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古い民家 

民家

これは昭和初期頃までの、お百姓さんの民家と小屋を再現したものです。
この民家の周囲は四方をクリークで囲まれています。
階段下に見えるのは、水面に葉を広げるホテイアオイという植物だそうです。

建物はご覧の通り、わら葺屋根です。
建物の中に入ると、いろいろと懐かしい道具がありました。
私も百姓出身ですからっ。笑!

いくつか私が印象に残ったものをアップしております!




むしろ編み機前面

民家のたたき土間には、むしろを編む機械が据えられていました。
奥の方に、むしろが少しずつ下から出来上がっています。
むしろを作るときには、手前の丸いハンドルを回すのでしょうね。
こういうハンドルは、すごくレトロチックです。




むしろ編み機後ろ

これは同じ方向で後ろから見たところです。
今はあまり見なくなった「歯車」がついています。




家の中で目を引いたのはこちらの箪笥。

箪笥

私の古い頃の家にも、同じようなものがありました。
おばあちゃんが箪笥をよく磨いていました。
毒渋という柿があります。普通の柿の実よりも、ずいぶん小さい渋の強い柿です。食用ではなかったと記憶しています。
それを煮詰めて、雑巾にぬって磨きます。すると木目に赤黒い艶が出ると聞いています。




これは「ながもち」の鍵をかける周りの装飾金属です。

ながもち箪笥の鍵

うちにあった昔のながもちは、こんな上等な金具は付いていませんでした。
きっと貧乏だったんだね。笑!




民家は、このような幅広いクリークで四方を囲まれています。

クリーク

そのため一枚目の写真の右端に少しばかり見える木製の太鼓橋が何ヶ所かに渡してあります。写真では一面クリークが葉のみで覆われているように見えますが・・・
ところどころにホテイアオイのかわいい花が咲いていました。




ほていああい

ホテイアオイの花。葉と葉の間にひっそりと顔を出しています。笑!




池の傍に咲いていた花

この花はクリーク脇の土手に咲いていました。
花の名前は何だろう。笑!



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携帯写真はこれまで、一年ぐらい撮ってきました。
以前からちょっと不満でした。爆!

こちらは新しく買ったコンデジで撮影しました!
携帯写真は、もう卒業です。爆!

ご覧頂き、ありがとうございました。

初めてのコンデジで撮って携帯と大差ない写真。汗!
恥ずかしいので(笑)コメ欄は閉じさせて頂いております。m(_ _)m ペコリ


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テーマ : 昭和の匂い - ジャンル : 写真

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[ 2008/09/01 21:43 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

ひとりごと・・・ 

― 職場に向かう途中の風景 ―


連立高圧線


高圧線が連立しています。




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・・・なんだか似てるぅ~♪
爆!

029.jpg

マジンガーZと同じくらいよく見ていたロボットアニメ。笑!





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[ 2008/09/04 12:38 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

煉瓦 renga2 

飽きもせずに、また昭和の煉瓦作りの建物・・・。

廃墟




やっぱり煉瓦の、この渋い色に惹かれます!

レンガ側面1

(クリックで拡大できます。もう一度クリックすると戻ります)

煉瓦に這っているのは、西洋的!なツタとは違うようです。 残念。(意味不明!




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:::::::::::::::::::::::::::::::::




芙蓉1




芙蓉

二枚の同じ花は不要だね。爆!





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[ 2008/09/08 13:57 ] 随 想 | TB(0) | CM(12)

the bridge 

下からもぐって

これは何だと思います?!

今回も職場へ向かう寄り道シリーズ!です。笑!
久留米から佐賀市に向かうルートを今回少し遠回り。大川市を通って来ました。

福岡県大川市といえば・・・すぐに思いつくのは家具の町。
その業界は、今はまだまだ景気が悪そうです。
そして昭和の歌謡史を代表する作曲家、古賀政男を輩出しています。

♪小倉生まれで玄海育ち 口も荒いが 気も荒い
  無法一代 涙を捨てて 度胸千両で生きる身の
  男一代 無法松♪


ところで、有明海に向かって大川市に隣接して、水郷・柳川市があります。
福岡県柳川市もあの、北原白秋の出身地です。
柳川市は次回、機会があったならば、どんこ舟などを紹介いたします!





宙吊りの床

こちらも一枚目と同じ、上にそびえる橋! を見上げているところです。
これは橋です。

二枚目のこの写真の下のほうに窓付きのボックスみたいに見えるものがあります。
橋の床です。太い何本ものワイヤーで床を一時、持ち上げているシーンです。
橋の床が宙に浮いていますのでその間は通行止め。(現在は歩道ですが)
渡るのを急ぎたい人は、長いサオを使って棒高跳びみたいに飛んでも、この距離では不可能かと思われます。じっと待つしかないもようです。





正面から

その場から離れてみると、こんな橋です。





案内板

クリックして頂きますと大きく読むことができます。
再度クリックしますと元に戻ります。





側面斜め前

案内板のとおり、これは筑後川昇開橋でした。
昔、旧国鉄で大川と佐賀間を汽車(電車)で往復されていた方にとっては懐かしいものだと思います。

この橋は可動床のそばで、市の職員のおじさんが手動で上げ下げをしてあります。今は船が通るたびにだけ・・・ではなくて観光としてお客さんから要望があった場合とか、定期的な時間で操作してあります。そのおじさんに、いろいろと話を伺ったのですが少しばかり聞きそびれたことがあったのでウィキペディア(Wikipedia)を開いたら・・・

私と同じアングルで撮っている写真がありました。しかも浮いている船まで同じ。笑!
この船まで観光の目玉なの? 爆!
私がその写真をパクッて、このブログに載せたわけではありませんので!
似たようなアングルで撮る人いるんだね。(≧m≦)ぷっ


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蝶

デジカメは携帯とは大違いです。ひっきりなしに移動している動体を撮るのにも、携帯と比べるとすぐにピントが合うのでシャッターチャンスを逃すことが少ないので楽。笑!

しかし・・・蝶が舞っていると、どうしても追いかけたい衝動にかられます。
子供じゃあるまいし。笑!





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[ 2008/09/09 00:00 ] 随 想 | TB(0) | CM(14)

それでも橋には灯 

歩道橋

この橋の周りには民家はなく
深夜、通るたびに人の気配を見たことがない橋





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これからしばらくは、またもや! ひとりごとブログ(笑)が続くかもしれませんが
ヨロシクお願いしまーす。





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[ 2008/09/09 14:36 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

河川敷の深い夜 

筑後川の河川敷ゴルフ場の上に架かる橋です。

河川敷ゴルフ場夜景
(サムネイルですのでクリックして頂くと大きくなります)


ずいぶん以前の昼間、この同じ場所でムービーを三脚に固定して、打たれた瞬間のゴルフボールが宙を飛んで地に落ちるまでの、最初から最後までゴルフ球を追いかける練習を一時期していました。笑!

私の長男は少年野球に入っていました。守備はレフト。
ピッチャーの投げたボールがレフトフライになり、長男が打球を捕らえ、タッチアップで走った走者に向けてキャッチャーへ投げ込む・・・。
そういう場面があった場合に最初から最後まで野球ボールの行方をムービーで、もれなく しかも、できるだけ常に球を至近距離で録る練習です。

野球ボールと比べて、ゴルフボールは小さくて、しかも打球速度と飛距離が全然違うので、慣れるまでが難しかった。笑!


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最近なんだか・・・写真ブログと化しています。(≧m≦)ぷっ

このごろは深夜の帰宅途中は、暗いところに寄り道ばかり♪
昨夜はデジカメを三脚にすえて撮影のモード設定に夢中(笑)で、自分のそばを気づかない内に
警ら中のパトカーが横を、すぅーっと・・・

夜のしじまに、マイクで、いきなり でかい声をかけられてビクッ!としました。 (・・・内心
ビックリするやんけぇー。爆!

もちろん、私は何も悪いことはしていませんっ。爆!
ただ、深夜だから車の往来がめったにないので、少しばかり横着に路上駐車していましたが。

「いけませんよ。こういう停め方は危ないですから」と、おまわりさんに言われちゃいました。
深夜に、こそっと夜景写真を撮るのがいけないのかと、一瞬思ったじゃん。爆!


ご覧頂いて、ありがとうございました。




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[ 2008/09/11 17:45 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

続 : それでも橋には灯 

前々回と同じ橋です。
日を改めて今回は側面から撮ってみました。
なんだか最近の記事は、たて続けに橋ばかり。笑!


側面から

★写真をクリックすると大きくなります!
★もう一度クリックすると元に戻ります。



本当の夜空は、前記事の写真のように真っ暗闇の空でした。
それでは面白くもなかったので、何度かデジカメの設定を試して・・・
やっと、見た目とは違った夜空の色。
やや紫みを帯びた、深い青色っぽい空を写し出すことができました。


それにしても・・・
撮る際の橋への距離や写す角度など、構図が前記事の写真とよく似ています。
続けて同じ構図の写真をアップするなんて・・・
それって芸の無い、ちょっと恥ずかしいことかも。(≧m≦)ぷっ  


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写真をご覧いただき、ありがとうございます。




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[ 2008/09/13 00:00 ] 随 想 | TB(0) | CM(22)

ラクガキ 

近所の小さな公園の小さな遊具へのラクガキ。

ところせましと、かなり書き込んでいます!
おそらく小学生高学年とか中学生が書いたもの。
好きだ~とか、死ね、とか、死にたいとか、不満もタラタラ。
まっ、子供が暇つぶしに書いていることだからね。
でもラクガキは良くない。
目撃した時には、公共施設を汚すことは悪いことだ、と注意したこともあります。


ラクガキ2






しかしその中には、しっかりした? 子供が、ラクガキに対するラクガキを・・・。
もしそれを書いたのを私が目撃したら、ラクガキの注意をすることが出来ないかも。

ラクガキ




ところで訪問の皆さま。高橋信次という人物をご存知でしょうか。
詩集から少しばかり紹介させて頂きます。

高橋信次著 「心のことば」より引用

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

死を急ぐ

空を飛ぶ鳥は
地上に倉をつくることはしない
地上の動物も
その日の生活に満足している
明日の糧を求めて
相争うのは人間だけだ
鳥や動物は
その日の糧で生き永らえている
人は
明日の糧を求めて死を急ぐ
人間よ
眼を開け


[解説]
人の心理は不思議なもので、俗にお金が貯まるとケチになるようだ。なぜだろう。物にたいする執着がつのるからである。イエス様もいわれている。金持ちほど神の道に入りにくいと。
人の心は無限に広いが、物は有限である。さき(昭和40年代)の石油ショックをみれば、このことがよくわかる。物は有限とすれば、一方に偏すれば一方は不足する。優雅に暮らす者があれば、貧乏に泣く者も出てくる。
争いの種は、きまって物への偏重から起こる。古今東西、争いの原因は、たいてい生活擁護からきている。歴史の歯車は平等、公平を求めて動いているが、物中心の価値観から人の心が離れぬかぎり、人と人との争いは尽きないであろう。
そこで、空を飛ぶ鳥を見よと。彼らはその日暮らしである。彼らの生活は、一日一秒の中にあって、決して明日のためという執着がない。執着がないから争いがなく、喜々とした生活が送れる。しかし、人間は明日を思い、明日のために戦っている。明日は今日の延長であり、今日の生きがいが明日につながる。明日に生きる前に、いまに生きる生き方に変えよというのである。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
引用、以上




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これからも少し、多忙が続きそう。汗!
PCの前にゆっくり座れないので、コメント欄は閉じさせて頂いております。
少しの間、ころあいを見計りながらコメ欄を開きます。宜しくお願いします。m(_ _)m ペコリ
もちろん、手が空いたときにはリンク先への訪問を楽しみにしております。



lumix.jpg

ルミちゃんで~す♪
爆!




テーマ : お散歩写真 - ジャンル : 写真

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[ 2008/09/16 21:22 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

お彼岸 

来週は秋のお彼岸ですね。
お彼岸といえば連想する花はやっぱり彼岸花です。
彼岸花は田んぼのあぜ道とかに群生して、あたりを真っ赤に染めているのをよく目にすることができます。

そして昔から埋葬をしていた場所であった、お墓の周りとかにも。
そこで見る花は、なんだか死者の供養を思わせるようなイメージを持ってしまいます。


hibanbana.jpg

雨に濡れた彼岸花。実家の庭にて

★写真をクリックすると大きくなります!
★もう一度クリックすると元に戻ります。


ここまでは写真ブログです。笑!

写真をご覧頂き、ありがとうございました。

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それから・・・汗!
ひとりごとです。
すこし前には、れぃこはん。シエラさん。先日は、ももさんに、ぽんたさん。そして何度も、ぷりんちゃん。それ以前にも他にいらっしゃいます。
せっかく訪問してもらい、自分のヘタな写真や拙文をご覧頂いて・・・

いくら自分が忙しい、自分のブログだからと思ってコメント欄を閉じるのは、改めて考えると自分とブログで仲良くさせて頂いている相手様に対して失礼であり、ちょっとした自分の我儘でした。
それは、あくまでも私だけの思いです。
これからは忙しくても記事更新をしたらコメント欄は開けておきます。
もし、ご覧頂いて感じるものがありましたら、お時間の許される時に今まで通り、ご自由にコメントお待ちしております。
ただ、お返事が今までよりもペースが遅くなるかも知れませんが、その点は宜しくお願い致します。m(_ _)m ペコリ



そして以下、スピリチュアル系になります!

ご興味ございましたら、引き続きお付き合い下さい。



***************************************************



「彼岸」とは「かの岸」とも読めます。
ご存知の方もあると思いますが、彼岸という文字の根拠を少しばかりご紹介させて頂きます。

これはもちろん、仏典に由来する言葉です。皆さんの誰もが、一度は部分的にも聞いたことがある般若心経です。
(テレビドラマ!などの葬式の場面で、坊さんが詠んでいるお経はだいたいこれです。笑)

般若心経の末尾に彼岸について出てまいります。般若心経の末尾をあげてみます。
 
是無上呪(ぜ む じょう しゅ) 是無等等呪(ぜ む とう どう しゅ)
能除一切苦真実不虚(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ)
故説般若波羅蜜多呪(こ せつ はん にゃ は ら みつ た しゅ)
即説呪日(そく せつ しゅ わっ) 羯諦羯諦(ぎゃ てい ぎゃ てい) 
波羅羯諦(は ら ぎゃ てい) 波羅僧羯諦(は ら そう ぎゃ てい) 
菩提薩婆訶(ぼ じ そ わ か) 般若心経(はん にゃ しん ぎょう) 



ではここからは、私が以前に親交させて頂いた、岩手県にお住まいでありました故田口恒勇氏が作成された冊子を元に引用させて頂きます。
この冊子の冒頭には、高橋信次先生の原説般若心経の続編であると記載されています。

(※『原説般若心経』の著書とは別に、当時の月刊GLA誌で連載されていた文章を、故田口恒勇氏が冊子にされたものです。)


高橋信次先生のことばによる「序文」、最後には「あとがき」もあります。




「高橋信次先生による般若心経のまとめ」  編集 田口恒勇

―中略―

釈迦は、36才で悟った。
悟ることによって、現象の奥に隠された一切の道理を知った。そうして、よどみなくあふれる智慧によって、多くの衆生を導いていった。36年間の経験だけではこうはいかない。偉大なる悟りを得、心の窓を開き、過去世の集積された経験と全能の智慧が、正法流布の大事業を完成させたのである。

是無上呪(ぜ む じょう しゅ)とは、これ以上のものはないというのであり、
是無等等呪(ぜ む とう どう しゅ)は、釈迦の悟りは他と比較するものがない、という意味である。
能除一切苦真実不虚(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ)とは、生老病死という一切の苦しみから解き放たれ、それは中身のある真実なものなのだ、とここではいっている。

釈迦の悟りは、余人は近づけない。経験しないものはわからない。わからないだけに、第三者はつい、疑ってかかる。
そこで般若心経は、その境地を、いたるところで繰り返し述べている。本物はこっちだ。迷ってはいけない。釈迦の悟りとはこうだよと、その半分近くの文字は、悟りの中身をさまざまな角度から述べているのである。

羯諦(ぎゃてい)とは古代インド語でガーテというが、この意味は「岸」ということである。
釈迦は、ガンガー(ガンジス)の川を背にして、よく説法をした。また、説法の中に、人間の苦悩と悟りを、川をはさんだ両岸をたとえて話した。

中インドから北にかけて、文明が栄えた。古代でも哲学、文学、技術、科学の分野が進み、東西両文明に影響を与えている。ことに冶金、天文、医学、数学などの諸分野は、世界的水準に達しており、五世紀頃には代数が発達して、ゼロ、負数、二次方程式などが考案され、十五世紀には微分、塁乗級数展開などが考案され、西洋文明に大きな影響を与えたのである。
また舞踏や音楽なども、その一つだろう。
ところが当時のインドは、カースト制度がきびしく、こうした文明に参画できる者は、ほんの少数の人々であったのである。
このため、大部分の人は無学文盲であり、ゴーダマ・ブッタ(釈迦)は自然の状況をとらえて、説法していったのである。
またブッタ・ストラー(釈迦の法)は、大自然の法が目的であり、「自然と人間」との関係を明らかにするのが根本なので、学問に関係なく、誰にも理解できた。
しかしもともと学問そのものも、「自然と人間」を知る手だてとして盛んになってきたものであり、芸術や文学も、自然や人間を、いかに客観的にその真実を表現するかにあるのであり、したがって学問があろうとなかろうと、人間であれば、ブッタ・ストラーは理解できるものであった。
現在のインドは六月から十月が雨期に当たり、十一月から五月が乾期になる。三月から五月はいわゆるモンスーン気候といわれ、暑熱の時期に入るようだ。
当時も、雨期ともなれば、ガンガー川は満水となり、対岸に渡ることができなくなる。
人が住み、平地の多いこちらの岸は、雨期が半ば過ぎになると食べ物が少なくなり、食糧難に陥ってくる。
対岸である彼岸は緑が多く、マンゴの実や他の果物が沢山なっているが、川が増水しているためにそれを取りに行くことができない。
ブッタは、それをたとえて、こちらの岸を苦界とよび、対岸である彼(か)の岸を悟りの境涯として説いた。
また川の水は深いところは静かに流れ、浅瀬は流れが激しく、ざわざわしている。
人の心も、五官にとらわれると雑音が激しく、落ち着きがなくなる。深い心、つまり潜在意識に同通している人の心は、守護・指導霊の導きがあるので、諸現象の動きにまどわされることなく、平静であると説いた。

クシナガラの地で、八十余年の生涯を閉じようとするブッタの下に、シュバリダというバラモン教出身の最後の弟子がみえる。
そのときブッタは、シュバリダにこういった。
「グリグドラクターの修行場は天変地異によって大きな亀裂を生じ、幾日も幾日も豪雨に見舞われた。その裂け目に雨水が流れ込み、川となった。片方の岸は広々と開けていたが、一方の岸は峻厳(しゅんげん)な山にさえぎられ、逃げ場を失った動物達が右往左往していた。一匹の巨象が広々とした向こう岸に渡ろうとあたりを見まわしていた。巨象はしばらくたたずんでいたが、遂に裂け目に我が巨体をすべらせ、己の体を橋代わりにして、小さな動物達を救った。巨象は力尽きて、自らの巨体は裂け目の底に沈んでいった。いま、自分は四十五年の間、迷える衆生にいろいろと悟りの道を説いてきたが、さらにこの老体を足場として悟りの彼岸へ導いてやりたい」
言い終わると、ブッタは静かに瞼を閉じた。
ブッタは、最後の瞬間まで自然の中で生活し、人びとに慈悲を説いたのである。
神の心は慈悲である。慈悲の心は衆生済度の心しかないのである。
私たちは、地球という大神殿、つまり神の体のなかで生活している。地上という大地も、水も、空気も、陽の光も、私たちに生きるに必要な環境を、神は無償で提供している。この事実を知らなくてはなるまい。この事実を悟らなくてはいけないのだ。


羯諦羯諦(ぎゃ てい ぎゃ てい) 波羅羯諦(は ら ぎゃ てい) 波羅僧羯諦(は ら そう ぎゃ てい) 菩提薩婆訶(ぼ じ そ わ か) 般若心経(はん にゃ しん ぎょう)

「岸だ、岸だ、向こうの岸に到達するのだ。仏弟子達が向こうの岸へ到達し、悟りに達すれば、すべてが調和され成就する。調和の姿こそ般若心経なのだ」

仏弟子というと特殊な階級を意味するが、本来は地球人類を指している。
特殊な修行をし、行を積まなければならないというものでは本来ない。
行を積むという意識は、人間が長い転生輪廻の過程において積み重ねた業があるために、神の子の自分を忘れた考えから生ずるそれが言わしめるのである。

彼岸とは、神の子のふるさとである。そのふるさとを忘れているのである。
正法は誰のためでもない、皆自分のためにあるのだ。
仏教というと堅苦しく、難しいもののように聞こえるし、実際に中国を経て来た経文を見ると、たしかに何が書いてあるのか解らない。
解らないはずである。そのほとんどは梵語が漢字の当て字になってしまったため、文字の解釈を追及すると何をいっているのか、迷路にはまりこんでしまうからである。



※続きは次回に更新します。

その続きとは「彼岸」のことばの意味からすれば少しばかりかけ離れますが、高橋信次先生が書かれたものをブログで紹介させて頂く目的です。

長文をご覧頂き、ありがとうございました。



テーマ : 季節の花たち - ジャンル : 写真

タグ : GLA誌に連載:般若心経解説



[ 2008/09/17 18:55 ] 随 想 | TB(0) | CM(14)

cat & rails 

ある陸上競技場事務所の入り口。
コンデジを買ったばかりでしたのでネコちゃんは、すべてオート撮影です。
カメラを試すために、気持ちよく昼寝していたネコちゃんをカシャカシャと!
しかし・・・そこに寝ていられると受付のジャマですがっ。
っつうか、ネコちゃんにとっては私が昼寝のジャマのようでした。

cat5.jpg





わっ、逃げられた! 追跡っ。
 
cat6.jpg

ネコは走る。私も追っかけて走る。
カメラを持って走りながら、走る物体!を写すのは難しいです。失敗写真。
胴しか写っていないので、どうしようか迷いましたが・・・





追っかけて、追いついた先は水たまり。

cat2.jpg

何か用か にゃ~ん。 あんたもしつこい にゃ~ん。





なんと、水を舐めはじめちゃいました。汗

cat.jpg

のどが渇いていたんだね。





それで満足したのか、毛づくろいのなめなめ。

cat4.jpg

しつこく私はネコちゃんの動作をカメラでカシャカシャ。





しまいには、こんな顔されちゃいました。

cat3.jpg

わかりました。もう撮りません。。。
そこで私はネコちゃんとは、bye bye 。


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_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/



前回の お彼岸 にある、 「高橋信次先生による般若心経のまとめ」  編集 田口恒勇 
の続きです。
ここからは長くなります。
関心ございましたら、ご覧ください。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


しかし仏教とは釈迦の説いた教えであり、それはまた自然の成り立ち、理法をいっているのであり、求める心さえあればどんな人でも理解できるものである。
肉体人間は欲が深く、つい目先のことにとらわれるために、本来自分のためにある仏教、正法を理解しようとせず、これから離れていってしまう。
喜怒哀楽は人間だから当たり前、人間だから病気もする、人間だから悪いこともする、聖人ばかりになったらこの世は味も素っ気もない、という見方をする人がいるが、いったい人間とは何か、である。
こういう考えでは動物になってしまう。動物は本能のままに生かされているので、それなりの生き方が与えられ、コントロールされているが、人間は考える能力を持ち、自由意志が与えられているために、こうした生き方をすると、ズルズルと動物以下になり下がってしまう。
一つの家庭で悩みがない、という人は比較的少ないのではあるまいか。経済的に恵まれている家庭は子どもがいないとか、夫婦間がバラバラとか、子供がグレて手を焼くとか・・・・・・。一見平和に見える家庭でも、ひと度その家の中に入ると、いうにいわれぬ問題をかかえているようだ。
しかしそれも人生、あれも人生ということで、その場その場でツギハギし、みて見ぬふりをしてその日、その日を送っているのが大半の人びとのようである。
人間は生活の歯車が曲りなりにも回転している時は、なかなか正法に入りずらく、縁にふれてもおざなりになってくるようだ。
しかしひと度、生活の歯車が土台から揺れ動くと、こんどは血眼になって慌てふためく。
なぜだろう。欲が深いのだ。もともと・・・・・・。
欲の深さは、何でも手にいれたいというのもあれば、現状に甘んじ、自己陶酔に陥るのも同じことである。
自己陶酔、自己満足、現状に甘んじるというのは、偽我が強いからそうなるのである。
偽我とは、本来の自分でない自分である。

本来の自分は善我であり、それは神の子の自分である。
神の子の自分に立ち帰れば、正法の絶対性と中道の神理については、否も応もなく、これを生かした生活をしなければ、その反した分量だけ苦しみを味わう、ということを知るはずである。
悟りの彼岸は誰のためでもないのだ。みんな自分のためである。
自分を悟れば、この地上界は慈悲と愛によって成り立っており、調和の要は神の姿でもあるので、愛、慈悲の行為を顕現(けんげん)してゆかねばならないということが自覚されてくる。
そうして、己の幸せを他に及ぼして行くというのが正法なのだ。
ゴーダマ・シタルダー(釈迦)は、それを説いた。

当時のブッダは、主に慈悲を説いた。
慈悲とは仏の心だ。
慈悲は至高の大宇宙の心である。
本当の慈悲の心を理解できる者は、ホンの小数の限られた人達だったようである。
ただし当時は、心の中はともかくとして、形の上にそれを表わそうとすれば比較的容易に行えたようである。
インドの人たちは布施心も強く、野や山は食べ物が豊富にあったので、サロモンとしての修行も容易であったし、欲望に打ち克ち、人びとに救いの手を差しのべることもできた。
しかし、自己を宇宙に拡大し、神の心となって、人々の心の中に仏を呼び起こすことのできた人はブッタしかいなかった。

ブッタは、今まさに涅槃(ねはん)に入らんとする時、弟子の阿難(あなん)に答えてこう言った。
「私がこの世を去ったとしても、私を思えば、私はその人の心の中で生きている」と・・・・・・。

神と仏は、この大宇宙に、そして人びとの心の中に、生き通しの大光明であり、絶対にして唯一つの大生命であり、言葉を変えれば、それは慈悲そのものであったのである。
慈悲は、法であり、大自然であり、万生万物に調和を与える神の大生命であった。

釈迦滅後、五百年の後に、イスラエルにイエス・キリストが愛を説いた。
人びとは釈迦が説いた慈悲の心を本当に理解することが出来なかったからといえよう。
これを理解できる者は、釈迦在世の時代でも僅かだったし、時が経つにしたがって、次第に形骸化されてきたからでもあった。
イエスは愛を説いた。
イスラエルという地は愛を説かねばならぬ土地柄でもあった。
インドと違い、砂漠が多く、緑が少ない。支配者と被支配者が雑居し、被支配民族は、その日暮しの生活であった。貧しい多くの人たちは、明日に希望もなく、救世主を待ち望んでいたのである。
そうした環境の中で人々を救うには、相互扶助の愛を説かねばならなかった。
地上に人類が増え、限られた土地と多くに人間が生きていくには、相互に扶け合う、人類はみな兄弟という愛の行為しかないのである。
愛の教えは今日、全世界に伝わり「聖書」は、かくれた永遠のベスト・セラーになっているのも、もとはといえば愛の行為は人間的行為に帰着するからである。

愛の心、愛の行為ならば、誰でもできよう。
この地上界は、いろいろな魂を持った集団社会である。
男女の別、能力の別、体力の別・・・・・・。すべてが相対的であり、さまざまである。
そうしたさまざまな魂が共に同じ場で修行し、調和という神の意思を顕現してゆくには扶け合い、補い合う強調協力の相互関係を欠くことはできない。
自分さえ良ければよいとするエゴイズムは地上界の人間を含めた、与えられた慈悲の環境を破壊するものであるからだ。

釈迦が遺した仏教が今日、東洋の限られた人々にしか伝わらず、イエスが説いたキリスト教が全世界に広まったのも、慈悲の心は神に直結し、近寄り難いし、愛はもともと地上の光であり、横に広がる性質を持っているからである。
慈悲も愛も、ともに神の光であることには変わりない。
しかし肉体をまとった人間にとって、どちらが親近感を覚えるかといえば、愛であろう。
慈悲といい、愛といっても、その本質を知って、その通りに生きている人は少ないといえよう。
人がこれを実行しようとすれば、恵みを与えることの出来る自分を、まずつくらなければなるまい。
慈悲は神仏の心だとして、盲目的にこれを為そうとすると、自分が苦しくなり、周囲に波紋を起こすことさえ出てくる。
さきにもふれたように、年老いた巨象は多くの小動物を天変地異による洪水から救うために、自らその巨体を岩の裂け目にすべらし、橋代わりとなって小動物を対岸に渡らせる。渡り終えると巨象は力尽き、裂け目深く沈んでいった。
巨象のこうした行為は慈悲の心を知り、自分を悟っていたから出来たのである。巨象以外の他の小動物がこうしたことをしたいと思えば、あたらその生命を裂け目に落とし、その悲鳴にかえって混乱を巻き起こしたに違いない。
この地上界は、相互作用の働きによって成り立っている。植物は動物のために、動物は植物に。草食動物は肉食動物に身を供養し、肉食動物は植物が枯れないように、絶えず死と隣り合わせに生きている
人間だけが植物や動物、あるいは鉱物資源を勝手放題に使ったり、食べ散らかしていいというものではない。
自然界の循環は、すべてに渡って適用され、それは他を生かすことによって成り立っている。
しかし動物、植物の自然界は、巨象のように法を悟って為されているわけではない。このため、相互作用のバランスを、しばしば失い、植物も動物も絶滅寸前に追い込まれることすらあるのである。

人間は万物の霊長なので、こうした不調和な状態にならないよう、慈悲の心、そして愛を持って、調和の範を示してゆかなければならないのである。
それには神理を知った想念と、自覚された行為が自然に出来るように、反省と中道の生活を送るようにつとめなければなるまい。
こうすることによって、やがて巨象のような慈悲の心が広がり、多くの人々を生かす自分に到達できるのだ。

愛の本質も慈悲の心と変らない。愛も人々を生かす行為であるからだ。
助け合い、補い合い、許し合う寛容の心は神の心だ。
自分にあるものを他に与え、人びとの喜びを喜びとする調和にある。
仏の慈悲、神の愛を求める人は少なくない。仏教は経文をあげ、キリスト教は祈りがすべてと考えられている。
ところが仏教もキリスト教も、自ら助ける者に与えられるのだ。
今日、あらゆる宗教が他力に変貌し、偶像崇拝という神仏と人間を切り離した信仰が広まったがために、神仏は人々に救いの『めぐみ』も『心の安らぎ』も与えることが出来ないでいる。
他力信仰が勢力を張り出してくると、偽りの神が人々に憑き、ますます混乱した信仰形態をつくり出してゆく。

仏教もキリスト教も、もともと一つなのだが、全世界に分布されている仏教、キリスト教の教え(分派)は何千何万に及んでいよう。
新興宗教といわれる宗団の経典は、たいていは仏教、キリスト教の教えを食いちぎり、他のものと混ぜ合わせ、もっともらしくつくり変える。
それでは真の安らぎも、救いも与えられようがない。
神理は自力である。神の子の自力に生きている者に、神仏は慈悲と愛を与えて下さる。
自分が中道に適ってくると、神仏はその者に智慧を与え、霊力を与え、奇蹟を与えてくれよう。そうして他の縁遠き者をも救える慈悲、愛の行為が自然に行えるようにして下さるのだ。
般若の境涯は、五体の人間では考えられないような、想像を超えた悦びの世界である。
巨象の行為が自然に行えたのも、その魂は三次元を超えて、安らぎの境地に常に住していたから出来たのであった。
転生輪廻の繋縛(けいばく)から解脱し、大宇宙に行き通しの自分を発見し、人びとに慈悲と愛の光を与えることのできた人を仏といい、如来ともいい、神の使者ともいうのである。
般若心経は、それを語り、仏智の偉大さ、悦びを述べている。

本稿で般若心経の解説を一応終えることにする。



[あとがき]


さまざまな角度から解説を試みて来たが、般若心経は全文二百七十六文字から成り、経文の中でも短い方に属していよう。
しかし、その書かれている内容は、悟りの中身であり、悟りとはこういうものだと説明している。
その説明の仕方はそれこそ、これでもか、これでもかと、くどいように説明している。
これは漢文の性質上そうならざるを得ないであろう。
たとえば・・・色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき) 受想行識(じゅそうぎょうしき) 亦復如是(やくぶにょぜ) 舎利子(しゃりし) 是諸法空相(ぜしょほうくうそう)と書いて、そのあと不生不滅(ふしょううめつ)からはじまって、以無所得故(いむしょとくこ)まで。
ここは是諸法空相(ぜしょほうくうそう)の説明といっていい。
したがって、是諸法空相で終わってもこれらの説明は導き出せるものだ。

もっとも諸法空相(しょほうくうそう)については主観的体験なり、あの世の説明ができない場合は、空相を「無」と見てしまい、すべては無いと考えてしまう。そうでなくとも、不生不滅などの説明があっても色即是空の空を「無い」としてしまう人もあるのだから、人の『意』が加わると、とんでもない方向に解釈が進んでしまう。

同じ中国から伝わった仏教用語でも「諸法無我」(しょほうむが) 「諸行無常」(しょぎょうむじょう) 「寂滅為楽」(じゃくめついらく) は、僅か十二文字にすぎないが、これらの言葉は深遠な神理を端的に表現しており、漢文でなければ、こううまくは、まとまらないと思われる。
私は仏教のことは全くの素人であり、解釈の仕方も仏教哲学を学ばれた方々とは違うかもしれない。
しかし文字も知らない当時の人たちに説いたブッタ・ストラー(神理)は、主に方便をもってしたが、衆生が理解できないようなものは一つもなかった。
そうした意味で、私は私なりに、解説を進めてきたわけである。もし私の解釈に異議のおありの方があれば、そのお説をおきかせ願いたいものである。

般若心経は「般若波羅蜜多」の内容、つまり悟りの中身を述べているが、ではどうすればそれに到達できるのか、ということについては触れていない。
書かれた動機が般若の内容にあったようだが、やはり目的に至る手段も書いて欲しかった。そうすれば般若心経の中身は一段と光彩を放ち、解釈も在来のものとはだいぶ違ってきたと思う。
在来のものは、文字にとらわれ、解説者の意によって進められる。
心の問題は、頭では理解できないものだ。
なぜかといえば、心は次元の異なる世界に属し、その世界を体験し、心と肉体の相関関係を理解しなければわからないからである。

解説はそうした意味で、悟りの中身以外に、手段についても折に触れ加筆してきたが、般若心経の文面だけでは、こうした解釈は出てこないであろう。

日本に到来した経文の数は非常に多いと思うが、何れまた機会をみて、これ以外の経文についても解説をしてみたいと考えている。(終り)


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


前回の記事でこの冊子の「彼岸」にあたる解説の部分を紹介させて頂きましたが、メールにて問い合わせがありました。
「高橋信次先生による般若心経のまとめ」は、いつどこから発表されたのか? 
初めから読んでみたいので、その冊子が余分にあるならば譲って頂きたい。
とありました。私は編集した方に、そのところは聞いておりませんでした。
また私の手元に、この冊子が余分に無いので、お譲りさせて頂くにはまいりません。
このままでは全文からすると中途半端です。
この冊子はずいぶん以前に全容をPCに入力していましたので、高橋信次先生をご紹介させて頂く意味でも、今後引き続き冒頭から少しずつ記事としてアップ致します。


最後まで長文をご覧頂き、ありがとうございました。



_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_






自宅付近の西鉄沿線の踏み切りでは、大きなカーブか直線だけ。
はるか遠くから、くねくね曲がって見える線路を写したい。


rails_20080919183513.jpg

でもコンデジじゃ望遠はムリだね。(≧m≦)ぷっ




タグ : GLA誌に連載:般若心経解説



[ 2008/09/19 19:14 ] 随 想 | TB(0) | CM(13)

GLA関西本部 福岡支部集会のご案内(支部の自主研修) 

GLA関西本部 福岡支部からのご案内です

今般、9月23日(火曜日) 14:00~17:00 福岡県久留米市、石橋文化センター共同ホールにて支部集会を開きます。
GLA関西本部、本部長 岸田先生のお招きはしておりません。支部での自主研修です。
集会内容は、本部研修会での取り組みを紹介しながら皆さまと学んでいきます。また、時間に余裕があれば瞑想についても取り組んでみたいと考えております。
その折、GLA関西本部青年部向けに高橋信次先生が瞑想・禅定指導されたビデオも参考としてご覧いただきながら進めてまいります。
瞑想を予定しているために和室を使用いたします。通常使用している会議室・研修室とは違い、収容人数には、ずいぶん限りがあります。
参加ご希望の方がございましたら私宛、9月20日(土曜日)までにメールにて、その旨お知らせくださいますようお願いします。なお、参加にかかる費用はありません。


タグ : 未分類



[ 2008/09/22 08:21 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)

雨の街中で見つけた、ちょっとかわいい花 

この花の名前は何だろう?

かわいい花2


かわいい花3


かわいい花


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写真ブログはここまで!
以下、スピの分野です。
関心ございましたら、ご覧下さい。読み逃げ、スルー大歓迎!
前記事からの続きです。

今回から、 「高橋信次先生による般若心経のまとめ」  編集 田口恒勇 
の冊子冒頭から転載いたします。



_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/ ̄_/



「編集にあたって」  田口恒勇

私は高橋信次先生に師事し、お側近く教えを受けた者です。
信次先生のお説きくださったことをそのまま伝えたくまとめました。

この「般若心経の解説」は、1972年9月より1973年10月までの間、我々弟子たちにお説き下さったことを纏めたものです。
「原説般若心経」の第一刷が出版されたのが1972年(昭和47年)12月15日です。「原説般若心経」の「はしがき」を11月にお書きになっておられます。
すなわち、この解説は「原説般若心経」の原稿を書き終わるとすぐ、引き続き説かれたものです。
それゆえ、この解説は「原説般若心経」の続編であるとともに、般若心経の要約書でもあり、悟りへの手引書でもあります。
また、お経は総て宇宙の仕組み、天上界のあり方、天上界と人間との関係、意識界、あの世とこの世との関係、この世の人は如何にあるべきかを説かれたものです。
先生の教えを噛み締めますと、お説き下さったことは、総てお経の真髄であることに気づくはずです。
古くから般若心経は素晴らしいお経であるといわれているゆえんも理解できます。
「原説般若心経」さらに「この解説」を読み、理解し、それを日々の考え方に、行為として現わそうとしたときに智者に巡り会ったり、また、心の中から仏智が湧き出てくるものです。
仏智は、神の子として万物の霊長であることを自覚し、気根を正し、心を綺麗にして、善なることを思い、生活に仕事に励んだときに、その人なりに己の心を通して教え導かれるものです。世俗的な表現をすると、気付く、気がする、何となく、等と表現され、またヒント、アイデア等とも言われております。
言い換えると守護・指導霊の導きを得られるのです。

先生の散歩のお供をしたときのことです。私が「今度は大丈夫でしょうね」とつぶやいたことがあります。
先生はすかさず「今度は大丈夫だよ。釈迦のときもイエスのときにも本人の書いたものは何ひとつないからね。今度は本人が本も書いたし、ビデオもテープもあるから、今度は大丈夫だよ。心ある人が見ればすぐわかるよ。」と申されました。

この時の先生の楽しそうなお気持ちが私の心に伝わってくるのです。
このことは「昨日のように」という表現がありますが、私にはそのときのお言葉が今朝のことのように思い出されます。

先生のご遺稿を遺族の方がまとめて下されば良いのですが、信次先生が説かれたビデオテープも販売しなくなりました。
それゆえ、先生の教えを学ぼうとする方は先生の遺して下さった著書、原典をよく味わい実践の糧としていただきたいと思い編集しました。
もし、神の子として人生の使命と目的を自覚し、その使命と目的に対し、日々実践努力しているなかで理解できないことがあったときには、疑問をそのまま自分の善なる心に問いますと何らかのかたちで納得できるように、気付かせて貰えるものです。

―以下、田口恒勇の「編集にあたって」は、略―


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般若心経の解説  高橋信次

「序文」

一般に伝えられ、難解といわれている「般若心経」について解説してみたいと思う。

般若心経は文字にして全文二百七十六文字からなる。文字こそ少ないが、そのいっている神理は人間の悟りを説いている。
「悟り」とはどういうもので「悟る」と人間はどうなるかを、二百七十六文字で語っている。悟りの状態を言葉で表わそうとすると、どうしても無理がでる。受け取る人によって違ってくる。それだけに般若心経の解説は、これまでもけっこう行われてきたようだが、その真意を伝えているものは少ないようだ。

般若心経を書いた人は中国唐時代の僧、玄奘(げんしょう)である。
六世紀の頃、インドに渡り、霊場、仏典を求めて各地を行脚した。
かくして、今から二千三百年ほど前に、梵語によって書き遺された仏陀の教え大般若経を漢訳し、要約したのが「般若心経」である。
それだけに、神理を伝えている。ただ漢文は表現がオーバーで、ややもすると事実を誇張する傾向があるようだ。
いずれにせよ、この経文は、人間の悟りを説いたものであり、数ある経文の中でも、ひときわ際立っているといえよう。


註:中国唐時代の僧、玄奘(げんしょう)とあるのは、一般には玄奘(げんじょう)三蔵、不空三蔵(ふくうさんぞう)ともいわれている方であります。この解説では「玄奘」(げんしょう)と、かな付けされました。(編者)


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この続きは次回にアップいたします。
次回からは本文に入ります。

ご覧いただいた方、ありがとうございました。



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真夜中の鉄塔

tetto2.jpg

しつこく、こんなものを撮っています。(≧m≦)ぷっ





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タグ : GLA誌に連載:般若心経解説



[ 2008/09/22 14:02 ] 随 想 | TB(1) | CM(16)

彼岸花 白! 

実家の庭に咲いていた、白い彼岸花。
どちらかというと、クリーム色に近い白色です。


P1010427_convert_20080924121105.jpg




こちらは近所にある橋を深夜に撮りました。
今までの中で一番、背景を青っぽく写すことができました。
クリックしていただけると拡大できます!

橋2


今回は写真ブログだけ!

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[ 2008/09/24 12:18 ] 随 想 | TB(0) | CM(4)
  1. ..
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