Category  [随 想 ]

ブログの立ち上げ 

失敗しながら、苦労してブログを立ち上げました。


自分は しゃべるのが苦手だし 書くのも苦手です。
練習のため これから ぼちぼち書いていこう!





[ 2006/10/07 09:09 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

日常生活での瞬時に湧く思いを観る 

過去のことを反省することは、とても大事だ。
反省の功徳とは何だろう。
心に歓びがあり、過去の失敗と似たような場面に遭遇したら、できるだけ二度と同じ過ちを おかさない自分をつくることだと思う。

今の自分はどうだろうか。
一瞬一瞬に、わいてくる思い。はたして心は精妙であるだろうか。
本来の素直な心に、本当に忠実だろうか。
中道を逸脱してはいないだろうか。

聞くこと一つとっても自分にとって、耳ざわりの良いことを聞けば、すぐ喜びうかれる。 
いやなことを聞けば心の中で、表面に出さなくても一瞬、相手に反発の心を確かに持っている。
このままでは心が右に傾き、あるいは左に傾きで安定しない。

やっぱり、その時々の心の状態を真剣に観察することが大事だと、つくづく思う。

念じるということは目的意識がある。
間違った念を持つことは危険だ。
しかし、その前に大事なのは 
今、ものを見て 
今、人から話しを聞いて 
あるいは 一人でいるときに
ふと湧き上がる思いに自分の心がどう動いたか・・・。
を観察することだと思う。
「八正道」では、まず「正見」が先にある。
そして「正思」、「正語」となっている。
やっぱり見て、聞いて、自分がどう反応するか。
それを、しっかり見極めよう。

見たこと、耳にしたこと、などの出来事に対して
自分の心が、どう動くのか。

最初に反応するのは
感覚である。
同時に感情がわく。
そうすると相手に対して
どう思考するか。
それには意思がついてくる。
そして行動(アクション)となる。
最初に反応して行動(または言葉として)する。
心が向いたほうに素直に行動となれば、まだ良いが
自分を違う方向、偽善者の方向に向いてしまうことがある。

その間、わずか2~3秒ぐらいである。
  
一瞬一瞬を素直に、見極めたい。




[ 2006/10/24 14:42 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

想念レベルの段階分け 

今日、少し早起きした。
いつも通りベランダに出てタバコを吸う。
下の原っぱの草を見ると、さきほど出てきた太陽の光を浴びて朝露にぬれた葉っぱが、五色の光を放っている。 
美しく光を放つ水玉に時間を忘れてしまいそうだ。
自分の心も、この水玉のように光が放てるような人間になりたい。 
心からそう思った。

すると、想念レベルが 1+ を感じる。
しかし、時間が立つにつれ、あれこれと考えるうちに 0 になった。
微妙な自分本位の気持ちを持ってしまった結果のような気がする。

今、ワープロを打っている段階では 0 だ。

もし、書き込みしているときに -1 に近づいていると感じた場合は
即刻、今書いた、あるいは書こうとしている書き込みは、やめだ。
心のどこかに本来の、今の自分の心に正直になっていないからだ。

以前に、ある方から頂いた資料によると、想念のレベルを七段階に分けてある。
想念の段階分けは、おもしろい。
自分もそれを応用して自分なりに分けてみる。


レベル 2
レベル 1(三段階)
レベル 0   
レベル -1(二段階)
レベル -2 
の八段階。


レベル 2
  
岸田先生から光を入れていただいたときに 
深く心が精妙になった、あの状態。


レベル 1

レベル 2 まではいかないが心から精妙な振動を発しているとき。

  1+++   2 に、かなり近づいた状態。

  1++   精妙な波動を感じる状態。

  1+    若干ながら感じる状態。


レベル 0
精妙さを感じないとき。



レベル -1

   -1+  波動がちょっと微妙に荒く感じるとき

   -1++  波動が荒い、と感じる場合。


レベル -2
危険を感じる状態。





[ 2006/10/26 14:28 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

夢から頂いた教訓 

今朝方、夢を見た。 良い夢ではなかった。 
布団の中でもう一度、思い出してみる。
その夢は今の自分のマイナス面の性格というか、人間性を客観的にしっかり捉えていた夢だった。
思いがけないものではなく、
今それが自分の心であることを再認識せよ
というメッセージがあったように思う。
自分をもう一度、振り返ってみよ。
と、促された気がする。
その夢はストーリーがはっきりしていた。
途切れ途切れの意味が分からないような普段見るような夢ではなかった。
だから、その時々のおかれた自分の心境がはっきりとわかった。
夢の登場人物とか出来事がどうだった、というものが重要では無い、と起きてから、直感で夢を見せられた理由が分かった。
気づかせていただく。これは、ありがたいことでもある。
夢のストーリーがはっきりしているから、自分のその時のいろいろな、おかれた立ち場から、客観的に迷ったときなどの自分自身が持っている判断基準が見えた。
現実性に矛盾した夢ではなかったから、もし夢と同じことが現実として目の前の事実として現れてきたら、今の自分は夢と同じことを考え、行動してしまうだろう。

物事や出来事に、安易に逃げてしまう自分がはっきりと客観的に自覚できた。
もっと、堂々としておかなければならなかった。
事態を見極めて、怖気ない自分をつくる必要がある。臆病なところがある。
書くと長文になるので具体的に書けないが、根本原因は
自分だけがかわいい、と思っての行動であった。自己保存であった。
自分を捨てて、相手のために犠牲になっても良い。
という思いは、その夢にはどこにもなかった。
心のどこかに、自分都合に考える執着が現れたものだった。

自分にとって常に、注意しなければならないことがある。
正法を知識で知っているが、それを 
行動を伴い、心で理解するようにならなければいけない。
つい、頭で考えてしまい、正法を理解している、という 
自意識に要注意である。
自分は正法を知っているから、正法を行じている人間だと思い込んむ節がある。


ちょっとした夢で、大きな教訓を得た気がする。
客観的に気づかせて頂いたことは 忘れない。



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[ 2006/11/06 12:50 ] 随 想 | TB(1) | CM(0)

自分の仕事に対して 矛盾する思い 

最近までは空を見上げると、天高く見える空が気持ちよかった。
見上げるたびに自分の意識も、こうありたいと思っていました。
最近は寒くなってきたため、どんよりとした空が多い。
ちょうど一年前は、そんな想いになるどころではなかった。
国の政策であった不良債権処理の波に自分は飲まれてしまった。
そのため、銀行が自宅の抵当権回収の見込みがないと判断し、自宅を バルクセールに出されてしまった。
そこからが大変だった。三ヶ月以内に、残りの債務 一千百二十万円を一括返済しないと競売にかけられる。正月どころではなかった。毎日が針のむしろに座らせられているようだった。つらい日々でした。
ところが、運良く受け皿となって頂く銀行があって救われた。
そのとき、事の成り行きを話したら同情していただき 一千百二十万円を融資していただいた。
人の人情というものを体験しました。ありがたいことでした。

ところで矛盾と向き合って仕事をするのは、つらいものがあるます。
最近の社会面のニュースを見れば、子どものいじめによる自殺が連日、後を絶たない。そして、いじめが起きたことによる罪の意識を感じたのだろうか、学校の先生の自殺。当事者達は地獄の絵巻物を目の当たりにしたようなものだろう。命の尊さ。それがどこにあるのだろうか。目もそむけたくなるような悲しいできごとだ。気分が重くなってしまう。こんなことが連続して起きてよいのだろうか。
学歴社会がはびこり高学歴、成績優秀者が良い大学、そして良い企業に就職できるという価値観、構図は当然といえば当然だが、依然残っている。生徒の親御さんと面談していると、皆一様にそう思っている。この自分も全てではないが、そう思っている。
勉強とは、豊かな教養、知性を身につける為のはずである。せかせかと追い詰められっぱなしで勉強するのではなく、余裕があっていいはずである。そうでなければ「豊かさ」というものは実感できないはずだと思う。 
受験のための勉強になり、高校に至っては必修科目を教えない学校が次々にでてくる。他の動物にない、人間として特権として持っている 知性。何のためのものだろうか。なんだか、知性という特権がどこかで仇になっているような状況である。
マスメディアでは、こうなったのも学校教育の制度のあり方に問題があるなど色々、議論されている。
教育現場の事件の報道を目にすると、いつも自分が思うのは、教育の三本柱である 知育 徳育 体育 のバランスが大事なはずだが、特に徳育に関する教育がまったく欠いていると思う。
生徒に聞いてみると学校では、倫理、道徳に関して中学校になると、ほとんど教えていない。道徳の時間を他の教科に置き換えることが多いそうだ。
小学生に対する道徳心を教えることは、そう難しくないだろうが中学生ともなれば顔は子どもでも、ある程度大人の考えを持ち合わせている。作文を書かせて見ると良く分かる。このような時代、そのような中学生に心から、道徳、倫理を教えなければ根本解決にはならないように思う。おそらく誰でもそう思っているはずである。家庭や、地域社会までも子どもとの連帯感が薄くなり 道徳、倫理を教える共通した、しっかりとしたマニュアルはないし、学校が受験に追われる学習カリキュラムであれば到底無理である。心の教育が大事だと思いながら塾では、受験を勝ち取るために必死である。自分は、この矛盾といつまで対峙するのだろうか。
信次先生の講演の中で 
将来、今思っていることが良いことを思っているのか、間違った判断をしているのか、が後光として表れ、それを他の人も確認することができる装置ができるかも知れない。そうなったら、うかつな事を思うことができない。はずかしいから。
と、話してあった。本当にそれができれば、このような悲惨な出来事は減るかもしれない・・・。
   


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[ 2006/11/15 12:29 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

初めて見た 本から出ていた黄色い光 

注文していた アラン・カルデック著の「天国と地獄」上・下の二冊が昨日、届いた。
ある方からスピリチュアルを理解するために一度読んでみて下さい、とあったので取り寄せました。
以前に西村さんから薦められて読んだスウェーデンボルグの「死後世界」は感動しました。
今でも、たまに読んでいます。
今現在の自分の思い、行動が天界に通じないものだったら大変だから自分を少しでも戒めるためでもあります。
今日さっそく本を数ページ読んで、これは自分の精神面で糧となると思った。期待以上の内容です。(今、まだ70頁ほどしか読んでいませんが)
なぜか、本から黄色い光が出ていました。
初めの何ページかを読んでいるときに気がつきました。
目は活字に焦点を合わしているが、目の左下に見えるは 
両手に持って開いている本の左手、左下の本の角から対角線上斜めに、夕焼けで見るようなオレンジ色っぽい光が 長さ約10cmで幅が2~3cmぐらいのものが飛び出していた。 
光が出ているなぁ、と思いつつ読んでいた。
ページをめくって読みながら、ちらほらと左下を見ても、やっぱり出ています。
よく見ようと思ったら もう見えなくなっていた。
光というのは、見ようと意識したら見えなくなるもの・・・かなぁ。 



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[ 2006/11/17 16:36 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

アラン・カルデックの本 

先ほど、アラン・カルデックの一冊目の本を読みあげた。
やはり 最初、本を手にして思ったとおりの素晴らしい内容だった。
自分が読んだ スウェーデンボルグよりも 踏み込んだ、
死後の世界の具体的な情景描写だった。
既知の部分も多かったが 今の自分の生き様について 戒めとして考えさせられるなど、新たな気づきも多くあった。
皆さんに推薦したくなる本だ。ぜひ読んでいただきたいと思う。
読んでいる最中に また同じところから同じ光が見えた。目をそこに焦点をあわせると・・・
やっぱり、なぜか見えなくなる。???

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[ 2006/11/20 17:27 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

GLA関西本部 東京支部集会 

今日、ある方のブログを見たら以下の内容を掲載してあった。

GLA関西の東京での集いが今日ありました。
ある方からお誘いをいただき、その集いに参加しました。
懐かしい岸田守本部長にお目にかかり、ごあいさつをしました。
そして、お話をうかがうことができました。
会場は光に満たされ、とても明るくなりました。
お話をされた岸田先生、そしてKO様、ともに輝いていました。
頭上から光が降り注いでいました。
これこそ、真理を求め、反省を実践している人々の集いだと感じました。
岸田本部長のお話は「生命の輝きへの道」というもので、以下をご紹介されました。
1.一日一回、『心行』を熟読する。
2.神に感謝し、肉体先祖に対して感謝の心をもつ。
3.今日一日のなかで、自分で決めた「戒め」をふりかえり、反省する。
4.宇宙意識のエネルギー(神の光)を全身にいただく。
5.病や悩みのある人に光(エネルギー)を送る。
そして、カルマを修正していくためには、特に3が大切であると強調されました。
そして参加者に、「皆さん、どんな戒めを自分に課していますか」と問われました。
私には、「物事を中途半端にしてしまう、飽きっぽい…」という悪いクセがありますが、
これは、完璧主義というカルマからきているものです。
「完璧にしなければ気が済まない」というのは極端であり、悪い性癖となります。
あるがままの状態を受け容れ、それに感謝できなければいけません。
完璧主義を離れ、中途半端もやめ、あるがままの中にちょうどよい調和の状態をめざす。
何ごとにおいても、そうした状態をめざす…。
これができず、極端から極端へ、行ったり来たり…してきました。
実現できるはずのない完璧主義、そして中途半端な放棄…この両極端を離れ、
あるがままの状態を受け容れ、祈り、実践し、結果には執着しない。
これを自分の戒めにしようと考えました。
日々、この戒めをふりかえり、カルマを修正していく、その大切さを思いました。

これを読んで、岸田先生の教えの素晴らしい影響力を改めて感じました。



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[ 2006/12/04 16:13 ] 随 想 | TB(0) | CM(1)

アラン・カルデックの本 2 

昨日、予約していた アラン・カルデックの本が十冊届いた。
正法を共に学んでいる友人に 今日、送付する。
本の内容に感動していただけるはずだ。
皆様の心に、一石を投じることができれば・・・と思う。


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[ 2006/12/05 21:08 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

自分が三人もいた・・・夢の中の幽体離脱 

二日ぐらい前から久しぶりに、ずいぶん以前に購入していたフォーカス21以上のフェミシンクのCD数枚を、なんとなく聴きながら寝ている。
これを聴きながら、イメージ訓練をすると幽体離脱が可能だというCDだ。購入した頃は毎日、聴いていた。ところが何も変化がなかったので、あきらめて聴くのはやめていた。なぜか、その収録されている音が懐かしくなり急に聴きたくなった。
聴こえてくる色々な心地よい音や、不思議な音。
蒸気機関車のようなシュッポー、シュッポーと耳をくすぐるように聴こえてくる音。
また、あたかも自分が飛行機になって青空の下、猛スピードで自由に空を飛んでいるような風を切る音。
くら~い洞窟の奥のようなところから聴こえてくる、複数のお坊さんの発する読経の声のような不思議な音(超怖~)。
そのほか、様々な音響が収録されてある。
昨夜、寝る前に本当に幽体離脱したら面白いだろうな~、と思いながら聴いていた。その思い・・・を寝ているときにも引きずってしまったためか、今朝7:30ごろに起こされる直前、夢の中で幽体離脱していた。現実に、はっきりした意識での幽体離脱であればすごいことだが、あくまでも、とっても はっきりとした夢だった。(笑)
その夢では、部屋が明るい状態の中で、寝ている自分とそばに立っている二人の自分がいた。
なぜか、二人とも二十歳過ぎた頃の同じ顔の自分だった。目を開けている自分が、寝ているもう一人の自分の足元に立って眺めている。寝ている自分の方は、体に しびれを感じていた。同時に、二人とも同じ思いを発していたと思う。だから、どっちが本当の自分なのかが分からなかった。その二人を見ている、(感じている?)もう一人の自分の存在があり、どっちに付こうかと迷っていた。(笑)
そして、 お父さん起きて~ と、用事を頼みに来た現実の娘の声がして目が覚めた・・・・・。






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[ 2006/12/07 12:24 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

第15回 GLA関西本部福岡支部集会 日時の決定 

先ほど、本部の小林さんに 来年度用の言魂カレンダーの予約の件で電話したら
「今度、本部長さんが そちらに来る日は 来年、二月四日に予定をくんであります。」
とのことだった。
エ~、知らなかった。 早く会議場の施設を予約しなければ・・。
地理的に、県の中心部で支部集会をするのであれば 早く会場を押さえないとできなくなる。
地方でするのであれば、他の利用者が多くないから、まだまだ予約は殺到しないので、間に合う。
・・・ということで、電話をきった後すぐに、県の中心部に点在している市の施設である複数の市民センターにパソコン端末で会場の空き状況を確認した。
パソコン上で検索してみると やはり、すでに当日の会場は どこもかしこも、予約済みで いっぱいだった。
どうしよう。 直接、電話で会場の受付の方に確認しながら、よくよく探したら、
ある一箇所の会場が開いていた。
すぐに予約を済ませた。まずは、予約しないとはじまらない。 キャンセルは会場を使う、十日前まで であれば いつでもできるから。 しかし空いてて、よかった。
来年二月四日の支部集会は 県の中心部でするのか、地方でするか・・・。 
再来週の日曜日に 会員さんたちとお会いするので、そこで決めよう。



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[ 2006/12/08 14:25 ] 随 想 | TB(0) | CM(3)

バッハのマタイ受難曲 

ある方のブログを読んだら バッハのマタイ受難曲について

この曲ほど、迷える哀れな霊に対する救いとなる曲も珍しい。

と、あった。
すぐにも、聴いてみたくなった。
さっそく DVD版の購入手続きをした。


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[ 2006/12/11 12:55 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

初めての オーリング診察 

明日、オーリングで病気診療をおこなっている病院へ、初めて検査に行きます。
これまでは前癌状態の母親が治療を受けていて、車で十五分程度の場所で、何度も連れて行っていますが、明日は私自身の体のどこかに悪いところがないのか、を診察してもらいます。
なんとなく自分の心の中で、検査を受けた方がよい・・と思ったものだから。 でもちょっと不安・・・。
その病院は、友人から紹介して頂いたのですが、全国でもオーリング診察の権威であるようです。
初めて母親の診察を見たときは驚きでした。
患者は専用のシャツ(上下の下着)を購入し、そのシャツにその人の内臓の位置を正確に、何かのサンプルを手にしてマジックペンで書いていきます。
本当かな~。これだけでよく分かるな~・・・。という思いで見てました。
そして内蔵機能で問題のあるとことを探して、マジックでチェックを入れながら診察を進めていかれます。
母親の初診のとき、肺の部分に赤くマジックで小さな印を入れられていたが、先日のCTスキャンの結果を聞きに行ったところ、肺に腫瘍があることが判明した。まだ良性なのか悪性なのかは今後の腫瘍の移行を見てみないと分からない、とのことだった。その先生が言われるのは、初診のとき肺に何かあるな、と気づいていたということだった。それが後のCTスキャンで発見できた。位置もまったく印の所と同じだった
オーリング診査は機械で発見できない極小さな状態の癌でも発見できるようである。 すばらしい。



タグ : オーリング



[ 2006/12/11 15:32 ] 随 想 | TB(0) | CM(2)

母親の下血 

一時間ほど前、職場に母親から電話があった。
トイレで用を済ませていたが下血があり、止まらないという。
自分の意識は問題なくしっかりしているようだったので、すぐにオーリングで診ていただいている病院に連絡するように伝える。母親が電話すると病院の院長先生が不在だったため、看護士さんが院長先生に連絡を取っていただき携帯電話から母親のもとに院長先生からの指示があった。
「とにかく、すぐに救急車で○○病院(市内のマンモス病院)に行ってください。
専門の○○先生に連絡を取っておきますから。」
ということで、母親は、すぐに病院へ行ったようだ。
その病院に心配された院長先生も来られていたそうだ。
「まずは下血が止まっているようなので明日、私の医院に来ていただき、どこから出血していたのかを検査をしましょう。」とのことだった。
母親は前癌状態(現在の医療器械で発見ができない状態)であり、腸に腫瘍があるので、その腫瘍が破けたのかと思った。
だいぶ心配しましたが、入院することなく無事に今日は帰宅できそうです。




[ 2006/12/11 21:13 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

初めての オーリング診察 2 

今日の午前中、オーリングによる診察を受けてきました。
最近たまに、ふらっと数秒間 舟に揺られているような めまいがあり、それが診察する気になった理由でした。
受付の後、血圧に胸のレントゲン、心電図を撮ってもらった。
「めまいであれば頭の方を診てみましょう。」
ということで、頭全体から首筋まで覆われてるキャップ(覆面レスラーがかぶるようなもの)を、そこで購入した。
オーリング診察は、先生が左手に何かのサンプルを持ち、かぶっているキャップに何色かのマジックで何かいろいろ区別しながら書かれていった。
オーリング診察の結果、先生は
「血圧や胸のレントゲン、心電図には異常はありません。」
「しかし、オーリングによると 首筋から小脳にかけて、血液の循環がちょっと悪いようです。」
「いまからエコーで調べてみましょう。」
すぐに、下あごの方から脳に向けての角度でエコー検査を受ける。
「エコーでもわかりませんねー。」
「日を変えて今度近いうちに、もっと精密に検査しましょう。」
・・・ということで明後日、また検査を受けに行くことになってしまった。


タグ : オーリング



[ 2006/12/12 15:59 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

支部集会での感謝箱の利用方法 

先日、高橋信次先生の本が届きました。
中古本で一冊あたり五百円以下の値段で、ネット販売していたものをまとめ買いしたものです。
まだ、それでも一万一千百八十円残っています。
時機を見て、また購入するつもりです。

と、いうのも、岸田先生方を東大阪よりお招きして十月八日に支部集会をした折、
感謝箱(会場費等の名目で頂いたもの)の中に入っていた一万九千五百円は、岸田先生から
「これから感謝箱のお金は、支部で使ってください。」
と、仰っていただいた。

これまでは感謝箱に入れて頂いたお金は、全て本部に渡していましたが今後、人様からいただいた善意なお金である 感謝箱の有効利用を考えてみた。
会場費は、公共施設なので 三、四千円位だから自分のポケットマネーで十分間に合う。
岸田先生、ご一行の交通費や宿泊費としても受け取っていただけない。
あるいは、何かのときのために使わずに貯めておく。・・・としても、将来なにがあるんだろう。
名目は確かに会場費なのですが、皆様の心のこもった無償のお金(いわば、お布施のようなもの)なので、他の人のためになるもの に変えた方がよいと思った。

そこで、皆様で出し合って頂いたお金を信次先生の著書に換えて、支部集会にお出で頂く皆様に持ち帰ってもらい、それぞれ知人の方に本を沢山、お渡ししていただく。
それだけで集会にお見えになった方々が各自、正法を伝道したことになります。
そして、本を貰っていただいた方々が支部集会に来ていただくと、岸田先生とのご縁がつながる、と考えました。 そうなれば私の、支部集会の目的が なかば達成できるかなぁ、と期待しています。



タグ : 岸田守本部長



[ 2006/12/14 15:20 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

守護霊様から 起きれ!と促された 

先ほど、ほんの ちょっとした気付きがあったので このことを忘れないために書いておきたい。

「生命の輝きへの道」の五項目を行った後、ふとある方のブログを思い出し、
過去の出来事の反省の仕方について、いろいろと考えているとき
だんだん反省についての判断基準の疑問が出てきたので
高橋信次先生のテープを聞いてみよう・・・と考え
昭和46年の盛岡での講演テープ「心を裸にしよう」という演題で反省の仕方について
語られているテープを聞いた。

真剣に聞いていたつもりだったが、そのうちに 椅子に座ったまま、
ふらっと浅く眠ってしまった。
ほんのわずかの時間だったのですが、誰も居るはずがないのに
自分のすぐ左横を人が通った気配がした。気配というより、透明な感じに見て取れた。
こういうことは、書くのに表現がしにくいです。
びっくりして目が覚めた。起きれと促されたようでした。
そして、あー いかん ねてしまったー。
「自分は真剣さが足りないな。」と、思いながら再度、耳をかたむけた。
その時の信次先生の講演での話の内容が、「ねたみ」について
例をあげながらのお話しでした。
そのとき はっ と気付きました。目が覚めてよかったです。

私は常日頃、自分の一瞬、一瞬の考えや思い、何がどう出ているか見よう意識しよう
としています。特に、自分さえ良ければ、とか自分だけを大事にしたい、
という想いを警戒するためです。
ところが、表面的なことだけで、よく掘り下げよう、とは していなかったことがわかりました。

それは、時々友人のAさんのことを思い浮かべます。
Aさんに対しては、私は好意的であり 相手もそうだと思います。
ただ、Aさんに対して心の中では、ある共通したことで自分よりもAさんは、上をいっているのではないか。負けているかも・・。
いや、こっちの方が上だ。などと想うことがあります。
そう想ったときに、気が付けば良かったのですが テープを聞いて気が付きました。 

これは「やっかみ」であり、ねたむ心の一歩手前の状態を自分で自分が勝手に作っていました。
極端に言えば相手に対して、差別意識をもっていました。
友人というのは、お互いが切磋琢磨できる良き相手である、と分かりながらも
自分が弱いため、そう考えたようです。
もし、Aさんが自分の肉親、子どもだったら そんなAさんを素直に心から喜んでいるはずです。
そこには、自分は相手に対して心からの謙虚さがなかったと思います。
他人というのは、生まれてくる親の腹が違っているから、他人といえるけれども 
あの世では、人間はみな平等で兄弟である ということをすっかり忘れていました。
何てことは ないかもしれませんが、私にとって ちょっとした大事な気付きでした。
そして、表面的に捉えるだけでは、心からの進歩はないと思いました。


起きれ!と促されたのは、以前もありました。

いつだったか、岸田先生がこちらへ、お出で頂いた時に光を入れて頂きました。
家に帰って一人 夜、久しぶりに反省しよう、という気持ちになりました。
布団の上に座って、心しずめて瞑想しながら過去のことを振り返っていました。
ところが疲れていたためか、わずか ほんの一瞬、ふらっと寝てしまいました。
その瞬間、びっくりでした。
自分の首筋の左右、両肩を バシッ と叩かれました。
痛いようで痛くない。体が痛いのではなく、体を包んでいるものがあり
そこに バシッ と、衝撃があったようです。
そばに、誰かいるんです。
そのとき相手から瞬時、伝わってきた思いは 「起きれ!」 でした。
思いが伝わってきた時に自分が思ったのは 「しまったー、寝てしまったー」 でした。
でも、その直後からとても怖くなって反省どころではありませんでした。
守護霊様には悪いと思いながら、布団をかぶって本格的に寝てしまいました。



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[ 2006/12/15 17:23 ] 随 想 | TB(0) | CM(12)

?? 

先日からチャットを置いてみたんだけれど
これどうやって使うんだろう~???




[ 2006/12/15 18:22 ] 随 想 | TB(0) | CM(3)

支部集会運営に付いて 新たなご意見 

昨日は支部集会にいつも参加されている数人の方と
なごやかに有意義なお話ができました。
支部集会の運営に付いて 新たな意見をお聞かせいただき、良かったです。
大きく二つ、ありました。 簡略して書きます。

一つは、岸田先生への質疑に付いて
「質問したいことを あらかじめ無記名で記入する用紙を準備したらどうでしょうか・・・。」
ということでした。 たとえば、
「長い間、先生から話を聞いていると、
今更ながら恥ずかしくて、初歩的な質問がしたくても できない」
という理由でした。
そういわれれば そうだなぁ・・、と納得しました。

もう一つは、個人相談に付いて でした。
「個人的な、心配事や悩みなどを マンツーマンで指導して頂きたい。」
という、二つのご意見でした。
皆様ありがとうございました。
以上、参考にして今後も、GLA関西本部の支部集会に お出で頂く皆様にとって
環境等含め、有意義な勉強会になるよう 微力ながら、ご協力させていただきます。




[ 2006/12/18 14:27 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

通知表 

今日は、二学期の終了式。
塾生の通知表も気になりますが、
わが子の通知表、どうだったんだろう。
私が 小・中学校のころは、終了式の日からは学校が当分、休みになり
うれしかった反面、通知表の結果で親に何ていわれるか、悩んでいました。(笑)



[ 2006/12/22 16:14 ] 随 想 | TB(0) | CM(3)

風邪を我慢する 

書きたいことがあるのですが、風邪の熱がここ、4~5日下がりません。
もう、ふらふら。 体温計を見るのが怖い。(☆_☆)
病院に行きたくとも、この時期が仕事上、一番大事なのです。
二時間でも、留守するわけには、いかないです。
仕方ないので、市販の薬を飲み続けよう。 
年内に復活できたら、また書き込みます。



[ 2006/12/28 18:38 ] 随 想 | TB(0) | CM(4)

長男のこと 

今日やっと、体調を取り戻しました。
まだ、37°ぐらいですが もう大丈夫です。

昨晩、仕事を終えて 職場で熱を計ったら 39°だった。
一緒にいた中学三年生の長男が勉強を終えて「僕も、きついから計ってみる。」
と言い、計らせたところ「お父さんに勝った」という。
「は~?」といって体温計を見たら、39、2°だった。
案外、平気でいる。私たち親子は、熱に強い。(笑)
でも、これはいけない。自分だけだったら我慢できるけど
長男も発熱していたので夜間診療を受けに行くことにした。
帰宅して早々、病院に行きました。

その病院は、救急外来が受けられる、市内でも規模の大きい病院です。
受付を済ませて、待合フロアーに二人で座って周りを見渡すと 熱さましシートを額に貼っている幼稚園児ぐらいの子どもが、お母さんに付き添われて何人もいました。
昨日は、かなり寒かったので 子どもの急な発熱でしょう。

いつだったかテレビ報道で見たことがありますが、他県で夜間の宿直小児科医がどこもいなくて 病院をたらい回しにされ、とうとう手当てが間に合わずに亡くなるケースをあげていました。
それに比べて、こんな地方都市でも、ちゃんとした夜間緊急病院がある。その点では、この地域は 恵まれていると思います。

静かなフロアーで、ひときわ大きな泣き声で
「いたーい、いたーい、かえりたーい」と、聞こえてきました。
声の方を向くと、4才か5才ぐらいの子どもでした。どこかケガをしているのか、その子のお母さんが、なだめていますが泣きやみません。
お母さんの気持ちを察すると、なんだか 私まで泣きたくなりました。 
そして、待つこと15分。
診察室に入って、診ていただく。
これは、お二人とも風邪をこじらせていますね。
市販の薬を三日服用して、効かなかったら病院に行くべきでしたね。
といわれた。

そうなのか。それは、知らなかった。(笑)
私は 40°前後の発熱の場合、病院に行かなくとも、市販の薬で約一週間ぐらいで治っていました。

私には注射をうってもらえず薬のみで、長男は点滴と注射をうっていただく。
点滴をうっている間、傍に座って、終えるのを待っていた。
久しぶりの入院気分は、どうねぇー。
と、聞いたら長男は苦笑いしていた。

そのとき思い出していたのは、幼稚園に入った頃から、およそ二年位経った時のことでした。
五月でした。かかり付けの小児科の先生が、
大学病院に紹介状を書きますから 緊急に入院させてください。
それを聞いて驚き、すぐに病院へ連れて行きました。
その日は冷たい小雨が降っていました。
車を降り、長男をだっこして 大学病院の、一部天井が無い渡り廊下を小走りし、空を見上げながら、これから この子はどうなるんだろう。という思いで病室に運びました。

この長男は伴侶と私の考えで、四年保育をさせました。
三才の誕生日を迎えたときから、幼稚園です。
毎朝、私の車で市内のカトリック幼稚園に7:30~8:00の間に着くよう、連れて行きます。
門前に着くと、最初の頃は幼稚園の先生が助手席のドアを開けて、泣いて嫌がる長男を、人さらいのように すばやく連れ去っていきました。(笑)
すぐに車を走らせ、私の姿を消しました。その時、本当に辛かったです。
そして幼稚園には、だいぶ慣れた頃、長男はちょっとした運動でも、すぐに 
つかれた~、きつい~。だっこして~ の連発でした。
これは、ちょっと何かおかしい と伴侶が思い、小児科医院に連れて行った。
そしたら、腎臓病の一種である ネフローゼ と診断されました。
すぐに大学病院への入院手続きをして頂きました。
症状に気づかずにいたら命を落とすところでした。

点滴をうたれ、寝ている顔を見ながら、私と比べれば よくもまぁ、これまで素直に育ってくれたものだと思いました。小学校三年生の時から勉強よりも少年野球を楽しみながら、ついこの夏まで自分なりに一生懸命やってきました。

そして やっと長男の点滴が終わって、帰宅したのが夜中の二時でした。
とても、大変な一日でした。(笑)



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[ 2006/12/29 17:55 ] 随 想 | TB(0) | CM(4)

GLA関西本部について  

今日が仕事納めです。
ですから、書き込みも今日が年内最後になります。

メールで質問があったのですが、体調をくずしていたために書けませんでした。
このブログのリンクにある、「高橋信次先生」と「GLA関西本部」についてでした。
それに付きましては以下、私が書ける範囲を簡略して述べさせていただきます。

まず、高橋信次先生ですが 私は、全く面識がありませんので、その人となりについては、人様から聞いていること意外は分かりません。
人から聞いたうわさは書くことができません。すみません。
検索エンジンで「高橋信次」を探されると、たくさん出てきます。
賛美しているものもあれば、非難対象になっているものと様々です。
それだけ、良い、悪いにつけ 影響を受けた人が多いということでしょう。
しかし、他の人が書いた評価よりも、ご本人が直接書かれた何れかの本をまず、読んで頂くことをお薦めします。
一般書店に無ければ直接、リンク先の 三宝出版にお問い合わせください。
高橋信次という人が、いわば精神指導者として 何を教えてあったのか。
私の体験からすれば、読んでいただければ必ず、感銘を受けられる と思います。

以下、GLA関西本部について

高橋信次先生ご在世中、信次先生より 当時、GLA関西本部の青年部長だった岸田 守 氏を
GLA関西本部の次の指導者 として指名されました。そして現在に至っております。 
GLA関西本部の変遷に付いては、高橋信次先生著「心の発見・現証篇」の 大阪のZ会教団の人々 というページに書かれてあります。ぜひご覧ください。

ここからは、GLA関西本部の出版物から一部抜粋したものを参考に書きます。

「貴方を守り続ける守護、指導霊」
貴方は自分のことは自分が一番よく知っていると思っておられるでしょうが、本当にそうでしょうか。友人との関係においても心当たりがないのに仲が悪くなったりした経験はありませんか。
それらは自分では気付いていないのですが、自分のわからない癖、根性によって不愉快な思いをさせているわけです。
又何か争いが起こった時、自分は正しいのにと思っていませんか。
思っているからこそ争いが起きるのです。
自分では気が付いていないだけなのです。
このように自分自身では気づかない性格、癖、根性これが最も重要な鍵を握っているわけですが、いつの世も貴方を心配し暖かく見守って下さり、苦しみ、悩み、迷いから助けようと正しい方向にその心を導いて下さっているのが貴方の魂の兄弟達や親しい者達で、それが、守護霊なのです。又、人々の心が常に正しく、心と行動が一致して正しい目的に向かって努力している時は、守護霊の友人か、本人のあの世における友人達の中の専門家が、その研究目的に対する霊感を与えることもあります。
このようにその目的に応じて協力して下さる天使が指導霊なのです。
守護、指導霊が私達の身体を支配したり、口を支配いたしますと、習ったこともないことや想像もできなかったことが分かってきます。
それは貴方自身の過去世、神の実在、神と人間、人間とは、あの世の実在、死後の世界、明日の貴方、そして何よりもこれからの世界を知る、あるいは見ることによって自分自身を信じることができ、他人を愛することと同じだということが分かってくるでしょう。
このような状態になって初めて人生の正しい意義も分かってくるでしょう。
このように、この世の道理を知りたければ守護、指導霊にお願いして次元の違う世界のご協力を頂く以外ありません。

以上。
 

タグ : 岸田守本部長



[ 2006/12/30 13:56 ] 随 想 | TB(0) | CM(5)

新年 

新年明けましておめでとうございます。

今日が仕事始めです。
ふだん、ブログは職場で時間が空いたときに書いていますので
皆さんのブログと比べると年始のご挨拶が、遅くなりました。

ブログを読んでいただいている方、今年もよろしくお願いいたします。
皆様にとりまして、今年も幸多き年となりますようお祈りいたします。





[ 2007/01/04 12:47 ] 随 想 | TB(0) | CM(2)

年頭の決意 「己を知る」 

三社参りの習慣はないのですが昨日は娘と二人で
すぐ近くにある神社へお参りに行きました。
この神社は、日本の三大火祭りで有名なところです。
毎年正月七日夜に勇壮な火祭りが行われます。
もう、境内の参道周りには所狭しと、大きな松明や荒縄などの準備が整っていました。

今年一年は、
知っているようで、知らない部分のある「自分」をもっと知り
直すべきところは直すよう、他の人の善意な意見を尊重しながら努力をしてみたいと思います。

①自分のことでありながら自分が知らない(気づかない)所、他人が知っている自分の性格等

②自分は知っているが、他人は知らない(見せない)癖・根性。

③自分のことでありながら 自分も知らない、他人も知らないこと。
  (神、或いは天上界しか知らないこと)


2001年に初めて岸田先生とご縁を持つことが出来て、今年で六年目となります。
岸田先生からは、初めてお会いした頃に 
己を知ることが大事ですよ。
と教えていただいた。
その頃の「初心」を忘れないよう特に①②は、さらに精進することを年頭、自分に誓いました。



タグ : 岸田守本部長



[ 2007/01/04 18:54 ] 随 想 | TB(0) | CM(4)

テンプレートの変更 

自分なりにやっている、瞑想に付いて
(恥ずかしながら、ハッキリ言って瞑想といえるほど全然たいしたものではありません)
時間をかけて暇なときに一所懸命 長文を書いていたら、何かの拍子でブログ保存する前、全文消えちゃいました。(笑)
今度から長文を書くときは、「テキストドキュメント」などに書いてからコピー・ペーストした方が良いようです。

この教訓(笑)を忘れないため、また、気分換えに思い切ってテンプレートを変更しました。






[ 2007/01/10 15:08 ] 随 想 | TB(0) | CM(7)

月刊誌巻末から   

GLA関西本部発行の月間誌巻末の数ページにある「GLA関西本部」をご紹介いたします。


”釈迦、イエスの神理正法に還り神の子の人間に目覚めよ”
と叫び続けられた『高橋信次先生』の教え、真の幸せへの導き

◎あなたの死後の世界はどうなるのか

「人間はどこから来て、どこへ行くのだろう」
「なぜ生まれ、何のために生きているのだろう」
「死んだらどこへ行くのか、どうなるか」
「人生をどう生きてゆけばいいのか」
「神、仏はあるのだろうか」
これらの根本的なことが解らない限り不安な日々を送ることになり、気づかないうちに心も肉体も得体の知れないものに蝕まれ、我に返った時「私の人生は一体何だったんだろう」と、大きな悔いを残すことになるでしょう。
しかし、その疑問を解決する道を解き明かされ、証明されたのが、高橋信次先生だったのです。

◎GLAは何を教えているのか

GLAは、正法という釈迦の教えた大自然の調和された循環の法と慈悲と愛について教えている。
釈迦は宇宙即我によって神の意思を悟り、プッタ(仏陀)となった。そして真の安らぎのある至福者となられた。
多くの衆生がプッタの安らぎに近づき、近づこうと願うなら、この世はそのまま地獄から仏国土となろう。
高橋信次先生は、末法と化した現代社会に正法という法灯をともし、二千五百有余年前のインド時代の衆生の喜びを再び蘇らすべく、
人々の教化にご自分の生涯をかけられました。
GLAは、その釈迦の神理を世に伝えるべくつくられたのである。
G はゴッド=神または神理、L はライト=光、A はアソシエイション=会。
つまり、『神理の会』というのがGLAである。
人々が正法を実世界に表わすにはどうすればよいか、安らぎのある生活を送るには、正法を貫く中道の心を自覚することである。
中道の自覚は八正道の実践しかない。
一、正見。 二、正思。 三、正語。 四、正業。 五、正命。 六、正進。 七、正念。 八、正定 である。
この八つの実践によって、中道の心を知り、自覚が芽生え、如心の境地に到達する。
人々に慈悲の心で接し、愛の行為が行えるようになるには、こうした如心の境地に進むことによって、より可能となるのである。
つまり、菩薩行がつつがなく行えるようになると言えよう。
GLAは釈迦の正法を根本として慈悲の心を、そしてイエスが説いた愛の行為を教えているのである。

◎他力信仰の誤りについて

世が末法となると他力の信仰が流行ってくる。他力とは文字通り他の力を借りる信仰である。
阿弥陀にすがって、念仏を唱えれば極楽往生間違いなしというわけである。
仏教も変れば変るものである。二千五百有余年前の釈迦は他力の信仰は一つも教えていない。
イエスが教えたキリスト教にしても今日では祈り一辺倒の他力と化している。
人間は神の子であることはプッタが悟った。
神は天地を自らの意思で創られたように、人間神の子もその運命と環境は自らの手によって調和させていかねばならないのである。
プッタは神の子の自力を教え、イエスは神の子の愛の実践行為を説いた。
それが今では念仏や祈りが信仰というわけである。
明日の運命も分からぬ肉体人間の思念と行為を思えば、他力の信仰を一概に責めるわけには行かないだろう。
しかし、人間は神の子であり、他力の果ては自己満足を助長し、一方では無気力な人間をつくっていく。
宗教が偽政者と結び、衆生を苦しめたのも他力の故であり、盲信・狂信のアヘン患者が出るのも他力の害毒といってもいい。
二十一世紀の今日といえどもまだこの弊害が続き、信仰の名の下に争いが続いている。
神は平和を求めている。人類に調和を求めている。
他人にはウソは言えても己の心にウソの言えぬその心が神の子の証なのである。
とすれば、人はその心を大事にし、その心にしたがって、神性仏性の自分を自らの手で育てることが信仰ではないのか。
つまり、神は我が心に宿っており、ならばその心に忠実であることが神の子の義務であり、責任ではないか。
正法は自力である。神の子の自覚にもとづいた自力である。我欲を果たそうとする自力ではない。
求め、努め、勇気を持って歩むものに神は光を与えてくださる。
神は自ら努める者に安らぎと調和を与えることを知るべきであろう。

◎転生輪廻と魂の不滅について

この世のすべての物は循環の法則の下にある。
水は気体、液体、固体の循環を繰り返し、一日は朝、昼、夜の周期を維持している。
こうして、物質とエネルギーは神の偉大な意思と働きの下で、永久運動を続けている。
物質もエネルギーも永遠にして不滅である。
人の魂もこれと同じように、この世を去ればあの世の生活が待っており、やがてこの世に再び誕生する。
そうして、個の魂をより豊かに、より調和するべく永久運動を続けている。
GLAでは、魂の不滅についての実証がなされている。
インドに、イスラエルに、エジプトに、スペインに、イギリスに、ドイツに、ベトナムに、チベットに、中国に、その当時の言葉を語ってくれる。
千五百年前に中国で生まれ、当時の名前はこうであり、生活環境は厳しかったが、しかし学んだ事柄は内容的には現代と少しも変わらないということを話してくれる。
これら霊道者の人びとは、インド語も、エジプト語も、スペイン語も習ったことがないのである。
ところが、現代にも通用するその言葉を、いとも簡単に語ってくれるのだ。
普通では信じられないことである。
釈迦時代、イエス時代しか、こういうことは今まで起こったことがないのだから。
こうした現象(現証)はGLAでは発足したその時から現れ、霊道者と称する人々は多く出ている。
霊道によるこうした過去世の言葉は魂の永遠不滅と転生輪廻を示す偉大にして価値ある実証といえよう。
しかも霊道現象は、高橋信次先生の光によってその門がひらかれ、霊道者自身が中道の生活を実践することによって与えられるのである。
私たちの記憶は通常、脳の中にしまわれているとみられている。
医学の発達によって肉体の死は生命の死につながるように思われているが、ではGLAで起こっている霊道現象を医学でどう説明するだろう。
もし肉体の死によって記憶の一切が消えてゆくとすれば、霊道現象が教える過去世の実証はどう答えたらいいだろう。

◎霊道現象(現証)について

仏教の中の華厳経は主に霊的な問題を扱った経文として知られている。
その中の十地品第四章二十は、過去世の記憶について累々と述べている。
「彼は色々な名前の住所を記憶する。一生を記憶し、数百年、数千年、数億年を記憶し・・・・・」
当時の人はプッタの光によって霊道をひらき潜在意識に記録されている過去世の記憶をよみがえらせ、過去世の生活を思い出し、言葉を語ったのであった。
新約聖書使徒行伝第二章にも同じようなことが載っている。
「・・・・・みよ、この語る者は皆ガラリア人ならずや、如何にして、我等おのおの生まれし国の言葉を聞くか・・・・・」
十一人の使徒達は、イエスが十字架の人となり、五十日を経ったある日、突如として霊道をひらき、各国の言葉を語り出したのである。
インドの当時は、プッタの在世中に数万人が霊道をひらき、過去世の言葉を語り、神理を説き、多くの奇跡を遺した。
イエスの使徒達も、霊道をひらくことによってイエスを信じ、神の子の自覚に燃え、伝道に生命を投げ出した。
現在GLA関西本部にも同じような霊道現象は起こっている。

釈迦、イエスの神理正法に還り、真の人間にめざめよ

恩師の心を受け継いで、GLA関西本部では、皆様方の幸せのお手伝いをさせて頂いております。



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[ 2007/01/25 19:08 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

お地蔵さん 

職場に向かう途中の信号の角に、お地蔵さんがまつってあります。
信号待ちのときは視線に入る位置にあるのですが、いつも眺めているわけではありません。
今日たまたま見たら、赤い綺麗な、よだれ掛けをしています。
付近住民の誰か、いつも大事にお世話されているのでしょう。
お地蔵さんを見て、ずいぶん前のことを思い出しました。
今思えば、あれで良かったのか・・・と思うときがあります。

私が23歳頃でした。
或る悩みが有り(悩み多き人生です。笑)どう、解決して良いか分からず神仏に頼ったことがあります。
住んでいる場所から少し離れた郡部に、いわゆる「拝み屋」の噂を知って暫らく何度も通いました。
その拝み屋さんの家には、他の所から引き受けた仏像など沢山まつってありました。
そして私に対し、(今考えても何のことか未だに分かりませんが)
「素質があるので、いろいろ教えてあげます」
ということで、行く度に目を閉じた状態で正座をさせられ「光が見えないか?」
などと言われ指導(笑)を受けました。
内心、「光が無いところに光が見えるはずが無いじゃないか」と思っていました。
今だったら、「光」に興味ありますが(笑)・・・しかし今思えば、拝み屋は怖いです。
そんなことよりも「悩み」解決が優先でした。
結局、拝み屋では解決できませんでした。
今であれば、それくらいの悩みは悩みの内には入りません。
その頃若かったので「がむしゃら」に切羽詰ったような感で考えることが多かったと思います。
悩みは、時が経って自然と解決(納得)したようなものです。

その悩みというのは、もしかすると代々家系の因縁ではないのか。
と思ったことが通った、きっかけでもありました。

私が小さかった頃の昔は、近隣の家では専業農家が多く、鶏や肉牛などの家畜を飼っていました。
私の家も、そういう環境でした。
農業用機械が無かった、もっと昔であれば牛を頼りに農耕していたでしょう。
私の家では、私が生まれる以前に牛以外にも豚も飼っていたそうです。
家畜を飼っていた家には必ず家畜鎮魂のため、石で出来た「馬頭観音」をまつっています。
馬頭観音って面白い姿をしています。
正面と左右に一つずつ、一体の身体に憤怒した顔が三つあります。
しかも正面の顔の額付近には「馬」の顔が付いています。

私の家の庭には、その馬頭観音ともう一体、同じく石で出来た「お地蔵さん」が有りました。
生前の父親の話によると、そのお地蔵さんは何代か前の先祖が子どもに恵まれなかったので、子どもが授かる願いを込めてまつられた、と聞いていました。
お地蔵さんをまつってからは一人の女の子に恵まれたそうです。
そして、今の私の存在があります。
お地蔵さんの台座の石には、天保二年の銘と作った先祖の方の名前が刻まれていました。
庭先で毎朝、祖母か母親は、馬頭観音さんとお地蔵さんに「お茶」「ごはん」と線香をあげていました。
小さい頃は、私も一緒にお参りをしていたものでした。
お地蔵さんに話しかけたりして、親しみを感じていました。
(馬頭観音さんは怖い顔をしてあったので馴染めませんでした)

あるとき、拝み屋さんを自宅に招いたとき
「特に因縁とは関係が無いが、この仏像さんたちは私の所に来たがっている」
ということで二体の仏像を引き取ってもらいました。
それからは「拝み屋」さんのところに行った時、手を合わせて帰っていました。
拝み屋では解決できない、と判断してからは、一度も訪れてはいません。
その方(拝み屋)は、当時七十歳代だったので今はご高齢です。
ご健在かどうかは知りません。


「生命の輝きの道」の中で、肉体を頂いた先祖に対して心から感謝を述べます。
両親と亡くなった祖父母です。
それ以上の先祖は面識が無いので「先祖代々」と置き換えて祈ります。
その先祖の子孫繁栄の「思い」が込めてあったお地蔵さんを私は簡単に手放してしまいました。
それは先祖に対する感謝もなにもありませんでした。
お地蔵さんは、ただの「石」ですから何ともないのですが、先祖の思いを当時、汲むことの無かった自分に情けなく思います。
今更ながら引き取ることはできないし、もう仕方ありません。

道路わきのお地蔵さんを見てその頃のことを思い出しました。


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[ 2007/01/26 13:28 ] 随 想 | TB(0) | CM(10)

第15回 福岡支部集会 

第15回 GLA関西本部 福岡支部集会を
2月4日(日)pm1:00~5:00
福岡市の山王公園中にある「博多市民センター」で行います。
「真実の心」を学ぶ為の学習会です。
東大阪から岸田先生ならびに数名の方にお出で頂きまして「講話」と「質疑応答」を予定しています。
参加料はありません。
途中退場、途中参加でも大丈夫です。
ご興味のある方はどうぞ、覗いてみてください。
参加者は毎回、常連の方もいれば、不特定の方と様々です。
ほのぼのとした雰囲気です。


タグ : 岸田守本部長



[ 2007/01/31 16:53 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

「諸行無常」 高橋信次 

「諸行無常」      

この言葉は暗い韻律(いんりつ)を秘めているような印象を与えているが、とんでもないことである。
仏教にしろ、釈迦の名が我が国の一般民衆の間に知られるようになったのは、たかだか一五〇年ぐらいの歴史しか経ていないようである。
そうした中で平家物語にこの言葉が引用され、民衆に馴染まれたために、事実そのような響きを与えてしまったようである。

諸行(しょぎょう)とは大宇宙を含めた物質世界の生活行為を指す。
そうしてその生活行為は瞬時刻々変化変滅をくり返している。
常なき状態である。
生ある者は一刻といえども止まることを知らず、常に変化し、動いている。

諸行は無常(むじょう)なのである。

諸行無常を解釈すると、現象界の姿をそのまま伝えた言葉のように受け取れる。
ところが、この言葉には重大な意味が秘められている。
それは神の意思である。
生命の実態だ。
形あるものは生命の実相を通して存在し、絶え間ない変化の過程を通って生き続ける。
変化の形は変わっても生命それ自体の意味は永遠に変わることなき生き通しの我である。

生者必滅(しょうじゃひつめつ)の姿はあっても、魂の永遠性は不動である。
諸行は無常であるから生命は生き永らえる。
諸行が無常でなく有常なれば、物質世界は滅びるしかない。
有常とは生活行為の停止を意味する。
生死は動であるが、生のみがあって死のない世界は生命のない停止の世界なのだ。
あの世とこの世があって魂の輪廻があるのだから、この世に生死があり、絶え間ない動的な生命の永遠性があるのである。

無常は進化を約束する。

大変難しくなったが、私たちは現象の動きに心をとらわれてはならない。
生き通しの自分を失わぬことだ。現象界の動きに心が奪われ執着すると、その執着の分量だけ自分の心を傷つける。
地獄に苦しむ諸霊はその全部が現象界に心を奪われた人たちなのだ。
現象界は魂修行の場である。
魂進化の大切な場所なのだ。
その無常の場を有常の場に置き換えようとするから苦しみをつくる。

私たちの住む世界はめまぐるしく変化している。
自己保存と足ることを知らぬ欲望の渦といってよい。
しかし、私たちはこうした渦を恐れてはならぬ。
一日一日無常の真意を忘れず、不動の心で過ごすなら、神は祝福と安らぎを与えてくれるだろう。

恐れず、惑(まど)わず、正法(しょうほう)を心の中に打ち立てよ――。


以上
GLA関西本部発行 2007.3月号月刊誌より転載

タグ : 高橋信次:GLA誌より



[ 2007/02/27 13:43 ] 随 想 | TB(0) | CM(2)

「食糧問題」 高橋信次 

月に一度、GLA関西本部の月刊誌発行に合わせて、高橋信次先生の随筆をあげています。
興味が御座いましたら、ご一読下さい。

以下、GLA関西本部発行 2007.4月号月刊誌より転載
(1974年6月、月刊GLA誌の当時の記載分)


「食糧問題」

異常気象、食糧危機、人口問題、この三つは相互に関連し合って動いているが、これについて、さまざまな見方がなされているので取り上げてみたい。

まず気象については、太陽、月、地球の自転公転によって、その条件の基礎がつくられている。
だがしかし、寒暖、風、晴天のいずれかの一方に片寄ると地上の営みに狂いが出てくる。
かつて地上に人類が住む以前は、火山爆発と雨のくりかえしが続き、氷河時代が何度も現出した。
これは火山爆発の降塵が天空に舞い上がり、層をつくり、太陽の熱・光を遮断したため地上の気温を下げたからである。
今日、冷害やかんばつが各地におこっている。
原因の一つは熱消費の増大であり、煤煙、排気ガスの塵が天空に昇り、層をつくりはじめているからである。
もう一つは地上に住む人類の想念行為によって、地軸の位置、自転のリズムを変化させていることもある。

このように気象の基礎条件は少しも変わらないが、地上に住む人類の想念行為が人口の増大に比例して、さまざまな異常気象を生み出している。
アフリカの大干ばつ、ソ連、中国、インド等の食糧不足。
これはいったいなにがそうさせたかといえば、それは前述の説明を理解されれば自ずと明らかであろう。

気象は天然の産物であり、人間の生活行為と直接無関係と思われるが、例を今日の公害をみれば、気象も人為的に左右されることは説明を要しないと思う。

人口問題は、食料生産と綿密に結びつき、地球は満員という見方もあるが、しかしまだその余力は十分ある。
問題は現時点の人々の意識構造(政治理念、民族意識、人種差別、経済の考え方等)に問題があり、バランスを欠いているので、歪みが生じているのだ。
一方の国は食糧が有り余り、他の国では餓死者が発生すること自体、調和された地上とは言えないだろう。
こうしたアンバランスがなくなり、天然の気象条件に適した方法で食糧生産が行われ、技術開発を平均的に進めていけば、地球の人口許容量はまだまだ広げられる。

異常気象、食糧危機、人口問題は地球人類の責任である。
それぞれの責任において調和された生活、つまり、人類は皆兄弟という人間の原点に立って処理していくならば、この問題は明日にも解決していくことであろう。
しかし、今のままの状態が続けば、食糧危機を発生せしめ、問題を深めていくことになりかねない。



タグ : 高橋信次:GLA誌より



[ 2007/03/29 14:00 ] 随 想 | TB(0) | CM(8)

昨日は驚きの連続でした 

昨日は三週間ぶりに、内気功の指導を受けてきました。
今回は特に特筆することは、ありませんでした。(≧m≦)ぷっ
私自身、仕事の都合や休暇などで、毎日約一時間の練習がうまくいきませんでした。
今週からは、これまでの通りの元のペースに戻ります。
内気功の練習で、何か気付きがあったら書いていきます。

それにしても昨日は、三つ連続で驚きがありました。
こういうことは初めてです。

一つは、ある方から送って頂いた資料です。
私にとっては、大変に勿体無いくらいの貴重なものを拝した、驚きと感動です。

二つ目は、これまで数年来、一緒に神理を勉強してきた法友の訃報でした。
それも、最近ではなく半年近く前に既に他界されていた、という二重の驚きです。
そういえば毎年、年賀状を交換していましたが、今年は年賀状が届いていませんでした。
漠然と、どうしたのかなぁ・・・とは思っていましたが。

そして三つ目は、私のブログのリンクにある、
giftさんのコメントです。
私についている「生霊」の正体でした。
さらに今日、再度コメントを頂きました。

http://kazu4949.blog59.fc2.com/blog-entry-105.html#comment

世の中には、見えない世界に付いて、色々と感じる方がいらっしゃいますが
そのgiftさんの能力には、ただ、驚きでした。
なんで、そこまで判るんだ?・・・という思いです。
もちろん、そういった霊的な能力だけで人の価値を判断するわけではありませんが。

そういうことで、昨日は心中、感動と悲しみと驚きがミックスして、とても大変な一日でした。


タグ : 岸田守本部長



[ 2007/04/11 12:17 ] 随 想 | TB(0) | CM(8)

「今月の課題」 2007.4 

GLA関西本部の指導者である本部長が執筆された「今月の課題」(月刊誌の中から転載したもの)を今回から月に一度、発刊にあわせて up します。
何か、ちょっとした気付きの一助になれば、うれしいです。
かなり、これも長文ですが、ご興味ございましたら、ご一読されて下さい。


2007年4月 「今月の課題」  本部長 岸田 守

「三つ子の魂、百まで」とよく言いますが、現在の自分の心の苦しみや葛藤、或いは喜びをよく振り返ってみますと、幼いときに親から口癖のように言われた言葉や態度にずいぶん縛られ、影響を受けていることに驚きませんか。

「人様に喜ばれる人間になりなさい」
「人様に好かれる良い子になりなさい」
「人様のお役に立つ立派な人間になりなさい」
「自分のことより、まず相手のことを考えられる人間になりなさい」
「人様が見ていなくても神様や仏様はちゃんと知っておられるのだよ」
「人が話している時は黙っていなさい」
「しっかり勉強しないと、大きくなったら社会で生きていけないよ」
「人生カネがすべてだよ。カネさえあったらこんなに苦労しなくてもいいのに」
「自分の言いたいことは、はっきり言いなさい」
「ぐずぐずしないで、しゃんとしなさい」
他人から嫌われたり、いじめられっ子になって不幸になるよりも、みんなから愛される幸せな子にしたい。
我が子には貧乏の苦しみを味わわせたくない。
母はそう願っていたのでしょう。
そのため繰り返し念を押して、子どもの心の中に叩き込んだのでしょう。

人それぞれに意識の深くに刻み込まれた「親からの言動」は、気が付いてみると自分の生き方、感じ方に大きな影響を受けていることにびっくりします。

臆病で引っ込み思案の自分。
他人が自分をどう思っているのか敏感になっている自分。
他人が自分をどう扱ってくれるか気になる自分。
物事を曖昧にする人間を許せない自分。
自分の意見を言わない人間を見てイライラしてしまう自分。
相手を傷つけないように、相手の気分を害さないように、相手に合わせて自分の正直な気持ちを伝えられない自分。
何かがあると攻撃的に相手を責めたくなる自分。

そして、先天的か後天的かはわかりませんが、無自覚にそのような感じ方や想念行為はカルマとなって、日々繰り返すようになってしまいました。
このカルマを反省によって見つけ出し、勇気を持って修正し、自分を変えてゆこうと現在私たちは取り組んでいます。

ところが、自分にはこんなカルマがあってなかなか修正できない。
いくら「心行」を読誦してもなかなか変われないと自分を責めたり、否定的になったりしていませんか。

本当にそうでしょうか。
ありのままの自分は欠点もあり長所もあります。
それらすべてを含めて今の自分は百点だと考えたらいかがでしょうか。
60点の自分で見るから、好きなあの人は80点、嫌いな姑さんは30点と、不足な自分の眼差しは、人も不足した人間に見えてしまいます。
そして、60点の人生を送らざるを得なくなります。
良いも悪いもすべてを含めて丸ごとそのままの自分が百点だと、神様が愛し、見守ってくださっているのではないでしょうか。
どうですか、何か勇気が湧いてきませんか。気持ちが楽になりませんか。

神様が「お前は百点だよ」と見守ってくださっているように、出合う人すべての人を百点の眼差しで接することができたらうれしいですね。
そのように願い、そのように祈って生きていたいですね。

マザー・テレサの次のような言葉があります。

「生活の中に色々のことが入り込むので祈れない、という言い訳をする人たちがいます。そんなことはありません。
祈るために、仕事を中断する必要はないのです。
仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。
黙想をいつもしている必要もなければ、神と語っていることを意識することも必要ではありません。
どれほどそれが素晴らしい体験であるにせよ、大切なのは、神と共にあり神と共に生き、神の御心を自分のものとして行うことなのです。」

アッシジの聖フランシスコの祈りです。

「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
争いあるところに許しを、
疑いあるところに信仰を、
絶望あるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びをもたらす人にしてください。
主よ、慰められるよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを、
求めることが出来ますように、
私たちは人に与えることによって多くを受け、
許す時に許されるのですから。」

祈るために必要なのは「沈黙」だと言われています。
心の中のさまざまな想念を鎮め、表面意識を沈黙させることが大切です。
さあ、百点の自分で明るく肯定的な気持ちで「祈り」を大切に「願い」を大切にして、胸を張って生きていきましょう。

以上。

――――――――――――――――――――――――

「今月の課題」を読んでみると、小さい頃からの親からの助言は、受けた自分の捉え方によって、いろいろな性格が形成されていくようです。
もちろん、親の助言により欠点を作ったとしたら、それは親に責任があるのではなく、自分ですが。
今の自分を、欠点を修正するには小さい頃からの環境や、親からの教育を洗い出す必要がありそうですね。
いつか、ゆっくりとした時間をつくって、私も再度、過去を振り返ることにがんばってみよう!
今は、気功の練習が約一時間と「生命の輝きの道」を30~40分しているので、じっくりと瞑想、反省の時間がとれません。
また、「そんな欠点がある自分を否定の眼差しで自らを見る」ということは、相手に対しても同じような見方をしてしまうこともあるようですね。
自分の欠点を意識する時、ここには要注意と思いました。
自分だけを否定するどころか、相手まで否定、批判してしまう自分にはなりたくないです。(-_-;)
マザー・テレサのことばで、
「大切なのは、神と共にあり、神と共に生き、神の御心を自分のものとして行う・・・」
心うたれることばです。生涯をかけて、貧困にあえぐ人を救ってきたマザー・テレサだからこそ・・・の、ことばです。
また、アッシジの聖フランシスコの祈りにしても、神に対する信仰心の強さには圧倒されます。
神の僕として人々へ、手助けしたい願望が伝わってきます。
私自身、「ほんのちょっと」でもいいので、そういうことを堂々と言えるようになりたいです。
でも、今のままでは完全に無理です。嘘つきになります。(=_=;)
私も「祈り」と「願い」を大切にして、百点満点の自分で生きて行きたい!!

長文を読んでいただきまして、ありがとうございました。




[ 2007/04/13 17:22 ] 随 想 | TB(0) | CM(12)
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