「今月の課題」 2007.4 

GLA関西本部の指導者である本部長が執筆された「今月の課題」(月刊誌の中から転載したもの)を今回から月に一度、発刊にあわせて up します。
何か、ちょっとした気付きの一助になれば、うれしいです。
かなり、これも長文ですが、ご興味ございましたら、ご一読されて下さい。


2007年4月 「今月の課題」  本部長 岸田 守

「三つ子の魂、百まで」とよく言いますが、現在の自分の心の苦しみや葛藤、或いは喜びをよく振り返ってみますと、幼いときに親から口癖のように言われた言葉や態度にずいぶん縛られ、影響を受けていることに驚きませんか。

「人様に喜ばれる人間になりなさい」
「人様に好かれる良い子になりなさい」
「人様のお役に立つ立派な人間になりなさい」
「自分のことより、まず相手のことを考えられる人間になりなさい」
「人様が見ていなくても神様や仏様はちゃんと知っておられるのだよ」
「人が話している時は黙っていなさい」
「しっかり勉強しないと、大きくなったら社会で生きていけないよ」
「人生カネがすべてだよ。カネさえあったらこんなに苦労しなくてもいいのに」
「自分の言いたいことは、はっきり言いなさい」
「ぐずぐずしないで、しゃんとしなさい」
他人から嫌われたり、いじめられっ子になって不幸になるよりも、みんなから愛される幸せな子にしたい。
我が子には貧乏の苦しみを味わわせたくない。
母はそう願っていたのでしょう。
そのため繰り返し念を押して、子どもの心の中に叩き込んだのでしょう。

人それぞれに意識の深くに刻み込まれた「親からの言動」は、気が付いてみると自分の生き方、感じ方に大きな影響を受けていることにびっくりします。

臆病で引っ込み思案の自分。
他人が自分をどう思っているのか敏感になっている自分。
他人が自分をどう扱ってくれるか気になる自分。
物事を曖昧にする人間を許せない自分。
自分の意見を言わない人間を見てイライラしてしまう自分。
相手を傷つけないように、相手の気分を害さないように、相手に合わせて自分の正直な気持ちを伝えられない自分。
何かがあると攻撃的に相手を責めたくなる自分。

そして、先天的か後天的かはわかりませんが、無自覚にそのような感じ方や想念行為はカルマとなって、日々繰り返すようになってしまいました。
このカルマを反省によって見つけ出し、勇気を持って修正し、自分を変えてゆこうと現在私たちは取り組んでいます。

ところが、自分にはこんなカルマがあってなかなか修正できない。
いくら「心行」を読誦してもなかなか変われないと自分を責めたり、否定的になったりしていませんか。

本当にそうでしょうか。
ありのままの自分は欠点もあり長所もあります。
それらすべてを含めて今の自分は百点だと考えたらいかがでしょうか。
60点の自分で見るから、好きなあの人は80点、嫌いな姑さんは30点と、不足な自分の眼差しは、人も不足した人間に見えてしまいます。
そして、60点の人生を送らざるを得なくなります。
良いも悪いもすべてを含めて丸ごとそのままの自分が百点だと、神様が愛し、見守ってくださっているのではないでしょうか。
どうですか、何か勇気が湧いてきませんか。気持ちが楽になりませんか。

神様が「お前は百点だよ」と見守ってくださっているように、出合う人すべての人を百点の眼差しで接することができたらうれしいですね。
そのように願い、そのように祈って生きていたいですね。

マザー・テレサの次のような言葉があります。

「生活の中に色々のことが入り込むので祈れない、という言い訳をする人たちがいます。そんなことはありません。
祈るために、仕事を中断する必要はないのです。
仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。
黙想をいつもしている必要もなければ、神と語っていることを意識することも必要ではありません。
どれほどそれが素晴らしい体験であるにせよ、大切なのは、神と共にあり神と共に生き、神の御心を自分のものとして行うことなのです。」

アッシジの聖フランシスコの祈りです。

「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
争いあるところに許しを、
疑いあるところに信仰を、
絶望あるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びをもたらす人にしてください。
主よ、慰められるよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを、
求めることが出来ますように、
私たちは人に与えることによって多くを受け、
許す時に許されるのですから。」

祈るために必要なのは「沈黙」だと言われています。
心の中のさまざまな想念を鎮め、表面意識を沈黙させることが大切です。
さあ、百点の自分で明るく肯定的な気持ちで「祈り」を大切に「願い」を大切にして、胸を張って生きていきましょう。

以上。

――――――――――――――――――――――――

「今月の課題」を読んでみると、小さい頃からの親からの助言は、受けた自分の捉え方によって、いろいろな性格が形成されていくようです。
もちろん、親の助言により欠点を作ったとしたら、それは親に責任があるのではなく、自分ですが。
今の自分を、欠点を修正するには小さい頃からの環境や、親からの教育を洗い出す必要がありそうですね。
いつか、ゆっくりとした時間をつくって、私も再度、過去を振り返ることにがんばってみよう!
今は、気功の練習が約一時間と「生命の輝きの道」を30~40分しているので、じっくりと瞑想、反省の時間がとれません。
また、「そんな欠点がある自分を否定の眼差しで自らを見る」ということは、相手に対しても同じような見方をしてしまうこともあるようですね。
自分の欠点を意識する時、ここには要注意と思いました。
自分だけを否定するどころか、相手まで否定、批判してしまう自分にはなりたくないです。(-_-;)
マザー・テレサのことばで、
「大切なのは、神と共にあり、神と共に生き、神の御心を自分のものとして行う・・・」
心うたれることばです。生涯をかけて、貧困にあえぐ人を救ってきたマザー・テレサだからこそ・・・の、ことばです。
また、アッシジの聖フランシスコの祈りにしても、神に対する信仰心の強さには圧倒されます。
神の僕として人々へ、手助けしたい願望が伝わってきます。
私自身、「ほんのちょっと」でもいいので、そういうことを堂々と言えるようになりたいです。
でも、今のままでは完全に無理です。嘘つきになります。(=_=;)
私も「祈り」と「願い」を大切にして、百点満点の自分で生きて行きたい!!

長文を読んでいただきまして、ありがとうございました。




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[ 2007/04/13 17:22 ] 随 想 | TB(0) | CM(12)
  1. ..
「聖フランシスコの祈り」は、マザー・テレサの本を読んだ時、初めて
知ったのですが、とても心を打たれ、とても好きになりました。
特に、 慰められるよりも慰めることを、・・・からの部分が。

マザーと修道会のシスターたちの1日は、朝のこの祈りから始まった
そうですね。
>神に対する信仰心の強さには圧倒されます。
>神の下僕として人々へ、手助けしたい願望が伝わってきます。
ほんとにそうですね。私も圧倒されました。

今まで自分の考えていた、信仰や祈り …というものが
すごく違った観点で考えられた感じでした。
マザーのような生き方は、自分がとても強く感じられる生き方
なのだろうと思いました。


自分自身に、百点満点を与えるのって、時々難しいかもしれません。
でも私も、人を否定・批判する自分で居たくはないです。
自分を見る目=相手を見る目 なんですね☆
>神様が「お前は百点だよ」と見守ってくださっているように
・・・自分にも周りの人にも、少しづつでもそう思える私に
なっていきたいな。^^
[ 2007/04/13 21:09 ] #sC8s1XYA [ 編集 ]
ぷりんちゃん、長文を読んで頂いて、ありがとうございます。
お疲れ様です!(≧m≦)ぷっ

>特に、 慰められるよりも慰めることを、・・・からの部分が。

人から自分にしてもらうことよりも、
自分が施す・・・ということですね。
なかなか、出来ないことです。

>マザーのような生き方は、自分がとても強く感じられる生き方
なのだろうと思いました。

確かに、神を心から信じているからこそ、マザー・テレサのように強い
生き方は出来るのでしょう。
本はずいぶん昔に読んだきりなのですが、ちょっと前に友人から
頂いたマザー・テレサの生涯をえがいたDVDには感動しました。

>自分を見る目=相手を見る目 なんですね☆

そうだよね。
自分が可愛いように、どんな人にも自分と同じく愛することができたらいいな。

コメントありがとうね。
[ 2007/04/13 21:52 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
あまりコメントはできませんが良い言葉があると常に自分に言い聞かせ、
勉強になります。

読ませてもらいましたが、日常何も無い事が幸せなのに・・・
それが何かあると何で私ばかしが?と思う時がありますが
このように読ませてもらうと自分はなってないと思いますv-390
長文でもホッとしながら読ませてもらい嬉しいです!

*ぷりんちゃんとゆきさんのコメント楽しかったです^^
ふみえママが出る幕なかったみたいですヽ( ゜ 3゜)ノ
有難うございました^^
[ 2007/04/13 22:18 ] #- [ 編集 ]
僕は、いつも心に言い聞かせてます。

幸せは、
財布や名刺の中にはない。
幸せは、
生き方の中にこそある。
そして強さも。って・・・。

これが解かれば、
きっとその時に
百点満点の自分に成れたと思います。
[ 2007/04/13 22:21 ] #- [ 編集 ]
ヾ( ̄□ ̄〃)ノヾ(_ _〃)ノヾ( ̄▽ ̄〃)ノヾ(_ _〃)ノうんうん

この、大きなコメント欄のような広い心で
hiroも、これから
「満点hiro」目指してがんばるけど
完璧にはなれそうにないな~★
ま★
完璧なhiroってかわいくないだろうけど♪
ねニャハハ☆(゜∇゜☆)(☆゜∇゜)☆ニャハハ

見逃してもらうくらいには、ね★

でも、ゆきゆきって勉強家だな~・・・。

えらい!

そのおこぼれをもらいに。。。hiroがむらがる・・・。(≧m≦)ぷっ
[ 2007/04/13 23:38 ] #- [ 編集 ]
子を思って親心で色々なインプットを
知らずにしてしまうのですよね

全ては子供が困らないようにとの
親心なのに

知らない間にそれが子供の
手かせ足かせになってしまう

いつか自分自身の力でそれらのものを
取り払い本来の自分に戻っていけたらいいよね・・^^
[ 2007/04/14 13:57 ] #HIn9vuQ2 [ 編集 ]
争いがなければ許しもない、
疑いがなければ信仰もない、
絶望がなければ希望もない、
闇がなければ光もない。

相手に求めることをやめ
自分が与えるようになれば
自分もまた満たされるのだということが
昨年実感としてわかりました^^

>また、「そんな欠点がある自分を否定の眼差しで自らを見る」ということは、相手に対しても同じような見方をしてしまうこともあるようですね。

これについては、以前に記事にしたことがあります。
私は自分に対しても人に対しても物の見方というものに
変わりはないと感じています。
自分を信じることなく、人を信じることは出来ない。
自分を認めることなく、人を認めることは出来ない。
何故なら、見つめているところが違うからなのですね^^
人を責める人は、必ず自分も責めているものです。

私の父は、「お前がどうなろうと、お前の責任だから。」と
良く言っていました。
あれをするな、これをするなと言われるよりも
この言葉は堪えましたよ(笑)
私自身も子育てにおいて、この言葉は良く使っていたと思います。
一見冷たく思えるかもですけどね^^;
[ 2007/04/14 20:52 ] #- [ 編集 ]
皆さん、コメントをありがとうございます。
土曜日と日曜日が職場が休みのため、せっかくのコメントの返事が遅くなってしまいました。
ごめんなさい。

ふみえママ、コメントありがとうございます!

>良い言葉があると常に自分に言い聞かせ、
>勉強になります。

ありがとうございます。
もし、何かの気付きとなって頂くと、とてもうれしいです。

>読ませてもらいましたが、日常何も無い事が幸せなのに・・・
>それが何かあると何で私ばかしが?と思う時がありますが

私も、以前は色々と苦労したときには、何で自分だけが、こうなっちゃうんだろう。
と随分思ったことがあります。
おこがましいことでございますが、
人間の魂というものがこの世だけではなく、過去世から持ち続けてきているもの・・・
と知った時には原因が、今世だけにあるのではない・・・と理解できた時
そういった過去の苦しみも、自分の魂を豊かかにするものと考えれば
後から、私の場合、自分なりに苦しみに対しては納得できました。

>このように読ませてもらうと自分はなってないと思います

とんでもございません。
私こそ、出来ている人間ではないのに、こういった文章を私が紹介すること自体
恥ずかしい思いです。

>長文でもホッとしながら読ませてもらい嬉しいです!

ありがとうございます!

>*ぷりんちゃんとゆきさんのコメント楽しかったです^^
>ふみえママが出る幕なかったみたいですヽ( ゜ 3゜)ノ
>有難うございました^^

すみません、ふみえママのところで、またプチ漫才をしてしまいました。(笑
ご遠慮なく、割り込んできてください。
(≧m≦)ぷっ
[ 2007/04/16 12:21 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
イマジンさん、ありがとう。

>僕は、いつも心に言い聞かせてます。
>幸せは、
>財布や名刺の中にはない。
>幸せは、
>生き方の中にこそある。
>そして強さも。って・・・。

そうでしたよね。
モノを多く持つ、少ないで人間の価値がわかるものではありませんね。
生きているからには、人は皆、幸せでなくてはいけません。
モノにそれを求めると、無情を必要以上に味合わなくては、いけなくなるので
注意したいものです。

>これが解かれば、
>きっとその時に
>百点満点の自分に成れたと思います。

イマジンさんは、既に百点満点であると私は思っています!
かなりの長文読解(笑)ありがとうございました。
[ 2007/04/16 12:28 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
>この、大きなコメント欄のような広い心で
>hiroも、これから
>「満点hiro」目指してがんばるけど
>完璧にはなれそうにないな~★
>ま★
>完璧なhiroってかわいくないだろうけど♪

コメント記入欄、ちょっと大きくし過ぎました。(笑
hiro姉貴は毎日、仕事、子育て、趣味のバンドを通して
元気100%ですので、それだけでも完璧です!
hiro姉貴のブログを読んでいるとパワーが伝わってきます!
そう思ったとき、いつも「hiro姉貴は元気だなぁ・・・」って、感心します。

>ねニャハハ☆(゜∇゜☆)(☆゜∇゜)☆ニャハハ
>見逃してもらうくらいには、ね★
>でも、ゆきゆきって勉強家だな~・・・。

(≧m≦)ぷっ
私は、勉強家ではありませぬ。

hiro姉貴ぃ。コメントありがとう。
[ 2007/04/16 12:35 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
タコたん、コメントありがとうございます。

>子を思って親心で色々なインプットを
>知らずにしてしまうのですよね
>全ては子供が困らないようにとの
>親心なのに

私も、思い出せば、親によく反発していた時期がありました。
今思えば、親心を無視していました。
私はそれを、曲がった心で受けて、後悔していることもあります。

>知らない間にそれが子供の
>手かせ足かせになってしまう

私は今、子育ての真っ最中なので充分注意したいと思っています。
変に、意識しすぎて子どもの教育に及び腰となってはいけませんが。

>いつか自分自身の力でそれらのものを
>取り払い本来の自分に戻っていけたらいいよね・・^^

私もそう思っています。(汗!
[ 2007/04/16 12:42 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
あおさん、いつもコメントありがとう。

>相手に求めることをやめ
>自分が与えるようになれば
>自分もまた満たされるのだということが
>昨年実感としてわかりました^^

「実感として・・・。」
さすが、あおさんです。
いろいろと、ご自分の心のあり方を模索され、実践してある方の言葉です。

>これについては、以前に記事にしたことがあります。
>私は自分に対しても人に対しても物の見方というものに
>変わりはないと感じています。
>自分を信じることなく、人を信じることは出来ない。
>自分を認めることなく、人を認めることは出来ない。
>何故なら、見つめているところが違うからなのですね^^
>人を責める人は、必ず自分も責めているものです。

そうでしたよね。
いつも、相手と自分を平等に捉えてあるんですね。

>私の父は、「お前がどうなろうと、お前の責任だから。」と
>良く言っていました。
>あれをするな、これをするなと言われるよりも
>この言葉は堪えましたよ(笑)
>私自身も子育てにおいて、この言葉は良く使っていたと思います。

お父様は、子どもに対しての独立心を一面においては、育ててあったんですね。

>一見冷たく思えるかもですけどね^^;

親心を子どもがどう捉えるかなんですよね。
でも、あおさんだから、あおさんの心は子どもさんは、ちゃんと受け止めてあるでしょう。
長文をお読み頂いて、ありがとうございます!
[ 2007/04/16 12:56 ] #LvECUUZU [ 編集 ]
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