして やっと長男の点滴が終わって、帰宅したのが夜中の二時でした。
とても、大変な一日でした。(笑)



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[ 2006/12/29 17:55 ] 随 想 | TB(0) | CM(4)

月刊誌巻末から   

GLA関西本部発行の月間誌巻末の数ページにある「GLA関西本部」をご紹介いたします。


”釈迦、イエスの神理正法に還り神の子の人間に目覚めよ”
と叫び続けられた『高橋信次先生』の教え、真の幸せへの導き

◎あなたの死後の世界はどうなるのか

「人間はどこから来て、どこへ行くのだろう」
「なぜ生まれ、何のために生きているのだろう」
「死んだらどこへ行くのか、どうなるか」
「人生をどう生きてゆけばいいのか」
「神、仏はあるのだろうか」
これらの根本的なことが解らない限り不安な日々を送ることになり、気づかないうちに心も肉体も得体の知れないものに蝕まれ、我に返った時「私の人生は一体何だったんだろう」と、大きな悔いを残すことになるでしょう。
しかし、その疑問を解決する道を解き明かされ、証明されたのが、高橋信次先生だったのです。

◎GLAは何を教えているのか

GLAは、正法という釈迦の教えた大自然の調和された循環の法と慈悲と愛について教えている。
釈迦は宇宙即我によって神の意思を悟り、プッタ(仏陀)となった。そして真の安らぎのある至福者となられた。
多くの衆生がプッタの安らぎに近づき、近づこうと願うなら、この世はそのまま地獄から仏国土となろう。
高橋信次先生は、末法と化した現代社会に正法という法灯をともし、二千五百有余年前のインド時代の衆生の喜びを再び蘇らすべく、
人々の教化にご自分の生涯をかけられました。
GLAは、その釈迦の神理を世に伝えるべくつくられたのである。
G はゴッド=神または神理、L はライト=光、A はアソシエイション=会。
つまり、『神理の会』というのがGLAである。
人々が正法を実世界に表わすにはどうすればよいか、安らぎのある生活を送るには、正法を貫く中道の心を自覚することである。
中道の自覚は八正道の実践しかない。
一、正見。 二、正思。 三、正語。 四、正業。 五、正命。 六、正進。 七、正念。 八、正定 である。
この八つの実践によって、中道の心を知り、自覚が芽生え、如心の境地に到達する。
人々に慈悲の心で接し、愛の行為が行えるようになるには、こうした如心の境地に進むことによって、より可能となるのである。
つまり、菩薩行がつつがなく行えるようになると言えよう。
GLAは釈迦の正法を根本として慈悲の心を、そしてイエスが説いた愛の行為を教えているのである。

◎他力信仰の誤りについて

世が末法となると他力の信仰が流行ってくる。他力とは文字通り他の力を借りる信仰である。
阿弥陀にすがって、念仏を唱えれば極楽往生間違いなしというわけである。
仏教も変れば変るものである。二千五百有余年前の釈迦は他力の信仰は一つも教えていない。
イエスが教えたキリスト教にしても今日では祈り一辺倒の他力と化している。
人間は神の子であることはプッタが悟った。
神は天地を自らの意思で創られたように、人間神の子もその運命と環境は自らの手によって調和させていかねばならないのである。
プッタは神の子の自力を教え、イエスは神の子の愛の実践行為を説いた。
それが今では念仏や祈りが信仰というわけである。
明日の運命も分からぬ肉体人間の思念と行為を思えば、他力の信仰を一概に責めるわけには行かないだろう。
しかし、人間は神の子であり、他力の果ては自己満足を助長し、一方では無気力な人間をつくっていく。
宗教が偽政者と結び、衆生を苦しめたのも他力の故であり、盲信・狂信のアヘン患者が出るのも他力の害毒といってもいい。
二十一世紀の今日といえどもまだこの弊害が続き、信仰の名の下に争いが続いている。
神は平和を求めている。人類に調和を求めている。
他人にはウソは言えても己の心にウソの言えぬその心が神の子の証なのである。
とすれば、人はその心を大事にし、その心にしたがって、神性仏性の自分を自らの手で育てることが信仰ではないのか。
つまり、神は我が心に宿っており、ならばその心に忠実であることが神の子の義務であり、責任ではないか。
正法は自力である。神の子の自覚にもとづいた自力である。我欲を果たそうとする自力ではない。
求め、努め、勇気を持って歩むものに神は光を与えてくださる。
神は自ら努める者に安らぎと調和を与えることを知るべきであろう。

◎転生輪廻と魂の不滅について

この世のすべての物は循環の法則の下にある。
水は気体、液体、固体の循環を繰り返し、一日は朝、昼、夜の周期を維持している。
こうして、物質とエネルギーは神の偉大な意思と働きの下で、永久運動を続けている。
物質もエネルギーも永遠にして不滅である。
人の魂もこれと同じように、この世を去ればあの世の生活が待っており、やがてこの世に再び誕生する。
そうして、個の魂をより豊かに、より調和するべく永久運動を続けている。
GLAでは、魂の不滅についての実証がなされている。
インドに、イスラエルに、エジプトに、スペインに、イギリスに、ドイツに、ベトナムに、チベットに、中国に、その当時の言葉を語ってくれる。
千五百年前に中国で生まれ、当時の名前はこうであり、生活環境は厳しかったが、しかし学んだ事柄は内容的には現代と少しも変わらないということを話してくれる。
これら霊道者の人びとは、インド語も、エジプト語も、スペイン語も習ったことがないのである。
ところが、現代にも通用するその言葉を、いとも簡単に語ってくれるのだ。
普通では信じられないことである。
釈迦時代、イエス時代しか、こういうことは今まで起こったことがないのだから。
こうした現象(現証)はGLAでは発足したその時から現れ、霊道者と称する人々は多く出ている。
霊道によるこうした過去世の言葉は魂の永遠不滅と転生輪廻を示す偉大にして価値ある実証といえよう。
しかも霊道現象は、高橋信次先生の光によってその門がひらかれ、霊道者自身が中道の生活を実践することによって与えられるのである。
私たちの記憶は通常、脳の中にしまわれているとみられている。
医学の発達によって肉体の死は生命の死につながるように思われているが、ではGLAで起こっている霊道現象を医学でどう説明するだろう。
もし肉体の死によって記憶の一切が消えてゆくとすれば、霊道現象が教える過去世の実証はどう答えたらいいだろう。

◎霊道現象(現証)について

仏教の中の華厳経は主に霊的な問題を扱った経文として知られている。
その中の十地品第四章二十は、過去世の記憶について累々と述べている。
「彼は色々な名前の住所を記憶する。一生を記憶し、数百年、数千年、数億年を記憶し・・・・・」
当時の人はプッタの光によって霊道をひらき潜在意識に記録されている過去世の記憶をよみがえらせ、過去世の生活を思い出し、言葉を語ったのであった。
新約聖書使徒行伝第二章にも同じようなことが載っている。
「・・・・・みよ、この語る者は皆ガラリア人ならずや、如何にして、我等おのおの生まれし国の言葉を聞くか・・・・・」
十一人の使徒達は、イエスが十字架の人となり、五十日を経ったある日、突如として霊道をひらき、各国の言葉を語り出したのである。
インドの当時は、プッタの在世中に数万人が霊道をひらき、過去世の言葉を語り、神理を説き、多くの奇跡を遺した。
イエスの使徒達も、霊道をひらくことによってイエスを信じ、神の子の自覚に燃え、伝道に生命を投げ出した。
現在GLA関西本部にも同じような霊道現象は起こっている。

釈迦、イエスの神理正法に還り、真の人間にめざめよ

恩師の心を受け継いで、GLA関西本部では、皆様方の幸せのお手伝いをさせて頂いております。



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[ 2007/01/25 19:08 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

お地蔵さん 

職場に向かう途中の信号の角に、お地蔵さんがまつってあります。
信号待ちのときは視線に入る位置にあるのですが、いつも眺めているわけではありません。
今日たまたま見たら、赤い綺麗な、よだれ掛けをしています。
付近住民の誰か、いつも大事にお世話されているのでしょう。
お地蔵さんを見て、ずいぶん前のことを思い出しました。
今思えば、あれで良かったのか・・・と思うときがあります。

私が23歳頃でした。
或る悩みが有り(悩み多き人生です。笑)どう、解決して良いか分からず神仏に頼ったことがあります。
住んでいる場所から少し離れた郡部に、いわゆる「拝み屋」の噂を知って暫らく何度も通いました。
その拝み屋さんの家には、他の所から引き受けた仏像など沢山まつってありました。
そして私に対し、(今考えても何のことか未だに分かりませんが)
「素質があるので、いろいろ教えてあげます」
ということで、行く度に目を閉じた状態で正座をさせられ「光が見えないか?」
などと言われ指導(笑)を受けました。
内心、「光が無いところに光が見えるはずが無いじゃないか」と思っていました。
今だったら、「光」に興味ありますが(笑)・・・しかし今思えば、拝み屋は怖いです。
そんなことよりも「悩み」解決が優先でした。
結局、拝み屋では解決できませんでした。
今であれば、それくらいの悩みは悩みの内には入りません。
その頃若かったので「がむしゃら」に切羽詰ったような感で考えることが多かったと思います。
悩みは、時が経って自然と解決(納得)したようなものです。

その悩みというのは、もしかすると代々家系の因縁ではないのか。
と思ったことが通った、きっかけでもありました。

私が小さかった頃の昔は、近隣の家では専業農家が多く、鶏や肉牛などの家畜を飼っていました。
私の家も、そういう環境でした。
農業用機械が無かった、もっと昔であれば牛を頼りに農耕していたでしょう。
私の家では、私が生まれる以前に牛以外にも豚も飼っていたそうです。
家畜を飼っていた家には必ず家畜鎮魂のため、石で出来た「馬頭観音」をまつっています。
馬頭観音って面白い姿をしています。
正面と左右に一つずつ、一体の身体に憤怒した顔が三つあります。
しかも正面の顔の額付近には「馬」の顔が付いています。

私の家の庭には、その馬頭観音ともう一体、同じく石で出来た「お地蔵さん」が有りました。
生前の父親の話によると、そのお地蔵さんは何代か前の先祖が子どもに恵まれなかったので、子どもが授かる願いを込めてまつられた、と聞いていました。
お地蔵さんをまつってからは一人の女の子に恵まれたそうです。
そして、今の私の存在があります。
お地蔵さんの台座の石には、天保二年の銘と作った先祖の方の名前が刻まれていました。
庭先で毎朝、祖母か母親は、馬頭観音さんとお地蔵さんに「お茶」「ごはん」と線香をあげていました。
小さい頃は、私も一緒にお参りをしていたものでした。
お地蔵さんに話しかけたりして、親しみを感じていました。
(馬頭観音さんは怖い顔をしてあったので馴染めませんでした)

あるとき、拝み屋さんを自宅に招いたとき
「特に因縁とは関係が無いが、この仏像さんたちは私の所に来たがっている」
ということで二体の仏像を引き取ってもらいました。
それからは「拝み屋」さんのところに行った時、手を合わせて帰っていました。
拝み屋では解決できない、と判断してからは、一度も訪れてはいません。
その方(拝み屋)は、当時七十歳代だったので今はご高齢です。
ご健在かどうかは知りません。


「生命の輝きの道」の中で、肉体を頂いた先祖に対して心から感謝を述べます。
両親と亡くなった祖父母です。
それ以上の先祖は面識が無いので「先祖代々」と置き換えて祈ります。
その先祖の子孫繁栄の「思い」が込めてあったお地蔵さんを私は簡単に手放してしまいました。
それは先祖に対する感謝もなにもありませんでした。
お地蔵さんは、ただの「石」ですから何ともないのですが、先祖の思いを当時、汲むことの無かった自分に情けなく思います。
今更ながら引き取ることはできないし、もう仕方ありません。

道路わきのお地蔵さんを見てその頃のことを思い出しました。


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[ 2007/01/26 13:28 ] 随 想 | TB(0) | CM(10)

古くて新しい、第九 

今日届いたメールの中に新譜情報がありました。
なんと、フルトヴェングラーのバイロイト盤、第九の

>良条件で保存されていたもの

が、新しく発売予定されています。
さっそく購入手続きをしました!届くのが楽しみです。

クラシック音楽は日頃聴いていますが、そんなに詳しいわけではありません。
しかし、これはぜひ聴きたい!
既出盤のバイロイトは、これまで繰り返し何度聴いたことか分からない位です。
他の指揮、楽団の第九も好きで普段もよく聴きますが、それらとは全然違う、フルトヴェングラー指揮の迫力や力強さには大満足です。
曲の最後の極端なアッチェレランドには、いつも斬新さを感じていました。
ただ、音質が多少つぶれていて、もっとクリヤーだったら・・・と聴くたびに残念に思っていました。
もっと贅沢を言えば、それが録画されたものがあったら(当然ありませんが)、前記した曲の最後ごろのフルトベングラーの指揮に、演奏が追いついていけず、慌てている様子の楽団演奏者の表情を見てみたいです。(≧m≦)ぷっ

>既出盤のそれとは全く異次元のものであることは言うまでもありません。

レビューに書いてあることが本当にそうなら、期待しています!

ところで随分以前に、惑星探査機ボイジャーに搭載された、地球を代表するものとして、絵画はミケランジェロの人を描いた絵、音楽はバッハのブランデンブルグ協奏曲がCDにかき込まれていると聞いたことがあります。
他の天体の住民が、もしそれを聴くのであれば、ブランデンブルグよりも第九の方が、よっぽど人間味があると個人的には思っているのですが・・・。(笑

―――――――――――――――――――

ゆきうさぎが何か言ってます!

20070517131245.jpg

はい。すぐにでも聴きたくて、慌てて注文しました!
ゆきうさぎ、飼い主の心情をつかんでいます!!
おっしゃるとおりです!(爆爆


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[ 2007/05/17 12:17 ] 随 想 | TB(0) | CM(8)

母親の病院での検査 

昨日は内気功を教えていただく練習日だったのですが、休みました。
数日前、私の元に母親のかかっている大学病院から電話がありました。
「お母様の胆のうに検査の結果、影が見えています。」
「二回ほど精密に検査します。現段階でハッキリしていませんが、腫瘍の可能性もあります。」
「・・・はい。しかし、それが腫瘍であっても、良性か悪性かは分かりません」
という、内容でした。手術する可能性もあるので入院手続きまで申し込まされました。

電話があった後、二回ほど既に検査を済ませて、昨日の午前中に CT とかエコーの検査結果を大学病院に聞きに行きました。
二回受けた検査で現段階では、胆のう内に腫瘍、または胆石のもとになる泥みたいな液体のどちらかが確認できますが、まだはっきりしない、ということでその場で、また CT とエコーの検査でした。
「先日から二度も撮影の検査をして分からないのに、今度はどうやったら分かるんですか?」
とたずねましたら、
「胆のう内の影が腫瘍か、泥かは振れば分かります。」
ということでした。
腫瘍だったら動かない。泥だったら動く。振れば分かる・・・どうやって胆のうを振るのか知りませんが、原始的?な方法というか、考え方に、妙に納得でした。(笑

結果、腫瘍ではなかったようです。しばらくは検査で通院です。

母親は二十年ほど前に職場で事故による、生死をさまよう大怪我をしました。
意識が回復する前は三途の川とか、花の園を見たり、先立った夫(私の父親)に会ったそうです。私の呼びかけで引き戻されて意識を回復したようなことを言っていました
また、その情景は、とてもリアルだったようなことも当時、話していました。
その大怪我により数年後、大量輸血の影響でC型肝炎を発病しています。
現在では肝硬変に進行しています。
オーリング診査によれば、今の肝臓は前癌状態です。
病院からは癌の進行を止めるために、濃い乳酸菌の錠剤を服用しているところです。

岸田先生からは、生命には誰しも、リズムがあり周期的におよそ、9年に一度、悪いリズムが巡って来ると聞いています。
しかも誕生日前後がよくないそうです。
母親の誕生日がちょうど2ヶ月後であり、その誕生日で歳が9の倍数に当たります。
そのことも重なって、ちょっと心配でした。
まぁ、リズムが良くない年だとしても、そんなこと心配してもどうしようもありませんが、気をつける意味で警戒する分には良いのかなぁと思います。
岸田先生から聞いている、およそ9年に一度の周期については、高橋信次先生の三体性理論に基づくものです。
いつか機会があったら、そのことにふれてみたいと思います。

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[ 2007/06/20 13:11 ] 随 想 | TB(0) | CM(20)

お盆の起源 

来月は、お盆を迎えます。
私の家の宗派は浄土宗です。家系は代々続いており、毎年のお盆には、今となっては少ない家族でお坊さんを呼んで、ささやかな、お盆を迎えています。

ちょっとしたお盆の思い出です。
私が小さい頃は提灯を飾り、線香とソウロク、精進料理を仏壇にあげ、そして親戚たちが大勢集って、派手にワイワイ言いながら皆で酒、食事をとっていました。
その頃は親、親戚、お坊さんの話により、死んだ後は魂が三つに分かれて仏壇とお墓、また檀家のお寺に住することになる、と教えられていました。(汗
納骨堂や檀家寺は、とても陰気です。
その話を聞くたびに嫌な気分でした。(笑

ところで毎年のお盆とか、年忌供養になると必ず訪ねて来る、祖父の姉だけは、とても怖かったです。
明治時代生まれの人は頑固というか、気骨者で厳しいですね。
物心ついた頃から中学生になった頃まで、例えば、ちょとした食事の仕方のマナーの悪さなどでも、いつも兄弟の中で、私だけ叱られていました。(爆
子の躾がなっていない、ということで、ついでに親まで皆の前で一緒に叱られていました。(汗
その時は、座敷全体が一瞬シーンとした嫌な空気に変わります。
程なくして、また親戚中でワイワイ・ガヤガヤです。(笑
長男なので、家を継ぐ私に対して、しっかりしてもらいたい、末永く実家が安泰であることを願ってのことでした。

13日の初日の夕方には毎年、お盆の準備がありました。
その準備で忙しいのに、まとわりついて邪魔な小学生の私に、父親は、
「そこにあるリヤカーを引いて、納骨堂まで先祖を迎えに行ってこい!
先祖が何人も乗って、重くなるけん気をつけんば!」
と、いわれていました。 (汗

リヤカーを引くのは慣れているからいいけど、ただでさえ気色悪い納骨堂に夕方、一人で行くなんて・・・。グズグズしていると、
「すぐに暗くなって、がばい、えすかぞ(とても怖いぞ)!早ぅ、行かんかい!」 

もちろん、冗談で父親が言っていたことです。(爆
その父親は既に鬼籍に入っています。私が父親を納骨堂へ迎えに行くことはありませんが。(笑 

家族、親戚が集まって先祖の仏壇、お墓にお参りするのが慣わしなので、お盆は、ただそういう形で供養するものだと思っていました。
今ではキリスト教会でも、お盆の時には特別にミサをしているようです。

ここからは、お盆の起源を紹介いたします。
いつも通りに長くなるので読み逃げ、スルーは大歓迎です!(≧m≦)ぷっ 

以下、高橋信次先生の著書から読んでみます。

子孫と先祖のつながり、これを大事にするために、現在の私達が、一定の季節を定め、先祖への感謝を表現する行為。それもよいことであろう。
しかし、本当のお盆の意味はこうなのである。
今を去る二千五百有余年前、ゴーダマ・ブッタが三十八歳のときのできごとであった。

――――――――――――――――――――

※注)
当時の小国、マガダ国(インドでも、現バングラデシュの西に近いあたり)のガンジス川の支流、ネランジャラ川付近にあったベル・ベナー(竹林精舎)に、ゴーダマ・ブッタ(お釈迦様)が住している時、ウパテッサ(舎利佛)とコリータ(大目蓮)が同時にブッタに帰依しました。そのコリータに関するお話です。
コリータは、ブッタの法をしっかりと心に受けとめ、生まれた時から現在までの、思ってきたことと行ってきたことの一つひとつを思い出して、法に重ねて反省を続けて、これまでの心の曇りを除いていきました。結果、コリータはその後、帰依して一週間目にして心の窓(霊道)を開き、アラハン(阿羅漢)の境地を得ることができました。
その通力は天上界と地獄界をも見通す能力を持つことができ「天眼」の第一人者となりました。

最初に天眼を使ったのは母親に対してでした。その時のできごとです。
著書に戻ります。

――――――――――――――――――――

コリータは、ふと今は亡き母のことを思い出した。
人情の常として、他界した母親は、現在どんな世界で生活しているのだろうと、彼もまた思うのだった。
彼は、眼を閉じ、母を念じた。
すると、母の生前の顔が、くっきりと眼前に浮かんできた。
「おや・・・・・・母がいる。一人寂しそうにして、こちらを見ている。何を欲しがっているのだろう」
コリータは自分の目を疑いながら、しかし、薄暗いところに立っている母をみつめていた。
場所は、コリータの家の近くのような感じだった。
母は明らかに水を欲しがっている様子だった。
そこで、コリータは、その場を立って、托鉢の鉢の中に水を入れ、母親に差し出した。
ところがどうだろう、水のいっぱい入った鉢を母親の口元まで持っていくと、どういうわけか、水が火になってしまうのだった。
コリータは何度も繰り返した。
そしてなんとか母に水を与えたいと思ったが、どうしても火に包まれてしまった。
コリータは、この疑問が解けなかった。
そこで彼は、ブッタに自分の体験を話し、そのわけをたずねた。

するとブッタは、
「コリータよ、心眼が開かれておめでとう、よく精進を続けてくれた。
ところで、そなたの母は、生前、バラモン種(カースト制度)の出身で多くの信者から布施をいただきながら、他人に対して奉仕の心も行為もなく、自我が強く、虚栄心に満ちていた。
母親の世界は火炎地獄である」
と、コリータの目を見つめながら静かに言った。

コリータは愕然となった。
しばらくは驚きと形状しがたい気持ちにおそわれ、言葉がなかった。
ややあって、ブッタに聞いた。
「では母を救うにはどうしたらよいのでしょう。
肉体をいただいた母です。
せめて、そのご恩返しに、母を火炎地獄から救ってあげたいと思います。
母を救うためには私はどんな苦しみにも耐えます。お教え下さい」

コリータの母は性格が強く、死をいやがり、阿修羅(アスラー)のような形相で死んでいった。
このことはコリータ自身、いちばんよく知っているだけに、余計に母親の不幸を感じた。
今ではブッタの弟子となり、親子の縁は前世の約束によって結ばれていると聞いているので、救えるものなら救ってやりたいと、思うのだった。

「コリータよ、母は母の生命であり、お前の生命はお前自身のものだ。
お前は母から肉体をいただいたが、しかし、魂は別であることを知ることが大事だ。
ガンガー(ガンジス川)には舟が浮かんでいる。しかし舟の持ち主は皆ちがう。
それと同じように、船頭である心は別々なのだ」

「肉体はもらっても魂は別だというのですか」

「その通りだ。肉体は人生を渡る舟にしかすぎない。
魂は永遠不滅、変わることのないもの。
その魂は人生の一切の体験を持って肉体舟から降り、体験の内容に応じた世界に帰って行くというのが、法の掟というものだ」

母が地獄に堕ちた原因は、ほかならぬ母の心と行いが間違っていたからだと、コリータは理解した。
「ブッタ、ではどのように供養したらよいのでしょうか」

「そなたの母は、この現象界で罪をつくり、その罪に応じた世界に行き、償うことになる。
そうして罪の償いが終わるまでその場所にとどまり、心の曇りが晴れた時、光明の世界に昇天することになろう」

「一切の責任は自分自身にあるということですね」

「その通りだ。肉体をいただいた母への恩返しは、母がやらなかった人びとへの布施(奉仕)を一年を通して、三日ぐらいはやってあげなさい。
そして、母が何故、地獄に堕ちたか、よく教えてやることが大事なことだ。
自分の心と行いについて、正しい基準を忘れ、五官のみに心がとらわれ、煩悩のままに人生を送った者は、その者達の心に合った世界に住することになる。
因縁因果、すべて自分自身がつくり出すものだ。
この世を縁としてつくり出した罪であるから、残った者達が、よく正しい法を得、実践してから道を説き聞かせたならば、地獄の者達はその理解を早めることになろう。
コリータよ、法を依りどころとして、精進するがよかろう」

コリータは、自己の確立をなくして、母親を救う道のないことを心に銘記するのだった。
そればかりか、こうしてブッタにお会いできたのも、もとはといえば母から肉体をいただいたからであり、母に対する供養こそ、地上における最大の恩返しと思った。

「コリータよ、亡き母の供養は、心を正した生活をし、体を健康にして、一日一日を明るく生活することである。
さらに、ブッタの法を供養することは、地獄に堕ち苦悩する者達の心の糧ともなるものだ」

ブッタの説法を、コリータ以外の弟子達もいつの間にか集まって来て聴いていた。
そして、自己の確立こそ、先祖への最大の供養であるということを悟って行くのであった。

ところで、今日、我が国で盂蘭盆会(うらぼんえ)といって、七月十三日から十五日の三日間、いわゆる、お盆の日と定め、地獄、餓鬼界に堕ちた近親者を供養する風習が残っている。
そのいわれ因縁は、この時のコリータの母親の供養の話が根拠になっている。
しかし今日のお盆供養は、仏壇に供え物を上げ、経をあげる形式と化し、ブッタが説いた先祖供養の精神は形骸化されてしまった。
本当の先祖供養は、既述のように、残された者達が健康で明るく、正道に照らした生活にあるわけである。
その意味は、意識界における地獄界は苦悩に満ち、その苦悩から逃れるため、絶えず現象界の近親者に救いを求めている。
誰しも見ず知らずの者に金の無心や苦痛をやわらげて欲しいという人は少ないだろう。
身近の人に寄ってくるものだ。
また、彼等の心は現象界でつくり出した暗黒の世界だから、どうしても現象界に眼を向けることになる。
地獄は四次元の世界である。
現象界の三次元の世界からは四次元は見えないが、四次元からは三次元が見えてしまう。
家庭が明るい時は、その明るさに自分の暗さが理解され、反省の大きな材料になってくる。
ところが、家庭が暗く、憎しみや愚痴、怒りでおおわれていると、その家庭に安住することが出来、人びとの意識に入りこみ、地獄界の苦痛をやわらげようとする。
憑依をうけた家庭は混乱した魂の数が増えるのだから、ますます混乱の波紋を広げて行く。
人に憑依した地獄霊は生前の罪ばかりか、憑依して現象界の人の心を混乱させるのだから、二重の罪を背負うことになる。
地獄霊はこうしてますます救い難い状況となり、現象界もまた混乱を重ねて行く。
この世とあの世の関係は、人の心を通して常に同通し、この世が混乱すればあの世が騒がしくなり、この世が平和になればあの世も静まってくる。
つまり、先祖を本当に供養するにはまず家庭内が明るくなり、先祖の霊に反省の光を送ることにある。
また、家庭が明るくなることによって地獄界の霊人達の数も減り、現象界に影響を及ぼす度合いも少なくなってくる。
現象界の仏国土・ユートピアは、こうして実現の駒を進めることが出来るが、現象界の人びとが五官六根の煩悩にふり回され、自己保存(自分さえ良ければいい、という想い)に流されている間は、先祖供養どころではないわけである。
仏壇に食べ物を供えても、地獄霊は食べることは出来ない。
むずかしい経文を読誦(どくじゅ)しても、これを理解することも出来ない。出来ないから地獄に堕ちているわけである。
先祖供養は地獄霊を昇天させることにあるのだから、それには子孫である家庭が、ブッタの説かれる正道に適った生活を送り、彼等に反省の光を与えることにある。
お盆の三日間の供養のいわれは、人びとは、仕事や家庭や雑務に追われ、真に人に奉仕するという時が少ないので、一年を通じて、せめて三日間だけでも恵まれぬ人びとに奉仕をしなさい、というのである。

以上

かなりの長文をご覧いただきまして、お疲れ様でした!
そして、ありがとうございました。

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[ 2007/07/26 21:23 ] 随 想 | TB(0) | CM(20)

久々のバトン! 

ぷりんちゃんのご指名により、遅まきながらバトンを受け取っちゃいます。

では、まいります!!汗


●自分で思う性格

・猪突猛進タイプ。

何かを新しく初める時は、わきめ振らずに必ず熱中します。
時には後で、それを後悔。汗!

・わがまま。

長男ですので、ある程度「おぼっちゃん」で過ごしてきました。
たいがいは自分の思うようになる、と考えてしまうことがあります。


●人に言われる性格

・まじめすぎる。

それゆえ、ざっくばらんに付き合いにくい時があるそうです。汗
自分では、まじめだと思ってもいないし、まして、ひょうきんだと思っていますが・・・

・酒を飲むと人間が変わり、とても明るくなる。

まじめすぎる性格が酒により解放されているのかも?
普段、お付き合いしている人と初めてお酒を飲むと
必ず、「人間が変わる」と言われます。良い意味で、です。

そんなこと言われると、自分では普段が自分の本性なのか、
お酒を飲んだときが自分の本性なのか
???になるときがあります。爆!
普段の自分は仮面をかぶっている?ということ?爆
飲んでいるときの私の方が、お付き合いが しやすいそうです。

・・・・それなら、お付き合いしやすいように
いつも一升瓶を片手に持って生活しましょうかっ!!爆


●男女関係なく理想の友達

何でも話せる人。身内にも言えない自分の痴態をさらしたり
心情を吐露することができる人。


●好きな異性の理想

私は家内以外の異性を、好きになるようなことを思わない、と最近、自分に誓いました。
だから好きになるんだったら同性しかいないですぅ。爆!
やっぱり私は、釜でした。爆×5!


●最近言われてうれしかったこと

将来、お父さんと結婚してもいいよ!って言われたこと。笑!


●バトンの送り主の顔はみたことある?

ぷりんちゃんですか?
夢で何度もお会いしています。その節は、いろいろお世話になっております。笑
色が白くて、とっても美人です。


●送り主の印象は?

私は男ですが、グジグジと、しつこく、めめしいところが多々あります。汗!
ぷりんちゃんは、男性っぽいです!!(失礼しました)
でも、そういうところ、あこがれますぅ。笑!
ぷりんちゃ~ん!!そんな私をハヤブサな男気質で、引っ張って行ってくださ~い!!汗&爆&恥!

それはそうと、ぷりんちゃんには、こんな私ですが、ブログでお付き合いいただいて嬉しいです。


●バトンを回す人

次は ゆきうさぎ。 
最近何も書いていないから、うずうず!しているはず。爆
ゆきうさぎ、回したよ。勝手にやってね。爆!


ブログ復帰前の前哨戦!でした。
ぷりんちゃん。バトンありがとう。


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[ 2007/12/27 18:16 ] 随 想 | TB(0) | CM(13)

もう、年の瀬 

福岡地方は、これから西から寒気が入ってきて正月にかけて真冬日になるそうです。
でも早朝、外に出ても、そんなに寒いとは感じませんでした。
本当に雪が降るの?笑

今朝写しました。近所の家のブロック塀の上部から顔を出している、朝鮮?アサガオ。
この季節これまで見慣れていないので気になります。
まだ咲いているのか?たまに花を覗いています。
初夏の頃からずっと、今まで蔓(つる)は枯れもせず・・・。
秋を代表する花のコスモスは、今はとっくに引退!しています。
今の季節は冬のはずですが、まだまだ夏を引きずっている元気なアサガオです!!
雪が降っても咲き続けるつもりですか?(≧m≦)ぷっ

朝鮮朝顔


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前回の内気功練習時に金先生から手渡しで、一足早い年賀状を頂きました!(≧∇≦)
金先生からの年賀状

手書きの素朴な年賀状です。 三連山に新春のお日様。そして黄色く川が描かれています。
韓国では「新年、明けましておめでとうございます」という表現はしないそうです。
この年賀状には「新年、たくさんの福をお受け取りください」
ということを書いてあるそうです!!
ここに訪ねて頂いている皆様にも来年は、たくさんの福が舞い込みますように。


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明日の30日が仕事納め。来年は4日からが仕事始めです。
毎年、一年が経過するのを早く感じます。
年をとったせい?まだ私は29歳のつもりなんですがっ。爆!

ブログ休止する前は皆様の心あるコメントをもらって、励みとか気付きをたくさん頂きました。
とても充実していて嬉しかったです。感謝。
ブログは年が明けたら心機一転。再スタートと考えていましたが・・・
キリ悪く年末の再スタートとなりました。笑!
皆様。どうか来年も、お付き合いを宜しくお願い致します。楽しい初春をお迎え下さい。



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[ 2007/12/29 14:20 ] 随 想 | TB(0) | CM(16)

A HAPPY NEWYEAR! 

新年 明けまして おめでとうございます。

今日から仕事始めです。今年も仕事がんばろう!
大晦日から正月の三が日までは、毎年の事ながらアルコール漬けでした。爆!
まだ、酔いが残っているような気分です。(☆_☆)

皆様、今年もブログでのお付き合い 宜しくお願いします!!


年末

正月、我が家でのお昼ごろの一コマです。
娘が書き忘れた分の遅い年賀状を書いています。笑!
私はお酒を飲みながら、書いているのを傍でアドバイスしながら覗き込んでいました!
この時私は、もうだいぶ酔っ払っていました。正月ですから。爆!
手前にあるのは私が日本酒を飲むときに、いつも愛用している湯のみ!です。
昭和初期の九谷焼です。
私が骨董に興味がある頃、もう二十数年ぐらい前ですが骨董を扱っている知人から貰い受けました。
繊細な手書きです。でも私の取り扱いの不注意で縁を欠いてしまいました。笑!

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[ 2008/01/04 10:07 ] 随 想 | TB(0) | CM(10)

短い期間、何をしてあげられるんだろう 

職場は現在、冬期講座の最終段階。
受験生は特に目の色を変えて、合格を勝ち取るため必死の勉強!
そういう姿は非受験者の生徒にも、緊張と真剣さの良い影響を与えてくれます。
受験でも中学生の高校受験と違い、高校生の大学受験の方が教える側としては精神的な面では楽です。
近づいているセンター受験、二次試験にしっかり目標が定まっています。
どうしても志望大学に入りたいがために、他のライバルに負けられない気持ちでいっぱいです。
後は運と最後の詰めの学力養成のみです。

ところが高校受験となると大学受験と違い、ほぼ全員が私立・公立高校を受験します。
一部の生徒の中には勉強が嫌いな子どもも当然います。
嫌いな理由は色々あります。でも受験は競争です。
私の仕事での実績を残すには、志望校に合格してくれないと私も困ります!
でも競争は誰かが落ちこぼれることになっていますから、こちらが力を尽くして、そうなったら仕方ないです。そして勉強が全て、ではないしね。

親が、高校ぐらい卒業していないと社会からはじき出される、という理由で仕方なく受験に向かう生徒もいます。受験に向かうといっても、そういう生徒は勉強に対して能動的ではありません。させられている、と思っています。
それだけなら、まだ良いのですが、反抗期と重なって、勉強をさせられているという抑圧されていることも理由の一つですが、親に対し、自分自身に対して、また周りに対して反発してしまう生徒もいます。
こちらは塾ですから学校と違い、極端にあからさまな、そういう生徒はいません。

でもちょっとした、そういう生徒が入ってきた場合、その思いを軌道修正させる、というか自発的に気づかせて直させるには、こちら側としては大変な精神的な面で労力が要ります。長い時間が必要です。
でも何とかしてあげたい気持ちでいっぱいです。
ケースバイケースでもありますが、残念ですが必ずしも成功しないです。
そういう時は私の力量不足により自分の不甲斐なさに落ち込むこともあります。

勉強嫌いは仕方ありませんが、品行が悪い背景には、これまで育ってきた家庭環境に大きく起因しています。
もちろん、友人や学校での影響もあります。
(私は友人の影響で不漁不良の経験もありますがっ!)

概略、そういう子どもたちは家庭で自分の考えとか行動が自由ではないようです。
素直さが表面に出し切れない。心の想いを正直に吐けない。わがまま(私もわがままな人間です!汗)。
親御さんと話していると、そういうお子さん、言葉が悪いですが親に問題あり!
が、すっごく多いです。
子どもを押さえ込んでいます。子どもがかわいそう。
でも親は自分が押さえていることには気づいてあります。
気づいてありますが、何にこだわっているのかがわかりません。
親の立場としての意地?みたいなのが見え隠れしています。
子どもの気持ちを押さえることを止めてくれません。
おこがましいですが、こりゃ、親から教育が必要!だと思うことがあります。
しかしそれに災いされてしまう子ども自身にも責任が無いとはいえません。
あくまでも、どういう環境であれ、すべては魂修行である、という観点で捉えると・・・ですが。

しかしながら親とか、その環境がどうであれ、それに染まらない子どももいます。
そういう子どもは、エライなぁって、こっちの方が敬服してしまうこともあります。


・・・素行が少しばかり悪い生徒は、ここ十数年この仕事をやってきて何人も見てきています。
昨年の暮れ、クリスマスの次の日でした。高校受験のため駆け込みで親から連れられて、私の塾に通い出したRちゃんという女の子の生徒がいます。
受験の三月初旬までの、こちらが面倒を見させて頂く日数は、あと僅かです。
この子も、ご多分にもれず、そういう生徒でした。勉強嫌いで素行がちょっとよくない。
顔は、しっかりファンデーションとか目の縁を黒くするやつを塗ってお化粧をしています。
化粧するのは女の子だから、別に悪いことではありませんが。

ところが、Rちゃん。なんと去年の暮れの授業の休み時間中にタバコを吸いに外に出ていました。堂々と。汗!
15分間の休み時間ですが、携帯片手に、タバコのタメ吸いで2本~3本ぐらい吸っているのを私は目撃しました。その時、私の頭はガーン!!

それが発覚する一日ぐらい前に、アシスタント講師が私にこっそりと、Rちゃん、タバコの臭いがしています。と聞いていましたが、まさか、そんなことは無いだろう!と私は、アシスタント講師には対応していました。

男の子のタバコは、これまで何度も見つけて注意しています。便所の中で堂々!と吸っている生徒もいました。
そういう場合、見つけ次第、何も言わず無言で、鬼のような形相で生徒の頭をげんこつで、思いっきりガツンとやれば以降、吸わなくなります。
親御さんにその事を報告すると、最近は堂々と吸わなくなった(でも見つからないよう隠れて吸っているかも)と聞きます。
他の生徒にもそれを試したら、私の下手な説教より、おおよそ効果てき面でした。

しかし女の子がタバコとは・・・十数年来、初めてです!というか、こちらがただ、気づかなかっただけかもしれませんが。
たまにコンビニの前でも中学生の女の子らしき人がタバコを吸っているのを見たこともあるけど、まさか自分の塾生の子どもがっ!という気持ちです。

話を戻して、
目撃した一瞬、男の子ではないので、殴るわけにもいかないしぃー と考え、一応、言葉で強く注意しました。
でもタバコに対し、侘びる心もなく、手応えなし。
授業中ではアシスタント講師に少しばかり、反抗もしています。

Rちゃんのことを知っている同じ塾生に、学校生活がどうなのかを聞いてみました。
すると、素行が特に悪すぎて、学校の先生は見放しているとか。汗

受験日までの残りの短い期間、まだ性格をよくつかんでいないこのRちゃんと、タバコにしても素行にしても、どこまで向き合えるのか。
Rちゃんのために、Rちゃんの気持ちを少しでも切り替えさせる、きっかけ作りが私に出来るのか?それを考えると難儀しています。大汗
こういう時は何も考えず失敗覚悟で、こちらの想いをぶつけて当たってくだけろ!です。

すみません。記事が愚痴っぽくなっちゃいました。


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[ 2008/01/05 13:35 ] 随 想 | TB(0) | CM(12)

小学生の頃の作文。汗! 

お盆に実家で、ある探し物をしていたら・・・
私が小学生の頃に宿題で書いていた作文ノートがひょっこり出てきました。
作文能力が劣っている私ですが、読み返すと、もともと作文がヘタクソ。汗!
中を開いて読んでみると(笑)、漢字が少なくて字も雑。そして、こんなことも書いていました。爆!
ちょっと恥ずかしいのですが、以下ご披露します。(≧m≦)ぷっ


作文1 のコピー


「地 獄」

この世の中には人間をはじめ多くの生き物がすんでいますが、仏さまの教えによれば これらのすべての生き物は まったくなくなるのでなく またべつのところに生まれかわっていくそうです。前世の業でこの世に生まれてきたように この世でのごうが いんねんとなって生まれるそうです。
生まれかわり、死にかわりして まよいの生を続けることを輪廻といって、「天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄。」です。これを六道といいます。

P1000028.jpg

死んだあとにこの六道をぬけ出るには、生きているうちに仏さまの教えを守り善い行いにはげむことです。
ぼくはそうしたいんだけど、なかなかできません。
六道の中の地獄は八つあります。それを八大地獄といいます。その地獄を説明します。
死んだあとに はじめに行くのは等活地獄です。
死んで暗い道を歩いていると、りっぱな馬車がきます。
それにのれば火と変化してしまいます。地獄のおむかえです。
えんま大王さまの前に行って、おさばきをうけます。
悪い行いをたくさんすると、地獄で苦しみをさせられますが、善いことと悪いこととをどっちもせぬ人は、生まれかわったら善いことにはげむように八大地獄の苦しさを見せつけられます。
はじめに落ちる所は血の池です。そこで鬼どもに金棒でたたきつけられます。
その少し先を行くと大鳥がたくさんいます。そこでは、つみもない鳥を殺した者がいたら たっぷり苦しみを受けなくてはなりません。
二番目に黒縄地獄。
鬼どもから、のこやかま、おのなどで切り殺されるのです。
そこをまだ少し歩くと、やけた石がたくさん落ちています。
これは、火をそまつにし、火事を出した者が受ける罰です。
そしてその先にはグラグラとわいた油の中に入れさせられます。
その先を行くと谷があります。谷をこさなければ助かりません。
谷をわたるには、ロープ一本だけです。それもロープに乗るには、立っていかねばなりません。
うまくわたられないと、下にどんどんともえたぎった火がまちかまえています。
でも、うまくわたられる少し前で大きなハチがじゃまします。
おちる時に助かることがあるそうです。それは、その人のために、子どもたちなどが法事をしたときです。
そのくようが地獄までとどくからです。
三番目に衆合地獄です。
谷道を歩いて行くと鬼におそわれます。そして谷の穴の中にはいって苦しませられます。
それは、岩がしまり中にいる人は、ぺしゃんこになります。でも風にふかれると、もとどおりになります。
そしてそこを通りすぎると、うすの中に入れられます。そして犬、ねこなどにいじめられます。
これは、いたわることを知らず、自分のことばかりを考える者のおちる罰です。
そしてぬけだして、水に中に飛びこんで向こうの岸へうつろうとする時にも体に火がつきます。
次には叫喚地獄と、大叫喚地獄です。
また鬼に追われて谷の穴の中におちます。穴の戸がしまり、中で火が出ます。
すると戸が開いて、水が飲みたくなります。水に近づくと火にかわります。
このときに仏を信じていたら水を飲めます。
生きているときに、うそをついた人は、この地獄で舌をぬかれます。
もう次からは、うそがつけないようにさせるためです。
焦熱地獄というところがあります。
火がどんどん、もえているところを通っていきます。
この火は自分が自分でまいた、悪ごうの火です。
また歩くと池があります。何人も、その池に飛びこみます。
でも池から、火がもえあがります。今までの火よりも、はるかに強い火です。
火のいきおいで風に飛ばされます。これは業風というそうです。
それは自分が、人にまいた悪ごうです。
飛ばされていると下の強い火の中から、まだ生きている自分の家族が苦しんでいる声が聞こえてきます。
家族の人たちの苦しみの声を聞いて悲しくなり、飛ばされた空の上から火の中へ入っていきます。
でも誰もいません。だましです。
人をだます悪ごうをまくと、自分がだまされます。
八番目 阿鼻地獄。
これはむげんの地獄です。中へはいると、おそろしい虫、ヘビ、鳥、鉄の玉、どろどろにとけたあついものなどが、たくさんです。そこでいちばん何千倍と苦しい所です。
このような八大地ごくに はいらない方ほうは、善い行いにはげむことです。

P1000001.jpg




仏教に関わる、死後の世界について述べてある本を読んでの感想でした。何年生の頃なんだろう。
本のタイトルはまったく覚えていませんが、六道については小学生でも分かるように詳しく書かれてあったと記憶しております。
また私が小さい頃から檀家寺のお坊さんに、六道にまつわる話を少し聞いていたので馴染みがありました!
本の話しの中では、特に地獄界の描写!にインパクトを受けた自分でした。笑!
文章は言い切りで書いています。そういう世界がある、ということを子ども心に信じていたようです。
死んで地獄にでも行ったら、どこまでも鬼と火に追われるんだね。汗!

小学校の頃も今も・・・、関心を持っていることがほぼ同じ。笑!
ぜんぜん成長していません。汗!
私はこの頃からもう既に、自分、自ら洗脳させておりました。爆!

他には、おかしくて吹き出しそうになるのもありましたが、これ以上は恥の上塗り(笑)をしたくないので披露するのは、やめておきます。爆!



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ところで、先生からの朱書きの添削意見で書かれてあるのは、自分の感想が加わっていないので感想文になっていない、とあります。汗!
自分の意見がないんだね。笑!

私のブログも、ある分析!によると、自分の意見が少ないようです。汗!
もっと目立ってもいいと思いますよ!って言われております。詩人を目指します。爆!
↓↓ それは、これ!! goo の通信簿

一般のゆき 

ちょっと失礼なブログ通信簿です。笑! ブログ年齢は29のはずですがっ!

先日、あることで私と同じ疑問を持っている人がいないのか、 goo 質問箱で探していたら偶然これを見つけました。
ご存知ではない方は、お時間が許されるときに試してみてくださ~い!

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煙突のある風景・・・

煙突

これは自宅近所にある、元酒造会社の煙突を早朝に撮った写真です。
煙突って、最近は珍しくなりましたね。





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[ 2008/08/16 23:00 ] 随 想 | TB(0) | CM(24)

GLA関西本部 福岡支部集会のご案内(支部の自主研修) 

GLA関西本部 福岡支部からのご案内です

今般、9月23日(火曜日) 14:00~17:00 福岡県久留米市、石橋文化センター共同ホールにて支部集会を開きます。
GLA関西本部、本部長 岸田先生のお招きはしておりません。支部での自主研修です。
集会内容は、本部研修会での取り組みを紹介しながら皆さまと学んでいきます。また、時間に余裕があれば瞑想についても取り組んでみたいと考えております。
その折、GLA関西本部青年部向けに高橋信次先生が瞑想・禅定指導されたビデオも参考としてご覧いただきながら進めてまいります。
瞑想を予定しているために和室を使用いたします。通常使用している会議室・研修室とは違い、収容人数には、ずいぶん限りがあります。
参加ご希望の方がございましたら私宛、9月20日(土曜日)までにメールにて、その旨お知らせくださいますようお願いします。なお、参加にかかる費用はありません。


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[ 2008/09/22 08:21 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

まじ! で、当たってるぅ 

先日、職場に一本の電話。


ゆき)  はい。○○塾でございます。

福の神)  もしもし、そちらは○○さんの息子さんの職場でしょうか?

ゆき)  はい。そうです。私です。どちら様でしょうか?

福の神)  実は私は、あなた様のお母さまと以前に同じ○○病院で入院していた時に知り合いまして年賀状を送っていました。

ゆき)  そうでしたか。母親がお世話になりました。

福の神)  私は○○という者ですが、私の年賀状は見ましたか? その年賀状が一等に当選ですよ!

ゆき)  えっ。そうなんですか。ありがとうございます。確認していないので、まだ分かりません。

福の神)  ちゃんと当たっています! お母さまはご存知ではないのですか?

ゆき)  何も聞いていないので、おそらく確認していないと思います。

福の神)  では、お母さまに報告と確認をされてください。私からも直接電話してみたいので、ご自宅の電話番号を教えていただけますか。

ゆき)  はい。実家の電話番号は○○-○○○○です。でも、どうして私の職場が分かったのですか。

福の神)  入院している時に、息子さんのことは伺っておりました。 

ゆき)  そうでしたか。では私も確認してみます。お電話ありがとうございました。


というやりとりで、電話をおきました。

しかし・・・自分が出した年賀状の番号をしっかりと控えている方もあるんですね。
今年の年末年始、そしてこれからも春まで例年に無くバタバタしますので、年賀状の当選番号確認なんて考えもしていませんでした。
そしてまさか、一等なんて先方の控え間違いとばかり思っていました。
母親に電話で、「○○さんという方から職場に電話があったばい。その人が出しんしゃった年賀状が一等当選げなばい。知っとったかい。」
母親は、「そぎゃんげなね。○○さんから電話があったばい。今年の年賀状、見た後に、どこに置いたか分からん。」と言っていました。
それから数日後。半信半疑でしたが、実家によって年賀状を探して見つかりました。
母親は、「そいが当たっとるなら景品は、あんたが使わんね。」ということだったんで、職場のPCのインターネットで確認してみると・・・345898 まじで一等が当たってます。
こんなこと初めて。当たっても、これまでは、せいぜい切手シートぐらい。しかも母親に届いている今年の年賀状の枚数は6枚だけ。爆!

すぐ、職場から家内に報告の電話。と同時に一等景品が何かを調べていました。

ゆき)  おい。お袋がもろうた年賀状、まじで当たっとるばい。

家内)  当たっとー?  (だいたいが半信半疑だったので家内には何にも話していませんでした)

ゆき)  年賀状の一等当選! 

家内)  えっ、本当?

ゆき)  お袋は景品は、いらん、てげなばい。

家内)  一等って、何ば貰えると? (家内もまだ、自分たちに届いた年賀状の当選番号は確認していません)

ゆき)  今、調べてみよるところ。 わぁー。AQUOS 32型デジタルハイビジョン液晶テレビ&ブルーレイディスクレコーダーって、あるばい!

家内)  うん。それだけ? 他には? 

ゆき)  全部で6つ。えーっと・・・ ・・・ (他の景品を見ながら、のどから手が出るほど欲しいものがありました!) 

家内)  私が何にするか、自分で好きなもの選んでいいやろー? 

ゆき)   (ここで、「この景品は俺が選んで俺が貰う。」とは、言いきれない自分です。)
(すぐに、)
うん。良かばい。。。(涙をこらえて・・・爆!)  

家内)  ゆっくり考えて選ぶけん、商品がついとるのをコピーして持って帰ってきてよね。


見ると、6つの景品の中に デジタル一眼レフカメラ EOS DIGITAL&プリンター PIXUS、三脚セット が、あるぅ。
以前から、デジ一のEOSがすっごく欲しかったんです。。。
家内は自分用の一眼(子供の学校行事などの撮影用)を持っているので、絶対にカメラは選ばないはず。

いまさら、「自分が選ぶ。」と言っちゃうと、必ず夫婦喧嘩(鉄のカーテン・冷戦)になるので、やめときます。。。

福の神様からの電話が無かったら、母親はもらった年賀状を置き忘れたまま。私もそれを確認などしていなかったと思います。
福の神様。ありがとう!!


※会話が方言丸出しで、意味不明なところばかりだと思います。汗!


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[ 2009/01/28 13:32 ] 随 想 | TB(0) | CM(21)

U-matic Video tape 

下の映像は、先日からGLA関西本部で頒布している高橋信次先生ご講演DVDシリーズ第18巻のサンプル映像です。

【2008年10月10日から岸田本部長と私との二人三脚で行っていた高橋信次先生のご講演DVDビデオの販売は2010年9月24日にて終了いたしました。これまでご購入頂いた皆さま、ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。ご覧頂いた皆さまの心の糧となることを切にお祈りいたします。】





直接、U-マチックビデオテープから録りましたので従来のVHSビデオよりも画像は綺麗です。(サンプルは映像を圧縮処理しているので綺麗に写ってはいません)
現在は生産終了しているU-マチックビデオレコーダーは貴重な機械です。
それが下の写真です。

P1000028_20090824132029.jpg


GLA関西本部には信次先生のご講演U-マチックビデオテープが山のように大量保存されております。
また、同じタイトルが何本もありますので、その中から画像が良いものだけを選んでDVDに変換しています。
テープが経年劣化していますので切れてしまうことがあり・・・。汗!
そのテープとケースは下の写真のとおりです。テープは大きさがちょうど用紙サイズのB5版ほどです。


P1000030_20090824132054.jpg




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145440_001.jpg

上のマークは、GLAの別の紋章です。周囲は太陽の陽を現わしています。その縁にGの文字と中にLAが描かれています。
この紋章は今から一万二千年ほど前、アトランティス大陸でアガシャー大王が太陽信仰を中心に正法を説いた際のシンボルマークだそうです。GLAの文字だけは違いますが。


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ところで、今月は、お盆明けに数日間、帰省しました。
その中の一日、家族で北九州のスペース・ワールドへ朝早く、そして夜遅くまで家族で遊んできました!


P1000026_20090824132008.jpg





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[ 2009/08/25 15:45 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

感情のコントロール 1 

久しぶりの記事更新です!

このブログをご覧頂いている方は、おそらく高橋信次先生の教えに感銘された方々であり、信次先生の説かれた事柄を生活の中に実践したいと、熱心に求道されてあると思います。私もそうです。
私は先月までに、事務局に所属していたGLA関西本部から離れました。
私自身、新たな気持ちで再出発です!!


共に信次先生の教えを身近なところから実践していく話し合いの仲間を募っています。
信次先生の教えは理解できても、実際に、何をどうしたら良いのか解らない方でも大丈夫です。一緒に学びましょう。
皆さまご存知のとおり正法は、自分と周りの方々が、人間らしく今以上に幸せになるための己自身の改革です。それは他人ではなく、己自身しか自分を扱うことはできません。しかしながら一足飛びで出来るものではありません。地道に何度も繰り返えす忍耐も必要です。
しかし反面、切磋琢磨という言葉もあります。一人で学ぶより、皆様のいろいろな意見や体験を通して糧になるものが在るはずです。

皆さまそれぞれ経験されていることですが、とてもシンプルな例ですが・・・正法実践、信次先生の教えに沿うとなると、出来事に対しての行為、あるいはその時々の心の傾向性などを振り返り、まずは反省ということを私達は考えます。
でも、何度も何度も反省はすれど同じことを繰り返してしまう・・・。
私もそうです。そうすると、どうやったら同じ事を繰り返さずに一歩前進できるかを考えるでしょう。人から何か、うらみやねたみによる、そしりを受けたとします。受けるには受ける側にも原因はあります。
その原因を探すのが反省になります。反省になりますが、反省して次からは人から何もうらみやねたみによる、そしりが無くなるでしょうか。
永遠に無くならないはずです。この世界は生まれてくる前の、自分と波長が合ったそれぞれの段階の天上界ではありません。
イエス様であっても、まったく、いわれなき、そしり、罪を受けて十字架の露となられました。しかし、それをも赦すイエス様の愛の懐の深さ、重みは計り知れるものではありません。
人は誰しも、イエス様ほどでは無いにしろ、90%の潜在された意識の中に、その同通する輝き満ちた心が在るはずです。
言わずとも、その心を開発するのも正法ですね。
そしる・そしられるというのは心の表面のあやまちに過ぎません。受ける側は相手を憐れみ、そのあやまちを抵抗無く軽く流せるくらいに赦すという自分の心を育むことも大事です。まずはそこに気付くことが大事です。簡単な例でしたが。

自分自身で実感として気付き、導いたこの結論を人に話すと、
「なんだ、そんな単純なことですか。それは何回も正法の話では聞いている」
と、言われるかもしれません。
でも違いますよね。当然の話ですが、結論を正法で聞いて納得したことと、自分自身が反省して、そして何かに気付いて何度も挑戦して失敗を繰り返し、どうしたらいいのかと考え求めて出た答え・結果は貴重なものです。いかにその経験を少しでも多く積み上げるかです。その考えを求めているときの苦しさは一口では言い表せないです。でも心の中であれこれと考え、苦しみ、やっと得られた答えは喜びも表しようもないものです。これは心に深く刻まれます。その時に次に同じような局面に立ったときに、例に出しました、そしりなどに赦し耐えられる心境が出来上がります。とっても当たり前ですが、そこが頭だけでの理解と心に刻んだ理解は違います。それには繰り返し検証しながら地道な実践と忍耐が必要です。自分は実践するんだと、そのときに真剣な思いがあっても、時間が経つと、やはり誰でも、一人でやって行くには心が折れそうになります。
そういう意味でも大阪近隣の皆様と、初歩からの反省・瞑想、身近な実践方法などを共に学んで行きたいと願っています。


共に学ぶということではなくて、ご意見でも何でも結構です。
お気軽に メールメールお待ちしております。






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[ 2010/10/22 12:37 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

It was all for myself. 

久しぶりに記事更新です。
今年は初夏に五十歳を迎えました。大げさかもしれませんが、これまでの過ぎし日とか今に至る境涯を少しばかり振り返ってみると、大きな節目をなんとなく感じています。


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ともあれ、最近は夜中とか、隙間時間などを利用して、「反省のかなめ」を読み返し、また、信次先生の反省の仕方に関したお話の収録も並行して聞くなど、内観の方法も改めて読んで、再度少しずつ自分の過去を振り返りながら、禅定・瞑想をしています。

実家から自動車で約10分の距離にして、瞑想にはもってこいの場所を今年の夏ごろにみつけました。
深い山間の中に浅い谷川があり、その川の流れの渦中に、大きくしっかりとした石があります。その石の上部は平らになっていて、禅定として座るのにちょうどいい石です。そこに座ると前面には段々畑の水田が見えます。川の左右にはちょっとした滝があり、目を閉じると両脇の滝の音がステレオのようになって左右の耳から心地よく聞こえてきます。
夜になると真っ暗闇になり昼間よりも禅定に集中できます。(禅定は、ほとんど眼を閉じているから夜も昼もあまり関係がありませんが・・・)
先日の昼間の事ですが、段々畑がある対岸に野生イノシシの親子を見ました。母親イノシシと六匹の小さな可愛いウリ坊が連れ立って散歩していました! 初めて見ました。
こんなのは珍しいなぁーと思いながら眺めていたら、私が目の前の対岸にいることに母親イノシシが気付いて、ブヒィ~と一声鳴きながら一目散に木々の間の茂みに逃げられました。母親イノシシの逃げ足の速いこと。子イノシシたちは何で母親イノシシが猛ダッシュしたのかが分からないみたいで、一瞬置いてきぼりみたいになっていました!!
そんな大自然の中に身を置くと心から癒されます。







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[ 2011/11/29 22:48 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

内観法 

人は誰しも物心がつき始めた頃から、理性の分野の芽生えと発達と共に、状況や必要性に応じて、過ちに気付いたら謝罪のために、あるいは自分自身をより伸ばすために反省を行っています。周囲の方々との関わり合いを通じて、ごく自然に、あるいは意識しながらもあるでしょう。
その反省基準は、人それぞれに程度とか質による差が生じて、個の個性を作り出している元でもあると思います。

反省といえば、吉本伊信氏の内観法があります。以前にご紹介させていただきました。
でも、内観法に取り組んだ結果、小悟(ある意味で、気付き)の覚醒があっても大悟は存在しないでしょう。内観法は、信次先生による釈迦の説かれた八つの規範の内の正定とはまったく異質だからです。神の概念とか、この世とあの世で広く満たされている基準である諸法が説かれてありません。
信次先生は、心を浄化するために過去の自分を振り返る場合の反省・禅定の入り口に立つための手助けというか、捉え方の一つとして、たびたび内観の手法を例にあげて講演会や研修会、著者の中で示されてあります。皆さまも信次先生のご講演をお聞きになり、その点はご存知だろうと思いますが、機会がありましたなら後日あらためてご紹介させて頂きます。

そのような信次先生の話により、内観には関心がありました。
たまたま以前の職場近くの、小さな川を隔てた目と鼻のさきに内観道場が在ることを知り、実際に私自身もわずか一日間だけでしたが体験してきました。本来は少なくとも一週間座っているそうなのですが、無理をお願いしましたが、心よく受け入れて頂きました。
内観法を理解する上では貴重な体験でした。

悩みを抱えた人が、悩み解決のために内観法に取り組み、結果を出された方の共通している点では、噴き出すかのごとく自身の奥から純粋に自然と発する感謝ということに気付かれてあります。
たとえば、感謝しなければ良くない、感謝するのが当然だ・・・など、自己暗示とか理屈が介入する、いわば頭で操作する感謝の心とは違います。

それは過去に自分との関わりがあった方々に対して調べあげていく結果、忘れていた記憶の中から細かい部分が次第に浮き上がり、もう、どうにもならないほどの涙とともに心からの感謝が足りなかった自分を発見していきます。
特別なできごとだけではなく、なにげない日常の日ごろから当たり前だと思えるような出来事に対してでも、していただいたことに対して、とても有り難いことだったんだと、しみじみ気付いた時に心の中からその恩を何らかの形でお返しをしたい、という報いの願いが自然と湧いてきます。

内観法は、たとえ精神的な躁鬱病が進行中であっても有効です。躁鬱が治ります。
普通は、躁鬱の人に一般的にいう反省でもさせたら、感情ばかりが前面に出て、自分に対してよけいに批判的になり、あるいは攻撃的になり逆効果であり危険です。
いわゆる反省と内観。似て非なるその差は大きいものです。


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ところで、このようなことがありました。
ゆきのひとりごとに置いているメールボックスに問い合わせを頂き、昨年の秋頃に岐阜県にお住まいであるその方のご自宅に訪問させて頂いた時のことです。
そのときの談話の一つですが、その方の奥様が、私と同じく内観道場での体験があったと話してくださいました。
共通体験なので理解も同じだろうと興味を抱いて聞かせて頂きました。
ところが、内観法を否定されていました。どうしてなんだろうと話を伺うと、内観を受ける前とその後にも詳しい説明をしてもらえないで厳しく苦い体験のままだけで一週間の内観を終えられたようです。

そこでは反省ではなく、ただ思い出すだけ。
さらに、親から押し付けられて内観にきた小さな子どもさんに対して、道場側が虐待扱いをしているのを目の当たりにされたようです。

ただ思い出すだけ…
その通りには違いありませんが、思い出すだけで終始するのではありません。
それに虐待なんて、とんでもない。
もし私自身がその方と同じ道場に通ったとしたら、同じく私も内観を否定していたでしょう。

そのようなことを聞いて私は驚きました。
それらのお話のあと、私の体験談を話させて頂きました。すると、その否定されていた思いは少しばかり払拭されたようです。


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私は道場での内観後、道場宛に内観の感想文を書きました。
自身の反省の中身に関わることなので具体的な感想内容は述べませんが、母親に対して、当時はあたりまえに考えていたことが本当はそうでは無かったということを、道場で少しばかりですが気付かせて頂きました。そのときに、心の奥の曇りのない空間みたいなところから反応があり、その直後に、いつの間にか自然に流れた涙がありました。それから後には母親に対するこれまでの思い方とか接し方が徐々に変わっていました。今もまだまだ親不孝もんですが!
道場の先生は私の感想文を読まれて、体験を通して私がまだ気付いていなかった押さえ所を教えて頂きました。
また、戴いた内観の小冊子を夢中になって読んで、方法についての疑問を持って、とことん何度か訪ねると親切に分かりやすく教えて頂きました。
現在は道場とは途絶えていますが。

当時の私がそのような経過を経て理解したことと、その方が体験されて理解されていた内容に大変なギャップがありました。
同じ内観道場であっても、道場の指導者の力量の差は大きいものでした。





2011112610020000.jpg








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[ 2011/12/02 21:25 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

スポンサー広告よけの案山子 

久しぶりに自分の過去記事を見に来ました。
一ヶ月以上更新しなかったら出てくるスポンサー広告・・・
それはそれでいいけれど、ページを開くたびに出てくるバナー広告がしつこい。過去記事を読むにも、かなり読みづらいです。
なのでバナー広告回避のために更新しました。


案山子

家の裏庭で作っている家庭菜園のメタボな守り神!   
カラスよけです。効果抜群!(爆  
娘と一緒につくりました。









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[ 2013/06/15 20:55 ] others | トラックバック(-) | コメント(-)

新装改訂版 ! 

高橋信次先生ご著書の「心眼を開く」

平成25年8月12日に表紙と価格が新しく替わったようですね。

ご参考までに以下、リンク先です。

三宝出版


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[ 2013/09/27 16:22 ] others | トラックバック(-) | コメント(-)

Powers of ten 

先日、インターネットで検索していたら、たまたま、ある映像を見つけました。久しぶりに観ました。

観ていたら、ずいぶん以前に、ある感覚があったのを思い出したので、つまらないことなのですが、それも少しばかり書いてみます。

見つけた映像は以下、外部リンクしています。


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今それを分かって頂けるようには上手く伝えられませんが、理屈をつけて表現するなら、自分自身が「感覚器官を通じて客観的な事物が存在し、その中に自分が存在していて、自分を自分として認識している意識の自分があるのだけれども、もし、そもそも、どこにも初めから自分というものが存在していなかったなら・・・」
そういう怖さみたいなものでした。

初めは学校で授業を受けている時でした。担任の先生が黒板に、その時間の勉強の目標を書きながら、時々振り返って説明をしてありました。

「今、自分がいて、先生がいる。まわりに友達がいる。」
「先生を見ている自分。話を聞いている自分がいる。手には、鉛筆をにぎっている。」「教室の廊下奥にある給食室から、おかずの匂いがしている。」

小学校低学年の頃からでした。初めは何がきっかけで、そのような感覚を持ったんだろう? 全く思い出せません。それは、
「もし、自分というものが、初めから何も無かったなら・・・」

授業中にそれを、ふと思った瞬間に、何もない、真っ暗な宇宙の彼方へ弾き飛ばされたような感覚になり、頭がフラッとして気を失いそうな感じになっていました。
感覚が伴うから、頭で考えて想像するのとは違っていました。うまく表現できませんが、別の世界に引っ張り込まれるような感じです。

そんな感覚には二度となりたくない。と思っても、たびたび、授業中とか外で遊んでいる合間に、「もし、自分というものが、初めから何も無かったなら・・・」と、頭をよぎって、その瞬間、また、目の前は真っ暗の宇宙で、遠くに星が見えていて怖かった。闇の怖さではなく、「自分がそもそも、どこにも存在していない自分だとしたら・・・」ということにです。

その頃になると、かなり間隔はあいていましたが、二十歳ころまで、たまにそうなっていました。


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ところで、既にご存知の方も多いかと思います。
これは日本語吹き替え付きのモノクロ版です。
カラー版もありましたが、内容が英語だけなので、何を言ってあるのかが、ちちん
ぷいぷい ちんぷんかんぷんです!

他に、モノクロよりも、よりリアルなカラー版の字幕付き画像が、にこにこ動画にありましたが、画面上にコメントのチャチャが入っていて、とても見づらい・・・
それでも良かったら⇒ http://www.nicovideo.jp/watch/sm595362





私が、この Powers of ten を初めて見たのは、久留米市にある福岡県青少年科学館でした。
長男がまだ幼稚園でしたから、私が三十歳代の頃です。
一緒に遊びに来ているときに上映されていました。その時は字幕付きのカラー版でした。

私が弾き飛ばされた時と、とてもよく似た空間の推移でした。
その時は、観ながら少しばかりビクッとしましたが、まったくあの頃の感覚が何もなくて、ホッとした気持ちでした。
だから、映像の面白さや感動も相まって、何度か繰り返し観ました。


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映像はご覧のとおり、超マクロと超ミクロの両世界が展開しています。
最初は1m上から始まり、広大な宇宙に広がります。もどってからは超微細の世界までを、10秒毎に10倍のスケール(=Powers of ten)で示されています。

ずっと以前は、物質を構成している最小の原子は「一つのかたまり」だと考えられていましたが、その頃よりも研究が進んだ現代では、ご存じの通り、原子のまん中(核)にそれぞれ同じ数の陽電子と中性子があって、その周りを、水素以外は複数のマイナス電子が取り囲んで超高速で周期を描いていることがわかっています。

太陽と地球と月の関わりでは、陰・中・陽の三体制となっています。原子も同じく三体制で、陰・中・陽のバランスを成しています。

(高橋信次先生は、『大自然の波動と生命』第二編の物質論には、生物学・地学・物理学をとおして詳述されています。ご関心ある方はご覧ください)

そして、陽子や中性子は、もっと小さなクォークという素粒子から出来ていることまでは解明されています。
高橋信次先生は、さらにそれは「光の粒子」で出来ていると言及されてあります。

人体を構成している32種類の(その数は諸説がありますが)元素のみならず、自然界に存在する水素からウランに至るまでそうだといわれているのでしょうか・・。



ちなみに、こういう仮定があります。
原子の大きさは約1億分の1cmだそうですが、原子は原子核の30000倍として、原子核を直径10cmのテニスボールだとすると、10cm×30000は3kmになります。
つまり、原子の一番外を軌道を描いて回っている電子は、核から半径1.5kmもの距離にあります。かなり、遠いところにあります。

これを太陽系に当てはめると、太陽を同じ直径10cmのテニスボールに置き換えると、地球はそこから11m離れたところに存在する直径1mmの球であり、土星は100m離れたところにある直径1cmの球、一番遠くにある冥王星は400m離れたところにある直径0.3mmの球になるそうです。
ということは、陰外電子の方が遥かに距離があります。電子は重さが無いに等しいとしても、太陽よりも原子核の向心力は大きいようです。
その原子核と電子の間の広がった空間は真空であるといわれています。

原子が約20~30万個集まって、一つの細胞ができます。人間の体は、大宇宙に存在する星の数と同じ、約60兆個の細胞から出来ているといいます。
そうなると、一人の人間を形作っている原子の数は、とてつもない数と同時に、とてつもない想像を絶する空間を、原子の数だけ有していることになります。
この空間の存在というのは、とても不思議に思えます。

そういう意味では、この映像は炭素原子の表面(陰外電子)に到達した後、原子核が姿を見せて核に到達するまでの距離感・空間を私のような素人がイメージするには、太陽系の軌道と比較すると十分に表現されていない感じもしますが、素晴らしい映像です。


人体は小宇宙ともいいますが、なるほど・・・と思えます。その構成は、大宇宙も小宇宙も極端に質量が違うもの同士がフラクタル(相似形)であり、すべての空間が共通する法則性(循環)で貫かれています。
それは、神秘以外の何ものでもないです。

宇宙の姿は円形であり、その宇宙は膨張と収縮を繰り返している、と高橋信次先生は話されています。
現在(昭和48年11月頃)の宇宙は、ものすごいスピードで膨張の過程にあり、ある時期が来ると収縮に向かうそうです。
膨張と収縮という運動は、大宇宙自体が生き物であり、安定するためには欠かせない仕組みだそうです。
人体についても、たとえば肺臓の膨張・収縮によって五体全体の安定を保っていますが、大宇宙もこれと同じような機能が働いていると述べられています。

大宇宙はどこまで行っても宇宙であり、宇宙の外に宇宙は無く、大宇宙は一つなのだそうです。

また、講演で、「心経」(=心行)の解説では、以下述べてあります。



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[ 2014/02/09 01:46 ] 随 想 | TB(0) | CM(3)
  1. ..
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