感情のコントロール 4 

前記事の 『感情のコントロール 3 』 の続きです。
以下、駄文が続きます・・・。汗!
斜め読み・スルー大歓迎です!!

ここからは、場合によっては不可分関係にある 〔感覚〕 〔感情〕 〔思考〕 〔意志〕について、それぞれ独立させて、具体性を表すために、また複雑にならないよう注意を払いながら分析を述べさせて頂きます。
あくまでも分析は、言葉の定義付けの手段であり、目的ではありません。言葉の共通理解であり、意味の混乱を避けるための確認であると理解して頂けるとありがたいです。
ただ、あえて私流の解釈が含まれていることも付け加えさせて頂きます。


皆さんはすでに似たような形で実践されてあることかと思いますが、要は、前記事で紹介しました研修会で取り組まれていたテーマを研修会を受けたときの一度きりではなく、毎日の日常の生活において、一瞬でも良いので、その場で時間を止めて、自分のその時々の心の傾向性や行動などを自分がやり易い方法で、一日一度は真剣にしっかりとつかんでいけたらいいですね。という単純なことです。
それに慣れてきたなら、理想としては回数を少しずつ増やしていきながら、少しずつ自分を客観視できる己を育てることが目的です。
人はあらゆる活動を通して人々との交流を通して、得難い体験を得て自分自身の心の血や肉となっているはずです。そのなかで、より豊かな自分を作るための実践の一つとして、日々の生活行為、つまり想念・行為がどうなのかを見極める必要があるのではないかなと思います。それは、一足飛びに自分の何かが変わるということが出来るわけではない地味な作業ですが、地道に何度も何度も繰り返し検証するということは、「自分を確立するために自分を知ろう。」という真剣さと、途切れることもありますが長く継続する忍耐力が自分自身に問われると思います。


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普通、人が行動(あるいは、思い・想念)に移るパターンというのは、まずは、何らかの感覚を五体に受けて、その感覚に対して感情が湧き、その感情を軸にして思考、そして意志に流れます。もちろん例外もあります。例外についは後述させていただきます。


『感情のコントロール 2 』 に掲載させていただいた信次先生執筆の 「止観」 には

> 人間の行動の七、八割は感情によっている。
> 自己本位の感情に左右されているところが非常に多い。

と書かれてあります。
ここでは、日常で、例えばその時々の対人関係の中で常に発生する五官でとらえてきたさまざまな諸現象の発露である 『感情』 を主に着目しながら展開していきたいと思ます。


ではまず、感覚・感情・思考・意志については、大きく二つに分けられますね。
受動と能動です。
〔感覚〕 というものは、発するものではなく、受けるばかりです。
〔感情〕 は受動と能動に分けられます。
そして、〔思考〕 〔意志〕 は能動的行為(精神・想念行為も含みます)になります。

また、心の三つの働きである、知・情・意という言葉がありますが、それらを四つに当てはめると、「知」の知性・理性は、思考の分野に該当し、「情」は感覚に対しての感情であり、「意」は意志の働きとも言えます。


〔感覚〕 についてです。

受身である感覚は、五官(眼・耳・鼻・舌・身)の外界からの刺激であり、あるいは印象に基づいて生理的な視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚ともいいますね。
他には暑い・寒い、硬い・柔らかい、明るい・暗い、といった圧覚・痛覚・冷覚・温覚・・・などなどがあります。
感覚とは感情が湧く前の純然たる肉体を指します。心が反応する前のきっかけです。
眼に映ることとか、耳で聞こえてくること、匂いを感じること、身体で感じることなどのように、ここでは私はそう理解しています。

ただし、「感覚的にかっこいい」とか、「かっこ悪い感覚」といったものは五官に基づく生体反応だけとは違い、社会生活上の自分の価値判断の 「意」 がすでに含まれているので、ここではこのような類は除きます。
「意」 は肉体ではなく、意識・自我・魂・心の総体を指します。


ここからは、ちなみに・・・ということですが・・・
皆さまご存知のとおり、「五官六根」 ということばがありますが、六根と肉体は別物です。肉体とは五官を指し、六根とは五官に意が働くことによって生じる煩悩です。煩悩が生じたときに五官が 「五根」 になります。五官のみでは五根にはなりません。たとえば脳死者に刺激を与えても反応が無いとすれば五根が生じません。意が働いてはじめて六根になり、五根になります。

・・・かなり、理屈っぽいことを書きました。というのも実は、このことは、五官と五根、六根の解釈がどれくらい理解が出来ているのかを、信次先生が志賀高原 夏季研修会にて参加者全員に実施された文証の試験(ペーパーテスト)の中の一つの問題です。あえて紹介させて頂きました。
「正法の理解度テストを全員に実施します」 という信次先生の意見に対して、東京の、ある幹部・講師たちは信次先生に反対意見がありました。
それに対して信次先生が昭和48年8月16日、その東京の一部の幹部に対して非常に厳しく叱責されている録音テープがあります。
(この録音テープは知る人ぞ知る、かも知れませんが。)

神理に対するペーパーテストを信次先生が発案なさるということは、遺されているご講演のお話の主だった主旨からすると以外に聞こえるかもしれませんが、紛れも無い事実です。なぜ、そうであったのかは根拠があります。順を踏んで別の機会に資料を基にして説明させて頂きたいと思います。


すみません。話を戻します。
信次先生は、五官のことばに続く 「六根」 というものは、肉体である五官に対して、「意」 が働くこと。つまり、意識である魂・自我がとらわれ、目に見えた無常な現象の世界を実在と見たり、考えの基本においてしまうので煩悩を生ぜしめることになると仰っています。
たとえば、花を見て・・・美しい ⇒ 欲しい ⇒ 自分のものにしたい・・・とする眼を通しての煩悩があり、あるいはまた、人の噂に、それが本当なのかの実態を自分が納得いくまで相手との心からの対話なしで確認しないままで、憶測にて怒りとか不信を覚え、耳を通しての煩悩がある。こうした煩悩は、五官ではなく、すべて意である自分の意識の中につくられていく。その煩悩に陥った自分を偽我であり、その偽我に自分を託しすぎるから迷いがつきないと述べられてあります。

前記事で紹介しました研修会で使われた例題についての 〔感覚〕 について書かれてあることと、上記述べさせて頂いたことを比較すると、若干の観点の違いにお気づきになられたことかと思います。




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P1000104.jpg
葛城山の麓の公園を散策しながら見つけた ジュウガツザクラ





テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体



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[ 2010/11/22 00:12 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)
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