岸田先生と初めて お会いした時のこと 

私にとって、高橋信次先生の教えである心に付いて、より自覚を促され、気づかせていただいた方が岸田先生だった。

岸田先生とのご縁の経過。  
また、そのときどき心の琴線に敏感に響いたこと、
ちょっとした不思議な経験を忘れないうちに備忘録として、記しておきたい。
その記入が終わったら、作文することが苦手ですが現在の心境、心の動きに付いても気が向いたときに日記がわりに書いていきます。


2001年(平成13年)11/22~11/23

鹿児島で初めて、岸田先生にお会いする。
以下、そのときの状況。

2001年の11月、Aさんから久しぶりに電話があった。
電話で「田中さん、GLA関西の岸田先生という方に先日、鹿児島で会いました。・・・田中さんも会ってみませんか。」と。
話を聞いているうちに、私も岸田先生に会いたくなりました。
Aさんに、その気持ちを伝えて電話を切った。
後日の夕方「近いうちに再度、鹿児島に先生がお見えになるようです。いつになるのか、わかったら教えます。」
と連絡を頂いた。その後日、
「田中さん、急なことですが明日、O博士の誘いにより鹿児島に岸田先生がお見えになるそうです。どうされますか。」
明日は平日であり急に仕事を休むわけもいかず、行くか行くまいか迷った。
「今、自分を変えるチャンスが来た。この機を逸したら次にいつお会いできるか分らない。行かなかったら後悔する。」
と思い至り、明日自分がいなくても差し支えないように仕事の段取りをつけました。
翌朝11月22日、JRで二人、西鹿児島駅に向かった。 
初めてお会いしたときの印象は、ご年齢の割には非常にお若く見え、謙虚な物腰の先生であり、ふところが深く、多く語られないが一言一言、私の胸のあたりを見ながらの語り口調に威厳を感じました。
O博士ご夫妻の案内により西鹿児島から指宿まで岸田先生と車に同乗させて頂き、車中での雑談の中、先生に
「高橋先生が説かれた 正法 と比べて、私の心に歪みがあれば遠慮なく厳しくご指導ください。」旨、お願いしたら先生が
「後でゆっくりと。・・・」と仰られた。
そのとき心の中にちょっと不安を感じたが、指宿での夜は温泉で汗を流し、民宿で食事と座談をしながら個人指導を受けさせていただいた。
岸田先生の私に対するお言葉は、思いもよらなかった。
でも今では、そのアドバイスに感謝しています。
それにしても、的確なご指摘とご指導を頂戴した。先生は私に
「しばらく、正法を捨てなさい。それも正法です。」
「あなたは視野が狭い。人との付き合い、いろいろな経験を多くして広くものを見てください」
「愛を実行してください。愛が足りません」
あなたはカルマの上塗りをしています。
このままでは 3年か5年後に、あなたか、あなたの周りで大変なことが起こります・・・守護霊が、そう言っています。
ということだった。
驚いた。私はこれまでカルマのうわぬり (魂の堂堂巡り) をしていた。またそれに気づいていなかった。
指摘されて初めて自分の愚かさを知ると同時に、気を取り直して心の中に革命を起こそうと決意しました。

他に、先生に こういわれた。
魂の兄弟は 5人とも男です。

私は
魂の段階は、幽界か霊界ですかと聞いたら
魂の段階は、幽界、霊界ではないと、はっきり、いわれた。

でも、幽界や霊界からでは無い、とすると、
私は 仙人界か天狗界から来たのだろうか。でも、そこから地上界には
下生しないと確か本に書いてあったはずだが・・・。と一瞬、考えた。
「あなたは、天狗界だ」と、いわれるのがこわくて、そのことにそれ以上は質問できなかった。 

そして先生は、続けて
あなたの家の因縁は、あなたが断ち切らないと子どもまで及びますよ。
兄弟の「長」として生まれ、苦労したのは、あなたが望んでその環境を選んで、でてきたのです。
今ある、弟さんには、あなたが良き協力者となってください。
毎夜「心行」をお二人にあげ、光を送るよう念じてください。
といわれたので、私には光を与えることができるのですか。
と、たずねたら、それは、できます。
といわれた。
また、
広くものを見てください。人をゆるすことが大事です。
そうすれば 3年、5年後は、だいじょうぶです。
何かあったら、いつでも電話してください。
と、仰って頂いた。




[ 2006/10/23 15:05 ] 回 想 | TB(0) | CM(2)

「感動」 岸田先生から初めて光を入れて頂いた時のこと 

2002年 3/16(土)

岸田先生からセキヤヒルズのホテルで、初めて光をいれて頂きました。

それは、「霊道を開く 呼び水 のようなもの」と先生は仰っていました。 

そのときの自分は、光を入れていただく直前は何も期待していませんでした。まさか自分に、そんなことは無いと思っていました。

ところが、光を入れていただいているわずかの間、そこに自分がいなかった感がありました。
口から「ブッダー・ブッダー・ブッダー」と出た。
もう、びっくりでした。

光を入れていただいた後、また雑談に戻ったが、とても雑談どころではなかった。
申し訳なかったですが、相づちはしていた。が、そのとき話はまったく聞いていなかったし、聞けるような心境ではありませんでした。

しかも、いつの間にか自分の体全身から汗が吹き出ていました。
3月であり、普通に空調も効いています。不思議だった。
シャツが、じゅっくり となり、特に頭の髪先から汗がしたたりおちています。
自分はどうなったんだろう。

就寝前、ホテルの温泉で汗を流しました。
胸元から、なにか感動のようなものが、こみ上げてきました。
風呂の中で涙が止まらなかった。
本当に不思議だった。同時に何か分からない、よろこびを感じました。
 




[ 2006/10/23 15:21 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

精妙な心 初めての不思議体験 

2002(平成14年)3/17 
先日からの集会が終わり、岸田先生を空港にお送りした後の夕方のことです。

土曜日の夜、セキヤヒルズで初めて岸田先生に光を入れて頂いた後
自分にとって不思議なことが翌日、つぎつぎに起きました。
先生を空港へお送りした、その日は日曜日でした。
長男が少年野球をやっていて、その父兄の数人と少年野球の子どもたちと焼肉パーティをしていました。

雑談しながら食事をしていたが、そのときは、とても心が精妙でした。
日頃、あんまり話したくもないな~、とおもっていた親もいっしょだったけど、そのときなんにも相手に対する感情、思いは無かった。ただ、ただ、心が シーン としていた。
食事中、いっしょうけんめい話していたから、そのとき意識していなかったけど、後から気づいたことだったが、話している最中、自分の胸あたりに
白く 丸い 円盤のようなものがある、という感覚がありました。
感覚であって、目に見えたわけではないが確かにあった。
いまでも、それをくっきり思い出すことができます。
でもそれは、心というものが形として見えたのだろうか? よくわからない。

その後、食事が終わり、皆さんと各自、自分の子どもを連れて解散しました。

家に帰って、家族が寝てしまった頃、夜遅く風呂へ入った。
風呂に入っている時、先生が仰っていた言葉を思い出しながら
自分の手のひらを見ていました。そして、
「ふーん、自分は六親眷属のなかの本体なのか・・・」 
責任重大だな・・・・何気なく思った。
その瞬間、思ってもないことが起こった。
いきなり胸から、突き上げる、とても抑えきれない感情がわいてくる。
自分が自分でないような感じです。
そこに自分がいない様な感じだった。
そしてそのあと、時間にしたら、わずか数秒ぐらいだったと思う。
おそらく頭上の、右上ぐらいから金色の光の線が、数本(5~6本位?)降ってきて斜めの角度で、体に入ってきた。
肉眼で電球を見るように、光の筋が見えたわけではありません。
これも感覚として「見えるように」感じた。
でも、これは錯覚といえば、錯覚としか、いいようがない。
説明がつかない。

そして、しかも、その線の全てには「言葉」があった。その言葉は 
「これから将来の自分には、このようなことが起こる」
「自分は、このように在らなければならない」
と、いうものだった。自分の将来を教えられた。
と同時に「今、入ってきた言葉というものは、全て一瞬に忘れてしまう」
自分も、それでいいんだ。という様な、変な自覚がありました。
本当にその場で、すぐに、あっという間にその言葉、思いは忘れてしまっていた。
感覚だけ残った。

いきなり、自分の中に、自分の考えで思いもつかない言葉。
いくつもの、他の人の思いが目の前で交差し、しかも、ものすごい一瞬の早さでの出来事でした。
こんなことあっていいのかな~と思いました。
自分には無い、他の思いが進入してきた。

ふと我に帰ると、涙ながらに手を合掌していました。
これまで、こんな風呂場で何もないところで合掌するなんて、したこともなかった。

不思議な思いと涙で風呂から上がった。

風呂から上がって寝る前、急に「心行」を読んでみよう、という気もちになりました。
心はそのときも精妙だった。

布団の上で胡坐をかいて「心行」を読み出して、3~4ページ目ぐらいだったと思う。
その時の出来事でびっくりして、どこまで読んでいたのかを、よく覚えていません。
読んでいたら、また胸からこみあがってくるものがあり、だんだん自分の声が涙声になり、気づいたら、いつの間にか声が大きくなっています。
しかも、読んでいる言葉が、外人なまりの日本語みたいになっていた。
びっくりした。そして自分のそばに、だれか、けはいを感じました。
誰かいる。守護霊様だと分かった。
自分に入ろうとしている。入られることがこわかったです。
自分が自分でなくなりそうだった。
本当にこわくなった。
これ以上続けたら、別室に寝ている家族が起きてきてしまう。
変に思われると思い、やめました。
すぐに布団をかぶったら、すぐに寝てしまっていました。

翌朝のこと。
昨晩の一連の出来事を思い出しながら、車で職場に向かっていました。
運転中に、ふと「心行」の最初の出だしが思い出されたので、それを追いかけるように思い出すまま、心の中で黙読していた。
そしたら、またもや、いきなり胸から、こみ上げてくる感動のようなものが突き上げてきました。
もう、涙で 前が見えなかったです。
「これじゃ運転できない、事故にあうからやめてくれー」と思いました。
そしたら そこで涙が止まり それでおわった。

それからは、NHKのラジオから聞えてくる話で、人の苦労話など今までなんにも感動もしなかったような、ちょっとした話しが感動するようになった。  
なんだか、涙もろくなり情緒不安定のような状況が、それからしばらく続きました。
  




[ 2006/10/23 15:31 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

本部講堂の高貴な香り 

2002年(平成14年)4/13 ~ 4/14

この日、初めて本部に行きました。

岸田先生と小林さんが、新大阪駅の中央改札口に、お迎え頂きました。
本部に着いて、信次先生が遺された品や写真集を見ながら、当時のことを雑談を交えながらお話し頂いた。

夕方になった頃だったか、四階の講堂にあがったときの感動は、今も忘れません。
ここが信次先生が、毎月来られて講演されていた講堂なんだ。
いつもビデオで、見ていた現場に来ることができて、うれしかった。
「ここは神聖な場所である」ということを何か、肌で感じます。 

そして、その講堂では、かんばしい香りが漂っています。

今でも本部講堂に行くと、その かんばしい香りがする。
一階から三階までは、その香りはしない。
本部へ行くたびに、その香りは強いときと弱いと感じる時がある。
強いときは、講堂の中に入ろうとするときに入り口や窓から、中の香りが漂ってくることもあった。 
線香と、何かの花を混ぜたような香りだ。

いつだったか、講堂の鏡の前で禅定しながら、ちょっと一息のつもりで香ってくるその匂いのもとを探してみたが、分からなかった。
花をいけてあるが、そこからくる香りではありません。
どっかに、お香か線香があるかも・・・と思い、探してみたが無かったです。
どこか、一箇所から匂ってくるのではなく講堂全体から香っているようです。

本部での友人である黒田さんや西村さんに、そのことを聞いたことがありましたが判らなかった。
西村さんが言うには、それは霊感で匂いをかいでいる、と言われました。
霊感??? ほんとかなー。??  
誰でも匂うと思うのに・・・??? 

今、ワープロを打ちながらでも、そうだが、その匂いというものは
思い出したくて、思い出そうとしても、思い出せない。

でも、一度きりであるが、こういうことがありました。
いつだったか、塾で禅定しているときだった。 
本部講堂のことを思い浮かべながら、自分がそこにいるイメージをして、光をうけた。
それから、じっと心を静めていた。
そしたら座っている自分の胸元から、あの講堂のかんばしい香りが 
ふっ、と わいてきた。
およそ、一秒か二秒間だった。そのときは嬉しかった。
本部に行けたようでした。

これは錯覚ではなく、はっきりと自分の鼻で匂った。
自分のこんな体臭とは、まったく違う高貴な匂いです。

なんだろう。不思議といえば、不思議だった。





[ 2006/10/23 15:47 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

心の中に太陽があった 

2002(平成14年) 5/4

前日から友人と二人で 海辺へ禅定に行きました。

この日は、あいにくの小雨が降っていた。空は、海の彼方から 
そこに座っている上空まで暗い雨雲でどんよりと覆いつくされていました。
五月であっても、まだ海辺は、ちょっと寒かったです。
透明なレインコートを着て、寒さで少しふるえながら遠い水平線を時折眺めて、波の音を間近に聞きながら砂に胡坐をかいて禅定していた。

禅定だから当然、目を閉じています。
じっと目を閉じて(中の目は開けて)いました。 

しばらくして、突然に目の中(前)が赤く広がりました。
次にオレンジ色になり 
すると今度は、全体が黄色になった。
そして小雨にもかかわらず目の中で、左上の方から太陽のような日差しが照りつけました。

雲の合間から日が照ってきたのかな・・・と思って目を開けて空を見たが、空全体が ねずみ色で、どこにも太陽はなかった。

またすぐに目を閉じれば やはり日差しが見えました。
その日差しには、温度があった。暖かみがあった。

この経験を通して
人の心の中には誰にも「太陽が存在する」ということが実感できました。
不思議な体験をしました。





[ 2006/10/23 15:51 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

西村さんと初めて対談した時のこと 

2002年(平成14年)5/11~5/12

本部の春季研修に参加。

5/11、この日に初めて西村さんと対面する。

今も本部に行くたびに黒田さんとともに、お世話になっています。
すばらしい法友ができて本当に感謝しています。

以下、その時の対談した内容です。

本部2階 応接室にて初対面。挨拶する。
西村さんは私の顔をずっと眺められていた。
そして岸田先生は、
ゆっくりと、お二人でお話ください、といわれた。
そのあと岸田先生が応接室を出られる前、西村さんが突然、岸田先生に
本部長、こちらの方はインドの方でしょう。
全て話ししてもいいんですか。
と、たずねられた。 
岸田先生は、かまいませんよ。
と仰られた。そして部屋を出て行かれた。

西村さんは突然私に、またいわれた。

わたしは、あなたを 10年間あらわれるのを待っていました。
あなたのことです。
と、いわれた。
何のことかさっぱり分からなかったが、急に胸からこみ上げてくるものが何かあり、涙が出そうになったが、こらえた。
どういうことでしょうか? と私がたずねると
本部長が以前(平成元年頃)、
10年ぐらい経ったら、あなたと非常に縁の深い人が現れる・・・。
ということを聞いていました。会えるよう、念じていました。
それが あなたです。
といわれた。

西村さんは、セキを切ったような話しぶりだった。
わたしは、また胸元がこみ上げてきて涙が出そうになった。
それを、たびたび話中に経験した。

そして
あなたは、もう少しで霊道が開けます。
あなたと私は、死んだら同じ世界に行きます。
魂の意識のレベルはお互い同じだ。
ということをいわれた。

インドのときは、わたしは(西村さん)カピラバーストの周辺で子どもたちの世話をしていました。そのときの親しい間柄です。
と、このようなことを私に言われた。
私(西村さん)は当時、比丘尼であり、私(西村さん)の本体は女です。 
と、いわれた。

私は驚いて、
あなたの魂の段階は、どのへんですか?と、きいたら
神界の上段階です。といわれた。
そのとき私は
わたしも岸田先生から神界といわれました、と答えた。
その後、塾の仕事や憑依霊を見たことの体験談をされた。

西村さんには仕事の都合があり、その日は長く話しができず、そこで握手をして別れました。

本当に不思議な人だった。
なんで、初対面の人を前にして、いきなり何度も、胸から突き上げてくる思いが出てくるのだろう。
よほど、ご縁があったのかもしれない。そのとき、そう思った。
そしてその後、思い出したのは、
この年の2月、福岡県で岸田先生達をお迎えして、初めての集会をしました。
その集会の休憩の合間だった。
庭先で岸田先生とタバコを吸いながら
「田中さんに非常に縁のある人が本部にいます。今度紹介します。」
と話されていた。 
その方が西村さんだった。
岸田先生は、西村さんと私と過去世でご縁があることを、ちゃんと知っておられた。 

西村さんと対談の後、私は
近いうちに「異言」が出るだろう
と、心の中で不思議と感じたことでした。
そして後日、それが現実となりました。





[ 2006/10/23 16:33 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

自分の口から 初めて出てきた異語 

2002年(平成14年) 5/14 (火曜日)pm 2:45 塾にて

この日この時は、忘れられない。

1975年 関西新年講演会の信次先生の講演ビデオの「現象」を見ていて
ついに、自分の口から「異言」が初めて出ました。


最近は信次先生のビデオをあまり見ていないが、この頃はよく見ていました。
ジャブジャブの練習の前後に見ていました。 
後から、知ったことだが 1975年の関西新年講演会では信次先生から発する金粉が、今まで以上に多く飛んだそうである。
信次先生の周りだけではなく、本部講堂の入り口の所まで金粉が飛んでいた、ということだ。

その、信次先生の「道」という演題で講演を見ているとき、いつもより信次先生のお話が、言葉の波動が自分の心に伝わっていた。
見ながら時折、自然に涙がこぼれて涙を拭きながら見ていた。
そして今までにないような、心が深く静まりかえった精妙になっているのを感じた。
体、全体が熱くなっていた。
「現象」の場面になった。
三回、「異語」が出た。

最初は護摩堂さんグループの現象のときでした。
若い娘さん達が、イエス様の当時の賛美歌を歌ってあるときだった。
涙ながらに、自分の胸からこみ上げてくる何かを押さえきれなくなり、
口から二言、三言、言葉が飛び出した。
日本語ではない言葉だった。
とてもうれしかった。 
守護霊様と一体になれた。

それから、護摩堂さんのグループの後、京都 石山寺の女性の方で
インドの当時、ウバラ・バナー といわれる方の現象が始まったときにも、出た。

そして、その ウバラ・バナー といわれる方が、
信次先生が天上界でされた「昭和43年11月23日のご講演の話しを聞きました。」
という内容のお話しのときでした。
自分は、たまらない勢いでテレビの画面に何かを、異語でうったえかけていた。
しかし、何を言っているのかは自分では分からない。

もう、涙が止まりません。 
すぐに電話で岸田先生に報告しました。 
喜んで頂きました。
岸田先生への感謝の思いで、いっぱいでした。

 



[ 2006/10/26 15:49 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

熱かった涙 

先ほどから 西村さんとメールのやり取りをした。
お元気そうで何よりです。
関西本部に思いをはせていたら、時間があるので「生命の輝きの道」をやりました。
久しぶりでした。最近はサボっていました。
これからまた毎日、「生命の輝きの道」を実践していこう。

光を送った相手は、これまで通り、亡くなった父親と弟 そして前癌状態の母親、それに妻と長男、長女 またすぐ下の弟へ。あと、友人のYさんの反省がうまくいくよう光を送らせていただく。

光を念じて送っているとき、自分の体の周りにある、やわらかいエネルギーみたいなものの手ごたえを感じました。

その後、ジャブジャブの練習をしました。
練習する前に、ふと思い出して、以前に岸田先生から録音して頂いたテープを聞く気になりました。
そのテープは 2003(平成15)年九月二十九日に、ワシントンホテルにて自分に異語が出るよう守護霊様に、岸田先生が異語による語り掛けのテープです。
聞き始める前に、自分の心の中で魂の兄弟の皆様に、こう呼びかけた。
申し訳ないですが、誰かお一人 私の守護霊と決めて私の中に入っていただきますようお願いします。
と念じた。
テープをかけたら、すぐに異語が出て守護霊様が、入っていただいた。
本当かどうかの確認ができないが、自分の感じでは
複数の方が入ってきたような気がします。
それは、しゃべっている言葉が複数の言語のような感じがしたためです。

すると涙が、鼻水とともに、ぽとりぽとりとこぼれてきました。
合掌しているその手に落ちてきた。
涙がこんなに熱いものとは思わなかった。 
心が久しぶりに精妙になりました。





[ 2006/11/09 16:34 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

教えて頂いた過去世 私の魂の兄弟達 

早いもので年の瀬も近づき、もうすぐクリスマス。
プラグインにクリスマスツリーがあったので、昨日から飾ってみました。

クリスマスイブには結婚以来毎年、カトリック教会に行ってミサに参加しています。
毎年楽しみにしています。
参加していますが、私はクリスチャンではありません。
伴侶と子どもに、おまけとして付いて行っているようなものです。
クリスマスミサにあずかると、いつもと違う敬虔な気持ちになれます。
伴侶の父親と母親は、代々クリスチャンです。
しかも、隠れキリシタンの末裔のようです(凄~)。信仰に対しては筋金入りです。

高校の頃、キリスト教に大変、興味を持ちました。しかし聖書を読んでみましたが、内容が難しくてなかなか理解できませんでした。
聖書の大意を汲み取ることなく、字面で判断したためだと思います。
ところが、高橋信次先生のご著書にふれた後に読んでみると、少しずつ理解できました。
結婚前に何度も、教会へ聖書勉強会に通っていました。
聖書の中身に付いて、生意気にも神父様に対して わかった振りして、反対意見を言ったことがありました。
今思えば、そんな発言に対して愚かな自分に、とても恥ずかしいです。


以前、岸田先生から自分の過去世について何度か、教えて頂いたことがありました。大阪から福岡支部集会の為に来福された折には、毎回、宿泊先のホテルで一緒に過ごさせて頂き、夜遅く床に就くまで色々と私に語られました。
私は今生、高橋信次先生とは ご縁が持てなかったので、インドのお釈迦様時代とは関係がない、とばかり思っていました。
それよりも、聖書を読んでいると おこがましくも自分の中では、二千年前のイエス様の時代にいたような気持ちでいました。しかし錯覚でした。
自分の主観というのは当てにならない、と後で思いました。

岸田先生が仰るには、私はインドの当時、サンガーの一員の比丘として、お釈迦様のもとでブッタ・ストラーを学んでいたそうです。
当時、岸田先生は小国の王であり、その関係で近隣諸国、カピラ・バーストには、よく行き来していたそうです。しかしながら、ブッタ・ストラーについては学んでいなかった、と述懐されていました。

また、イスラエル時代にイエス・キリストが、でてこられる前の頃に生命があったことを教えていただいた。
イエス様が生まれられる直前には、岸田先生も私も、救世主を待ち望んで あの世へ帰ってしまっていたそうです。
その、旧約の頃 岸田先生は複数いた預言者(イスラエルの三聖人)の中の一人として 占星学等により、
「救世主がもうすぐ出生されます。みなさん、そのときに備え、心の準備をしなさい。」と、のべ伝えられていたそうです。
私は岸田先生と一緒に、たくさんの人たちと、それぞれのグループをつくり、羊を連れて、預言のお手伝いとして、メシア降臨の時期が近いことを色々なところで、いろいろと人へ伝え歩いていたようです。
私の当時の名を コッパラ といい、幼少期の名前が カポレ だった、と教えて頂いた。

また、遠い遠い昔 エジプトの頃にも生命を持ち、モーセと岸田先生の前世の方(モーセの後継者であるヨシュア)と共に大勢の人たちとエジプトから脱出して、争い・もめ事等もありながら、カナンの地に向かって 旅をしていたそうです。

今の私は、その当時のことが なかなか、つかめていない状況ですが
守護霊様のご協力で 「いつか、必ずわかる時が来る。」 と感じています。
未知の世界への単なる興味本位だけではなく、心から 前世を知る ということは、
「過去世があって、大事な修行の場である今生がある。それは来世につながることである。」
と、いうこと。 それをしっかりと、実感したい。
そうすると、今現在の苦しい修行の価値が 生まれてきた目的が ますます理解が進むと思う。
今、生きている価値をそこで見出してみたいと願っています。
岸田先生とご縁を頂いたおかげで、それが可能となりつつあります。
それは先生に対して 感謝以外に、なにもありません。

以前に読んだ、高橋信次先生のご著書の中の言葉に
「体験は自覚をうながす」
という言葉がありました。
たった、それだけの言葉に あつく胸うたれたことを今、思い出しています。





[ 2006/12/13 18:32 ] 回 想 | TB(0) | CM(2)

トイレ掃除 

病院の待合時間、11/23日号の週間新潮を読んでいました。

福岡県久留米市の、ある学校の取り組みに付いて載っていました。
生徒にトイレ掃除をさせることで、心を強くすることに学校側が期待しているのでしょう。
ところが、素手素足の「トイレ掃除ブーム」に専門家が「感染症」警告の記事内容でした。

トイレ掃除、私も夢中になってやったなぁ。なつかしいなぁ~ と思いました。(笑)

過去の自分と真剣に向き合う・・。それを決めたとき 
さて、どう反省したらいいんだろう?と考えていました。
過去の一部分の自分の きたないところを洗い出すわけです。
順番として、まずは その出来事を思い出さなければいけない。
やる気はあるのだけれど、やっていける自信がありませんでした。
自分の過去の、醜い部分と向き合うことが・・・。

そこで、なぜか トイレ掃除する考えが浮かびました。(笑)
結局、3~4回掃除しました。それ以上は無理でした。(笑)

「不特定多数の人が使う、汚れたトイレを素手で掃除する勇気がなければ
なんで、自分の心の汚れを取ることが出来ようか。」
なんてことを考えてしまい、本当に実行に移しちゃいました。

職場の近くに市営の公共トイレがあります。
バケツとたわし、洗剤を購入し 仕事の時間が空いているお昼ごろトイレに行きます。
素手でしたかったので、手袋は使わず、柄の付いたタワシではなく布製のものを使いました。
市が管理しているところですが、いつも気づきませんが公共のトイレってほんとに汚いですね。

無心に、ただひたすら 流しながら、こすり続けました。
小便器3つ、大便器2つ。手洗い2箇所。
終えるのに全部でおよそ、2時間ぐらいは、かかっていたと思います。
時々、誰か知っている人が来たらどうしよう・・。ということも考えながら。
当然、掃除中にも用を足しに来る お客さん(笑)もいるわけです。
私を市から依頼された業者だと思い、しっかり掃除してください。
という、注文もありました。

しかし、終えたときは 気持ちがすっきりしたものでした。
ただ、うっかり開けた口の中に飛び込んでくる汚物まじりの汁以外は・・・。(超キモ~でした)
よくもまぁ、病気にならずにすみました。

週刊誌を読んでいたら思い出したものですから。
今はいい思い出として心に残っています。
こんなこと、自分だって やろうと思えばできたんだなぁ・・と。
気分を害する、こんなこと書いて ほんとうに、すみませんでした。m(_ _)m






[ 2006/12/21 21:21 ] 回 想 | TB(0) | CM(5)

私の 「正法」 (しょうほう)との出会い 

これまでを振り返って、今年一年の目標と方法を昨日からいろいろと考えていたのですが、
それに関連して、私の「正法」との出会いについて、思い出しながら書いてみます。

私が初めて高橋信次先生の著書にふれさせて頂いたのは、信次先生が帰天された翌年、
高校一年生の時で、今は絶版となっている「心のことば」でした。

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読むきっかけになったのは高校に進学すると校区がさらに広がり、これまで小・中学校と共に学んできた仲間と全く違った地域の友人ができるため、入学を機会に、これまで友人付き合いで何度か失敗したことがあったので、「もっと違った自分」になりたいと考えていました。
入学してすぐの頃、担任の先生が、
「どこかの宗教団体が聖書を何冊かおいていったので誰かこれを読みたい者はいないか、心の勉強になるぞ」
と、休み時間に言われたので、私一人でしたが「欲しいです」と言って
早速、戴き家に帰って読みました。
しかし聖書独特の言い回しとか、たとえ話が難しくて、
心から納得することができませんでした。
聖書を読むことをあきらめて、書店に行って何か自己啓発になる本を購入しようと考えました。
たくさん並んでいる本の中で、ふと、指が止まった初めて手にした信次先生の本。
表紙をめくると、左ページいっぱいに信次先生の写真が載っていました。
右のページには、詩が紹介されていました。その詩にとても、心が洗われました。
その詩を紹介します。

子どもは自由だ
子どもには想念による
自己限定がないからだ
いつも あかるく
今日一日を
天衣無縫に生きる
我があり 期待があり 執着がある間は
本来の心ではない
雲ひとつない 青空のような
子どもの心こそ
ほんとうの心だ

うれしくなって買って帰りました。
一通り読み終えて、奥付の前のページには、切り取って三宝出版社に送付できる感想用紙がありました。
まず、自分の住所・氏名・年齢だけを書いて、後で読んだ感想を書いて送る準備までしていました。
ところが、思った以上に高校生活が楽しかったため、「自分を変えたい」
という思いや、信次先生の本の読んだ感動も、いつの間にか忘れてしまっていました。

その後、二十六歳の頃だったと思います。
再度、自分の欠点というものを本気で意識してきた頃で、色々と悩みもあり、自分の「心」を変えるには宗教しかない、
と考え書店で手にしたのが、「原説・般若心経」でした。
読んでみて、目から鱗が落ちる の心境でした。
目の前が明るく感じました。後に現刊行の全十五冊を買い求めて、夢中で読みました。
さらに当時はまだ、三宝出版で講演カセットブック全41巻を販売していたので分割で購入し、勉強しました。カセットテープの収録内容に、「驚き」の連続でした。
私の知らない世界がそこにありました。

20070223165248.jpg

しかしながら、私にとって一人で勉強するには限界がありました。
それは、自分の欠点などの過去の出来事を反省する方法に自信がなくなり、これで良い、という確証を自分で得られなかったため、
「自分を変えたい」という強い思いは、だんだんなくなってしまい、あきらめてしまいました。
それどころか、いつの間にか「行ずる」正法を思想的に捉えていたのでしょうか、高橋信次先生とは私自身全く縁がなかったものですから、私の中では、著書と講演を通して、はるか雲の上の偉大な存在の人であり、どこか神格化していたと思います。
正法を知ったことによる心からの喜びは失せていました。
当時は、仕事は順調だし、特に思い悩むこともなく、しかしこのままではいけない、心は何かを求めてはいるが、何もできない自分に長い間、悶々として過ごしていました。

そして、縁あって岸田先生とお会いすることができました。
これで、三度目の正直 ではないですが、
今年こそは自分を知り、「自分を変える」をより強く念じ、一年を過ごしたいと考えています。





[ 2007/01/05 12:17 ] 回 想 | TB(0) | CM(8)

忘れられない夢 

いつだったか、ずいぶん昔に見た、なぜか忘れられない夢があります。

現実に有り得ない、素晴らしい光景でした。
その夢は、私と気心が知れた懐かしい
とても仲の良い人(今思えば、魂の兄弟?)が一人、私の横に座っていました。
その相手の顔は思い出せません。
男の人で、歳も同じぐらいです。
二人とも白くて、飾りっけのない服を着ていました。
腰付近に紐を巻いていたような気がします。
左側が私で、その人が右側にいます。
どこか、懐かしく感じられる場所でした。
幅の広い断崖絶壁のようなところの先端に座って
お互いに足をぶらぶらさせながら、高所恐怖症の私が
真下は何も見えないぐらいの、かなり高いところで怖がりもせず
ふたり楽しそうに何か、おしゃべりをしています。
何をしゃべっていたかは、思い出せません。
空を見上げると、暗い空一面に低空飛行で、
数え切れないほどの大きなUFOが猛スピードでぶつかることなく、
後ろの方から前方へと隊列組んで飛んでいました。
形は、ちょうど☆の形で、五つの>の先端に○をくっつけたものでした。
その、五つの○は光っていました。色は覚えていません。
そのUFOを、ちらちら見ながら会話しています。
かなり低くUFOが飛んでいるのに、その影響による風は全く吹きません。

思い出すたび、この夢は何だったのかなぁーと、考えてしまいます。
たかが夢なのに。(笑)





[ 2007/01/18 15:43 ] 回 想 | TB(0) | CM(12)
  1. ..
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