私事なのですが、学習塾を開設して今年で、もう18年。
9年周期でいうと今年は、私にとって大きな節目の年でもあります。
18年は長いようですがその開設当時を思い起こせば、つきなみな言葉ですが昨日のことのようです。
平成2年の中ほどから開設準備を初めて、平成3年の3月にオープン。
それまでの仕事とは全く畑違いの、今の仕事でした。
学習塾を初めた当初は、開設資金のために私の持ち家の実家を抵当に入れて一千万円を超すくらいの借金から始まりました。
その頃は、自分にとってはそれだけの借金でも不安をあまり感じることはなく、それよりも、「きっと絶対に、うまくいく!。」という変な(笑)自信ばかりがありました。
結果、好調な滑り出しで始まりました。しかし、すごく苦しい針のむしろにじっと座らせられているような時期も一時ありましたが、オタスケマンが現われていただき、それらを乗り越えられて、お蔭様で家族諸共、生活して来れました。とてもありがたいことです。
現在の授業料納入は銀行口座振替が多いのですが、その当時は月謝袋で親御様から現金納入してもらっていました。
私の学習塾に対し、信用して生徒を任せていただき、おそらく生活費をやり繰りしながら捻出されたお金・・・。
それまでのサラリーマンの時とは違い、月謝袋を開けるたびに手に取る一万円札には、お金を頂くことのありがたさを改めて知り、またそれとは別に、「信用」に対する「責任」という重さを痛感しました。18年間、それにしっかり報いるだけのことを自分は果たしてやってきたのだろうか。
18年間でのお世話してきた生徒の延べ人数は千八百数十名ほど。それを18で割る年間平均では百名ほどの生徒との関わりになります。これまで新しい生徒との出会いや別れが数多くありました。
生徒の在塾期間もいろいろです。わずか一週間でやめていく生徒。(涙
また、小学校1年生から大学受験までの12年間通塾した生徒。
そして高校1年生にして突然、冥土に旅立った生徒・・・。これだけは辛い別れでした。
生徒だけではなく、親御様とも生徒の数だけ、年に何度かの面談でも関わってきました。
また講師であるアルバイトのスタッフ人数は、実数としてこれまで採用してきたのは331人。たった一回の勤務だけで辞めていく人もいれば、8年間もアルバイト勤務してくれた人もいます。
また、春・夏・冬の季節毎の大学休校にあわせて勤務してくださる方。
その中でも一番心強いスタッフ講師というのは、私の塾で勉強して大学受験で合格。その後に私のもとで講師としてアルバイトに来てくれること。他の方以上に教えることへの責任と情熱感が強く、私の懐刀! としても活躍してくれます。
いろいろな性格とか能力を持っている生徒。そして、そして! 多種多様それぞれの人格を持たれる親御様とアルバイトスタッフ。
その対人関係では、一言では言い尽せないほどの楽しかったことや嬉しかったこと。反面、辛酸を味わったこと。いろいろと深く勉強させていただきました。その経験を考えると、今の職に就くことが出来て、とても良かったと思います。
ちょっとした雑感でした!

ここからは前回からの高橋信次先生による
「般若心経のまとめ」 のなかの 『色即是空 空即是色』 の続きです。
いつものとおり、読み逃げ・スルー・斜め読みは大歓迎♪ (≧m≦)ぷっ
ご覧頂いた方の中で少しでも何かの気付きがあったとしたならば、それだけで私としては、ただ嬉しいだけです。以下、紹介させて頂きます。転載です。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ところで私たちの生きている世界は一応三次元の世界である。
一次元とは、A点からB点を結ぶ線、つまり、海面と思えばよい。
二次元とは、海面を航行する船である。船は前後、左右に動くので、一次元より自由である。
三次元とは、空中に浮かぶ飛行機と思えばいいし、飛行機は、二次元、一次元の姿を自由に見ることができる。つまり三次元は立体の世界であり、大宇宙の空間と明滅する星の姿は、そのまま三次元の世界を形成している。
物質の世界は、三次元までを限度とし、それ以上については、認識ができない。
ところでアインシュタインは、三次元の空間のほかに、時間という一次元を加えた。そうして、そうすることによって三次元の実相をとらえることができると考えた。
アインシュタインは、時間を四次元に位置づけしている。
つまり、物の実態というものは、時の流れを把握することによって、はじめて、意味づけが出来るというのだ。三次元の立体像を単に主観的にとらえるだけでは、実在性は伴ってこない。実在性は客観的把握を前提とするというわけである。
空中に飛行機が飛んでいる。つまり三次元のみの思考ではその飛行機が、いったい何の目的でどこへ、どう飛んで行くのか、また離陸した飛行場はどこなのかについての認識がむずかしい。
しかし、こうした状況を、時間という運動の経過を通して調べることによって、空中を飛んでいる飛行機の目的なり、動機がはっきりしてくるというのだ。
この世の一切の物は、一刻の休みもなく運動している。運動のない物体というものはあり得ない。とすると、三次元の認識だけでは、これをとらえようとしても、とらえることはできない。つまり、物の価値づけ、実在性は把握できない。
人間の心は、生まれながらにして、四次元の働きを内在している。現れの世界は三次元だが、心は四次元にあるいは多次元に通じている。だから、文明も文化も進んできたのである。動物にはこうした機能は与えられていない。だからこの世に在る動物達の生活は百万年前も今もそう変わらない。
もっとも人間社会は、栄えては滅び、滅びてはまた発展し、そうしたくりかえしを続けてきているが、こうした悪循環を絶とうと思えば、何時でも絶つことが出来るのである。そこが動物と人間の本質的な相違である。
アインシュタインの四次元は、時間に焦点を合わせているが、四次元の世界は、実は、あの世の世界を意味している。物理的な次元論からいえば、四次元は、三次元を越えた自由自在の意識のそれであり、物質を貫通して、ものを見る超能力の世界である。あの世の人たちは、四次元以降多次元の住者である。あの世の霊は壁をつき抜け、あるいは壁の向こう側からこちらが見えるのである。
人間は、生まれながらにして、こうした能力を内在させて生活している。そうしてその一形態が創造活動であり、私たちの文化でもある。芸術にしろ科学にしろ、知識だけでは生まれてはこない。大学を出れば、誰も彼もが発明家になり、偉大な政治家になり、芸術家になれるかというと、そうはいかない。見えざる努力と、求める心が、筆を走らせ、絵を描かせ、生活を豊かにするよう科学させ、発明させてきたのである。マルクスのあの膨大な資本論は、今日、いろいろと問題はあるが、あの時代には、あの理論が必要だったのである。だから彼は書かされた。求めつつ、書かされた。資本論を知識だけで書けといっても書けるものではない。
こうした創造活動は、絶えざる求める心が内在意識をひらかせ、四次元以降、多次元の心と同通することによって起こるものなのである。偶然とか知識とか、その場限りの発見からこうしたものが生まれることは絶無といってよい。
何れにせよ、人間は、こうした多次元の心を持って生活している。三次元しか通常は認識できないが、しかし人間の意識は常に四次元以降多次元に同通しており、人間はそうした中で生活し呼吸しているのである。
ここで四次元以降多次元の意識の自由さについて述べると次のようになる。
四次元の自由さは、三次元を貫通し、物質にさまたげられることなく、ものを見ることができる。
五次元は、四次元世界はもちろん見ることができると同時に、地上界と地獄界の比較が容易に出来る。四次元の自由さは、ある限られた物質的障害を乗り越えられるのにたいして、五次元は、幾層もの物質を貫通して見ることができる。
六次元は、四次元、五次元の世界は勿論のこと、地球の隅々まで見ることができる。
善悪の判断が正確となり、人を導く自由さを持つようになる。
七次元は、六次元は勿論、他の天体にまで瞬時にみてくることができる。物質の成り立ち、天体の動き、人間の生い立ちが、七次元の意識が進むにしたがって、明らかとなってくる。したがって、物質のなかを覗き、生命普遍の認識を深めることができる。
八次元は、宇宙全体を認識できる自由さを持つ。万生万物の生命の根源が神の意識によって動いていることを知り、神の意思をうけついで、慈悲と愛の広く高い心のひろがりを持つ。過去、現在、未来を見通す心は八次元の頂点にある。
九次元は、神の意識であり、全(まっとう)なる心である。
さて私たちの住む世界は三次元の世界であるが、四次元以降多次元の世界が、感覚的に解らないとしても、前述の説明で概略理解されたと思う。
そうして、四次元以降の意識界の働きが、どのようなものであり、そうしてその意識が、私たちの生活にどう働いているかも、ほぼ納得出来たと思われる。
ところが人によっては、それでも四次元以降の世界はない、三次元で十分だ、四次元は飛躍だという人もいる。
しかし飛躍であるかないか経験がないのに、どうしてないといえるだろう。経験のない人が多くいて、経験がある人が少ないから否定する、というのはおかしい。
私たちの眼で見える範囲は、約7〜4オングストログまでである。赤外線、紫外線、X線、γ線、電波については確認することができない。
しかし確認できなくとも、実在していることには間違いないのである。
色即是空、空即是色――。
つまり私たちの魂(意識)は、現象界に肉体をまとって生きている間は、主に三次元的感覚(10%の意識)で生活しているが、肉体が滅びれば、魂だけが肉体から抜けて、あの世で生活する。四次元以降多次元の意識を持って・・・・・・。
そうして再び、この現象界に現れ、生活する。
この事実は、否定しようがしまいが、あることに変わりないものだ。
万生万物はすべて、転生輪廻の法から逸脱できない。なぜかというと、生命と物質は、そのように作られているからである。
地球が太陽の周囲を循環することによって、春夏秋冬の季節をつくり、生命がすこやかに育つように出来上がっている。原子の世界も、核の周囲を陰外電子が循環することによって、原子全体を維持している。この理法を崩せといっても崩せない。
この点については、また順を追って説明するが、色即是空、空即是色は、転生輪廻の実相をいっていることを理解して欲しい。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
転載、以上。
続きは別の機会にご紹介させて頂きます。

高橋信次先生作の「人生の羅針盤 Life's compass 」の使用説明書に記されている原理では、大宇宙には自然が織り成す春夏秋冬の様なリズムが存在し、また私たちの生存に必要なあらゆるエネルギーを供給しており、さらに私たちにも大自然の四季同様に自分自身に四季があり、一生を大自然の春夏秋冬と共に自分の春夏秋冬を時間と空間のある現世で過ごして行くとあります。
簡単に言えば、人間も小宇宙を形成していて、大自然より与えられた自分自身特有(※生まれた年月日が絶対数)の春・夏(大自然の良いリズムに乗り躍動する機会)・秋(波動がだんだんと弱くなってくる時期)・冬(飛躍の時期ではなく、自ら作り出した原因によっては苦難が訪れる厳しい時期)があります。それは9の倍数(例外として、10)により、それぞれ年も月も一巡してきます。
人生の羅針盤によると、私の場合・・・
年のリズムでいうと、塾を始めた1991(平成3年)は、計らずも強い波動に向かう前年であり、新しいことを始めるには自然なリズムに乗れる「転換の年」でした。
今年の2009年も、それと同じく強い波動に向かう前の「転換の年」です。
別に、占いみたいなものに凝りすぎてのことではありませんが。笑!
そういえば以前に、まはるださんから頂いた最初のメッセージ・・・
私はこれは、きっと成就すると思う。
そして岸田先生から初めて私に光を入れていただいた翌日の夜。自宅で入浴中に自分の身体に入ってきた数本の光。今でもその時の感慨は心に焼きついていて忘れられません。
今年は、その中の言葉の一つが実現する一歩の年なのだろうか・・・
・・・なんだか最後は以前の古い話。しかも意味不明・謎! で、すみません。
やっと来週あたりぐらいからリンク先の皆さまのところへもボチボチと遊びに行けそうです!
いつも迷惑な長い文をご覧くださり、ありがとうございます。
こちらのランキングをクリックしていただけると嬉しいです。
Ranking of blog今までにない
あなたの心の琴線を ゆるがす感動が ここにあります
高橋信次講演DVD
テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体
タグ : 高橋信次:般若心経のまとめ
この記事をリンクする?:
18 years (Nine cycles of year)
" size="65" onclick="this.focus()" onfocus="this.select()" />
ゆきさんがご自分のお仕事について説明されていますので、この機会に私の仕事の話をさせていただきますと、私は精神病院の老人病棟で認知症の高齢者の患者さんたちのリハビリの仕事をしています。
これまでたくさんの患者さんと関わってきましたが、みんな私との関わりはすっかり忘れていることでしょう!(爆×10回)
簡単に言えば、患者さんたちと体操やレクリエーション活動など行って、入院生活に活気を持たせ、健康維持を図るのが私の仕事です。
認知症は進行性の不治の病ですから、いくらリハビリしても患者さんたちは徐々に脳の機能が低下していき、また体の健康も次第に衰弱して、最後はお亡くなりになるわけで、はじめこの仕事を始めたときは、こんなことやって何の意味があるんだろうなどと思って悩んだこともありました。
認知症の高齢者と関わるためには、「何か努力して向上する」とか「目標に向かってがんばる」とかいった考え方を捨てなければなりません。
逆に「今が楽しい」かどうか「今が幸せ」かどうかがとても大切なんです。
見かたを変えると、毎日、年寄りたちと遊んでるような仕事なんですけど(苦笑)。
子供のとき、祖母から「お前は大きくなったら寺の坊さんになったらいい」と言われ、「死んだ人の葬式や供養をするような仕事はいやだ。僕は生きてる人を相手にする仕事がいい」と言ったのを思い出します。
口に出した言葉はかなうものですね。そのとおりになりました(^^!)。