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ブログの立ち上げ 

失敗しながら、苦労してブログを立ち上げました。


自分は しゃべるのが苦手だし 書くのも苦手です。
練習のため これから ぼちぼち書いていこう!

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[ 2006/10/07 09:09 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

岸田先生と初めて お会いした時のこと 

私にとって、高橋信次先生の教えである心に付いて、より自覚を促され、気づかせていただいた方が岸田先生だった。

岸田先生とのご縁の経過。  
また、そのときどき心の琴線に敏感に響いたこと、
ちょっとした不思議な経験を忘れないうちに備忘録として、記しておきたい。
その記入が終わったら、作文することが苦手ですが現在の心境、心の動きに付いても気が向いたときに日記がわりに書いていきます。


2001年(平成13年)11/22~11/23

鹿児島で初めて、岸田先生にお会いする。
以下、そのときの状況。

2001年の11月、Aさんから久しぶりに電話があった。
電話で「田中さん、GLA関西の岸田先生という方に先日、鹿児島で会いました。・・・田中さんも会ってみませんか。」と。
話を聞いているうちに、私も岸田先生に会いたくなりました。
Aさんに、その気持ちを伝えて電話を切った。
後日の夕方「近いうちに再度、鹿児島に先生がお見えになるようです。いつになるのか、わかったら教えます。」
と連絡を頂いた。その後日、
「田中さん、急なことですが明日、O博士の誘いにより鹿児島に岸田先生がお見えになるそうです。どうされますか。」
明日は平日であり急に仕事を休むわけもいかず、行くか行くまいか迷った。
「今、自分を変えるチャンスが来た。この機を逸したら次にいつお会いできるか分らない。行かなかったら後悔する。」
と思い至り、明日自分がいなくても差し支えないように仕事の段取りをつけました。
翌朝11月22日、JRで二人、西鹿児島駅に向かった。 
初めてお会いしたときの印象は、ご年齢の割には非常にお若く見え、謙虚な物腰の先生であり、ふところが深く、多く語られないが一言一言、私の胸のあたりを見ながらの語り口調に威厳を感じました。
O博士ご夫妻の案内により西鹿児島から指宿まで岸田先生と車に同乗させて頂き、車中での雑談の中、先生に
「高橋先生が説かれた 正法 と比べて、私の心に歪みがあれば遠慮なく厳しくご指導ください。」旨、お願いしたら先生が
「後でゆっくりと。・・・」と仰られた。
そのとき心の中にちょっと不安を感じたが、指宿での夜は温泉で汗を流し、民宿で食事と座談をしながら個人指導を受けさせていただいた。
岸田先生の私に対するお言葉は、思いもよらなかった。
でも今では、そのアドバイスに感謝しています。
それにしても、的確なご指摘とご指導を頂戴した。先生は私に
「しばらく、正法を捨てなさい。それも正法です。」
「あなたは視野が狭い。人との付き合い、いろいろな経験を多くして広くものを見てください」
「愛を実行してください。愛が足りません」
あなたはカルマの上塗りをしています。
このままでは 3年か5年後に、あなたか、あなたの周りで大変なことが起こります・・・守護霊が、そう言っています。
ということだった。
驚いた。私はこれまでカルマのうわぬり (魂の堂堂巡り) をしていた。またそれに気づいていなかった。
指摘されて初めて自分の愚かさを知ると同時に、気を取り直して心の中に革命を起こそうと決意しました。

他に、先生に こういわれた。
魂の兄弟は 5人とも男です。

私は
魂の段階は、幽界か霊界ですかと聞いたら
魂の段階は、幽界、霊界ではないと、はっきり、いわれた。

でも、幽界や霊界からでは無い、とすると、
私は 仙人界か天狗界から来たのだろうか。でも、そこから地上界には
下生しないと確か本に書いてあったはずだが・・・。と一瞬、考えた。
「あなたは、天狗界だ」と、いわれるのがこわくて、そのことにそれ以上は質問できなかった。 

そして先生は、続けて
あなたの家の因縁は、あなたが断ち切らないと子どもまで及びますよ。
兄弟の「長」として生まれ、苦労したのは、あなたが望んでその環境を選んで、でてきたのです。
今ある、弟さんには、あなたが良き協力者となってください。
毎夜「心行」をお二人にあげ、光を送るよう念じてください。
といわれたので、私には光を与えることができるのですか。
と、たずねたら、それは、できます。
といわれた。
また、
広くものを見てください。人をゆるすことが大事です。
そうすれば 3年、5年後は、だいじょうぶです。
何かあったら、いつでも電話してください。
と、仰って頂いた。




[ 2006/10/23 15:05 ] 回 想 | TB(0) | CM(2)

「感動」 岸田先生から初めて光を入れて頂いた時のこと 

2002年 3/16(土)

岸田先生からセキヤヒルズのホテルで、初めて光をいれて頂きました。

それは、「霊道を開く 呼び水 のようなもの」と先生は仰っていました。 

そのときの自分は、光を入れていただく直前は何も期待していませんでした。まさか自分に、そんなことは無いと思っていました。

ところが、光を入れていただいているわずかの間、そこに自分がいなかった感がありました。
口から「ブッダー・ブッダー・ブッダー」と出た。
もう、びっくりでした。

光を入れていただいた後、また雑談に戻ったが、とても雑談どころではなかった。
申し訳なかったですが、相づちはしていた。が、そのとき話はまったく聞いていなかったし、聞けるような心境ではありませんでした。

しかも、いつの間にか自分の体全身から汗が吹き出ていました。
3月であり、普通に空調も効いています。不思議だった。
シャツが、じゅっくり となり、特に頭の髪先から汗がしたたりおちています。
自分はどうなったんだろう。

就寝前、ホテルの温泉で汗を流しました。
胸元から、なにか感動のようなものが、こみ上げてきました。
風呂の中で涙が止まらなかった。
本当に不思議だった。同時に何か分からない、よろこびを感じました。
 




[ 2006/10/23 15:21 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

精妙な心 初めての不思議体験 

2002(平成14年)3/17 
先日からの集会が終わり、岸田先生を空港にお送りした後の夕方のことです。

土曜日の夜、セキヤヒルズで初めて岸田先生に光を入れて頂いた後
自分にとって不思議なことが翌日、つぎつぎに起きました。
先生を空港へお送りした、その日は日曜日でした。
長男が少年野球をやっていて、その父兄の数人と少年野球の子どもたちと焼肉パーティをしていました。

雑談しながら食事をしていたが、そのときは、とても心が精妙でした。
日頃、あんまり話したくもないな~、とおもっていた親もいっしょだったけど、そのときなんにも相手に対する感情、思いは無かった。ただ、ただ、心が シーン としていた。
食事中、いっしょうけんめい話していたから、そのとき意識していなかったけど、後から気づいたことだったが、話している最中、自分の胸あたりに
白く 丸い 円盤のようなものがある、という感覚がありました。
感覚であって、目に見えたわけではないが確かにあった。
いまでも、それをくっきり思い出すことができます。
でもそれは、心というものが形として見えたのだろうか? よくわからない。

その後、食事が終わり、皆さんと各自、自分の子どもを連れて解散しました。

家に帰って、家族が寝てしまった頃、夜遅く風呂へ入った。
風呂に入っている時、先生が仰っていた言葉を思い出しながら
自分の手のひらを見ていました。そして、
「ふーん、自分は六親眷属のなかの本体なのか・・・」 
責任重大だな・・・・何気なく思った。
その瞬間、思ってもないことが起こった。
いきなり胸から、突き上げる、とても抑えきれない感情がわいてくる。
自分が自分でないような感じです。
そこに自分がいない様な感じだった。
そしてそのあと、時間にしたら、わずか数秒ぐらいだったと思う。
おそらく頭上の、右上ぐらいから金色の光の線が、数本(5~6本位?)降ってきて斜めの角度で、体に入ってきた。
肉眼で電球を見るように、光の筋が見えたわけではありません。
これも感覚として「見えるように」感じた。
でも、これは錯覚といえば、錯覚としか、いいようがない。
説明がつかない。

そして、しかも、その線の全てには「言葉」があった。その言葉は 
「これから将来の自分には、このようなことが起こる」
「自分は、このように在らなければならない」
と、いうものだった。自分の将来を教えられた。
と同時に「今、入ってきた言葉というものは、全て一瞬に忘れてしまう」
自分も、それでいいんだ。という様な、変な自覚がありました。
本当にその場で、すぐに、あっという間にその言葉、思いは忘れてしまっていた。
感覚だけ残った。

いきなり、自分の中に、自分の考えで思いもつかない言葉。
いくつもの、他の人の思いが目の前で交差し、しかも、ものすごい一瞬の早さでの出来事でした。
こんなことあっていいのかな~と思いました。
自分には無い、他の思いが進入してきた。

ふと我に帰ると、涙ながらに手を合掌していました。
これまで、こんな風呂場で何もないところで合掌するなんて、したこともなかった。

不思議な思いと涙で風呂から上がった。

風呂から上がって寝る前、急に「心行」を読んでみよう、という気もちになりました。
心はそのときも精妙だった。

布団の上で胡坐をかいて「心行」を読み出して、3~4ページ目ぐらいだったと思う。
その時の出来事でびっくりして、どこまで読んでいたのかを、よく覚えていません。
読んでいたら、また胸からこみあがってくるものがあり、だんだん自分の声が涙声になり、気づいたら、いつの間にか声が大きくなっています。
しかも、読んでいる言葉が、外人なまりの日本語みたいになっていた。
びっくりした。そして自分のそばに、だれか、けはいを感じました。
誰かいる。守護霊様だと分かった。
自分に入ろうとしている。入られることがこわかったです。
自分が自分でなくなりそうだった。
本当にこわくなった。
これ以上続けたら、別室に寝ている家族が起きてきてしまう。
変に思われると思い、やめました。
すぐに布団をかぶったら、すぐに寝てしまっていました。

翌朝のこと。
昨晩の一連の出来事を思い出しながら、車で職場に向かっていました。
運転中に、ふと「心行」の最初の出だしが思い出されたので、それを追いかけるように思い出すまま、心の中で黙読していた。
そしたら、またもや、いきなり胸から、こみ上げてくる感動のようなものが突き上げてきました。
もう、涙で 前が見えなかったです。
「これじゃ運転できない、事故にあうからやめてくれー」と思いました。
そしたら そこで涙が止まり それでおわった。

それからは、NHKのラジオから聞えてくる話で、人の苦労話など今までなんにも感動もしなかったような、ちょっとした話しが感動するようになった。  
なんだか、涙もろくなり情緒不安定のような状況が、それからしばらく続きました。
  




[ 2006/10/23 15:31 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

本部講堂の高貴な香り 

2002年(平成14年)4/13 ~ 4/14

この日、初めて本部に行きました。

岸田先生と小林さんが、新大阪駅の中央改札口に、お迎え頂きました。
本部に着いて、信次先生が遺された品や写真集を見ながら、当時のことを雑談を交えながらお話し頂いた。

夕方になった頃だったか、四階の講堂にあがったときの感動は、今も忘れません。
ここが信次先生が、毎月来られて講演されていた講堂なんだ。
いつもビデオで、見ていた現場に来ることができて、うれしかった。
「ここは神聖な場所である」ということを何か、肌で感じます。 

そして、その講堂では、かんばしい香りが漂っています。

今でも本部講堂に行くと、その かんばしい香りがする。
一階から三階までは、その香りはしない。
本部へ行くたびに、その香りは強いときと弱いと感じる時がある。
強いときは、講堂の中に入ろうとするときに入り口や窓から、中の香りが漂ってくることもあった。 
線香と、何かの花を混ぜたような香りだ。

いつだったか、講堂の鏡の前で禅定しながら、ちょっと一息のつもりで香ってくるその匂いのもとを探してみたが、分からなかった。
花をいけてあるが、そこからくる香りではありません。
どっかに、お香か線香があるかも・・・と思い、探してみたが無かったです。
どこか、一箇所から匂ってくるのではなく講堂全体から香っているようです。

本部での友人である黒田さんや西村さんに、そのことを聞いたことがありましたが判らなかった。
西村さんが言うには、それは霊感で匂いをかいでいる、と言われました。
霊感??? ほんとかなー。??  
誰でも匂うと思うのに・・・??? 

今、ワープロを打ちながらでも、そうだが、その匂いというものは
思い出したくて、思い出そうとしても、思い出せない。

でも、一度きりであるが、こういうことがありました。
いつだったか、塾で禅定しているときだった。 
本部講堂のことを思い浮かべながら、自分がそこにいるイメージをして、光をうけた。
それから、じっと心を静めていた。
そしたら座っている自分の胸元から、あの講堂のかんばしい香りが 
ふっ、と わいてきた。
およそ、一秒か二秒間だった。そのときは嬉しかった。
本部に行けたようでした。

これは錯覚ではなく、はっきりと自分の鼻で匂った。
自分のこんな体臭とは、まったく違う高貴な匂いです。

なんだろう。不思議といえば、不思議だった。





[ 2006/10/23 15:47 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

心の中に太陽があった 

2002(平成14年) 5/4

前日から友人と二人で 海辺へ禅定に行きました。

この日は、あいにくの小雨が降っていた。空は、海の彼方から 
そこに座っている上空まで暗い雨雲でどんよりと覆いつくされていました。
五月であっても、まだ海辺は、ちょっと寒かったです。
透明なレインコートを着て、寒さで少しふるえながら遠い水平線を時折眺めて、波の音を間近に聞きながら砂に胡坐をかいて禅定していた。

禅定だから当然、目を閉じています。
じっと目を閉じて(中の目は開けて)いました。 

しばらくして、突然に目の中(前)が赤く広がりました。
次にオレンジ色になり 
すると今度は、全体が黄色になった。
そして小雨にもかかわらず目の中で、左上の方から太陽のような日差しが照りつけました。

雲の合間から日が照ってきたのかな・・・と思って目を開けて空を見たが、空全体が ねずみ色で、どこにも太陽はなかった。

またすぐに目を閉じれば やはり日差しが見えました。
その日差しには、温度があった。暖かみがあった。

この経験を通して
人の心の中には誰にも「太陽が存在する」ということが実感できました。
不思議な体験をしました。





[ 2006/10/23 15:51 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

西村さんと初めて対談した時のこと 

2002年(平成14年)5/11~5/12

本部の春季研修に参加。

5/11、この日に初めて西村さんと対面する。

今も本部に行くたびに黒田さんとともに、お世話になっています。
すばらしい法友ができて本当に感謝しています。

以下、その時の対談した内容です。

本部2階 応接室にて初対面。挨拶する。
西村さんは私の顔をずっと眺められていた。
そして岸田先生は、
ゆっくりと、お二人でお話ください、といわれた。
そのあと岸田先生が応接室を出られる前、西村さんが突然、岸田先生に
本部長、こちらの方はインドの方でしょう。
全て話ししてもいいんですか。
と、たずねられた。 
岸田先生は、かまいませんよ。
と仰られた。そして部屋を出て行かれた。

西村さんは突然私に、またいわれた。

わたしは、あなたを 10年間あらわれるのを待っていました。
あなたのことです。
と、いわれた。
何のことかさっぱり分からなかったが、急に胸からこみ上げてくるものが何かあり、涙が出そうになったが、こらえた。
どういうことでしょうか? と私がたずねると
本部長が以前(平成元年頃)、
10年ぐらい経ったら、あなたと非常に縁の深い人が現れる・・・。
ということを聞いていました。会えるよう、念じていました。
それが あなたです。
といわれた。

西村さんは、セキを切ったような話しぶりだった。
わたしは、また胸元がこみ上げてきて涙が出そうになった。
それを、たびたび話中に経験した。

そして
あなたは、もう少しで霊道が開けます。
あなたと私は、死んだら同じ世界に行きます。
魂の意識のレベルはお互い同じだ。
ということをいわれた。

インドのときは、わたしは(西村さん)カピラバーストの周辺で子どもたちの世話をしていました。そのときの親しい間柄です。
と、このようなことを私に言われた。
私(西村さん)は当時、比丘尼であり、私(西村さん)の本体は女です。 
と、いわれた。

私は驚いて、
あなたの魂の段階は、どのへんですか?と、きいたら
神界の上段階です。といわれた。
そのとき私は
わたしも岸田先生から神界といわれました、と答えた。
その後、塾の仕事や憑依霊を見たことの体験談をされた。

西村さんには仕事の都合があり、その日は長く話しができず、そこで握手をして別れました。

本当に不思議な人だった。
なんで、初対面の人を前にして、いきなり何度も、胸から突き上げてくる思いが出てくるのだろう。
よほど、ご縁があったのかもしれない。そのとき、そう思った。
そしてその後、思い出したのは、
この年の2月、福岡県で岸田先生達をお迎えして、初めての集会をしました。
その集会の休憩の合間だった。
庭先で岸田先生とタバコを吸いながら
「田中さんに非常に縁のある人が本部にいます。今度紹介します。」
と話されていた。 
その方が西村さんだった。
岸田先生は、西村さんと私と過去世でご縁があることを、ちゃんと知っておられた。 

西村さんと対談の後、私は
近いうちに「異言」が出るだろう
と、心の中で不思議と感じたことでした。
そして後日、それが現実となりました。





[ 2006/10/23 16:33 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)

日常生活での瞬時に湧く思いを観る 

過去のことを反省することは、とても大事だ。
反省の功徳とは何だろう。
心に歓びがあり、過去の失敗と似たような場面に遭遇したら、できるだけ二度と同じ過ちを おかさない自分をつくることだと思う。

今の自分はどうだろうか。
一瞬一瞬に、わいてくる思い。はたして心は精妙であるだろうか。
本来の素直な心に、本当に忠実だろうか。
中道を逸脱してはいないだろうか。

聞くこと一つとっても自分にとって、耳ざわりの良いことを聞けば、すぐ喜びうかれる。 
いやなことを聞けば心の中で、表面に出さなくても一瞬、相手に反発の心を確かに持っている。
このままでは心が右に傾き、あるいは左に傾きで安定しない。

やっぱり、その時々の心の状態を真剣に観察することが大事だと、つくづく思う。

念じるということは目的意識がある。
間違った念を持つことは危険だ。
しかし、その前に大事なのは 
今、ものを見て 
今、人から話しを聞いて 
あるいは 一人でいるときに
ふと湧き上がる思いに自分の心がどう動いたか・・・。
を観察することだと思う。
「八正道」では、まず「正見」が先にある。
そして「正思」、「正語」となっている。
やっぱり見て、聞いて、自分がどう反応するか。
それを、しっかり見極めよう。

見たこと、耳にしたこと、などの出来事に対して
自分の心が、どう動くのか。

最初に反応するのは
感覚である。
同時に感情がわく。
そうすると相手に対して
どう思考するか。
それには意思がついてくる。
そして行動(アクション)となる。
最初に反応して行動(または言葉として)する。
心が向いたほうに素直に行動となれば、まだ良いが
自分を違う方向、偽善者の方向に向いてしまうことがある。

その間、わずか2~3秒ぐらいである。
  
一瞬一瞬を素直に、見極めたい。




[ 2006/10/24 14:42 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

想念レベルの段階分け 

今日、少し早起きした。
いつも通りベランダに出てタバコを吸う。
下の原っぱの草を見ると、さきほど出てきた太陽の光を浴びて朝露にぬれた葉っぱが、五色の光を放っている。 
美しく光を放つ水玉に時間を忘れてしまいそうだ。
自分の心も、この水玉のように光が放てるような人間になりたい。 
心からそう思った。

すると、想念レベルが 1+ を感じる。
しかし、時間が立つにつれ、あれこれと考えるうちに 0 になった。
微妙な自分本位の気持ちを持ってしまった結果のような気がする。

今、ワープロを打っている段階では 0 だ。

もし、書き込みしているときに -1 に近づいていると感じた場合は
即刻、今書いた、あるいは書こうとしている書き込みは、やめだ。
心のどこかに本来の、今の自分の心に正直になっていないからだ。

以前に、ある方から頂いた資料によると、想念のレベルを七段階に分けてある。
想念の段階分けは、おもしろい。
自分もそれを応用して自分なりに分けてみる。


レベル 2
レベル 1(三段階)
レベル 0   
レベル -1(二段階)
レベル -2 
の八段階。


レベル 2
  
岸田先生から光を入れていただいたときに 
深く心が精妙になった、あの状態。


レベル 1

レベル 2 まではいかないが心から精妙な振動を発しているとき。

  1+++   2 に、かなり近づいた状態。

  1++   精妙な波動を感じる状態。

  1+    若干ながら感じる状態。


レベル 0
精妙さを感じないとき。



レベル -1

   -1+  波動がちょっと微妙に荒く感じるとき

   -1++  波動が荒い、と感じる場合。


レベル -2
危険を感じる状態。





[ 2006/10/26 14:28 ] 随 想 | TB(0) | CM(0)

自分の口から 初めて出てきた異語 

2002年(平成14年) 5/14 (火曜日)pm 2:45 塾にて

この日この時は、忘れられない。

1975年 関西新年講演会の信次先生の講演ビデオの「現象」を見ていて
ついに、自分の口から「異言」が初めて出ました。


最近は信次先生のビデオをあまり見ていないが、この頃はよく見ていました。
ジャブジャブの練習の前後に見ていました。 
後から、知ったことだが 1975年の関西新年講演会では信次先生から発する金粉が、今まで以上に多く飛んだそうである。
信次先生の周りだけではなく、本部講堂の入り口の所まで金粉が飛んでいた、ということだ。

その、信次先生の「道」という演題で講演を見ているとき、いつもより信次先生のお話が、言葉の波動が自分の心に伝わっていた。
見ながら時折、自然に涙がこぼれて涙を拭きながら見ていた。
そして今までにないような、心が深く静まりかえった精妙になっているのを感じた。
体、全体が熱くなっていた。
「現象」の場面になった。
三回、「異語」が出た。

最初は護摩堂さんグループの現象のときでした。
若い娘さん達が、イエス様の当時の賛美歌を歌ってあるときだった。
涙ながらに、自分の胸からこみ上げてくる何かを押さえきれなくなり、
口から二言、三言、言葉が飛び出した。
日本語ではない言葉だった。
とてもうれしかった。 
守護霊様と一体になれた。

それから、護摩堂さんのグループの後、京都 石山寺の女性の方で
インドの当時、ウバラ・バナー といわれる方の現象が始まったときにも、出た。

そして、その ウバラ・バナー といわれる方が、
信次先生が天上界でされた「昭和43年11月23日のご講演の話しを聞きました。」
という内容のお話しのときでした。
自分は、たまらない勢いでテレビの画面に何かを、異語でうったえかけていた。
しかし、何を言っているのかは自分では分からない。

もう、涙が止まりません。 
すぐに電話で岸田先生に報告しました。 
喜んで頂きました。
岸田先生への感謝の思いで、いっぱいでした。

 



[ 2006/10/26 15:49 ] 回 想 | TB(0) | CM(0)
  1. ..
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