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感情のコントロール 1 

久しぶりの記事更新です!

このブログをご覧頂いている方は、おそらく高橋信次先生の教えに感銘された方々であり、信次先生の説かれた事柄を生活の中に実践したいと、熱心に求道されてあると思います。私もそうです。
私は先月までに、事務局に所属していたGLA関西本部から離れました。
私自身、新たな気持ちで再出発です!!


共に信次先生の教えを身近なところから実践していく話し合いの仲間を募っています。
信次先生の教えは理解できても、実際に、何をどうしたら良いのか解らない方でも大丈夫です。一緒に学びましょう。
皆さまご存知のとおり正法は、自分と周りの方々が、人間らしく今以上に幸せになるための己自身の改革です。それは他人ではなく、己自身しか自分を扱うことはできません。しかしながら一足飛びで出来るものではありません。地道に何度も繰り返えす忍耐も必要です。
しかし反面、切磋琢磨という言葉もあります。一人で学ぶより、皆様のいろいろな意見や体験を通して糧になるものが在るはずです。

皆さまそれぞれ経験されていることですが、とてもシンプルな例ですが・・・正法実践、信次先生の教えに沿うとなると、出来事に対しての行為、あるいはその時々の心の傾向性などを振り返り、まずは反省ということを私達は考えます。
でも、何度も何度も反省はすれど同じことを繰り返してしまう・・・。
私もそうです。そうすると、どうやったら同じ事を繰り返さずに一歩前進できるかを考えるでしょう。人から何か、うらみやねたみによる、そしりを受けたとします。受けるには受ける側にも原因はあります。
その原因を探すのが反省になります。反省になりますが、反省して次からは人から何もうらみやねたみによる、そしりが無くなるでしょうか。
永遠に無くならないはずです。この世界は生まれてくる前の、自分と波長が合ったそれぞれの段階の天上界ではありません。
イエス様であっても、まったく、いわれなき、そしり、罪を受けて十字架の露となられました。しかし、それをも赦すイエス様の愛の懐の深さ、重みは計り知れるものではありません。
人は誰しも、イエス様ほどでは無いにしろ、90%の潜在された意識の中に、その同通する輝き満ちた心が在るはずです。
言わずとも、その心を開発するのも正法ですね。
そしる・そしられるというのは心の表面のあやまちに過ぎません。受ける側は相手を憐れみ、そのあやまちを抵抗無く軽く流せるくらいに赦すという自分の心を育むことも大事です。まずはそこに気付くことが大事です。簡単な例でしたが。

自分自身で実感として気付き、導いたこの結論を人に話すと、
「なんだ、そんな単純なことですか。それは何回も正法の話では聞いている」
と、言われるかもしれません。
でも違いますよね。当然の話ですが、結論を正法で聞いて納得したことと、自分自身が反省して、そして何かに気付いて何度も挑戦して失敗を繰り返し、どうしたらいいのかと考え求めて出た答え・結果は貴重なものです。いかにその経験を少しでも多く積み上げるかです。その考えを求めているときの苦しさは一口では言い表せないです。でも心の中であれこれと考え、苦しみ、やっと得られた答えは喜びも表しようもないものです。これは心に深く刻まれます。その時に次に同じような局面に立ったときに、例に出しました、そしりなどに赦し耐えられる心境が出来上がります。とっても当たり前ですが、そこが頭だけでの理解と心に刻んだ理解は違います。それには繰り返し検証しながら地道な実践と忍耐が必要です。自分は実践するんだと、そのときに真剣な思いがあっても、時間が経つと、やはり誰でも、一人でやって行くには心が折れそうになります。
そういう意味でも大阪近隣の皆様と、初歩からの反省・瞑想、身近な実践方法などを共に学んで行きたいと願っています。


共に学ぶということではなくて、ご意見でも何でも結構です。
お気軽に メールメールお待ちしております。




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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

タグ : 未分類



[ 2010/10/22 12:37 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

感情のコントロール 2 

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↑↑ 使用方法というか、利用方法がよくわかりませんが・・・汗!
とりあえず、置いてみました。
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前回はとっても久しぶりの記事更新にメールを送って下さった方々・・・
ありがとうございます♪

前記事の続きです。今回も拙意でありますが、信次先生がその当時の月刊GLA誌に書かれた以下「止観」を読みながら、ふと思ったことを述べてみたいと思います。私流の解釈ですが・・・。


「止観」

この言葉は天台大師が使った。
その意味は簡単にいえば「止(とど)まって見る」ということである。
つまり、想いを静め、反省をこらすことによって、これまで五官でとらえてきたさまざまな諸現象が心で見えてくる、正しく判断できるということだ。
止観(しかん)についてもう少し分析してみよう。
止観の止は観を止(と)めるということだから、物を見る前提である想念をまず止(と)めねばなるまい。
したがって、止とは想念を止(と)めることになる。
しかし正法・仏教は現実否定の虚無主義ではない。
現実に生き、躍動する生命の在り方が目的だから、五官に振り回されず正しく生きることであり、この意味から、止(とど)まるとは正定(しょうじょう※釈迦が説いた八正道の中のひとつ)を通してこれまでの生き方を反省するということになる。
つまり、次に止観の観が続いているので、反省を通してこれまでの誤った想念の動きを正しく軌道修正し、その結果、正しい見方が生じてくるということだ。
止観の観はこの意味から二つの働きを指している。
一つは、反省のための働きと、その結果の働きである。
こうみてくると、止観の文字は大変な意味を含んでいることになる。
それは心の安らぎ、不動心をもたらす智慧である。
智慧の涌現(ゆげん)は、反省の正定を通さぬかぎり期待できないということである。
人間の行動の七、八割は感情によっている。
怒り、憎しみ、嫉妬、愚痴、足ることを知らぬ欲望など、みな感情想念の働きである。
感激、感動、感謝なども同じく感情だ。
しかし、感情でもその出どころはちがう。
自己本位の感情は前者であり、博愛の感情は後者である。
毎日の私たちの行動を見ると、自己本位の感情に左右されているところが非常に多い。
努力の原動力が、怒りや憎しみであったり嫉妬であったりしている。
また、好き嫌いや人情で間違った方向に走ったり、虚栄や名誉、自己の立場にこだわり、苦しみをつくっている場合がいかに多いことか。
そのために私たちは心をますます曇らせ、正しい見方、考え方から離れている。
正しい見方とは智慧の涌現である。
止観の意義は智慧の涌現にある。
正定の反省を通して苦しみ悲しみをつくり、心の眼をふさいでいる波立ちの多い感情を静め、博愛の感情を育てることなくして、どうして智慧の涌現がはかられよう。
行動の大半を占める感情を調和させるには反省の正定しかない。
「止まって見る」止観こそ、心と生活を安定させ、調和させる唯一の道である。
自分を愛するならば、まず生活の中に止観を生かして欲しい。


**************************************************


この文章には止観についての大意が書かれてありますね。
大意はつかめたとしても、では現実問題として、ここに記されていることをどのように生活に密着させて行けばいいんだろう。
ここに書かれている文章の中から、自分なりに意味や道理などについて吟味しながら思いつくことを一つにしぼって述べてみたいと思います。他の皆さまはどのようにお考えになるのだろう。私の思うことと一致している部分があると嬉しいです!

結語として、
> 行動の大半を占める感情を調和させる・・・
> 「止まって見る」止観こそ・・・

最終行には
> 自分を愛するならば、まず生活の中に止観を生かして欲しい。

と結んであります。生活に生かす止観とは具体的にどうするのでしょう。

止観は禅定という「態」のみで行うものではなく、日常で、例えばその時々の対人関係の中で常に発生する、五官でとらえてきたさまざまな諸現象の発露である感情のコントロール(ある意味ではバランス感覚)とも解釈できると思います。

また、文章の中ほどには、
> 人間の行動の七、八割は感情によっている。
> 自己本位の感情に左右されているところが非常に多い。

とあります。「感情」がポイントになっていることには違いありません。

そして、
> 人情で間違った方向に走ったり、

この「人情」は、ある意味難しいものがあります。
人間関係を律する人情と義理は両立しないことが多いですよね。
方向性が道理に合わないと後で気付いたときに、自分の方向性を変えようとしても人情あるがゆえに、流れをせきとめて、それがまとわりついてくる場合があります。
いわゆる、「しがらみ」のようなものです。あるいは兼ね合いなど集団心理の中に発生しやすいものです。このときに、間違った方向の人情だと判断したときの、それから切り離す勇気が問われます。


話を戻して、それでは「感情」をどのようにコントロールしていったら良いのでしょうか。
まずは、些細なものでも、そのときどきで様々な感情を発していることに適時、タイムリーに気付かなければ、おそらくはその時点でコントロールは出来ないでしょう。そのときの感情に知らず知らず流されるままになると、後で、シマッタとなります。
些細なものでも、と書きましたが、皆さんも経験あると思いますが・・・
対人関係で言えば、ある誰かへの、何らかの感情というのは、ちょっとした感情がちょっとずつ積み重なると、最初はそうでなくても、だんだん抱えきれない苦しいほど大きくなります。京都下鴨神社!ではありませんが、さざれ石が巌となるようなものです。それに耐えられなくなったらどうなるでしょう。



この信次先生の文章には紙面上の都合のためか、大意のみで、その方法が記されていません。
実際に日常生活の上で、どのように実践していけばよいのか。

それには色々と方法はあると思います。ある一つの方法として、岸田本部長から研修会で指導して頂いたことがあります。
随分以前に岸田本部長からは、「田中さん。Yさん。信次先生が説かれた『自己の確立』は『己を知る』ことから始まるんですよ。」と、福岡支部集会に来福された集会前夜では、宿泊先のホテルで繰り返し何度も何度も夜遅くまで教えて頂きました。頭から離れません。それは信次先生最後の東北研修会での、信次先生からの本部長への最後の言葉でもありました。
それゆえに本部長は過去の研修会では、何度も何度も形を変えて己を知る方法を会員さんに伝えてきたことを、しかし、なかなか伝わらないということも、そのころ個人的にそのお話を伺いました。それは、どれもシンプルで取り組みやすい方法でした。
だから、それがゆえに本部長の願いである本当の真意を理解して取り組んで行かないと、長くそれを日常生活の中で継続するには耐えられないことがあるかと思います。
正法は誰にでも理解できるシンプルなものであるはずです。知識・理論で覆わない限り複雑なものは無いはずだと思います・・・。

次回の記事更新時には(すぐには更新できないかもしれませんが)、その方法を少しばかり紹介させて頂きたいと思います。


2010100611410000.jpg
― 奈良の高原にポツリと美しく咲いていたリンドウ ―



ところで・・・  (まだ、続くんかい。爆!)


誰もあの世から生まれてくる時は「よし、俺はやってくるぜ」と、一抹の不安も抱えながらも胸を張って出てくるんですよ。ところが、生まれてしまうとすっかりあの世での約束を思い出せず、生まれた環境、教育、思想、習慣そして肉体五官に翻弄され、心がスモッグでいっぱいになってしまうんですよ。

と信次先生は話されています。

あの世・・・。これは「心行」の冒頭「我今、見聞し」とあるとおり、信次先生は生まれてくる前の世界・あの世を意識で体験して、あの世が存在しているのは間違いないという確証の事実にたった上で、モーゼの指導の下、著書「大自然の波動と生命」の文中のエキスを抽出する意味でも、また、あの世を支配している基準も含めて心行は書き記されています。
あの世・ユートピアの神界クラスで行き渡っている生活基準を、あの世とは全く違う盲目の地球上の生活において、あの世での生活基準のそれをこの世に表す方法として、必要最低限といわれている八正道を記されてあります。
信次先生当時に三宝出版に送られてきた会員さんたちの体験談の手記を読むと、信次先生からの光により霊道を開いて異語を語るだけではなく複数の方が実際に生まれてくる前の世界(自分の帰るべき家なども)を意識で見てきた人の体験談が色々と記されています。なかには、アガシァー大王の家の前まで行ってある人たちもあります。
いずれ機会があったならば、その手記をここで紹介したいと思っていますが、これは紛れも無い事実だと私個人は信じています。私自身は体験はありませんが・・・。
しかし、その会員さんたちは、信次先生の光により、そのような素晴らしい体験をされて、その当時の意識の高さをどれくらいの期間を維持、持ち続けてあったんだろうか。信次先生が帰天された後でも維持され続けてあったのでしょうか。そうであったら、具体的にどのような方法なのでしょうか。

ずいぶん以前に、岸田本部長からの光(異語を語らせるための呼び水、あるいは誘い水と本部長は仰ってありました)により関西本部では何人もの方が異語を語りました。が、本部長が仰るには、異語を語るだけで、次のステップに移るにも、その当時、それ以上に進歩して意識が上がる人は、待っていても誰も居なかったようで、あきらめられて本部長は異語を開発するためのプロジェクトは止められたと聞いております。
異語を語るということは守護霊様と一体になれたのですが、その次の段階に入るための日々の精進に欠けていたのは事実です。日々の精進とは、まずは常に自分の心の動きを、些細なことでも客観的につかむことだと信次先生は仰ってあります。とても難しいことです。
心(感情)のバランス感覚とコントロールです。これが出来れば意識しなくても自ずと理性の分野も正しく判断出来ていくことになると思います。
日々の精進については、本部長は研修会の折にはテーマを掲げて、いろいろと工夫されながら指導され続けてありました。


今回も、共に学ぶということではなくて、多彩な! ご意見でも何でも結構です。
お気軽に メールメール して頂けると嬉しいです。 (≧∇≦)





テーマ : 高橋信次 - ジャンル : 心と身体

タグ : 高橋信次:GLA誌より



[ 2010/10/24 15:29 ] 随 想 | TB(0) | コメント(-)
  1. ..
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