「道について」 高橋信次講演 

高橋信次先生の講演をあげました。
かなり長文ですが、少しでも皆様の何か参考になれば・・・と思います。
読み逃げ、スルーは大歓迎!(≧m≦)ぷっ

先月からの続きです。
今回、追加した文章は色を変えて下の方と〈続きを読む〉に up しています。
なお今回で、この演題は最終回になります。


以下、GLA関西本部発行の月刊誌より転載。2006.11月号~2007.7月号

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この稿は、昭和47年12月10日、関西本部定例講演会での内容をテープより書き起こしたもので、一部加筆・訂正を加えてあります。

演題 「道について」

本日の講演は「道」という題で説明したいと思います。
私たちが生活する環境の中においても、道というものにはいろいろとあります。
まず、自動車をみますと、これには道路交通法というのがありまして、ルールをちゃんと作ってあります。
一方において、空の方にもルールがありますが、最近は航空機事故が非常に多くなっております。
鉄道もまた同じです。
これにもルールがちゃんと存在しております。
かつて私が(戦時中)飛行機に乗っていたときは、航法というのがありまして、気流とかいろいろな気象条件というものを規準として、飛行機の通る道をちゃんと明示してあります。
それにもそれぞれの厳しいルールがあります。
しかし、私たちの人生におけるところの心というものに対する道というものが、いつの間にかわからなくなってきております。
それが「末法」という時代です。
人間の心の内というものは、人間の知恵によって変えることが出来ません。
道路交通法にしても、あるいは空を飛ぶ航法にしても、この法というものはある程度自然というものを規準にしますが、人間の知恵が作り出すものです。
しかし、私たちがこの地球上に生まれてきて成すべき道というものは、人間の知恵が作り出すものではありません。
先ほどもT弁護士が説明しておりましたように、調和された大自然が人間の在り方を教えているんです。
しからば、人間の道とはいったい何でしょう。
インドの時代に、ゴーダマ・シッタルダー(お釈迦様)は「生老病死」という、人間の生まれてきたこと、病気をする、年をとる、死ぬ、というこの四つの問題は苦しみである。
その苦しみを除く道、それにはどうしたらいいのだろうかと追求し、三十六年間かかって悟り得た道が「八正道」という道だったのです。
それが先ほどもT弁護士が言われた、調和への道なのです。
そもそも、今から二千五百有余年前におけるところの仏教というものは、プターストラーと言いまして、「悟りへの道」ということです。
しかし、二千五百有余年後の現代におけるところの日本の宗教というもは、全てが他力本願です。
正しい人の道というものは、他力によって得られるものではありません。
人間の心と行いというものがどういうものであるか、あくまでも人生におけるところの苦しみというものは、自分自身の思うことと行うことが、正しいルールに適っていないときに苦しみが起こるのです。
プターストラー悟りへの道というものは、即ち、我々自身が、この地上界に生まれてきたところの目的と使命というものが、どういうものであるかということを悟る道なのです。
しかし、我々はこの地上界に生まれてしまいますと、本来100パーセントの心というものが90パーセントは潜在してしまいます。
そのため、次元を超えた世界、あの世という本当の世界、実在の世界を忘れてしまいがちなのです。
心が曇れば曇るほど、次元を超えた世界というものが曇ってしまいます。
あたかも人類の作り出した物質文明が、公害を作って太陽を阻止しているのと同じです。
我々はまず、間違った道というものは人間自身の知恵が、人間の「我」が作り出してしまったということを知らなくてはいけません。
仏教も二千五百有余年の間に、いつの間にか一生懸命お経をあげれば救われると、あるいはまた、神社仏閣にお参りすれば救われる。
病気になるとつい頼りたくなるとなってしまいました。
まずこのような不調和な結果に対しては、必ず原因があるはずです。
その原因がどこにあるかということを悟ることなく、結果だけで目先真っ暗なのが現代社会の人々です。
現代社会におけるところのあらゆる精神的な面を通しての混乱も、物質的な文明というものの奴隷になりさがっているところに原因があるのです。
私たちは、この地上界に生まれてきた時は全く裸です。
どんなに経済的に恵まれている場所に生まれようとも、その方は決してお金や財産を持ってきていないのです。
また、この地上界を去るときにも、いかに皆さんに財産があり地位があろうとも、それを持って帰ることは出来ません。
そこで、我々自身にとっては次元の違った世界、あの世という世界こそ実在の世界であり、我々は、あの世とこの世、即ち、色即是空、実在と現象の世界を輪廻転生しているということです。
我々はその「道」を歩んでいるのです。
そして今もまた、皆さんは自分自身のあらゆる環境を通して、人生の新しい学習を続けているのです。
人間の心というものが調和されてまいりますと、やがて我々は次元を超えた世界を、自由に見ること、聞くこと、話すことが出来るようになってきます。
それは、般若心経の中にあります「パニャー・パラ・ミター」と言って、内在された偉大な智慧に到達することなのです。
この境地に到達した人をラカンと言っていますが、インドのゴーダマシッタルダーの時代は、当時の言葉ではアラハン(阿羅漢)と言っております。
人間は本来、そのようなアラハンの境地になることができるのです。
生まれてきた時は、皆さんは本来、豊かな丸い心だったのです。
その心の中には、神から与えられているところの本能という領域、感情という領域、さらに知性という領域、理性という領域、さらにその中心には想念という領域があり、皆さん自身の五感五体を通して感じ得るいっさいの諸現象は、心を通して現象化されていくのです。
それは、皆さんの目で見ることは非常に難しいことです。
しかし、あの世という次元の違った世界は厳然として存在し、それぞれがみな肉体を持っているのです。
それは、現代のようなこの地上界に適応したところの物質的な原子細胞によって構成されてはおりません。
あの世からでてくる時には、それぞれが長い転生輪廻の中で、自分自身の魂をより調和した豊かな丸い広い心を持っていたのです。
私たちは、神の体であるこの地上界という場所にまず出てまいります。
先に、次元の違った世界でお互いに親になる人、子どもになる人と、それぞれが約束して登録されます。
両親になる人が先に出ていき、一定の年頃になり結婚をして結ばれていきます。
そのことは次元を超えた世界から皆さんはすべて承知の上で出てきているのです。
あの世では、金持ち貧乏人というものは関係ありません。
あの世から見ていると、その人がいかに人生を豊かに広く丸い心で生きているかということがわかるのです。
あたかも、皆さんが二次元のX軸Y軸を結んだところの映像を眺めて、それぞれの状態を支配し干渉するように、次元の違った世界からは、この三次元のすべて見通す能力を持っています。
そういう世界から、実は皆さんの誰もが出てきているのです。
それだけに、この末法の世の中、厳しい人生を皆さんは自覚して出てきているのです。
子どもになる約束をした人は、お母さんのお腹の中に入ります。
約三ヶ月目ぐらいになりますと、次元を超えた世界から支配にかかりますから、お母さんの意識と自分(子ども)の意識との間にずれが出てきます。
しばらくすると完全に調和されます。
その結果がある人にとっては「つわり」の現象となり、食べ物の好みが変わってしまうのです。
それは、子どもの意識の影響によりなされているからです。
子どもは、十月十日経って空気(出産)にふれます。
皆さん、水の中に氷を入れてみてください。
上から落としますと、瞬間は百パーセント沈んでしまいますが、徐々にまた上に上がってきます。
氷というものの密度は約九十二パーセント程度ですので、計算して水を百としますと、だいたい十パーセントしか表面に出ません。
それと同じように、神の体であるところのこの地上界という場に出てしまうと、皆さんの魂自身も、自然界の万象万物と同じ現象(法則)が起こってくるのです。
そのために、空気にふれて「オギャー」と泣くと同時に、十パーセントしか表に出てきません。
残り全部が潜在してしまいます。
そして、徐々に本能の領域というものが芽生えてきます。
その結果、黙っていても(教えなくとも)母親のオッパイ(母乳)を吸うようになります。
一週間経ち、二週間目ぐらいになりますと、小さい子どもは、周りに誰もいないのに「ニコニコ」と一人で笑っていることがあります。
それは次元の違った世界の魂の兄弟たちが、そばに来ていろいろと話をしているからなのです。
「お前、今度はしっかりやれよ」
「わかっております。がんばります」
彼らは祝福されているのです。
心の眼で見える人たちには、光の天使、あるいはその魂の兄弟たちが、その子どものそばにいるところをはっきりと確認することが出来ます。
こうして成長し、だんだんと自我が芽生えるようになってきます。
自己保存が強くなるにしたがって、生まれた環境、教育、思想、習慣、こういうものを通して子ども自身の性格は形成されていきます。
同時に、その子どもは、転生輪廻の過程において潜在されているところの九十パーセントの意識にも徐々に影響されて性格が生まれてきます。
こうして、五歳、六歳、・・・・、大きくなるにしたがって、少しずつ子どもの人格というものは形成されていくのです。
我々は、習慣からくるところの肉体先祖というものが、絶対だという間違った考え方をいつもの間にか身につけてしまいました。
親は子どものためと思って一生懸命に教育もし、自分の出来なかったことを託そうとする。
その心は良いが、期待が大きすぎて、いつの間にか子どもは親の言うことを聞かなくなってしまいます。
実は、地上界(この世)に生まれ出てくるために肉体の舟の約束はしても、魂までは親子ではないということを知らなくてはいけません。
しかし、我々はこの地上界(この世)に生まれてきた以上、自然というこの環境の中にあって、万象万物相互の関係によってこそ肉体を保存し、子孫を保存することが出来るのです。
太陽の熱、光は、金持ち貧しい人、地位、名誉等に全く関係なく、皆さんに平等にそそがれています。
神の光(エネルギー)もまた、すべてに平等に与えられているのです。
が、心の中で思うこと、行うこと、これが神の道である中道とは違う片寄った道を歩んだときに、その人の心の中に歪みが出来、自らして心の中にスモッグを作り出し、神の光(エネルギー)をさえぎってしまうのです。
そこに苦しみが出来てきます。
人間の心というものは、一念三千、三百六十度の丸には、始めもなければ終りもないように、心の針というものは、その人の心の状態によって違ってきます。
その心の状態が、すべてその人の苦楽というものを形成しているのです。
我々は、すべて自然の恵まれた環境の中に育っています。
その自然の恵みに対する感謝の心を行為として、人々に尽くす道を、また自然は教えてくれているのです。
同時に、両親は私たちを産んで育ててくれました。
それに対する感謝の心は、神の子として、お互いに親孝行するということは人間として当然の道なのですが、それがわからなくなってしまったのが現在です。
自然界は、すべて人間の在り方を教えているにもかかわらず、ただ祈れば救われると、人間の脳細胞まで狂わせてしまった。
宗教はアヘンと化してしまったのです。
思想というものは恐ろしいものです。
あの世(実在界)では、決して曼荼羅や仏像などは祀ってはおりません。
初期のイエス・キリストの時代においても、あるいはその前のゴーダマ・シッタルダー(釈迦)が神理を説いた当時にも、依然として旧来からの古い一つの宗教環境がありました。
ゴーダマ・シッタルダーの当時には、ヴェダーやウパニッシャド、すなわち、バラモンを中心として多くの宗派が乱立しています。
そして、バフラマン(梵天)、インドラー(帝釈天)など、そのようなものを神とあがめ、偶像崇拝が非常に盛んでした。
また、ヨギ・ストラーと言いまして、山中に入り、肉体的荒行をしたり、自分の雑念を無くそうとして禅定をし、神に到達したというような間違った道を踏んだ人たちが非常に多いのです。
しかし、そんな時代においてゴーダマ・シッタルダーは、人間の生きていく上において、正しく語ること、聞くこと、そして、自分自身が正しく見ること、正しく仕事をすること、という片寄らない八正道の道を人間が実行したときに、心の曇りが晴れていくと説いたのです。
その晴れた状態で、自分自身の日々の生活を積み重ねていけば、心の中は精妙になり、自由に次元を超えた世界と交渉を持つことができます。
逆に、禅定三昧とか言って肉体行だけで煩悩を滅しようとするが、心の中では何を考えているかわからない。
こういう状態で禅定しますと心の針は一念三千ですから、どちらに向いてしまうかわかりません。
不調和な世界に通じてしまいます。
現代、問題となっているスモッグも、太陽の熱が強くなれば当然そこには光化学スモッグというような、一つの新しい現象が起こってきます。
と、同じように、禅定だけで人間は救われるものではなく、調和されるものでもありません。
一秒一秒の正しい中道に基づいた生活を行い、これが積み重ねられた時に人々の心というものの窓が開かれていくのです。
当然のことながら、アラハンの境地にもなっていきます。
そして、アボロキティ・シュバラーと言われる観自在菩薩の境地にもなっていくのです。
その観自在菩薩と称する境地も、実は永遠の転生輪廻を繰り返してきている今までの積み重ねられたところのキャパシティ(容量・受容力・能力)によって違ってくるのです。
過去において、でたらめ三昧をやって地獄に堕ち、地獄界において自分自身神の子としての自覚を得て天上界へ行きます。
その天上界で、五百年、千年、自分自身というものの心の状態を反省し、神の子としての道に到達して修行をします。
けれども、そういう状態が繰り返されている人々は、なかなかアボロキティ・シュバラーの境地になることは出来ません。
こうして我々自身は、仏教を通してもキリスト教を通しても、一番根本にあるのは偶像崇拝ではないということを知らなければなりません。
大事なのは、人間自身の肉体と共にある光子体になっているところの人生行路の乗り舟の船頭さんである、すなわち魂、その中心である心というものの在り方を教えているのです。
インド時代のゴーダマ・シッタルダーは、二十九歳の時に家庭を捨て、六年間も山中に入って苦しい修行をし、人生というものを悟っていきます。
そして、慈悲という偉大なるものを説きました。
しかし、愛ということを説かなかったのです。
その後、約二十数年遅れて、ベンシャラーという男が出まして(出生)、愛という道を説いていきます。
皆さんがよくご存知の大日如来です。
さらにそれでも足りなくて、一世紀にガレリア地方に生まれたイエス・キリストという男が、愛という道を説いていきます。
愛と慈悲は十文字です。
慈悲というものは大自然を通して大きく広がり、愛というものは横に広がるところの、調和されたものでなければならないのです。
こうして、イエスにしても釈迦にしても、人間の心と行いというものの在り方の規準、その道を説いていったのです。
しかし我々は、そういうことがいつの間にかわからなくなって、一生懸命にお経を唱えることに専念してしまったのです。
この地上界というのは、地獄と天国がミックスされた世界ですから、そうすることによって違うところから霊的な現象が出てきます。
次元を超えた世界からは自由にこの地上界を見ることも出来ますし、来ることも出来るのです。
全然わからないから、これが良いと思えば一生懸命に拝み、どこどこの神々で、霊験あらたかだといえば崇拝してしまいます。
我々の心というものが、正しい道を知っていないために盲目になり、それが、狐か狸か何かわからないにもかかわらず、そういうものが信心の対象になり現象が出てきます。
そこにまた一つの新興宗教が出来上がってきます。
動物霊であっても少しぐらいの病気なら治すことが出来ます。
しかし、本来心という問題に対することに彼らは触れることは出来ないのです。
イエスや釈迦のように、人間自身の普遍的な正しい神理という道を説いてはおりません。
自分自身の心というものはわかりませんから、一生懸命に手を合わせて拝んでいるうちに、神のお告げだと言って出てまいります。
そうすると、皆さんは盲目になっているのですから、神様が降りてきたと思うのです。
しかし、残念なことに、その人自身が神と全く同じ状態の心と行いを実践していない限り、降りてくるはずがありません。
私のところで作っているコンピュータというものは、あらゆる計算を通してデーターが出てきます。そのコンピュータ自身も、最初に与えた計算だけは確実にやります。
人間のように、勝手に自分で考えたり感情を持ったりしていませんから、スイッチさえ入れればきちんと計算してくれます。
このように、機械と人間の違いというものはそこにあるのです。
しかし、人間自身にも心の調和の状態によるレベルがあります。
皆さんは仏像を知っているでしょう。
おそらく心の眼を開いた人たちがああいう物を造っているはずです。
菩薩という仏像を見ると、たいてい頭のところに後光が出ています。
如来になりますとその後光がさらに大きくなります。
これは、その人の心の状態、調和の状態に光が比例しているのです。
皆さんの肉体の後ろに出ているところの光はそれぞれ誰からも出ているのです。
ただ、恨み、妬み、そしり、怒り、こういう心を常に持っている人たちは、その光を消してしまっています。
心が調和されてきて、常日頃、思うことと行うことが正しい神の道に適った生活をしている人たちには、ちゃんとその後光が出ています。
その光の量も、自分の心の調和された状態に応じて違っています。
当時(インドの時代)は、一週間山中に入って、自分の心というものを見定めて初めてゴーダマ・シッタルダーの前で、
あなたは、まず私を信じますか。
あなたは、私の説く法を信じますか。
そして、私の集団、すなわちサンガー(教団)に帰依しますか。
という三つの約束をして、弟子入りを許されたものです。
一人ひとりの心というものは、調和されていれば後光が出ていますから、すぐに入門する資格が与えられます。
しかし、現代社会では違います。
心が不調和でも、お金を持っているか或いは調子のいい人たちのように表面だけを飾っていてもいいのです。
ところが、GLAではそれは通りません。
相手の心の状態、光をすべて見通す人たちが、何人も何人も出ているのですから、ごまかせないのです。
口先だけで上手いことを言ったところで、これはだめです。
人間には、それぞれ魂の乗り舟である原子肉体の後ろには、ちゃんと光子体というものがついています。
この光子体は、自分の心が調和されていれば(黄金の)光が出ていますし、調和されていないと光は消えます。
現象界(この世)から実在界(あの世)へ行く時、すなわち死を迎えた時、離れていく光子体の肉体が、暗いか或いは光に満たされているかによって、地獄、極楽が決まってしまうのです。
質量が重ければ、地獄です。質量が軽ければ、天上界です。
その世界を仏教では金剛界と言っています。
それは光の世界です。こういう世界に行く人たちは、仏像に出ているのと同じように後光に満たされています。
まず、八正道という、正しい人間の心と行いというものの道を極めている人たちなのです。
そういう人たちは、生きていながら次元を超えた世界に行って見てくることができます。
それは、光子体と原子体の肉体を結んでいる霊子線というものがあるからです。
皆さんの心は、光子体の中に入っています。
ですから、夜、眠ってしまった時には、光子体が肉体(原子体)から離れている場合が多いですから、どんなに立派に鼻の穴が開いていても耳の穴が開いていても、見ることも嗅ぐことも聞くことも出来なくなってしまいます。
人生行路の乗り舟から、船頭さんが降りているからなのです。
生きている間は、この舟と皆さんの光子体の舟とは、ちゃんと霊子線でつながっています。
この霊子線の光が、あの世に帰る道なのです。
片寄らない中道の道を、心と行いを通して実践している人たちの道(霊子線)は光に包まれます。
それは、光のドームのようなところで、その中をものすごいスピードで駆け巡っていきますと、次元の違った世界へ到達いたします。
神を信じない人たち、自分自身がでたらめ三昧で、人の道を行わない人たちは、そのまま地獄界、真っ暗の中へ堕ちていきます。
この地上界というところは、そういう人たちが非常に多いのです。
その結果が、社会の混乱であり、人々の意識に悪い影響を及ぼします。
これがまた、病気という現象になってくるのです。
皆さんは、わからないでいるけれども、この地上界は、地獄と極楽がミックスされている世界なのです。
そのために、心がきれいならば、その人たちは光の保護を受けていますから、バチが当たったり、憑依されることはありません。
うらみやねたみ、そしりや、家の中が不調和で、わけもわからないものを一生懸命拝んで、違うものを拝めば邪宗だと決めつけるような人たちの心は、阿修羅界という世界に通じています。
そういう人たちには、心に安らぎがありません。
本当に信心深い人たちというのは、お経をあげたり、そのような場所へお参りするものではなく、片寄らない中道の道を、一秒一秒怠りなく生活をしている人たちのことをいうのです。
中道の道を歩んでいる人たちは、常に光明に満たされ、その時に初めて他力の力を得ることができるのです。
実在界を通して、あの世の偉大な力を皆さんは受けることができるのです。
それゆえに、正道という片寄らない中道の道を自分の心の物差しとして、間違いがあったならば素直に反省をして、それを修正してより自分自身を謙虚に、人に対して慈愛の心を持った生活行為を積み重ねてゆく、自分の欠点を修正する勇気が必要です。
自分自身の欠点は、自分にうそをつけない善なる心が一番よくわかっているのです。
皆さん自身の生命は、転生輪廻の中で、ある時にはナザレの丘においてイエス・キリストの道を学んだ人もいるのです。
あるいはまた、ゴーダマ・シッタルダー(釈迦)のラジャグリハの郊外において、その道を聞いた人たちも皆さんの心の中に潜在されている意識の中には記録されているのです。
それをひもといた時に、我々は物質文明の奴隷ではなく、物質文明は人類のためにあるんだということに気がつくのです。
そして、より平和な調和された人類の道を自らして切り開いていかなければならないのです。
我々は、このようにして平和な安らぎのある魂というものをより豊かにつくり上げていくのです。
今、皆さんは物質文明という最も厳しい社会の中で自分をしっかりと見つめる時がきているのです。
我々の作り出したコンピュータよりはるかに精度の高い巧妙な皆さんの意識は、次元を超えた世界を自由に行き来することができるのです。
イエスにしても、釈迦にしてもその能力を持っておられたのです。
今、我々の中にも、そのような体験をしたさまざまな人たちが出てきています。
人間は永遠の生命であり、生まれることも滅することもないのです。
皆さんはただ、死とか生とか言うけれども、これは肉体という舟だけを通して、その形だけを追いかけているのです。
重要なのは、その舟に乗っている船頭さんというものに、皆さんが目を、そして心を向けた時に、我々の生命の妙(たえ)なるものを知っていくのです。
我々の科学は、やがてこのような事実を多くの人々が現象化し、信じざるを得ない時が来るのです。
現代科学は、まだメッキのようなものなのです。
現代医学が最高峰だとしても、医学そのものもほんのまだ初歩的なものにしか過ぎないのです。
ノイローゼの原因一つにしても、まだ医学者たちは、人間の脳細胞はモノを記憶する装置であるということを言っているうちは遥か彼方のことです。
人間自身のすべての記憶されているところの装置は、皆さん自身の肉体の船頭さんであるところの魂が、すべて記憶しているのです。
どんなに悲しいことがあろうと、苦しいことがあろうと、眠っている時には、皆さんは全く何もわからないのです。
眠りから覚めて、肉体の全てを魂が支配した時に、また苦しみや悲しみが出てくるのです。
その全ては皆さんの心がつくり出しているのです。
その心というものをしっかりと見極め、まず自分の心のどこに歪があるのかということを見極めて、たとえ、夜寝る時に十分でも、十五分でもいいから、自分の心の中に、感情の領域がふくらんで理性を失っているか、本能の側から見て感情がふくらんで心の中に歪をつくっていないか、あるいは、学問的に自分の知性だけを過信して、自分自身の心に歪をつくっていないか、こういうものを一つひとつチェックしてみてください。
自分の心で「行い」と「思っていること」が、本当に正しい道を歩んでいるか、ということを皆さんが知っていたならば、そこからはずれた場合、必ず、間違っている分野を修正する道へと進むことが出来るのです。
反省は、我々の思ったことと、行ったことを一つひとつ心の中でチェックし、不調和な分野を修正していくところの、神から与えられている正しい道なのです。
人間の間違いは、目を開けているだけではわからないのです。
そのために、色々な不調和な諸現象を作り出します。
それは、修行の場として神から我々に対して、反省の機会を与えられているのです。
”間違いは改むるに、はばかることなかれ”です。
素直に認めて謝ればいいのです。
個人相談に来る人たちは、病院へ行っても治らない、霊的な現象に支配されている人が多いです。
私のところのビルの下は病院です。
その病院で治らない人がよく上がってきます。
この前も、浅草で、昔から楽器を売っている店があります。そこの方が、十何年も半身が全く動かないのです。
医者に診てもらっても原因がわからない。
そこで、店の従業員の紹介で、私のところへ訪ねてきました。
みたところ、その左半身のところに、ご婦人の方が ”ビタッ”と憑いているのです。
”アラッ”これはおかしいと思いました。
そこで、その憑いているご婦人に色々聞いたところ、ご主人のことを非常に恨んでいるのです。
あの世(実在界)へ行っても恨んでいるのは地獄霊です。
さしあたり、動物霊か何かは「さっそく拝んで供養し、祀りなさい」と言うでしょう。冗談ではありません。
彼らの住む世界は、この地球上ではないのです。
皆さんの肉体先祖の住むのもこの地球上ではないのです。
それを人間は、お墓に執着を持たせたり、あるいは、形を作ったものに対しても執着を持たせてしまう。
彼らの住む世界はこの地球上ではないのです。あの世なのです。
そこで私は、そのご夫人に対して
「あなた自身は、いつまでもこの者に憑いてはいけません。十数年も主人の側にいるが、あなたのすむ世界とは違うのです。なぜ、執着を持ってこのようにい苦しんでいるのか知っているのですか・・・」
こんこんと教えると、約十分ぐらいの間に、ご婦人は肉体から離れてしまいました。
その瞬間に体は治ってしまいました。
こういうものは、お医者さんではわからないものです。
注射や針、お灸をしたところで、地獄霊は熱くも痛くもないのです。死んでいるのですから。
そういうことを知らないで、我々はややもすると、次元を超えた世界をないがしろにします。
先祖に対する供養ということは、まず皆さんが健康であることです。
そうして、心がきれいで、家の中に、常に明るく平和な環境をつくることが、先祖に対する一番の供養です。
立派なお墓を造ることによって先祖は供養できるものではありません。人生航路のただの舟(肉体)の置き場です。
我々はそのようなものに執着を持ってはいけません。
お墓や石塔に執着を持っているとしたら、百パーセント地獄だということを知らなくてはならないのです。
お墓(死ぬこと)に入っても、そこから首やあるいは手を出している地獄霊たちを私たちはいっぱい知っています。
執着を持たせてしまうことが大きな間違いなのです。
それには、まず皆さんの先祖に、この地上界に執着を持たないように、こんこんと神理を説くことです。
もし、お墓やお寺、あるいは仏壇に執着を持っているとしたなら、これは間違いなく地獄です。
これらは決して祀るものではありません。
(上記の続き。7月号より)
心が不調和になれば、地獄霊たちがまた邪魔をして憑依します。
皆さんは、それが見えないから病院に通ったり、拝み屋と称される方に会いに行ったりします。
そして「あなたの家の先祖を供養しなさい。一生懸命に何日か拝みなさい。」と言われます。
しかし、地獄に堕ちるような人たちにいくら難しいお経を唱えたところで、わかるはずがありません。
「経文とは、本当はこういうものだ。」と、お経の意味をよく解説することです。
「あなたたちはいつまでも人に憑いていてはいけません。私たちはこのように健康で平和な生活をしていますから、どうぞあなたたちの住む世界へ帰ってください。」
と、こんこんと教えてやることが一番大切です。
ですから、大きな墓に入っている人が必ずしも天上界へ行っているかというと、とんでもない話です。
この地上界を占有している執着だけを残しています。
そういうことでは本来困るのです。
皆さんは、家庭の中に色々な不調和が起こった時には、まず、家庭の中のあらゆる現象を見てみることです。
私のところにいる従業員の中に、ある教団に入っていて”ヘビ”を一生懸命拝んでいる人がいます。
彼は成績優秀で学校を卒業し、就職しましたがノイローゼになってしまいました。
一生懸命拝んでいますが、心の中が不調和ですからそこに憑かれてしまいます。
憑かれてしまうとノイローゼになって当然です。
そういう人たちの側には必ずと言っていいほど大きなヘビが憑いています。
”ヘビ”が憑くとヘビの臭いまでします。
”キツネ”が憑くと顔の相がキツネ顔になってくるものなのです。
不調和になって一年近く経って私のところに来ました。
今、私のところに勤めながら、心の勉強をしています。
人間は、わからないからそういうものを信仰してしまうのです。
一時、外から見れば商売繁盛、結構うまくやっていくのですが、内に入れば、家の中がガタガタと崩れ、調和されなくなります。
ヘビだのキツネだのという動物霊は、そういうことをやるのです。
(霊が)見えて、聞こえて、話せたらよいのですが、見えず、聞こえず、話せないのに、そのような者たち(憑依霊)に近づけば、かえって災いに遭います。
「触らぬ神に祟りなし」です。
それだけに、心というものは恐ろしいもので、正しい道を自分が歩んでいなかったならば、本当に我々はとんでもない間違いを犯してしまいます。
肉体の人生行路のいわば道路交通法やあるいは航法という飛行機の飛行よりか、もっと皆さんの心の方がはるかに重大だということを知らなくてはいけません。
その方法は、偏らない中道の判断をした日々の生活がとても大切です。
そういうようにしていったならば、地獄に堕ちる人たちはいないのです。
お経を唱え、いくら一生懸命に拝んでも無駄だということをよく知ってください。
(たとえば)観音経というものは、六世紀の時代に天台智というお坊さんが、観音力の偉大なる力を褒め称えた経文に過ぎないのです。
何のためにお経を唱えなければいけないのですか・・・。
動物霊は人のマネをします。地獄霊も同じです。
正しい道は、あくまでも皆さんの自分の心にウソのつけない善なる心です。
これは、偏らない中道の道なのです。
それを実践した時に、やがて皆さんの心の窓は開かれて、今までの人生に、そして偉大なる神の光を自らが得る道を、皆さんは探し求めることができるのです。

(おわり)


次の新しい演題の講演は来月の次号発刊にあわせて up 致します。
>そこで、我々自身にとっては次元の違った世界、あの世という世界こそ実在の世界であり、我々は、あの世とこの世、即ち、色即是空、実在と現象の世界を輪廻転生しているということです。
我々はその「道」を歩んでいるのです。
そして今もまた、皆さんは自分自身のあらゆる環境を通して、人生の新しい学習を続けているのです。

たった、これだけの言葉で人生の目的というものが理解できます。
もちろん私は、全く進歩のない人間ですが。(笑)

>ですから、夜、眠ってしまった時には、光子体が肉体(原子体)から離れている場合が多いですから、どんなに立派に鼻の穴が開いていても耳の穴が開いていても、見ることも嗅ぐことも聞くことも出来なくなってしまいます。

寝ている時は自分という存在を、起きているときと同等に感知することは難しいのですが、そもそも自分の存在が初めから何も無かったら・・・
という想いに引っ張られたことがあります。

私が小学生の頃です。
学校での授業中に、ふと頭の中をよぎる想いがありました。

今、先生の話を聞いているんだけど、それは自分というモノ(体と意識)があるから、自分が今、いることがわかるんだ(自覚できるんだ)。
じゃ、もし、自分というモノが今、いなかったら どうなるんだろう。
つまり、自分が そもそも初めから存在していない・・・。
そんなことを考えた時、ポーンと宇宙の果てのような、何もない真っ暗な空間に放り出された感じがしました。
しかも空間さえ感知しない自分を考えた時、恐怖とは感覚的に違いますが、それに近い想いをしたものでした。
(自分が死んだら・・・というものとも違います)
ですから、そんなこと考えたくもなかったのですが、二十歳ぐらいまで、たびたび、そんなことを考えていました。
考えていた・・・。というよりも今思えば、考えさせられていたような気がします。
もし、考えさせられていたとしたら、それってどういう意味なんだろう。(笑

5月10日
高橋信次先生は人の心の形を見ることができたそうです。
書籍には心の形の立体図がありますが、ここでは平面図に付いて写真を up しました。
(追悼出版された「七年の光跡」より)

20070510162227.jpg

「調和された心」というものは、信次先生が見ると風船玉のように丸くなっているそうです。
子どもがよく遊ぶシャボン玉。その表面は色彩をもった油がグルグル動いています。
私の記憶に違いがなければ、信次先生は心の表面をシャボン玉のような、そういった表現を講演テープの中で話してありました。

6月6日 
>我々はそのようなものに執着を持ってはいけません。
>お墓や石塔に執着を持っているとしたら、百パーセント地獄だということを知らなくてはならないのです。

どこの家にも仏壇、お墓はあるでしょう。ここでは、過度すぎる場合に起きてくる執着のことを言ってあるようです。
私個人としては、家にある仏壇とか納骨堂、墓とか、そんな狭い所や線香、かび臭いところには死んでからは絶対に住みたくないです!
しかしながら、先祖から受け継いだそれは、それとして、これまでの慣習を大事にしていくことは当然のことだと思います。

ところで「千の風になって」の歌詞はいいですね。
私はこの歌、まともに聴いておられなくて、いつも涙がこぼれちゃいます。
人がいる前では絶対に聴けない歌です。(≧m≦)ぷっ

♪私のお墓の前で泣かないで下さい そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を吹き渡っています・・・・・♪ 

7月5日
この「道」という演題での講演は、生活上の道にもルールがあるように、心の世界の法則にもルールがあるようです。
それを強調されているようです。永遠に変わらない大自然の営み・・・。
その姿を手本にすることが、人との交わりの中でお互いが調和された幸福な人生を送る道のようですね。

>自分の心にウソのつけない善なる心

これ一つとっても私には、それへ近づく道のりは遠いです。

俗に、目を見れば分かる・・・とか、勘・インスピレーションなどを除いて、この世では会話しなければ相手の思っていること、考えてることを判断することはできません。
だから相手を自分の都合に合わせて誤魔化すためのウソをつくこともできます。この世では・・・。

ところがあの世では、お互いの心が自分の心を見るように理解できますから、絶対にウソはないそうです。
というか、ウソをつく必要がありません。

人生の目的と使命は、すべての人に共通しているのは、この世を、あの世と同じ環境に近づけるためにつまり、仏国土にする目的、使命が各人あると聞いています。
キリスト教の主の祈りのことばで言えば、「御国の来たらんことを」「御旨の天に行われる如く、地にも行われんことを」だと思います。(間違っているかもしれませんが、私はそう解釈しています)

聞くところによると高橋信次先生は相手の守護霊を通して、今考えていることや、本人が忘れている過去の出来事まで知ることが出来たそうです。
一面、高橋信次先生はその能力を使って、側近の人にそれを一つひとつ指摘して個人指導をしてあり、指導を受ける側は、人に知られたくないので、たまったものではなかったそうですね。
誰でも過去の出来事で、人に言えない恥ずかしいこと(神の理からして)を思ったり、やって来たりしているからです。
それを反省により、吐き出させて心に覆っているスモッグを取り除くよう、厳しい指導をされていたようです。
スモッグに覆われていれば、神の理を求めても、その光は容易に入って来ないからです。

今の私はどうかというと、求めているにもかかわらず、まだ自分の心の内面を隠し立てしています。
過去の自分の人に言えない恥ずかしいことを清算するには、もっと時間がかかります。
かといって、躊躇していてもどうしようもありません。
過去のことは一旦置いといて、瞑想時、つまり時間に余裕のあるときに無理がない程度に少しずつ振り返っています。
少なくとも今現在の自分が、自分の心が、誰に見られてもお構いなし・・・の心境に近づくようにしています。
なかなか、進展しませんが・・・。(汗
今書いているブログでさえ、注意を払っています。

上記に書いた「恥ずかしい」とは、例えば異性への考えとか、お金への執着、差別、ねたみの心など自分中心であり理性を忘れて、本能とか感情のままに過度に働く思いや行動です。



これまで数回にもわたり長文をご覧頂いたこと、感謝いたします。
ありがとうございました。


タグ : 高橋信次:GLA誌より



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[ 2007/07/05 15:31 ] 随 想 | TB(0) | CM(50)
  1. ..
「お前、今度はしっかりやれよ」
「わかっております。がんばります」



えいちゃんが・・?
ヵ.。.:*ゎ・゜☆(○・艸)(艸・●)☆.。ぃ.:*・ぃ
[ 2007/03/29 23:13 ] #- [ 編集 ]
hiro姉貴。
長文を読んで頂きありがとうございます。

>えいちゃんが・・?

人は生まれる前から魂としての生命がありますので、えいちゃんも、きっと約束された上で生まれられたと思います。

本文に
小さい子どもは、周りに誰もいないのに「ニコニコ」と一人で笑っていることがあります。
とありますが、
えいちゃんも、誰でも、そうだったことでしょう。
私の母親も私が生まれた頃、
「よく笑っていた」と聞いています。
私の長男もそうでしたし長女の場合、伴侶が言うには、ようやく一人で立てるようになった頃にソファーにもたれて、窓辺で空を向いて、誰かとずっとしゃべるように笑っていた・・・と言ってたのが、いまだに印象に残っています。
[ 2007/03/30 09:59 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2007/03/30 17:47 ] # [ 編集 ]
赤ちゃんというのは、微笑むだけでなく
時には空(くう)に向かって、何やらお話を
していますよね^^
誰と話をしているのだろう?って何度空を見たことか(笑)
視点が定まっているので、確かに私には見えない
存在がそこにいるのだなぁと良く思ったものです。

>質量が重ければ、地獄です。質量が軽ければ、天上界です。

これ、良くわかります。
1つ気づくと心が軽くなる。気づきが深まれば
深まるほど、心は軽くなっていくのですよね^^

>動物霊であっても少しぐらいの病気なら治すことが出来ます。

これが怖いところだと思うのです。
理も言ったりしますしね。
人間は目に見える現象に囚われやすく、考えようとせず
感じようとせず信じてしまうことがあるから。
なので、闇雲に力を求めることは良くない。
まずは心を磨こうといつも言っております^^;

私は自らの心を闇に落とし、悪しき霊に取り憑かれたことが
ありますが、そんな時に起こした事故でも奇跡の命びろいをし、
守護霊と対面しているのですが・・・。
これはどう捉えたらいいのかなぁとw
守護して下さっている方の力?が強いから???
それとも心の奥底までは闇に預けてなかったから???
[ 2007/03/30 21:56 ] #- [ 編集 ]
>1つ気づくと心が軽くなる。気づきが深まれば
深まるほど、心は軽くなっていくのですよね^^

気付きは、いわば悟りですから大事なことですよね。
達磨(だるま)大師のように、頭だけで悟れる人はいないので、自分の出来る範囲での実践は大事なことだと思います。
なかなか出来ない私ですが。(笑

>なので、闇雲に力を求めることは良くない。
まずは心を磨こうといつも言っております^^;

仰るとおり、死んだら誰でも超能力者になりますから、自分の能力以上に「闇雲」に力を求めるのは危険を伴いますよね。
それよりも今この世で、盲目の中で神の理に近い生き方を求めた方が価値あるものだと考えさせられます。

>これはどう捉えたらいいのかなぁとw
守護して下さっている方の力?が強いから???
それとも心の奥底までは闇に預けてなかったから???

これは、あくまでも私見です。
両方だと思いますよ。
おそらく一度霊が入ったので、あの世とコンタクトできる素性が出来たのではないでしょうか。
ですから普通は見えないのに、守護霊さんとも対面できたのではないかと思います。
事故のときの命びろいは当然、守護霊さんの力でしょうし、その時、心の奥底まで支配されていたら今のあおさんは無かったと思います。

かなりの長文を読んで頂き、ありがとうございます。
お疲れ様でした!(笑
[ 2007/03/31 12:07 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
追加された部分も含めて読ませて頂きました。^^

自分が患った病気。弱気になったときの思いぐせ。
なども思い浮かべ、不調和と調和の状態について考えながら、
読みました。(私は、難しいことは何もわかりませんが。)(^_^; へへ

そして、最近自分が思ったことを書かせて頂きます。
(たぶん本文とはあまり関係ないです。笑)


わたしは、ゆきさんや、タコたんや、ふみえfarmさんのことが
とても好きです。(^^)
私に優しくしてくれるから。というのでもなくて、
うまく言えませんが、それは心に感じます。
さりげなくて、決して押付けがましくない。。。
知識や、ただ言葉 とは何か違うもので私に語りかけてくる
ような。。。って言えばいいのかな。^^

だから私も、(話しの脈絡が全然つながってないと思われると思いますが・爆)
本当に心に思うことをしていこうと思いました。
本当に言いたいことを言って、本当にやりたいことをやろう。と思いました。
たぶんそうすれば、調和・・・とまでは行けないかもしれないけど
不調和にはすぐ気づける(気づきやすくなる) と、ちょっと思いました。

頭だけでなく、心の道 のほうを選んで行きたいです。皆さんのように。
・・・もう頭だけの知識や、能書きや、スピリチュアルの言葉遊び? 
みたいなものは、やめたいと思います。心に思うことを大切にしたいです。

わけのわからないことを書いてしまってすみません。(恥)


あ、週明けから4月なので、藤の花に変わりましたね♪
わたしのPCから見ると、藤色はすこし青っぽいように見えますが
何か、ゆきさんのテンプレにとてもマッチした色味ですね♪(*^0^*)

ゆきさん、いつもありがとう・・・☆^^ 
[ 2007/03/31 14:22 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
>追加された部分も含めて読ませて頂きました。^^

すみません。かなりの長文で読み疲れたことと思います。( ^.^)( -.-)( _ _) コックリ

>自分が患った病気。弱気になったときの思いぐせ。
なども思い浮かべ、不調和と調和の状態について考えながら、読みました

ありがとうございます。
ぷりんちゃんのコメントを読んで、初めて信次先生の講演を聞いた時のことを思い出しました。
私も同じように、これまでの自分の悪い「思い癖」を振り返りながら聞いていました。

>(たぶん本文とはあまり関係ないです。笑)

なんでも welcome っす! (≧m≦)ぷっ 

>本当に心に思うことをしていこうと思いました。
本当に言いたいことを言って、本当にやりたいことをやろう。と思いました。
たぶんそうすれば、調和・・・とまでは行けないかもしれないけど

そうですね。
たとえば、対人関係で控えめすぎると意思表示がうまくできなくて、がまんして小さな自分をつくってしまいます。
逆に主張しすぎると、傲慢につながります。

今、控えめな自分だったら、もう少し自分の思い、言葉を素直に相手に投げかけることが良いと思います。
それが継続して出来た時に、今までの自分を変えたことになると思います。
あとは、調和は「バランス感覚」でもありますので、自分も生かし、相手も生かす想いが大事だと気付けると思います。
相手の立場に立つことにより、相手の行動や言動に基づく思いや考えが理解できることもありますから。
すみません。偉そうなことを書いてしまいました。

>心に思うことを大切にしたいです。

そういう心が、きっと守って頂いている守護霊あるいは守護の天使に通じると思います。

花札は検索して、色々なHPから集めてきました。絵柄の古いのは色がくすんで灰色っぽくなっています。
モニターによっては、若干色が変わって見えるのかも。
文字色も藤色にあわせてくれて、ありがとう!

ところで、コメント投稿の上下の枠の高さが狭いので少し長くなるコメントを書くのに不便です。
私こそ、書いていながら脈絡が不明になっちゃいます。(いつものことですが・・・笑)
どこのブログのコメント欄もそうですが。
今度、上下枠の大きさが変更できるか調べてみます。
分かったら教えるね。

コメントおおきにぃ。
欧米大阪人かっ!(爆


追記
ぷりんちゃん、コメント枠の編集の仕方を教えて頂きましたよ。
ご参考までに。

http://hyama2004.blog16.fc2.com/blog-entry-300.html
[ 2007/03/31 15:52 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
ゆきさん、有難うございます!
どのようにコメントして良いか分からないのですが勉強になりました。
何時も孫や家事に追われ本等読む事がすっかりなくなってしまい
ゆきさんの長文を夜時間があったらゆっくり読ませてもらいたっかたのです。
本当に人間は何かあれば仏様に手を合わせたり・・・私もその1人ですが!
でも心からそうなのかと言えばそうでない私もいるのです。
何時も自分に言い聞かせて家族や回りと生きている自分がいます。
そんな自分で良いのでしょうかね~
ゆきさん、ふみえママは花札が好きなんですよ!
よく分からないのですがPCのゲームでたまに1人で遊んでいます。
何事も機械なのでストレス溜まります(笑)
[ 2007/03/31 22:34 ] #- [ 編集 ]
ふみえママ。

>ゆきさんの長文を夜時間があったらゆっくり読ませてもらいたっかたのです。

ありがとうございます!

>本当に人間は何かあれば仏様に手を合わせたり・・・私もその1人ですが!
>でも心からそうなのかと言えばそうでない私もいるのです。

私も以前は、自分で解決すべき問題を「拝み屋」(祈祷師)に頼ったりしたこともありました。
ふみえママの仰るとおり、心底では「違うな」と思いながら。
おそらく、自分で解決すべき問題を他力(能力のある人への他人任せ)に頼ると、一時的には解決できても、問題先送り(笑)となり、再度違った形で学習させられると思います。

>何時も自分に言い聞かせて家族や回りと生きている自分がいます。
>そんな自分で良いのでしょうかね~

うちも家族の間では、振り回されたり、対立したり、涙あり、笑いありで私は大変です。(笑
でも、それが家族だし、その中で相手のことを思い、自分を主張したり、引いたりとお互いそれで良いと思っています。

>ゆきさん、ふみえママは花札が好きなんですよ!

私の子どもも花札が好きです。よく遊びます!

しかしかなりの長文でしたが、お読み頂きありがとうございます。
[ 2007/04/01 11:44 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>その時に初めて他力の力を得ることができるのです。

自分はもしかすると他力本願的に、スピリチュアルな力を
望んでいる面があったかと思います。
と、いっても、わけのわからないものを拝んだり・・・などとは
違いますが。

正直、自分の歪みを振り返ることは、まだできていない自分だと
思います。ごく常識的なものと照らし合わせたりなどはできるかと
思いますが。^^

ゆきさんのブログを拝見していて、(瞑想シリーズやその他のお話しでも)
やっと少しばかり、自分を振り返ること(反省と修正)って大切なのだな。と、
思い始めた段階の自分です。(^_^;

自分の心がきれいな時、スピリチュアルな助けが頂けるのだと
思って、いつも忘れないようにしたいと思いました。^^


(o^艸^o)~♪ 青島になってます~♪
こちらもいいですね~! って、自画自賛?になりますかね。 ふふ。
またまた、使って頂きましてありがとうございます!!ヾ(@^▽^@)ノワーイ!
[ 2007/05/10 20:36 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
プリンちゃんコメントありがとう。

>正直、自分の歪みを振り返ることは、まだできていない自分だと
>思います。

ほとんどの人がそうだろうし、もちろん私もその一人です。
過去を振り返り、自分のマイナスになる欠点と気付いたところは、自分の幸せのために修正したいです。

>自分を振り返ること(反省と修正)って大切なのだな。と、
思い始めた段階の自分です。(^_^;

こんな変な文章で何か役に立てるんだったら、とても嬉しいです!!
ありがとう。

>自分の心がきれいな時、スピリチュアルな助けが頂けるのだと

そうだよね。
私もそれを心から信じております。

>またまた、使って頂きましてありがとうございます!!

実は、次の写真を待ってます!!
何かちょうだ~い!!(≧∇≦)
[ 2007/05/10 21:05 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
夜、寝る前の瞑想がとっても苦手な私は(寝てしまうからw
出来るだけその場その場で反省するように心掛けています。
これが毎日いっぱいあってねーっ^^;
同じことを繰り返すまいと心に誓っても時間が経つと忘れてしまい、
そうするとまた同じ反省をすることになるんですよねw
一度で済めばいいのですが、中々そうは行かず
回数を重ねる度に、少しずつでも前に進めるように頑張っています。
[ 2007/05/10 21:10 ] #- [ 編集 ]
あおさん、コメントありがとう。

>出来るだけその場その場で反省するように心掛けています。

私も、同じです。
瞑想と反省は、今は限りある時間の中で内気功の練習のため昼間は出来ないし、夜は晩酌をするので瞑想は出来ません。
その時その場で、自分の言動と思いを気付いた時点で、まずかったことの原因を考えています。全然進展の無い私ですが。(笑

>そうするとまた同じ反省をすることになるんですよねw

これも私と同じです!!
どっかで、堂々巡りになっていることがあります。

逆に言えば、自分の欠点に無頓着で「気付かない」ほうが、大変な重荷を持った、いつしか暗い自分をつくると思います。

反省がいっぱいあるほうが、今は暗くても、自分が幸せになる明るい道がいずれ用意されている・・・と、私は思っています。
[ 2007/05/10 21:28 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
高橋先生の教えは真理を
正しく伝えられた貴重なメッセージ
なんだと感じます。

僕は特別な先生と言われる
身近な人はいませんが、
自分なりに感じたり、見たり
文献を読ましていただき、
自分の道を少しでも輝きに
満ちたものにしたいと日々すごして
います。

しいて先生と言えるとしたら、
それは、自然の中で気づかせて
くれるものでした・・・

とても、勉強になりました。
ありがとうね・・・
[ 2007/05/11 12:04 ] #- [ 編集 ]
>しいて先生と言えるとしたら、
>それは、自然の中で気づかせて
>くれるものでした・・・

私は、それが本当だと思います。
「師」と仰ぐ人がいると、教えて頂く知識のみに片寄りがちになり、頼り、さも分かったかのような錯覚を起こす副作用があります。安直を選びます。
要注意です。(これは、私のことですが)

しかし、イマジンさんのように「自然」の中で、それを手本として気付きを手中にする、ということは「実感」なんです。
知識のみとは違います。
私もそういうところは見習いたいです!

高橋信次先生には、そもそも「師」はありませんでした。
「師」は God であり、大自然であり、また、ご自分の守護・指導霊でした。
真理に付いては、他の方が書いた著書や見聞の参考は、一切無かったと聞いております。

>とても、勉強になりました。

そう仰って頂くと、とても嬉しいです!!!

イマジンさん、コメントありがとうございまいた。
[ 2007/05/11 12:26 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
私はマンゴプリンさんのコメントがとても印象的です

凄く輝いてるなぁと感じているのは
私だけではないと思います

私自身も小難しいことはさっぱりなのですが
そんな事は分からなくても心で感じる事ってありますよね

そういうものを大切にしていきたいですよね^^


[ 2007/05/11 22:30 ] #HIn9vuQ2 [ 編集 ]
タコたん、コメントありがとう。

>凄く輝いてるなぁと感じているのは
>私だけではないと思います

わたしは、ぷりんちゃんの素直さが素敵に感じます!

>私自身も小難しいことはさっぱりなのですが
>そんな事は分からなくても心で感じる事ってありますよね

その通りだと思います。
精神的なものや心の面について学ぶ(考える)時、難しくしてしまうと思想とか哲学的になります。難しいことは必要なく、本来はシンプルのはずだと思っています。
知識が少ない、小さい子どもでも理解できるようなもの・・・。
頭でひねるよりも、大自然を友として、また自分の心から素直に湧いてきた自然な想いとかで感じることを大事にしていきたいと思います!
[ 2007/05/12 10:09 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>>
我々はややもすると、次元を超えた世界をないがしろにします。
先祖に対する供養ということは、まず皆さんが健康であることです。
そうして、心がきれいで、家の中に、常に明るく平和な環境をつくることが、先祖に対する一番の供養です。


僕の目指す精神(仏)世界は、
まさにこの文章の中にすべて入って
います。難しいことは頭のよい方が
どうぞ説いて下さい・・・
僕は素直に日々の生活のなかで、
上記の事を実践できるよう心がけて
生きてゆけたら素晴らしいとおもって
います。残された人生は、人と人との
交流の中で、皆が心豊かに成れる様な幸福な時間にしていきたいな・・・
[ 2007/06/06 15:26 ] #- [ 編集 ]
>僕の目指す精神(仏)世界は、
>まさにこの文章の中にすべて入っています。

私も、イマジンさんに同じです。
祀ること、うんぬんよりも
残してきた自分のかわいい子孫が、明るく平和で暮らしていることの方が、死んでから、よっぽど安心できると思います。

仕事にしても、友人また、近隣の対人関係、そしてブログにしても
イマジンさんと同じく交流を通して、自分の持っていない考え、想いなどを吸収したり、共有したり・・・。
もっと、自分の幅を広げていきたいですね。
やたら、長い文章をご覧頂いて、お疲れ様でした。ありがとうございます。
[ 2007/06/06 15:51 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
あの世へ行っても、恨みの気持ちを忘れてないのは
怖いですね。><

ちょっと関係ない話ですが、いつかオーラの泉で、美輪さんが
あの世に行っても、ボーっとしてられませんよ。
あちらはあちらなりに段階があって、成仏?の道のりみたいなお話しされてた記憶があります。


>心がきれいで、家の中に、常に明るく平和な環境をつくる
>ことが、先祖に対する一番の供養です。
そっか。そうかもしれませんね!^^
亡くなった祖父母に明るい姿を見せたいですもんね。

ちなみにウチの父は、死んだら海にお骨をまいてくれ。。。
と、言ってます。(^_^;
[ 2007/06/06 17:56 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
>あちらはあちらなりに段階があって、成仏?の道のりみたいなお話しされてた記憶があります。

なるほどね。他にも同じようなことを、別の方が話してあったり、本で読んだことがあります。だいたいどれも、共通しています。

>ちなみにウチの父は、死んだら海にお骨をまいてくれ。。。
>と、言ってます。

過去のお仕事からいえば、そうでしょうね。
法的には確か、骨の全部を散骨は出来なかったと思います。
あとは、納骨堂なりお墓に入ることになるんでしょうね。
↑すみません、失礼しました。縁起でもない話しでした。

私の場合は、どうでもいいです!
つうか、ライオンに骨まで喰われて、何も残らなかった・・・とか。(≧m≦)ぷっ

迷惑な長文ですが、ご覧頂き、そして、コメントありがとうございました。
[ 2007/06/06 18:33 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
ライオンは骨まで食うのか?(爆)

私は死んだら土に還りたいなぁ。
地球からの借り物だから地球に返さなくちゃ!
だから納骨堂は嫌かもw

散骨は、違法ではないと思いますよ。
ただ、人に迷惑の掛からぬように色々な
心遣いが必要とは思いますが。
そのために散骨業者なるものも存在していますしw
多くは骨を粉にするようですね。
[ 2007/06/06 20:41 ] #- [ 編集 ]
>ライオンは骨まで食うのか?(爆)

食べられたことがないんで、こんどサファリパークで、
わたし、ライオンに食べてもらいます。!!(爆

>だから納骨堂は嫌かもw

一戸建ての(笑)お墓は下がコンクリートなので、コンクリートをはがして、土の上だと、土に解けちゃうね。
納骨堂はアパートだから(笑)勝手には出来ないですね。

>そのために散骨業者なるものも存在していますし

へー そうなんだ。

あおさん、コメントありがとう。
[ 2007/06/06 21:19 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
携帯から見てるよー♪

ぷりんもタコたんも元気かな?イマジンさん大復活なんやね┏| ̄^ ̄* |┛┏| ̄^ ̄* |┛ダブルガッツポーズ!


よかった♪

hiroはなかなか
訪問にいけなくて
なので
ココはひとつ

ゆきゆきの顔で
みんなにhiroは元気だよーと
伝えて下さいね
(*≧H≦)よろちくなのら♪♪(∪≦*)

[ 2007/06/06 22:26 ] #- [ 編集 ]
>携帯から見てるよー♪

ありがとうございます!!

>ぷりんもタコたんも元気かな?イ>マジンさん大復活なんやね

みんな、姉妹は元気120%です!
hiro姉貴には負けていません!!
イマジンさん。そう、HN大復活です!

>hiroはなかなか 訪問にいけなくて
>なので

みんな、わかってあるよ!!
だいじょうぶです。
お仕事がんばんなくっちゃ。ね。

>ゆきゆきの顔で

私の顔は (;<●>◎<●>)

なんですが、良かったんですか?(爆

(*≧H≦)よろちくなのら♪♪(∪≦*)

いえっさー !
いまから報告に出発します!!
[ 2007/06/06 23:03 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
私のように、ちょこっとスピな世界をかじっただけの(笑)者でも、
精神的成長のために今、この世にいるんだな。というのは
分かりはじめました。^^

ゆきさんが書いてらっしゃる、恥ずかしいこと。私はたくさん持っています。(^_^;
ねたみや、その他 自己中心的な想いは、自分がとても嫌になります。
私はゆきさんのように、自分を振り返ることは得意ではありません。
でも、何度も似たようなパターンでやってくるものは、振り返らざるをえない(爆)
ときがあります。(ノ_<。)

自分を変えることは、パッと出来ることじゃないけど、いつも意識していたいです。
そして、他力(上にあるようなあやしいのじゃないけど・笑)への欲望?みたいなのも
少なからずあるんですが(笑)そういうものは、自分の正しい想いにしたがって
頂けるものだということも、また確認できました。^^

学びとクリアのサイクル…を、重ねながら(1ミリづつでも・笑)成長して
ゆきたいです。^^
ゆきさんとのご縁も、私にとっては、すごく大きなきっかけです。
どうぞ今後ともよろしくお願い致します。
(先日のお話しの続きも、混入しています。。。謎・爆)
[ 2007/07/05 20:41 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
これまで、かなり長々とした文章を読んで頂いてありがとう。
お疲れさんです!

>ゆきさんが書いてらっしゃる、恥ずかしいこと。私はたくさん持っています。(^_^;

おそらく、というか間違いなく、私はぷりんちゃんより人に言えない恥ずかしいことは、遥かに多いです。
本気でそう思っています。
自慢ではないですが、絶対に普通の人より多いです。(汗

>私はゆきさんのように、自分を振り返ることは得意ではありません。

私も、そんなに出来る人間ではありません。辛くてイヤになります!
いっぺんには出来ないので、少しずつです。

ぷりんちゃんが書いてある通り、ふりかえざるを得ない時があります。そのときがチャンスなんですよね!
同じ苦しみを味わいたくないから。

>自分を変えることは、パッと出来ることじゃないけど、いつも意識していたいです。

意識している時には、何も変わっていなくても、大きく前進していると思います。
以前、瞑想のときでしたが、心から「よし、これからの自分、今の自分を変える勇気があるなら何でもできるはず」って心から強く思ったときに、守護霊さんがその自分の一時の思いに祝福して頂いた感じがしました。
自分の胸が喜びで一杯になったんです。
そういう思いから、そのときにやったのが去年の暮れに書いた「トイレ掃除」でした。
ぷりんちゃんも、くじけることが仮にあっても、自分を変えるんだ、という思いを持ち続けていれば、ぷりんちゃんを守護して頂いている方も祝福をもって迎えて頂けると、私は信じています。

>ゆきさんとのご縁も、私にとっては、すごく大きなきっかけです。

ありがとうございます。
こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。
[ 2007/07/05 21:31 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>
心がきれいならば、その人たちは光の保護を受けていますから、バチが当たったり、憑依されることはありません。
うらみやねたみ、そしりや、家の中が不調和で、わけもわからないものを一生懸命拝んで、違うものを拝めば邪宗だと決めつけるような人たちの心は、阿修羅界という世界に通じています。
そういう人たちには、心に安らぎがありません。
本当に信心深い人たちというのは、お経をあげたり、そのような場所へお参りするものではなく、片寄らない中道の道を、一秒一秒怠りなく生活をしている人たちのことをいうのです。
中道の道を歩んでいる人たちは、常に光明に満たされ、その時に初めて他力の力を得ることができるのです

>>人はいかに見えないものに対して
謙虚に耳を傾けることが出来るか、
魂で、人と接することが出来るかが
大切だと思います。見えないものにこそ
真実があるのでしょうね・・・
とても勉強になります。
[ 2007/07/05 23:33 ] #- [ 編集 ]
こんにちは。

仏陀の教えをわかりやすく説明してくれている文章ですね。
(私は手塚治虫の『ブッダ』で理解したのですが(恥ずかしい?))

文章上難しそうでも、言っていることを砕いて説明してもらえば
意外にシンプルなことを言っているのだと気がつくことがあります。
でも、そのように生きるのは実に難しい・・と思うのが『道』ですね。
どうして、こんなにも自分は誘惑に弱く(特に怠け心)、たくさんの言い訳で身を守るのかな~。

私も、脱ぐものはたくさんありますね(笑。
きっと、自分の道がシンプルになればなるほど、光が見えるのでしょう。
それが浄化といわれることなんでしょうね。

まだまだ、ゆきさんのアドバイスが欲しいところです。
[ 2007/07/06 09:58 ] #WpbHSf/E [ 編集 ]
謙虚さ、そして魂で人と接する・・・。

とても難しいですが、イマジンさんが仰るとおり、大切なことですよね。
対人関係など、そういう態度で臨んでいくことができたら、決して争うことは無くなると思います。
難しいですが、私もそういう心構えで過ごして生きたいです。

>見えないものにこそ真実があるのでしょうね・・・

当然なことですが、どうしても生きていく上では五官を頼らざるを得ません。
モノに価値を求めてしまいます。
ところが、それに頼りすぎると本来一番大事な心、また見えない世界からのメッセージを受けることが困難になるようですね。
私も過去、一時期、父親とその兄弟、また私の兄弟とで、たった少しばかりの財産で激しい家庭争議の渦中に、二度も身をおいたことがあります。
とても苦しい体験をしました。
物質欲に目がくらむ恐ろしさ・・・この目で確認しています。
ですから私自身、その辺はよく分かります。

読み逃げ、スルーは大歓迎なのに
イマジンさん、長々とご覧頂き、またコメントまでありがとうございます。
[ 2007/07/06 10:12 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
長文の書き写し、きつかったでしょう~。お疲れ様でした~。ゆきさんまた今度飲もうばい。暑くなったしビールで、か~ってのはどうよ。

ところでこのブログを観ている人で久留米までこれる人いませんか?

ゆきさんを囲んでオフ会及び飲み会を開催しましょう。

幹事・ケンゾー。
[ 2007/07/06 10:30 ] #2hESdqvA [ 編集 ]
響さん
>仏陀の教えをわかりやすく説明してくれている文章ですね。

私が高橋信次先生の講演をアップしている目的は、読めば必ず心に響くものがあるので、・・・これは、私ばかりではないと思って、誰かに何かの参考になれば・・・という思いで引用しています。

>(私は手塚治虫の『ブッダ』で理解したのですが(恥ずかしい?))

私は読んでいませんが、全然恥ずかしいことはないですよ!
そこにもきっと、納得できる素晴らしいお話しがあると思います。

>でも、そのように生きるのは実に難しい・・と思うのが『道』ですね。

頭ではわかるんだけれど、実践する勇気と努力・・・ですよね。
勇気と努力、口では簡単ですが、かなり苦労します。(汗

>どうして、こんなにも自分は誘惑に弱く(特に怠け心)、たくさんの言い訳で身を守るのかな~。

誰だって、そうです。
私も言い訳・・・あります。(汗

>私も、脱ぐものはたくさんありますね(笑。

美しい!響さん。脱ぎすぎに、ご注意!
世の男性が群がってきます!(爆爆

>きっと、自分の道がシンプルになればなるほど、光が見えるのでしょう。
それが浄化といわれることなんでしょうね。

あー、なるほどね。
私も難しく考え、こねくり回す癖があります。
シンプル・・ですね。
参考にさせて頂きまーす。

長文をご覧頂き、目がお疲れになったことかと思います。
そしてコメントまで頂き、ありがとうございます。
こちらこそ、宜しくお願いします。
[ 2007/07/06 10:54 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>長文の書き写し、きつかったでしょう~。お疲れ様でした~。

ねぎらいのお言葉、ありがとうございまーす。
でも好きでやっているので、どうってことはないです!

>ゆきさんまた今度飲もうばい。暑くなったしビールで、か~ってのはどうよ。

もちろん、くさい。
また古賀九に行こい!
ビアガーデンでん、よかばい。

>ところでこのブログを観ている人で久留米までこれる人いませんか?
ゆきさんを囲んでオフ会及び飲み会を開催しましょう。

せっかくのお誘いですが、無理です。
ここのブログで友だちになって頂いて、訪れて頂いている方は遠方多いんです。
遠方はブログの世界ですから当然ですが。
しかも女性が多いです。
・・・ということです。
お誘い頂いたことには感謝いたします。
[ 2007/07/06 11:20 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
よかねー。きゅーっちいこうい。きゅーっちね。明日はどげんのー?

オフ会の件は了解しました。残念ですが仕方ないですね。
[ 2007/07/06 15:20 ] #fXvQS94A [ 編集 ]
>よかねー。きゅーっちいこうい。きゅーっちね。明日はどげんのー?

きゅーっち・・・こやー、日本酒のことやろ?

ビールで、か~っ のほうたい。

日本酒で か~っ っちゅうたら、がばい、酒豪やろのぅ。

明日は、ゆうるしでよかっちゃろ?
そいとも朝酒でや?

>オフ会の件は了解しました。残念ですが仕方ないですね。

ごめんね。
[ 2007/07/06 16:13 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
おやカルチューでいくばい。

夕方からいこうかのー。あんまりはよ飲んで家に帰るとかみさんがうるさかもんのー。

また電話しまーす。いかれんこつもあるんけんのー。
[ 2007/07/06 16:49 ] #HqUE9GFw [ 編集 ]
>おやカルチューでいくばい。

よかごつ飲まんね。

>夕方からいこうかのー。あんまりはよ飲んで家に帰るとかみさんがうるさかもんのー。

そりゃそうたいね。

>また電話しまーす。

はーい。待ってます!

>いかれんこつもあるんけんのー。

(≧m≦)ぷっ  なんやそーい。(爆
[ 2007/07/06 17:59 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
ゆきさん、7時ごろからの雨・・・どしゃぶりだったです~! ><
今は、うそのように小ぶりになってるけど。
帰るときが一番ひどくて、これまた運の悪いプリンでした!
なんか、花金 ってムードじゃないですら。

ケンゾーさんとのやりとり・・・楽しいぃ~! 爆
方言バトンの再来みたい!
スイマセン、勝手に楽しませてもらっちゃいました。(*⌒艸⌒) ♪
[ 2007/07/06 20:13 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
ぷりんちゃん。
いつもありがとう!

こっちもね、その時間はすごかったよ。
そう、今はパラパラだけど。
花金、残念だね。何時どしゃ降りになるか分からないんで、遊べないね。

>方言バトンの再来みたい!
>スイマセン、勝手に楽しませてもらっちゃいました。(*⌒艸⌒) ♪

爆。楽しんで頂いて嬉しいです!
っつうか、今ここに来ている人で
この会話が分かるのは、ぷりんちゃんだけだね。

ゆうるし・・・って分かる?
おそらく分からんと思うのですが。
[ 2007/07/06 20:45 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
えっとね・・・
ゆうるし は、、、
夕方からの、飲み会ってこと! 
かな! (≧ω≦)b
[ 2007/07/06 20:54 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
ぴったし・カンカンやん!

そっちでも、そう言うとね。
チッゴ弁とばかい、思うとった。

それとも、お父さんの実家あたりでも使っているかも。つかっているはず。爆

でも、わかってもろうて、よかったばい!

ぷりんちゃん、わざわざありがとうね。


[ 2007/07/06 21:10 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
ううん、初めて聞いた方言だけど、話しの前後の文面で分かった!

ちゅうか、
>そいとも朝酒でや?
朝から、飲み会の時もあるんだね! 爆!

お忙しのに、花金の流れた私と遊んでくれてありがとござます♪笑
( ̄∀ ̄*)イヒッ

あ、TOPのサブタイトル、変わりましたね★^^
[ 2007/07/06 21:35 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
>ううん、初めて聞いた方言だけど、話しの前後の文面で分かった!

爆爆爆爆爆爆爆爆爆爆爆爆!

>朝から、飲み会の時もあるんだね! 爆!

まぁ、酒好きだから。(笑

>お忙しのに、花金の流れた私と遊んでくれてありがとござます♪笑

こちらこそ、遊んでくれてありがとう。楽しかったです!!

>あ、TOPのサブタイトル、変わりましたね★^^

誰も、すぐには気付かれない・・・って思っていたら
ぷりんちゃん、分かったんだね。ありがとう。
佐々木さんの件で、一歩を踏み出すことを決めたので、ちょっと気分換えに・・・と思って。

じゃ、また来週ね。
良い週末を送ってくださーい!!
[ 2007/07/06 21:45 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
がはは。土曜日は飲んだのー。がっぱり飲んだのー。

やっぱ古賀久ばい。ちなみに古賀九じゃなかばい。

しかし最後のラーメン屋が閉まったとったつがどうもいかんやったのや。(^0^)(あいがどうも心残りばいじゃん)(満州屋にいきゃよかったばい)

いやいや~。しかし最近は飲み友達になってきたばい。こりゃーいかんばい。がはは。

お疲れ様でしたー。
[ 2007/07/09 14:21 ] #JalddpaA [ 編集 ]
土曜日はお疲れさん!

>がはは。土曜日は飲んだのー。がっぱり飲んだのー。

ビールをジョッキで何杯飲んだか知らんけど、その後の冷酒はきくね!
私もかなり、酔って帰りの電車では
たった十分ぐらいが長く感じて・・・
なんでJRと違って私鉄の電車にはトイレがないんだ~~!

>やっぱ古賀久ばい。ちなみに古賀九じゃなかばい。

すんましぇんのぅ。

>しかし最後のラーメン屋が閉まったとったつがどうもいかんやったのや。(^0^)(あいがどうも心残りばいじゃん)(満州屋にいきゃよかったばい)

そぎゃんたい、満州屋にいきゃ、よかったのぅ。すんましぇんのぅ。
満州屋は餃子もおいしかし・・・。
こんどでよかたい。いこーい。
おごるけん。

>いやいや~。しかし最近は飲み友達になってきたばい。こりゃーいかんばい。がはは。

ちゅうか、以前からも飲み友達やん。
こいで、よかとぅ。

楽しかったばい。また行こい、さい。

他の方へ・・・。
先日から方言丸出しの、意味不明な文です。すみません。(汗
[ 2007/07/09 16:31 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>満州屋は餃子もおいしかし・・・。

そこたい。そこそこ。こんだ餃子ば食わないかんばい。(^0^)

>おごるけん。

あいた?あ~たよか人ねー。あんたんごつよか人はめったにおらんばい。うんうん。

>楽しかったばい。また行こい、さい。

うんうん。いこばい。おやこんだげってん回すばい。巨人の星んごつの。がば~って机ばひっくりかえすばい。ばっはっは~。

ならまたのー。

(まじめな清談中失礼おばいたしました)
[ 2007/07/09 21:12 ] #JalddpaA [ 編集 ]
なんどもコメントありがとう!!
[ 2007/07/09 22:38 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
ゆきさん遅くまで職場にいるんだねー。どうしたの?
[ 2007/07/10 06:16 ] #TY.N/4k. [ 編集 ]
>ゆきさん遅くまで職場にいるんだねー。どうしたの?

いつも、そうですよ。
10時過ぎに終わって、何やかんやで・・・。
最近は「生命の輝きへの道」を夜遅くに職場でやってます。

職場を出るのは、だいたい0時前です。
[ 2007/07/10 13:10 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
そんな遅くまでいんの?

しらじゃったー。
[ 2007/07/10 13:22 ] #CnXFOnUc [ 編集 ]
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