竜宮の都に行ってきました。
写真は深い海中に立つ、朱色の美しい建物です。
上に見える真っ青な色は空ではなく、海の青です。
……というのは冗談ですが。(汗)
しかし…何も分からない幼い子どもからすると死の間際、それを信じたのでしょうか。
入水する前に、その子どもは「これからどこへ行くのか」とたずねます。まだ、八歳です。
それに対して、「波の下にも都がございます」・・・と答えます。
「今そ知る みもすそ川の 御なかれ 波の下にも 都ありとは」
皆さま、ご存じのとおり平家物語では、壇之浦合戦において従二位尼平時子は、平家方の敗けを察すると三種の神器と共に幼い安徳帝を胸に抱いて、辞世の句を詠って壇之浦の海に身を投げました。悲しい物語です。
…幼い安徳帝
きっと女官のことばを信じて波の下にある竜宮の都にたどり着いたことでしょう・・・。
上の建物は、山口県下関市にある『赤間神宮』の入り口にそびえ立つ水天門です。
竜宮城を模しています。
赤間神宮は源平最後の決戦である壇之浦の戦にて、平家一門と一緒に命を落とした安徳天皇を祀った神宮です。
また、小泉八雲Lafcadio Hearn の『怪談』(1904年出版)に書かれている、あの『耳なし芳一』の舞台です。
それを今回、紹介させて頂きます。記事は2回に分けて書きます。
赤間神宮をご存じの方もあろうかと思いますが、ご興味ございましたら、お付き合いください。
お見せしたいのは、お墓ですが。(爆)

(写真はどれもクリックしたら大きく見ることができます)
このパンフは北九州の門司と山口県下関市の間の関門海峡を結ぶ、関門橋のすぐわきにある九州自動車道、『めかりサービスエリア』でもらったものです。
久留米インターチェンジから、そこまではちょうど70分。本州までは遠いようで近い。笑!
パンフによると関門海峡を挟んだ両岸には歴史あるレトロな建物が、たくさん並んでいます。
関門橋です。対岸は門司の街が見えています。

九州と本州をつなぐものは関門橋と関門海底トンネルだけと思いきや・・・
高圧線もつながってるっ!

ここは赤間神宮より少し北へ向かった関門トンネル人道入口前です。
写真には写っていませんが、その斜め前には先ほどの二位の辞世の句にもありました御裳(みもすそ)川の公園があります。源平古戦場址です。
ご覧のとおり、この付近の上空は北九州からの電線も含めて縦横に電線ラッシュ。(笑)
これは『海峡守護の碇』です。海峡の平安を祈る目的で奉られています。
国道9号線をはさんで赤間神宮のすぐ向かいにある壇之浦海岸を、広く見渡せるところに据えられてあります。
ペンキの後がありますので、そんなに古くもないようです。

潮風で、いいサビ色が出ていました。(笑)
時代は下りますが、宮本武蔵は佐々木小次郎との対決勝負のため、この辺りから巌流島に向けて船を出した場所だそうです。
赤間神宮に入る前に、今から823年ほど前の古戦場となった海をしばし眺めていました。
下にある映像は携帯からではなくデジタルビデオで録りました。手ぶれ防止機能をかけ忘れていたためにビミョーにぶれています。(汗)
とってもヘタなムービーですが、お時間ございましたらご覧ください。
収録時間は3分程度です。
関門橋の向こうは九州です。
上空にはハヤブサか!
と、レンズで追いかけたら、ただのトンビ。笑!
足元の波打ち際でシューズが濡れてしまうのが、気になって気になって。笑!
道路の向こうに少しばかり見えるのが写真の水天門です。
壇之浦海岸前の 「海峡守護の碇」 にて
赤間神宮境内に入ります。

これから案内板の左側に書かれてある『芳一堂』と、『平家一門の墓』。
また『宝物殿』に向かいます。その他は興味なし。爆! すみません。 m(_ _)m
水天門を下から見たところです。ちょっと、ぶれていますが。汗

屋根を支える二層構造の垂木(たるき)の並びが綺麗でした。
このような美しい建造物は建築の図面を引いたことがある人間からすると惹かれます!

水天門をくぐると階段上に本殿が見えて来ます。

階段を上がりきったら、案内板のとおり本殿左手の方に歩を進めます。
目的の場所は、すぐそこ。
その小さな一角は誰でも異空間を感じる不思議な雰囲気です。
「芳一堂」
芳一像の両耳は付いていません。

書くまでもありませんが琵琶法師の芳一が、壇之浦に没した平家の怨霊にさそわれて、ここで毎夜、壇之浦合戦の悲劇を琵琶にのせて語ります。
そのことを知った和尚が芳一の体中に般若心経を書きつけ、怨霊から護ります。ところが耳にだけ経文を書くことを忘れてしまいます。
その耳を怨霊が引きちぎって立ち去りました。
平家一門を祀っていることを示す墓標。
この奥にその墓がずらりと並んでいます。

次のような伝説が残っているそうです。
天明年間(1781〜1789)のころです。海峡に嵐が続き、九州へ渡る船や漁船の遭難が続出したので、海上交通を断たれた商人や壇ノ浦の漁師たちは、生計がたたず大変困っていました。
そんなある夜、漁師たちは荒れ狂う暗い海に、泣き叫ぶ男女の声を聞いたので闇をすかしてみると、そこには成仏できずに海上をさまよっているたくさんの平家武者と官女の亡霊の姿があった・・・と。
それで漁師たちは、それまで供養する人もなく荒れるにまかせていた平家の墓を、ここの一ヶ所に集めて、京都の方に向けて手厚く供養したところが、翌日からは嵐はうそのようにおさまったそうです。
また他にも、曇った日や夕暮れ時には必ず平家の亡霊が海中から手を伸ばし、船縁にしがみついてきたそうです。
亡霊達は「ひしゃくをくれぇ〜、ひしゃくをかせぇ〜」と哀れな声で、ひしゃくを要求したそうです。
漁師がその声に恐れおののいて、思わずひしゃくを渡してしまうと、亡霊はそのひしゃくで海の水を船の中にそそぎ込み、船を沈めて漁師を殺してしまうとか。汗!
そのため、漁師達は漁に出るときには必ず底を抜いたひしゃくを持って出かけ、亡霊にひしゃくを求められたならば、その底のないひしゃくを渡し、生き延びたと言われています。

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次の記事内容です!
芳一が平家一門の亡霊に囲まれて琵琶をならした墓前(平家七盛塚)をご案内致します。
ご覧いただいている皆さまと、短い時間ですが、ご一緒にゆっくりと平家七盛の墓をのぞいてみましょう。(笑)
ブログのムービーでは映像が圧縮、画像枠も縮小されているので、墓石に刻まれた文字や案内板などが自宅テレビに接続して見るのとは違い、ハッキリ映っていないのが残念です。
おそらくムービーには平家の怨霊は映っていないので、ご安心ください。
内心……残念。(爆)
以前に初めて来た時には背筋がゾクゾクして、異様な場の重さを感じていましたが今回は何もありませんでした。
きっと平家の皆さま、お留守だったんだね。
っつうか、私が鈍感になっただけ?(笑)
長々とした記事をご覧頂きまして、ありがとうございました。
テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術
タグ : myPhoto/Movie
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壇之浦 dan・no・ura 1
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>きっと女官のことばを信じて波の下にある竜宮の都にたどり着いたことでしょう・・・。
何だか胸が痛くなるお話ですよね・・。
海の中にある都はきっと美しかったでしょう・・
素敵なお写真をたくさんありがとう^^