一番弟子だった方 

仕事の合間にちょっと手が空いていたので、鍵付きのロッカーに私が所有している高橋信次先生関連のカセットテープを整理していました。
その中に懐かしいカセットテープがありました。そして懐かしい手紙。
高橋信次先生に一番最初に弟子入りされた、村上宥快和尚の講演テープです。
高橋信次先生ご帰天後は既述している通り、GLAは大きく分裂しました。
その後、村上和尚さんは独自に会を作られて法を説かれました。その頃の講演テープです。
私はその会には何も関連していません。
その数本の講演テープは和尚さんの奥様から頂きました。

平成8年のことです。
その当時は、もう既に和尚さんは帰天されてあります。
村上和尚さんが執筆された「調和への道」と「心と行い」の二冊に感銘を受け、読み終えてさっそく、東京の高田馬場にある「観音寺」に電話しました。
電話に出られたのは奥様でした。
村上和尚さんのこと、そしてご著書のこと、また法のことなどをいろいろと伺いました。
初めて奥様にお電話した時に、私の中で感じるものがあったので、何度かそれ以降、お電話で会話させて頂きました。
だいぶ前のことで覚えていませんが、何度くらい奥様へ、お電話したんだろう。
そして往復5回、お手紙のやり取りもありました。
その5通の手紙は今も大事に残しております。心のこもった美しい文字です。
正法は、派手な教えではないので焦らずゆっくり長く精進されてください、というようなことも書いて頂いております。
また村上和尚さんの講演テープ以外に、和尚さんの写真が三枚、手紙に添えられていたことがありました。
紹介しております写真は、その中の一枚です。
それからちょうど仕事が忙しい時期に入り、以後、奥様へは何も連絡はしておりません。すっかり忘れておりました。

そして、たまたま前記事で「羅針盤」のことを書いていたので、そして手紙も出てきたので当時の奥様とのやりとりを思いだしながら書いています。
ということで、「羅針盤」に関連した内容を、村上和尚さんの著作の中から抜粋させて頂きます。
もし、ご興味ございましたらご覧下さい。
私の手元に著書「調和への道」が数冊、予備として保存しています。
抜粋だけを読まれて、その著書の全容をお知りになりたい方がありましたら、ご連絡ください。
連絡はメールでお願いします。本を送付させていただきます。
また、村上和尚さんの講演にも興味ございましたら併せて連絡いただければお送りいたします。私の手元にだけ置いていても、もったいないです。




当時、奥様はご高齢でした。
あれから12年も過ぎています。
あの頃はありがとうございました。
今も奥様はご健在でお過ごしなのでしょうか。




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本日19日の午前中まで問い合わせをして頂いた方、ありがとうございました。
メールでは熱心な方ばかりで嬉しさと驚きでした。
「調和への道」は私が予備として保存している分は、あと二冊のみとなりました。
後日、私からメール返信と共に発送いたします。著書またはCDは進呈いたします。
送料だけのご負担(着払い)をお願いします。今しばらくお待ちください。
今後、お問い合わせの方がございましたら、残りの二冊は進呈ではなく
「貸し出し」ということに致します。ご了承ください。


【上記、貸し出しは現在は終了いたしました】


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村上和尚
観音寺庫裏で。柔和なお姿の村上宥快氏



村上宥快著 「調和への道」より
九章 恩師との出会い

一大転機をもたらせた「人生の羅針盤」

印度仏蹟巡拝の旅を終え、半年程は映写機を持ち報告を兼ねて飛び歩いていた。
それ以後になって私の心に心境の変化を覚えた。私の心の奥で〃お前が五十歳になると心に大きな転機が起るであろう〃という声が聞こえてくる。自分自身の声ではないようだが、未だ且つてこんな現象体験はなかった。
全く信じ難い実情であった。何故五十歳なんだろう? 道を求めて、仏道に帰依して三十五年あまり、既に修行をするには肉体的にも限界を過ぎ、断食の修行では三七、二一日を三度も修したが、正覚への道は遠く、やがて五十路に足をふみかけてしまったのである。今生では求法も可能性から見放されたような気持になって来た。求聞持の法にしても、壱百日はかかるし、前後の行法を併せると、一年の日時は要する。焦りと断念しか考えられなくなっていた折だった。
はて、声なき声の主は一体なんだろう。薄気味が悪いがどういうものか、しかし、悪感情はなさそうにも想えるのであった。
私は家内ともう一人弟子にこの実情を打ちあけた。身辺にもしものことがあると困ると思ったからであるが、それから一年は、何事もなくまたたく間に過ぎて行った。
この頃私は既に悟りということから見放され、今生という人生を自覚することを半ば、断念とも、諦めともつかない心の中に、一線を引くことになるかも知れないと想ったことが度々ある。
そんな観念の中で声なき声は、あたかも暁にはばたく鳥のような心にも似て、明るい希望が招来されるかの如く蘇ってくるのである。転機、それは一体どんな転機なのか?
或日花埃りの強い戸山ヶ原の黄塵が、廊下を一面に覆った日であった。中玄関に客のあるのが聞えた。妻が応待に出て、盛んに対談をしているのが、私の居間から聞える。二十分程して妻は円盤型の平たい器物を持って来て、これは大変重宝なものです、と言った。人の生年月日で、その浮沈や生命の流れが判るのだという。一個二千円程だから買って置いた方がいいのではないかと、私に勧めるのであった。私は半信半疑ながら、何故か興味が湧いてきた。そして、そんな便利なものなら買っておいたらよい、と言った。私も玄関先まで出ていって、セールスの男に会った。押売りには見えない、五十路を半ば過ぎたかと思える身なりもきちんとして背広を正しく着込んで何処から見ても紳士然としている。髪の毛は一寸薄くはなっているが、七三に分け、口のきき方も賎しくはない。やがてこの男はおもむろに器物をとり出し使い方の説明を始めた。こちらで自分の知っている人の実例を掲げて、聞いてみたが大体適中するのに驚くと共に半ばうっとりとしてしまう程強く引きつけられてしまった。
遂に居間に案内して、早速使用方法の実例を聞いてみた。全く面白いようによく当たるのであった。この器物に「人生の羅針盤」という名称のパンフレットがついていた。
人生の羅針盤のことからこの男は足繁く来るようになり、その後は昼食など一緒にして私も人生の伴侶と思うほどこの羅針盤に信をおくようになってきた。しかし、この男は慣れるに随って寸借をするようになり、九月頃になると足が止った。十月が最後に消息を断ったのである。
この男は佐野守禅といって、伊豆のさる寺の後継者だったが、身を持崩して野に降ったという話であった。
私はこの不思議な羅針盤の研究を根本的に続けたかったので、寸借されたことなど余り気にはしなかった。


恩師との衝撃的な出会い

十一月頃になると止むに止まれぬ気持が涌くようになってきた。そこで羅針盤のパンフレットを探し始めた。パンフレットの奥付に、発明者の名前が書いてあったはずだが、何処にいったのか見当らない。本棚の隅、箪笥の中、天井裏、物置きの中、家の中は畳の下まで剥いで見たがどうしても見当らない。そして、探し求めて三ヵ月が過ぎた。何気なく茶の間の箪笥の引出しを開けると敷紙の下から、見覚えのあるクリーム色の小誌が出て来た。その時の喜びは、とても筆舌に尽くし難いものであった。
まぎれもなく発明者の住所と氏名が燦然と輝きわたっている。これだこれだと、妻に告げた。
胸のときめきを押えながら、〃高橋信次〃この人だ。大田区大森西三―四―四、早速電話帳を繰って番号を調べた。夢中になって何かに憑かれたように、電話をした。「高橋様ですか」と言うと、すぐに答えが返ってきた。「高橋信次です」その声音は全く慈悲に満ちあふれた音量であった。
実は先生の羅針盤についてお伺いいたしたいのですが、というと、先生は待っていたと言わんばかりの応答だった。先生のご都合をお聞きして是非ご指導を仰ぎたいと申し上げると、快諾されたのである。何故かこの時の感情は異様なときめきと、来るものが来たという胸の中の思いが吹っきれたようであった。
二月になって気候もゆるみ、粉糠雨の降る日、妻と二人で先生のお宅を訪ねた。
この時妻は今の観音寺を救う人は、此の人をおいて外にいないというのであった。不思議な発言をしていたものである。案の定その通りになった。
立合川の川岸の近くは住居と街工場のある街並であった。
二階の応接室に通された。先生自ら案内をしてくれた。ソファーがあった。余り立派なものとはいえない。この洋間に製図盤がひっそりと部屋を占めていた。直ぐエンジニアであることが分かった。
私も自己紹介をして、観音寺という寺の住職であることを申し上げた。年の頃は私より十歳ほど下であることを知った。妻も何か物凄く人懐しく思ったようだ。直ぐに十年の知己のような感じになった。これが後になって釈迦の再来であられるなど思いもよらなかった。
暫く経って人生の羅針盤の話になった。佐野守禅氏の話になったが、彼は消息を絶った時既にこの世を去っていたということだった。
高橋信次先生のお話では、羅針盤を二、三百個売り喰いされたとのことだった。
私にしてみれば大変な恩人である。正法に結びつけてくれた掛け替えのない人だった。
何がしあわせとなるかは分からぬものである。この後一ヵ月に一度、或いは隔月位に先生のもとに足を運ぶようになった。
翌年もまたこの人生論を科学化して勉強が続いた。自然科学の中の人生の心を教えられてきた。
この人生の羅針盤とは、私達にとって、最も身近な天体である太陽系の中の月と地球と太陽を指している。
私達人間はその肉体という生命は誰しも生まれた年と月と日、この関係、即ち生年月日に起因している。その生年月日に基づく何かの仕組みが存在することを薄々感づいていた。
人間は、人生の摂理の中で生きているのである。これが人生の自覚、悟りへの道を知らず知らず歩んでいたことに、私はまだ気付かなかったのである。

以上



タグ : 人生の羅針盤



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[ 2008/06/18 15:34 ] 随 想 | TB(0) | CM(11)
  1. ..
村上和尚、なんとまあいいお顔ですね。

50歳まで、ご自分では歯がゆい思いをされていたのが、こういう形で出会いがあって、まるで駆け上がるようにして悟りの道を進むとは、やはりその50歳までの時間も無駄ではなく、意味のある準備段階だったのでしょうね。

ぐいぐいと引き込まれるお話。

ゆきさんも、その奥様と交流を持たれて、貴重な体験をされましたね。

こんなふうに、それを分けてくださることに感謝です。



[ 2008/06/18 15:54 ] #- [ 編集 ]
シエラさん!
こちらにもさっそくコメントをして頂き、ありがとうございます。

シエラさんの仰るとおりだと思います。
準備期間というか、その人の機根が整うにはそれぞれ、持っているものがあるのでしょうね。


>ゆきさんも、その奥様と交流を持たれて、貴重な体験をされましたね。

ありがとうございます。
面識はありませんでしたが貴重なお話をいただけました。
初めて奥様とお電話した時の自分の中に感じたのは
「この人のこと知っている」
何が根拠かは分かりませんが、笑!
心の中に、勝手にふと思ってもみないことが浮かんでくるんです。
そう思えたときにその根拠は、その人とは、何か過去世に「縁」がある、と思えます。
情とか相性がない、相手のことを何も知らない頃の方が、相手に対する情報が少ないので、そう思えたその判断は、ほぼ間違いないそうです。
たとえば赤い糸!とか。
初めて相手の顔を見て、一瞬、この人とは結婚相手!って思えるときなど。

その奥様とはそれっきりですが、大事なことを教えて頂き、その奥様の親切心は心に、今も残っております。そういう感慨を与えて頂ける人は、面識もなく、短い期間であってもありがたいものです。

[ 2008/06/18 16:45 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
以前どこかで紹介されていたので
思い出しました・・・
でも自分にはちょっと難しすぎて
理解できませんでした^^
奥様もとても慈悲深いお方だったようですね。
[ 2008/06/18 16:45 ] #- [ 編集 ]
お~っ!
イマジンさんはご存知だったのですね。

私も理解不能なところがあります。汗!

生まれた月日が不明で分からない人の場合、身内の生年月日が分かれば、不明な誕生月と日が分かるなんて。謎。爆!
他にも判断に難しいところがあります。


はい。奥様は、そうでした。
さすが、正法を修められた方です。
私もそういう思いやりのある人間性になりたいものです。
奥様に対して失礼な言い方ですが、
お話しでは、そんなに法に対する知識が豊富だったとは記憶しておりません。
そのとき、能書きだけでは人間性は成長しない、とそのころの電話でふと思ったことを思い出しました。

訪問とコメントありがとうございました。
[ 2008/06/18 19:01 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
若いころ、数霊占いの本を読んだことがあったので、計算方法はなんとなくわかりました。

私の数は212の5、妻の数は538の7でした。

私の数はシエラさんのと同じで妻の数はシエラさんの旦那様の数と似ているので驚きました。「38」が共通ですね。

うちら夫婦は私の方が物静かで、妻の方がにぎやかですよ。妻が外出してると家の中は禅寺のように静かなのに、妻が帰ってくるとちんどん屋が家の中に入って来たみたいに活気が出てきます(^。^!)

GLAを始められる前の信次先生のことはあまり知らないので、興味深い話題をありがとうございます。
[ 2008/06/18 21:00 ] #y6LFAiUE [ 編集 ]
>若いころ、数霊占いの本を読んだことがあったので、計算方法はなんとなくわかりました。

そうなんでしたか。
私は詳しくは知りませんが、この方法は四柱推命にも似ていると聞いたことがあります。


本当だ。同じですね!


禅寺・・・笑!
私もそういう雰囲気は好きです!
そして、ちんどん屋。
すみません。ここは笑っちゃいました。
でも、ご夫婦は、うまくバランスが取れているようですね。よかったです。


興味深い話題だと仰って頂くと私も嬉しいです。
また機会がありましたら書いてみたいと思います。

いつも訪問とコメントを頂き、ありがとうございます。
[ 2008/06/18 21:23 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2008/06/21 01:09 ] # [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2009/03/12 06:50 ] # [ 編集 ]
観音寺の奥様は亡くなられました。観音寺も以前とはすっかり変わってしまいましあ。
[ 2009/09/23 12:56 ] #- [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2014/06/25 08:13 ] # [ 編集 ]
SY さま。
はじめまして。
記事をご覧頂き、またカギコメもありがとうございます。
拙文が少しでも参考になれば、ただ嬉しい限りです。

そうでしたか。
お題目と法華経の教えの教義に対して、長い年月持ち続けてあった疑問が解けて良かったですね。

SY さまの努力が、さらに神理へ一歩一歩近づけますよう、心よりお祈りいたします。

[ 2014/06/25 14:09 ] #- [ 編集 ]
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