機内から写した夕焼けです。
夕焼けはカラーエフェクトをウォーム、彩度をハイレベルに設定して撮りましたが・・・。
ついでにあと二枚(笑)。下の写真は阿蘇周辺?かな。
面白い地形だったのに、くっきりとは写っていませんでした。汗!



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*****************************************************前回からの「般若心経のまとめ」の続きです。
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もし、ご覧頂いた方の中で、少しでも何かの気付きがあったとしたならば嬉しいです。
以下、紹介させて頂きます。転載です。
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色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき)
色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)
色(しき)は空(くう)に異ならず、空は色に異ならず、色はすなわち是れ空なり、空はすなわち是れ色なり、と読む。
この詩句はあまりにも有名であり、色即是空に至っては、仏教の中心テーマのように受けとられている。
さて、色とか空とはいったい何をいっているのだろう。
今日ではすでに、さまざまな解釈がなされているが、空については十人十色であり、その実相を衝いているのは甚だ少ないようである。
空の実相を知るには、正法を実践するしかない。実践とは正道に適った自らの生活行為である。そうしてそうした中から、空の実相が認識されてくる。
さきの行深般若波羅蜜多時である。深く行ずることである。
したがって仏教は自力である。神の子として、めざめた自力である。自力というと、自我を通した生活行為を連想しがちだが、そうではない。業生の自分から、神仏の子として脱皮してゆく実践行為を指すのである。
今日、仏教は他力本願になっている。だが釈尊の教えは、他力については一言も触れていない。もし他力について書いてある仏典があるとすれば、途中で書き替えられたものである。それは正道ではない、ということを改めて断言したい。
空(くう)とは何か。
空とは、物質にあってはエネルギーの世界のことであり、魂にあっては実在界を指すのである。
まず、物質についてみると、水の三態(気体、液体、固体)で述べたように、物質は熱粒子の縁によって、集中、分散をくりかえし、たえず循環している。そこで、空とは、俗にいう可視範囲外の状態であるといっていいのである。
この点について、もう少し考えてみよう。
水は熱粒子に温められると蒸発し、眼に見えなくなってしまうが、無にはならない。
エネルギーとして空中に在る。熱が冷え、水滴となる条件が満たされてくると、雲となり、雨となる。
要するに、物質についての空とは物質化(液体、固体)される前の状態であるといえる。
もっとも厳格には気体も物質であるといえるだろう。
ただここで見逃してはならない重大な問題がある。それは、気体となった水粒子は、必ずしも雨や雪となって落ちてくるとは限らない。気体となった水粒子は、水以外の鉱物、植物、動物の組成の一員として、物質界に再びよみがえってくるものもあるのである。ちなみに、あらゆる物質には、何がしかの水分を含んでいるのである。水分を含まない物質は、皆無といってもいい。
このように気体となった水粒子は、他の物質粒子と組み合わさって、いわば形を変えて現象化されている。
こうみてくると物質の空の状態とは、万生万物を生み出す素因を内在せしめているのであり、それはまた言い方を変えると、空の世界は、万生万物の投映の場になっている、ともいえるのである。
空の世界は、あらゆる物質のエネルギー粒子が集まっており、そうしてそれらは熱、電気、磁力、重力などの相互作用、つまり縁によって、さまざまな物質を創り出して行くのであるからエネルギーの世界は、そのまま、万物投映の元の世界であるといえるのである。
次に魂について考えてみよう。
魂の空の世界とは、あの世を指すのである。この世のことを現象界、ないしは物質界というが、あの世は実在界、意識界ともいう。
なぜ空の世界を実在界というかといえば、「物」が実際に存在する世界だからである。
この世、現象界は一切の「物」は、時が経つと変化してしまう。どんな立派な建物でも、発明品でも、時がくれば土になり、風化してしまう。
ところが、実在界の「物」は、時が経っても消えていかない。必要と認められた「物」は、何千年、何億年も、そのまま減ることも増えることもなく存在し続けているのである。
この世では、どんなに価値のある「物」でも、人々の願望を叶えてはくれない。時が経てば否応なしに崩れ去ってしまう。この点が大いにちがうのである。
たとえば木製の机があるとする。この現象界では木製の机は使用しておれば、どんなに大事に扱っても千年と持つまい。それを持たせるには真空に近い暗室に保存し、熱や光や湿気から守ってやらないと朽ちてしまう。
ところが実在界では、一万年でも二万年でも使いながら持たせることができるのである。
人や動物でもそうである。この世では人は百年、動物なら五十年生きるには、条件が整わないとむずかしい。だが、実在界は千年はおろか、二千年、三千年はザラである。いくらでも実在界で生き永らえることが出来る。しかし循環の法にしたがい、現象界に生まれ変わるが、魂の実在性は変わらない。
要するに、あの世は「物」が半永久的に実在するから実在界というのである。半永久とは必要がなくなれば、何時でも古いものを新しいものに変えることができ、必要なら何時でも残すことができるからである。
ではなぜ、こういうことが可能かというと、実在界は魂の世界だからである。魂とは心の世界、つまり意識の世界、意識界であるから、心のままの世界が展開されているのである。
ここで、現象界は空の世界の投映であるということについて触れると、たとえば実在界に木製の机なら机があって、その机が現象界に写し出されているからそういうのである。
では、あの世には電車や汽車、戦車や大砲、航空機、原子爆弾、ミサイルなどもあるのかと問われるだろう。
これに対する答えは、あるものもあるし、ないものもあるということになる。
どうしてこういう答えになるかというと、核ミサイルに執着を持つあの世の科学者が、そのミサイルの愚を知って、ミサイルの研究を辞めたとする。
ところが、現象界のミサイル科学者は、あの世の科学者のミサイル研究の辞める前の想念波動をうけて、それを創り上げたために、あの世になくともこの世にあるという結果になったからである。
これをもう少し詰めて説明すると、あの世の心の世界、心の世界とはどんな想像も可能な世界である。どんな想像も可能だということは、言葉をかえると何でも在る、ということになる。想像は創造につながり、創造は文字通り、「物」を作り出すことである。
万生万物は、ことごとく「心」から生まれたものであり、心を基本にして、相互作用の縁によってさまざまな物質が生産されるのである。
もし、人間に思うこと、考える能力を抜き取ったなら、どうなるか。動物と同じように、一万年、十万年経っても進歩はないだろう。歩くより早く目的地に着くためには、電車や飛行機が便利だということで、まず最初に人々の心の中で考えられ、そうして各種の材料を集めてきてつくられた。
あの世は、こうした創造が無限に広がっており、この世の想像の範囲をまったく越えている世界なのである。
だから、この世にあるものは、あの世にあり、しかし、形としてはないものもある、ということになるのである。
さて、話しを前に戻して、物質の世界は万物を生み出す素因として宇宙に存在し、魂の空の世界がこれらの素因を集め、形あるものに創造して行く能力を秘めている世界であるといえる。同時に魂の世界は、心と創造の世界なのだから、そのことはそのまま「もの」を実在せしめている世界でもあるといえるのである。
こうした意味から、空の世は、実在界、意識界というわけである。
さて次に色(しき)とは何かといえば、私たちの眼にとまる現象界、物質界のことである。物質界は色彩に富んでいる。これは平面的な生活を補い、私たちに修行しやすい環境をつくるためである。
では、空の世界は色彩がないかというと、もちろんある。ただ、「心」に応じた意識界をつくっているので、階層によっては灰色の世界もあり、霧におおわれて色彩が不鮮明なところもある。
しかし天上界は、この世の世界とまったく同じであるが、次元が高くなるのしたがって、その色彩は明るく、そうして次第に安らぎのあるものとなっている。
この世は人の心に関係なく、神は、さまざまな色彩をつくって、平面的な地上の生活を補ってくれている。つまり修行しやすい環境を与えているのである。
この点からも私共は、神に対して感謝し報恩の行為である「調和」という目的に向かって進んで行かなければならないのである。
物質界の成立は、実在界の縁によってなされている。
縁とは、交わりである。あらゆる物質は相互に関連し合い、動、植、鉱の物質をつくり、生命活動に必要な基礎的環境を形成している。
私たちの親子兄弟姉妹、夫婦、知人、友人にしても、そうした実在界の約束によってこの現象界で縁が結ばれている。偶然に縁が結ばれたのではない。
ちなみに地上の人類は現在三十七億にのぼっている。その三十七億余のなかから、一対の夫婦が選ばれ、親子が生まれ、兄弟姉妹ができ、友人、知人、そうしてそれ以上の目的を共にする同志が結ばれる。
偶然として片づけるには出来すぎているし、だいいち現象的にみて、不思議と思えない人はどうかしているといいたい。
もし、こうした現象が偶然であり、生命がアメーバーから生まれるとすれば、この世の成立は不可能だし、太陽も地球も人間も生かされ、生きることはできない。
自然界の秩序、人間界の秩序は神の意思にもとづいてつくられており、人間界の苦しみ悲しみの混乱は、人間が神の子としての能力を持ちながら、その能力を好き勝手に使っているために起こっている現象である。自分の好みで好き勝手にその能力を持て遊んでいるから、めくら千人となり、必然か偶然かの判断すらできなくなっているのである。
空の実相を知ったときには、この世の一切のものは「縁」によって生じ、「縁」によって生かされ、「縁」によって万物が調和されていることを悟るであろう。
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転載、以上。
生身の目では認識できる物質世界とあの世の知られざる意識界。
今回の解説では主に循環の法について書かれてありました。
それにしても、あの世を見聞してきて、しかも誰にでも理解できる簡単な身近な科学でその仕組みを説明されるとなると、なるほど・・・と思わざるを得なくなります。
当世によみがえったお釈迦様が説かれた教えというものが、二千六百年の年月をこえた現代科学にも通じるものだということには、あらためて驚異にさえも思えます。
その時代時代の求めに応じて、それぞれの聖者が説く方法の違いだけであり真理(神理)の根幹は永遠に変わらないものだ、ということなのでしょう。
そうなると人間というのは、神の体である大自然。その大自然が教えている定まった諸法(法則)のなかで生かされ、生きている。それを人間の恣意で変えることはできない、ということが理解できますね。
長文をご覧頂いた方、お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。
続きは、まだまだありますので別の機会に紹介させて頂きます。
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タグ : 高橋信次:般若心経のまとめ
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この文章はとてもいいです。一気呵成に読みました。
とくに「次に魂について考えてみよう。」から後の文章がいいですね。実在界と現象界の関係が、ぐいぐいと引き込まれるような簡潔な文体で説明しています。
高級霊の意識そのままに書かれていると感じました。
現代のニューエイジの書物のうち、良書とされている書物にも同じような内容が書かれていると思います。
写真は最初の赤い雲の写真が、まるで金星の大気を思わせる不思議な光景だなと感心しました。
では、おやすみなさい(^^)。