来週は秋のお彼岸ですね。
お彼岸といえば連想する花はやっぱり彼岸花です。
彼岸花は田んぼのあぜ道とかに群生して、あたりを真っ赤に染めているのをよく目にすることができます。
そして昔から埋葬をしていた場所であった、お墓の周りとかにも。
そこで見る花は、なんだか死者の供養を思わせるようなイメージを持ってしまいます。

雨に濡れた彼岸花。実家の庭にて
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ひとりごとです。
すこし前には、れぃこはん。シエラさん。先日は、ももさんに、ぽんたさん。そして何度も、ぷりんちゃん。それ以前にも他にいらっしゃいます。
せっかく訪問してもらい、自分のヘタな写真や拙文をご覧頂いて・・・
いくら自分が忙しい、自分のブログだからと思ってコメント欄を閉じるのは、改めて考えると自分とブログで仲良くさせて頂いている相手様に対して失礼であり、ちょっとした自分の我儘でした。
それは、あくまでも私だけの思いです。
これからは忙しくても記事更新をしたらコメント欄は開けておきます。
もし、ご覧頂いて感じるものがありましたら、お時間の許される時に今まで通り、ご自由にコメントお待ちしております。
ただ、お返事が今までよりもペースが遅くなるかも知れませんが、その点は宜しくお願い致します。m(_ _)m ペコリ
そして以下、スピリチュアル系になります!
ご興味ございましたら、引き続きお付き合い下さい。
***************************************************「彼岸」とは「かの岸」とも読めます。
ご存知の方もあると思いますが、彼岸という文字の根拠を少しばかりご紹介させて頂きます。
これはもちろん、仏典に由来する言葉です。皆さんの誰もが、一度は部分的にも聞いたことがある般若心経です。
(テレビドラマ!などの葬式の場面で、坊さんが詠んでいるお経はだいたいこれです。笑)
般若心経の末尾に彼岸について出てまいります。般若心経の末尾をあげてみます。
是無上呪(ぜ む じょう しゅ) 是無等等呪(ぜ む とう どう しゅ)
能除一切苦真実不虚(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ)
故説般若波羅蜜多呪(こ せつ はん にゃ は ら みつ た しゅ)
即説呪日(そく せつ しゅ わっ) 羯諦羯諦(ぎゃ てい ぎゃ てい)
波羅羯諦(は ら ぎゃ てい) 波羅僧羯諦(は ら そう ぎゃ てい)
菩提薩婆訶(ぼ じ そ わ か) 般若心経(はん にゃ しん ぎょう)
ではここからは、私が以前に親交させて頂いた、岩手県にお住まいでありました故田口恒勇氏が作成された冊子を元に引用させて頂きます。
この冊子の冒頭には、高橋信次先生の
原説般若心経の続編であると記載されています。
高橋信次先生のことばによる「序文」、最後には「あとがき」もあります。
「高橋信次先生による般若心経のまとめ」 編集 田口恒勇
―中略―
釈迦は、36才で悟った。
悟ることによって、現象の奥に隠された一切の道理を知った。そうして、よどみなくあふれる智慧によって、多くの衆生を導いていった。36年間の経験だけではこうはいかない。偉大なる悟りを得、心の窓を開き、過去世の集積された経験と全能の智慧が、正法流布の大事業を完成させたのである。
是無上呪(ぜ む じょう しゅ)とは、これ以上のものはないというのであり、
是無等等呪(ぜ む とう どう しゅ)は、釈迦の悟りは他と比較するものがない、という意味である。
能除一切苦真実不虚(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ)とは、生老病死という一切の苦しみから解き放たれ、それは中身のある真実なものなのだ、とここではいっている。
釈迦の悟りは、余人は近づけない。経験しないものはわからない。わからないだけに、第三者はつい、疑ってかかる。
そこで般若心経は、その境地を、いたるところで繰り返し述べている。本物はこっちだ。迷ってはいけない。釈迦の悟りとはこうだよと、その半分近くの文字は、悟りの中身をさまざまな角度から述べているのである。
羯諦(ぎゃてい)とは古代インド語でガーテというが、この意味は「岸」ということである。
釈迦は、ガンガー(ガンジス)の川を背にして、よく説法をした。また、説法の中に、人間の苦悩と悟りを、川をはさんだ両岸をたとえて話した。
中インドから北にかけて、文明が栄えた。古代でも哲学、文学、技術、科学の分野が進み、東西両文明に影響を与えている。ことに冶金、天文、医学、数学などの諸分野は、世界的水準に達しており、五世紀頃には代数が発達して、ゼロ、負数、二次方程式などが考案され、十五世紀には微分、塁乗級数展開などが考案され、西洋文明に大きな影響を与えたのである。
また舞踏や音楽なども、その一つだろう。
ところが当時のインドは、カースト制度がきびしく、こうした文明に参画できる者は、ほんの少数の人々であったのである。
このため、大部分の人は無学文盲であり、ゴーダマ・ブッタ(釈迦)は自然の状況をとらえて、説法していったのである。
またブッタ・ストラー(釈迦の法)は、大自然の法が目的であり、「自然と人間」との関係を明らかにするのが根本なので、学問に関係なく、誰にも理解できた。
しかしもともと学問そのものも、「自然と人間」を知る手だてとして盛んになってきたものであり、芸術や文学も、自然や人間を、いかに客観的にその真実を表現するかにあるのであり、したがって学問があろうとなかろうと、人間であれば、ブッタ・ストラーは理解できるものであった。
現在のインドは六月から十月が雨期に当たり、十一月から五月が乾期になる。三月から五月はいわゆるモンスーン気候といわれ、暑熱の時期に入るようだ。
当時も、雨期ともなれば、ガンガー川は満水となり、対岸に渡ることができなくなる。
人が住み、平地の多いこちらの岸は、雨期が半ば過ぎになると食べ物が少なくなり、食糧難に陥ってくる。
対岸である彼岸は緑が多く、マンゴの実や他の果物が沢山なっているが、川が増水しているためにそれを取りに行くことができない。
ブッタは、それをたとえて、こちらの岸を苦界とよび、対岸である彼(か)の岸を悟りの境涯として説いた。
また川の水は深いところは静かに流れ、浅瀬は流れが激しく、ざわざわしている。
人の心も、五官にとらわれると雑音が激しく、落ち着きがなくなる。深い心、つまり潜在意識に同通している人の心は、守護・指導霊の導きがあるので、諸現象の動きにまどわされることなく、平静であると説いた。
クシナガラの地で、八十余年の生涯を閉じようとするブッタの下に、シュバリダというバラモン教出身の最後の弟子がみえる。
そのときブッタは、シュバリダにこういった。
「グリグドラクターの修行場は天変地異によって大きな亀裂を生じ、幾日も幾日も豪雨に見舞われた。その裂け目に雨水が流れ込み、川となった。片方の岸は広々と開けていたが、一方の岸は峻厳(しゅんげん)な山にさえぎられ、逃げ場を失った動物達が右往左往していた。一匹の巨象が広々とした向こう岸に渡ろうとあたりを見まわしていた。巨象はしばらくたたずんでいたが、遂に裂け目に我が巨体をすべらせ、己の体を橋代わりにして、小さな動物達を救った。巨象は力尽きて、自らの巨体は裂け目の底に沈んでいった。いま、自分は四十五年の間、迷える衆生にいろいろと悟りの道を説いてきたが、さらにこの老体を足場として悟りの彼岸へ導いてやりたい」
言い終わると、ブッタは静かに瞼を閉じた。
ブッタは、最後の瞬間まで自然の中で生活し、人びとに慈悲を説いたのである。
神の心は慈悲である。慈悲の心は衆生済度の心しかないのである。
私たちは、地球という大神殿、つまり神の体のなかで生活している。地上という大地も、水も、空気も、陽の光も、私たちに生きるに必要な環境を、神は無償で提供している。この事実を知らなくてはなるまい。この事実を悟らなくてはいけないのだ。
羯諦羯諦(ぎゃ てい ぎゃ てい) 波羅羯諦(は ら ぎゃ てい) 波羅僧羯諦(は ら そう ぎゃ てい) 菩提薩婆訶(ぼ じ そ わ か) 般若心経(はん にゃ しん ぎょう)
「岸だ、岸だ、向こうの岸に到達するのだ。仏弟子達が向こうの岸へ到達し、悟りに達すれば、すべてが調和され成就する。調和の姿こそ般若心経なのだ」
仏弟子というと特殊な階級を意味するが、本来は地球人類を指している。
特殊な修行をし、行を積まなければならないというものでは本来ない。
行を積むという意識は、人間が長い転生輪廻の過程において積み重ねた業があるために、神の子の自分を忘れた考えから生ずるそれが言わしめるのである。
彼岸とは、神の子のふるさとである。そのふるさとを忘れているのである。
正法は誰のためでもない、皆自分のためにあるのだ。
仏教というと堅苦しく、難しいもののように聞こえるし、実際に中国を経て来た経文を見ると、たしかに何が書いてあるのか解らない。
解らないはずである。そのほとんどは梵語が漢字の当て字になってしまったため、文字の解釈を追及すると何をいっているのか、迷路にはまりこんでしまうからである。
※続きは次回に更新します。
その続きとは「彼岸」のことばの意味からすれば少しばかりかけ離れますが、高橋信次先生が書かれたものをブログで紹介させて頂く目的です。
長文をご覧頂き、ありがとうございました。
テーマ : 季節の花たち - ジャンル : 写真
タグ : 高橋信次:般若心経のまとめ
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お彼岸
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こちらでは、そういう風景は見かねないです
何者にも染まらないような真っ赤な色合いが素敵ですよね
コメント欄についてのゆきさんの考え・・。
個人的にはそれぞれ楽しむ場ですから
ご自分の事情に合わせてコメント欄を
閉じられるのはゼンゼンOkと思いますが
凄く真っ直ぐなゆきさんらしいなぁと
思いながら拝見しました
(*-.-)ヾ(´◎`*)なでこなでこ
仏教や、お経には関してはゼンゼン分からないのですが^^;
般若心経を聞いた入り唱えたりすると
何となく心が落ち着くきがしますよね・・