筑後川支流の、のんびりとした風景です。
小春日和な日は、この景色でも眺めながら一日中、ボーッとしていたい。笑!
こじんまりと生えているススキ。
もっと広く群生しているところもありますが、どう撮っていいのか分からない。爆!



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ここからは、
前回からの 「般若心経のまとめ」の続きです。
読み逃げ、スルー、斜め読みは大歓迎です♪ (≧m≦)ぷっ
ご覧頂いた方の中で、少しでも何かの気付きがあったとしたならば、それだけで嬉しいです。以下、紹介させて頂きます。転載です。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき)
これを直訳すると、現象界は実在界の投映であり、実在界があって現象界があるのだ、ということになる。さらにもっと突っ込んでいくと物質はエネルギーであり、エネルギーは物質である、ということになってくる。
現象界と実在界は、もともと一つであり、別々ではないのである。現在の自分の想念と行為が死後の実在の自分自身を現わしていることになる。
現象界が実在界の投映という意味は、一つには人間の心は一念三千であり、天国にも地獄にも、自分が意識を向けたところにつながるのでそういうのである。
人間は天国と地獄のちょうど中間に位置している。
なぜ中間に位置しているかといえば、人間の心は天国と地獄に通ずる自由(一念三千)な心を持っているからである。
慈悲と愛の心を持てば天国に、煩悩に心を奪われれば地獄に通じ、自分自身の生活環境を通じた世界と同じような形で現わして行く。
つまり、実在界の投映という形をつくるのである。それほど心というものは、重大な要素を持っており、人間はその心の在り方によって、鬼にも天使にもなり得るのである。
実在界に鬼が住むような地獄がもともとあったかどうかである。
天地創造の初めはなかったのである。実在界はエデンの園であり、天国のみであった。
ところが人間がこの地上の生活になれ、五官に左右され、六根が生ずるようになってからは、実在界の一隅に、暗黒の世界をつくるようになった。人間は自らの想念と行為によって、そうした闇を生み出していったのである。
すなわち、実在界に、光と陰の世界が出来上がってしまった。
そうして、地上の人間は、光と陰、善と悪の混合された世界で修行するような環境をつくり出し、その中でなければ、何が善で、何が悪であるかを知ることが出来なくなってしまったのである。
もともと実在界があって現象界があるのだが、現象界の人間の心が実在界に闇の世界を創り出してきたのである。
こうみてくると、現象界と実在界の姿がはっきりしてこよう。そうして、色と空の関係が、もともと別ものではなく、同時的に成立している、という意味が釈然としてきたと思う。
色は空に異ならず、空は色に異ならずとは、こうした意味がこめられているのである。
色即是空、空即是色――。
これの解釈は通常文字にとらわれる場合が多い。あると思えばない、ないと思えばある、といってみたり、色即是空は往相(悟りに向かう)空即是色は還相(人々を救う)と説明している人もいる。
本当の意味は、転生輪廻なのである。あの世とこの世の循環を、色と空、空と色という表現で、ここでは説明し、そうしてこう表現することによって、魂の転生輪廻の永遠性をうたっているのである。
大抵の人は、人間が生まれ変わるとは信じられないようだ。まず十人が十人死んだらお終いと思って生きている。だから、生きているうちが華であり、生に執着を持ってしまう。死は不幸を意味し、葬式は概ね暗く、陽気はタブーとされている。
ところが、人間は生まれ変わり、この世よりも、生前の魂の在り方によっては、あの世の方が住み良い、ということがわかれば、死は不幸ではなく、人生の卒業式として、生まれたときと同じように、祝杯をあげてもよいということになる。
死に対する人間の根本的な誤謬(ごびゅう)は「あの世がわからない」ところにあるようだ。
人は生まれると同時に、あの世と断絶し、通信を途絶えてしまうからである。お先真っ暗の人生を、それこそ手探りで歩いているようなものだからだ。
しかし、怒ったり、ねたんだり、悲しんだりすると気分を悪くし、人にも害を与え、反対に陽気や笑い、助けあったり、はげましあうことの喜びは、どんな場合でも気持ちがいい。その事実を私たちは日常のなかで経験しながらも、自然にふりまわされてしまうものだが、しかしそうした愛に生きたときの喜びを発見し、認識するならば、あの世があろうとなかろうと、現実の自分とその周囲を光明に化することができるはず。
悲しみを取り除き、喜びをわかち与える慈悲の心、助け合う愛の心というものは、人間は、皆持っている。そうして、そうした生き方を、誰しも望んでいる。しかし、現実は、そうできない。気持ちよい生活、平和な世界を希求しながらも、それから遠のいてゆく。これは、自我がそうさせ、執着が次第に広がって行くために、本来の目的から人は離れていってしまうのだ。ウソつきが得をし、正直者はバカを見る、ということを鵜呑みにした結果ではあるまいか。
己の心にウソはつけぬ大自然の条理を知って神の心に近づこうと努力するものに対しては、神は、色即是空の生命の扉をひらいてくれよう。なぜなら、神は、自ら助ける者を、決して放っておくようなことはしないからである。
人は色即是空の認識を得る前に、大抵は根負けし、肉体世界に妥協してしまう。妥協の上にあぐらをかいて、ああでもない、こうでもないと逃げをうつ。人生はますます解からなくなり、迷路にはまりこんで行くのだ。
まず人は、怒ったり、ねたんだりすることよりも、陽気に笑い、助け合う愛の心を、しっかりと抱いて、そうして、その心を持続するならば、「あの世がわからない」という迷信に陥るようなことはあるまい。
アメリカのある新聞社が、「あなたは、あの世を信ずるか」について世論調査をした。結果は、調査の八割までが、あの世を信ずる、と答えていた。答えた人八割があの世をみたわけではない。信仰が生活のなかに溶け込み、日曜になると、教会にいって話をきかないと一日が終わらない気持ちが、そうした回答となったのであろう。聖書が教える愛の心を教会で教えられ、愛の心を持ち続けることは人間として当然であり、そうしなければならないと考えているからである。
日本人について世論調査をしたら、どんな結果がでよう。あの世があると答える人は一割あるかないかであろう。
ともあれ、私たちの住む世界は、立体の世界である。人が地上に存在することは、そのまま、あの世につながった存在者として、存在するのである。ただ、あの世がわからないために、そう思えないだけの話である。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載、以上。
前回からの 「色即是空 空即是色」 の続きです。
般若心経の中では一番重要な内容です。
その解説を全部一気に転載したかったのですが、あまりにも文章が長すぎてしまいますので、ここでは半分に分けて紹介させていただいております。
続きの残り半分とそれ以降の解説は、まだまだありますので、また別の機会に紹介させて頂きます。
長い文をご覧いただいて、お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。
テーマ : モノの見方、考え方。 - ジャンル : 心と身体
タグ : 高橋信次:般若心経のまとめ
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芒 susuki
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絵のようにきれいな景色ですね。^^
こんなところをゆっくり散歩できたら癒されそうです。
そういえば私も…ずい分前にどんぐり村(笑)へ行ったときあまりのススキの群生に
どこをどう撮ってよいのやら全く分からなかったです。(≧m≦)うぷぷぷ
クマちゃんのマスコットは誰かの忘れ物でしょうかネ〜。(^ー^* )フフ♪