祇園精舎でのハンドクのお話 

GLA関西本部発行月刊誌の2月号には、ハンドクの話が載せてありました。それを紹介(転載)させていただきます。

いつだったか、ある方から頂いた高橋信次先生の個人録音講演テープの中に、高橋一栄先生(信次先生の奥さま)が語られる祇園精舎で修行していたハンドクのお話がありました。公に頒布されていた当時の信次先生ご講演全41巻カセットブックの中の、ある一巻にも研修会時での一栄先生が語られるハンドクについてのお話がありますが、それよりも、もっと詳しい内容だったと記憶しております。
今月号の月刊誌を見て、それも思い出したので詳しいハンドクの話の、そのカセットテープを探すために自分の書庫と自作カセットテープ目録を確認していますが、その録音テープが見つかりません。処分は一切していないので、見つかったら改めてその講演録を紹介させていただきます。

ハンドクは理屈抜きで、生半可な反省ではなく、とてもシンプルなハンドクによる反省の成功事例です。結果、ハンドクは他の兄弟子を抜いて阿羅漢(アラハン)の境地にまでたどり着きました。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
(以下転載)

祇園精舎の近くに、シュリ・ハンドクという男がいました。
近くを通りかかったお釈迦様が「ワアワア・・・」辺り構わず大声で泣くハンドクを見て、
「何故そんな大声で泣くのか。」と聞きますと、
「私には兄がおります。色々と教えてくれるのですが、何一つ覚えることが出来ません。どうすれば覚えることができるのでしょうか。」
と、必死に頼みました。
辺り構わず大声で泣くくらいですから、あまり利口とは言えませんが、彼は正直で勤勉だと見抜いたお釈迦様は、「私のそばにいれば一緒に力になってやろう。」
と言って、ハンドクを連れて帰りました。
精舎では弟子たちが色々と教えましたが、全然覚えません。
日が経つにつれ弟子たちは、これではたまらん。と、みんなお手上げの様子でした。
その様子を見ていたお釈迦様は、ある日ハンドクに、
”塵(ちり)を払い、垢(あか)を除く”
”垢を除き、塵を払う”
「お前はこの言葉を覚えられるか? 言ってごらん。」と言うと、
ハンドクはもう、しどろもどろで、何日経っても覚えられませんでした。そこでお釈迦様は、
「お前は掃除はできるか。人の履いていたものをきれいにすることが出来るか。」
と聞くと、ハンドクは、
「はい、それなら私は何時でも出来ます。」
と喜んで、みんなの履物をきれいにし始めました。
そこで、お釈迦様は精舎のみんなに頼んで、履物の整理はすべてハンドクに任せることになりました。
ハンドクが履き物を揃えたり、きれいにした時に、感謝を込めて弟子たちは、
”塵を払い、垢を除く”
”塵を払い、垢を除く”
と言っているうちに、塵を払い、垢を除くということは、物をきれいにすることだと言うことがハンドクにも解ってきました。
そうして、塵とはどんな物だろう。垢とはどんな物だろうかと、一つひとつ考えていきました。
「そうだ、塵とは精舎の内や周りに溜まっているゴミだ。垢とは服や身体の回りに付く汚い物だ。除くとは、その塵や垢をすべて取ることだ。それが取れたらどうなるのだろう。」 「私はみんなの物をきれいにしてきた。その時にとても気持ちが良かった。そして、心の中までスッキリとしていた。」
ハンドクはこのように毎日毎日実行しながら、心の中の汚れについても考えていきました。
「みんなの履き物の汚れを取ったらきれいになった。それでは自分の心の執着を取ったらどうなるだろう。引っかかりを取った時には、どういうことになるだろう。欲を取った時にはどんなふうになるだろう。」 「欲を取れば特に悩む人はなくなるだろう。引っかかりの中の怒るということは、塵だろうか。垢だろうか。怒るということは自分が傷つくばかりではなく、他人をも傷つけてしまう。この塵はまず取り除くことだ。」 「また、思慮が足りないということは、自分自身にブレーキがかからないことだ。自分がシマッタと思ったら、すぐに直せる心の余裕のない人のやることだ。これでは他人に迷惑をかけてしまう。これではいけない。」
このように、ハンドクは履き物をきれいにし、水を汲み足に注ぐという毎日の仕事の中から
”塵を払い、垢を除く”
という言葉の意味を考えて実践してきたのです。
そうすることによって、自分の心の中と言葉の意味がしっかりとつながってきました。
やがて、自分の心が自分に引っかかりがなくなってきました。
「ああ、この気持ちは素晴らしい。それは塵を払い、垢を除いた結果ではないだろうか。」
ということが、身体中の隅々にしみ渡ってきました。
さっそくお釈迦様の所へ行き、「お釈迦様、私は言われたことを実行してきました。これが、塵や垢を除いた心ではないでしょうか。」
とお聞きしますと、お釈迦様はハンドクに向かって、
「よくやった。一つ覚えの言葉にも神理があるものだ。その単純な言葉が解るということは、お前は馬鹿ではない。利口なのだ。己の馬鹿さを知っている者は利口なのだ。己の馬鹿さを知らない者こそ哀れな人間である。」
と言われたのでした。
ハンドクのように、自分たちの身の回りを清浄にし、心の角(かど)を取り、引っかかりのない生活に高めていくことが、私たちの悟りへの道と言えましょう。
ハンドクは悟ったその後も、
”塵を払い、垢を除く”
を続け、偉ぶる心もなく、後から入ってきた弟子たちの履き物や濯(すす)ぎの世話を続けたということです。

(転載以上)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

高橋信次先生は、心にスモッグを作っている過去の誤りを修正(=心を浄化)するには「反省」が、もっとも近道であると話されます。しかもそれは10%の表面意識(逆に90%が心に深く潜在しているために、あの世の実相を知らないまま)で盲目の人生を歩む人間への、神の慈悲である。とも言われました。
反省が深くなれば誰しも、過去、それまでに自分で自分が気づかなかった誤りとか、その時点の(対人関係であれば)、相手に対する自分の足りなかった思いやりや間違った行動を知ることになります。
普通は(正法を知る前の過去の私の場合ですが)反省というのは、自分が、あるいは他から指摘されて(こちらの方が断然多い!)始めるのですが、能動的には思い出したくも無いような過去の封印しておきたい辛い出来事の、事の原因を(少しずつ心の負担に無理なく)見つけることだったり、または気づけなかった過ちなどを自分から探してみる、ということです。

過去にも書いていたと思いますが、以前に私の職場のすぐそばにある吉本伊信氏流の「反省道場」で24時間の寝食を除く丸一日間の反省三昧を経験しました。私にとって、ここで体験してみての大きな収穫。それは、意識して過去の自分の姿(思っていたことや行動など)を思い出しているときに、『それを客観的に見ようとしないこと』ということでした。客観的に見ようと意識するときに、もうその時点では、頭のてっぺんで考えようとしています。
思考は外して、過去の自分をただ眺めるだけ。
人間としてこの世に生を持っているのであれば誰しも(仮に大悪党でも)慈悲や愛の片鱗は神の子の証として心に内在して持っております。
「ただ、ただ、あの時は申し訳なかった。」 「許してもらえるのものなら許してもらいたい。」 「こんなバカなことは絶対に、もうしたくない。」 自然に流れる熱い涙とともに、素直に、そう思える心境になれば、ここで初めて意識することもなく結果的に自分中心ではなく客観的に自分を見ていることになります。そして過去のその出来事に決別となります。そしてそれを忘れないために、たとえば小さなことでも良いので(たとえば期間を決めての一日一善とか・・・)、またその過去の出来事にまったく関係の無い人、誰でも構わないので、定期的に自分が出来る(ほんの小さなことでもいいので)ことの何かを決めます。 
人それぞれ自分に合った反省方法があると思います。
高橋信次先生が講演で話されていたことです。
先の大戦の一番の首謀者は、獄中にて戦争責任において処刑されます。その方は阿修羅だった自分を、死する直前には、自分が日本の国を挙げて取り返しのつかない多大な国民の犠牲者を出した戦争責任について短い期間に深く、深く反省されました。そして処刑後は戦争責任者としては珍しく、地獄に行くことなく天上界に行けたそうです。その方にとっては反省なんて方法論というものは、その獄中では、なかったはずです。

とっても普通なことなのですが、「反省」を考えると人間ですから、いつのまにかそれに真剣になればなるほど、私の場合、方法論を考えて(思考の渦に呑まれて)いわば、「熱い血が通わない」ようになってしまうことに自分は気づいたのをハンドクの話を読みながら思い出しました。
信次先生は常に「反省」の重視を述べてありましたが、反省に対する方法論の型はありませんでした。きっと方法を形作ったら人はその形にこだわり(このようにあるべきだ・・・など)、こだわると本来の慈愛を感じる心が抜けて肝心の自然と湧出する感情体験ができなくなるから、という理由もあったのかもしれません。瞑想だってそうです。
祈りにしても、私はそうだと思います。生かされていることを実感できて、ほんの小さなことでも、それに関して心から感謝できる自分を、長い道のりですが少しずつ作り上げたい・・・


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タグ : 高橋信次:GLA誌より



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[ 2009/02/05 21:33 ] 随 想 | TB(0) | CM(14)
  1. ..
こんばんは。


初コメになります。

一才の娘が今夜も、仕事部屋に居座ってます。

なので、まったく仕事が終わりません(笑)

図面今日じゅうなのに・・・・

しかし緊張感うまれず、ブログを見たりしてます(笑)。


また、ゆっくり寄らせてください。


失礼します。
[ 2009/02/05 23:40 ] #- [ 編集 ]
素晴らしいハンドクのお話ありがとうございます
頭の賢さと心の賢さは違うのですよね

言われたことをきちんと実践しその結果大きな気付きへと
向かっていったその様子を手に取るように感じることができました

お忙しい中これだけの長文を作成するのは大変でしょうに・・
ありがとうございました
[ 2009/02/06 10:39 ] #HIn9vuQ2 [ 編集 ]
生かされていること。この世に生まれた目的があること。そしてそれは「学ぶこと」「愛すること」「使命を果たすこと」この3つを心がけています。まだまだ拙い自分ですが、誰かの(何かの)役に立ちたいと、常に考えています。すごく素晴らしいお話でしたね^^
[ 2009/02/06 12:56 ] #- [ 編集 ]
こちらこそ、はじめまして。
訪問と記事をご覧頂いて、コメントありがとうございました。

1歳のお譲ちゃん。可愛いさかりですね。
ご自宅でのお仕事をされていらっしゃるのでしょうか。

図面!
緊張感で書かれるというのは、何の図面なんでしょう。
私も図面引きの仕事をだいぶ前にやっていました。緊張というより単なる数字の正確さを求められました。それは建築とか登記測量の開発などの図面でした。
今はそのような図面は、ドラフターに顔を近づけて、というよりPCに顔を近づけて書かせているようですが。

足あとを残して頂いてありますので、あとでKEEP BLUEさんのところへも訪問させて下さい。

ありがとうございました。
[ 2009/02/06 13:36 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>頭の賢さと心の賢さは違うのですよね

うん。正直と勤勉であることっていうのは心にとっては栄養になるようです。

ねぎらって頂き、ありがとうございます!!
隙間時間をつくって書いたかいがありました♪
読んで頂いて、良かったです!
タコたん。嬉しい言葉かけ、ありがとう。
[ 2009/02/06 13:36 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
はじめまして。
・・・ですよね♪
訪問とコメントありがとうございました。

りょうたさんの書かれた3つの心がけ、素晴らしいと思いました。
そして、ご自分が人様の何かの役に立ちたいと常に考えてあるお心。
私もりょうたさんに見習いたいものです。

転載記事を読んでくださってありがとうございます。
何か、りょうたさんに感じていただけることがあったなら嬉しいばかりです。
あとで、りょうたさんのところへも訪問させて下さい。
[ 2009/02/06 13:37 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
難しいことをたくさん知っていることは素晴らしいけれど、知っているのと、体現し、魂の底から理解するのとは、全然違うのですね。
ハンドクは簡単な言葉も覚えられなかった。
だけど、覚えるだけなら機械でもできますね。

”塵を払い、垢を除く”

掃除にも繋がりますね。
目に見える埃を払って清潔にしておくことは、心を静かに保つのと同じことですもんね。

反省する、で思い出したのですが、数日前にたまたまつけたTV番組で、さだまさしの「償い」という歌を紹介していました。(もし御覧になっていたらゴメンナサイ!)

昨年、ムシャクシャしたのが理由で、二人の青年がサラリーマンを殺した事件の判決があり、有罪を言い渡したあとで被告人らが、「被害者にも落ち度があった」というようなことを述べたそうです。

それを聞いた裁判官が、「さだまさしの”償い”の歌詞を知っているか、反省するというのは、そういうことだ」と言ったのだそうです。

これは、さだまさしの知人の実話で、知人は定年退職が近いご主人と仲睦まじく暮らしていて、老後も二人で楽しく暮らすつもりだった。ところがある晩、ご主人はトラックに轢かれて死んでしまった。
トラックの運転手は若い青年で、配達帰りだった。
地面に頭をこすりつけて泣いて謝る青年を、知人は許さなかった。

翌月から青年は、給料袋をもらうとそのまま郵便局に走り、手紙を一緒にそっくり知人に送り続けた。会社の同僚は、貯金が趣味のコスカライ奴とからかったけど、青年はニコニコと笑っているだけだった。

これで赦されるとは思わない、でもただ青年は働いて働いて働いて、お金を送り続けた。

7年が過ぎた頃、青年に元に初めて相手の奥さんから手紙が届いた。「あなたの文字を見ると亡くなった主人を思い出すから、もうお金は送らなくていい。これからはご自分の人生をしっかり取り戻してください」

青年は、内容よりも、手紙をくれたことが嬉しくて嬉しくて、号泣した。その後も、青年はお金を送り続けたそうです。


またまた長くなってすみません
いつも、ゆきさんの記事をきっかけに、いろんなことを考えさせられます。
ありがとうございます。



[ 2009/02/06 16:38 ] #- [ 編集 ]
長文、大歓迎です♪

私はそのテレビは見ていませんでしたよ。
さだまさしの歌は、とってもヒットした誰でも知っている曲しか知らないので『償い』は知りませんでした。
(もしかしてその曲は当時、とってもヒットしたのかもしれませんが・・・)

インターネット検索で探して歌詞を先ほど読んできました。
(職場では今の時間は音楽が聴けません。後日聴いてみます!)
加害者と被害者の悲しい話ですね。
許す側と許される側。七年の年月は長くて重いです。
そして青年の自分の出来る最大限の真摯な態度と奥様の寛容な心には感動なしでは歌詞は読めませんでした。
そして裁判官の加害者へのかけたことば。
この歌を心で聴いたなら有罪を受けた二人は、歌詞のゆうちゃんのようにきっと罪の重さに気づいて長い時間をかけて謝罪と人生のやり直しが出来るのでしょうね。そうなってもらいたいものです。

シエラさん。すばらしいお話を書いてくださり、こちらこそ、いつもありがとうございます。
[ 2009/02/06 19:05 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
(^。^)/こんばんはー。
脳の海馬という部分が記憶を作る働きをしています。とくに言語をつかさどる左半球の海馬が脳内出血などで傷害されると言葉で表現された事柄を記憶することが困難になる可能性が高いですね。
ハンドクさんは本当は賢い人だったのでしょうが、そうした障害があったんじゃないかなって思いました。

他の仏弟子たちが「こいつはバカだ。いくら教えてもダメだ」とあきらめてしまったところを、お釈迦様は、掃除をすることを通して、心の中の塵や垢を除く事が大切なんだということを教えていくのですね。

なんだかヘレンケラーとサリバン先生みたいないいお話ですね(^^)。





[ 2009/02/06 21:05 ] #y6LFAiUE [ 編集 ]
なるほど! ぽんたさんの仕事のお立場から見られると、そのような判断が出来るのですね。

お釈迦様は、人を見て法を説かれた方だったそうですが、まさにハンドクにはピッタリの指導だったようですね。
というかハンドクの熱心さがあればこそ、ですが。
いいお話だとおっしゃって頂けて良かったです。

いつもコメントありがとうございます。
[ 2009/02/06 21:24 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
人って、とかく頭でっかちに
なりがちで、それで悟った気になる…
悟りって自分が現世界で体験してこそ
得られると自分も日々感じて過ごしています.
ハンドクのお話しで、また一つ勉強になりました。
ありがとうございました・・・^^
[ 2009/02/07 19:17 ] #- [ 編集 ]
シュリハンドクについて調べると、さらに続きの話もあるんですね。これも面白いですよ。いくつかバージョンがあるみたいですが、まとめると次のような内容です。

ある日、お釈迦様が「今日、ある村で集会があり、法話を頼まれていたのだが、私は別の用で行けなくなった。代わりの者をやりたい」と言って、ハンドクを指名しました。
他の仏弟子たちは「あのバカのハンドクに法話などできるわけがない。無茶だよ」と言い合いました。でもお釈迦様の決定に反対も出来ず、だまっていました。

ハンドクは2人のお供を連れて、集会に出かけましたが、2人のお供の仏弟子も道すがら、「ああ、今日の法話は大失敗するに決まっている」とハラハラしっぱなし。

ハンドクは集会に着き、法話を始めましたが、むずかしい理論理屈は説明できませんので、自分は教えを聞いてもさっぱり覚えられず、いかにバカな人間であるか。それでもお釈迦様が3年もの間、掃除の実践も含めて、自分のためにあれこれと辛抱強く教え続けてくださったこと。そしてついに悟りを開いたとき、いかにお釈迦様が喜んでくれたか。たどたどしい言葉でせつせつと訴えると、その場の聴衆はみな感動して涙を流しました。

お釈迦様はその話を聞いて、仏弟子たちに、「難しい言葉で理論理屈を並べ立てることができても、悟りを開いているとは言えない。自分がおろかであることを知りながらも、努力をおこたらない人間はおろかではないのだ」とおっしゃられた。それを聞いて仏弟子たちはうなだれて、自分たちの慢心を反省しました。

このお話もいい話でしょう?
[ 2009/02/07 21:33 ] #y6LFAiUE [ 編集 ]
イマジンさーん。
土・日をはさんでブログを放置しておりました。
コメントが遅くなってすみませんでした。

小さなこと一つでも身体で時間をかけて体験を重ねていくこと。
その大事さを教えてくれるハンドクの悟りです。

少しでも得るものがあったなら、うれしいです!

コメントありがとう!!
[ 2009/02/09 18:27 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
他にも話があるとは、釈迦の弟子では有名な人なんですね。

すばらしいお話を、わざわざ調べて頂いてありがとうございます。

返事が遅くなって、すみませんでした。
[ 2009/02/09 18:30 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
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