奇跡の施術 

三重県榊原に、奇跡が宿る施設があります。





[ 2014/06/05 16:06 ] others | トラックバック(-) | コメント(-)

新刊のお知らせ! 

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『ディヴァインヒーリング』が今月、ILA から出版されました。
著書の説明は、以下記されてあります。



テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体



[ 2014/04/21 17:31 ] others | トラックバック(-) | コメント(-)

Powers of ten 

先日、インターネットで検索していたら、たまたま、ある映像を見つけました。久しぶりに観ました。

観ていたら、ずいぶん以前に、ある感覚があったのを思い出したので、つまらないことなのですが、それも少しばかり書いてみます。

見つけた映像は以下、外部リンクしています。


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今それを分かって頂けるようには上手く伝えられませんが、理屈をつけて表現するなら、自分自身が「感覚器官を通じて客観的な事物が存在し、その中に自分が存在していて、自分を自分として認識している意識の自分があるのだけれども、もし、そもそも、どこにも初めから自分というものが存在していなかったなら・・・」
そういう怖さみたいなものでした。

初めは学校で授業を受けている時でした。担任の先生が黒板に、その時間の勉強の目標を書きながら、時々振り返って説明をしてありました。

「今、自分がいて、先生がいる。まわりに友達がいる。」
「先生を見ている自分。話を聞いている自分がいる。手には、鉛筆をにぎっている。」「教室の廊下奥にある給食室から、おかずの匂いがしている。」

小学校低学年の頃からでした。初めは何がきっかけで、そのような感覚を持ったんだろう? 全く思い出せません。それは、
「もし、自分というものが、初めから何も無かったなら・・・」

授業中にそれを、ふと思った瞬間に、何もない、真っ暗な宇宙の彼方へ弾き飛ばされたような感覚になり、頭がフラッとして気を失いそうな感じになっていました。
感覚が伴うから、頭で考えて想像するのとは違っていました。うまく表現できませんが、別の世界に引っ張り込まれるような感じです。

そんな感覚には二度となりたくない。と思っても、たびたび、授業中とか外で遊んでいる合間に、「もし、自分というものが、初めから何も無かったなら・・・」と、頭をよぎって、その瞬間、また、目の前は真っ暗の宇宙で、遠くに星が見えていて怖かった。闇の怖さではなく、「自分がそもそも、どこにも存在していない自分だとしたら・・・」ということにです。

その頃になると、かなり間隔はあいていましたが、二十歳ころまで、たまにそうなっていました。


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ところで、既にご存知の方も多いかと思います。
これは日本語吹き替え付きのモノクロ版です。
カラー版もありましたが、内容が英語だけなので、何を言ってあるのかが、ちちん
ぷいぷい ちんぷんかんぷんです!

他に、モノクロよりも、よりリアルなカラー版の字幕付き画像が、にこにこ動画にありましたが、画面上にコメントのチャチャが入っていて、とても見づらい・・・
それでも良かったら⇒ http://www.nicovideo.jp/watch/sm595362





私が、この Powers of ten を初めて見たのは、久留米市にある福岡県青少年科学館でした。
長男がまだ幼稚園でしたから、私が三十歳代の頃です。
一緒に遊びに来ているときに上映されていました。その時は字幕付きのカラー版でした。

私が弾き飛ばされた時と、とてもよく似た空間の推移でした。
その時は、観ながら少しばかりビクッとしましたが、まったくあの頃の感覚が何もなくて、ホッとした気持ちでした。
だから、映像の面白さや感動も相まって、何度か繰り返し観ました。


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映像はご覧のとおり、超マクロと超ミクロの両世界が展開しています。
最初は1m上から始まり、広大な宇宙に広がります。もどってからは超微細の世界までを、10秒毎に10倍のスケール(=Powers of ten)で示されています。

ずっと以前は、物質を構成している最小の原子は「一つのかたまり」だと考えられていましたが、その頃よりも研究が進んだ現代では、ご存じの通り、原子のまん中(核)にそれぞれ同じ数の陽電子と中性子があって、その周りを、水素以外は複数のマイナス電子が取り囲んで超高速で周期を描いていることがわかっています。

太陽と地球と月の関わりでは、陰・中・陽の三体制となっています。原子も同じく三体制で、陰・中・陽のバランスを成しています。

(高橋信次先生は、『大自然の波動と生命』第二編の物質論には、生物学・地学・物理学をとおして詳述されています。ご関心ある方はご覧ください)

そして、陽子や中性子は、もっと小さなクォークという素粒子から出来ていることまでは解明されています。
高橋信次先生は、さらにそれは「光の粒子」で出来ていると言及されてあります。

人体を構成している32種類の(その数は諸説がありますが)元素のみならず、自然界に存在する水素からウランに至るまでそうだといわれているのでしょうか・・。



ちなみに、こういう仮定があります。
原子の大きさは約1億分の1cmだそうですが、原子は原子核の30000倍として、原子核を直径10cmのテニスボールだとすると、10cm×30000は3kmになります。
つまり、原子の一番外を軌道を描いて回っている電子は、核から半径1.5kmもの距離にあります。かなり、遠いところにあります。

これを太陽系に当てはめると、太陽を同じ直径10cmのテニスボールに置き換えると、地球はそこから11m離れたところに存在する直径1mmの球であり、土星は100m離れたところにある直径1cmの球、一番遠くにある冥王星は400m離れたところにある直径0.3mmの球になるそうです。
ということは、陰外電子の方が遥かに距離があります。電子は重さが無いに等しいとしても、太陽よりも原子核の向心力は大きいようです。
その原子核と電子の間の広がった空間は真空であるといわれています。

原子が約20~30万個集まって、一つの細胞ができます。人間の体は、大宇宙に存在する星の数と同じ、約60兆個の細胞から出来ているといいます。
そうなると、一人の人間を形作っている原子の数は、とてつもない数と同時に、とてつもない想像を絶する空間を、原子の数だけ有していることになります。
この空間の存在というのは、とても不思議に思えます。

そういう意味では、この映像は炭素原子の表面(陰外電子)に到達した後、原子核が姿を見せて核に到達するまでの距離感・空間を私のような素人がイメージするには、太陽系の軌道と比較すると十分に表現されていない感じもしますが、素晴らしい映像です。


人体は小宇宙ともいいますが、なるほど・・・と思えます。その構成は、大宇宙も小宇宙も極端に質量が違うもの同士がフラクタル(相似形)であり、すべての空間が共通する法則性(循環)で貫かれています。
それは、神秘以外の何ものでもないです。

宇宙の姿は円形であり、その宇宙は膨張と収縮を繰り返している、と高橋信次先生は話されています。
現在(昭和48年11月頃)の宇宙は、ものすごいスピードで膨張の過程にあり、ある時期が来ると収縮に向かうそうです。
膨張と収縮という運動は、大宇宙自体が生き物であり、安定するためには欠かせない仕組みだそうです。
人体についても、たとえば肺臓の膨張・収縮によって五体全体の安定を保っていますが、大宇宙もこれと同じような機能が働いていると述べられています。

大宇宙はどこまで行っても宇宙であり、宇宙の外に宇宙は無く、大宇宙は一つなのだそうです。

また、講演で、「心経」(=心行)の解説では、以下述べてあります。



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[ 2014/02/09 01:46 ] 随 想 | TB(0) | CM(3)

高橋信次先生・反省について(質疑応答より) 

私自身、思うところがあり、方法の一つとして、この取り組みを白紙に戻し、高橋信次先生の「反省・禅定」の具体的なやり方に関するお話を改めて聞き直しておりましたが、どうしても聞くだけでは聞き流してしまい、曖昧な理解と同時に肝心なところを落としてしまう場合があるので、収録を筆起こして自分に言い聞かせるようにノートに書きまとめてみました。

こちらにご訪問頂いた方の中で、実践を試みてある方に、何か少しでも参考に供することが出来るならばと思い、ここに挙げさせて頂きました。
以下、質疑に対する高橋信次先生の応答です。

*********************************************

八正道を通して、一つひとつチェックしていく。
どのようにチェックしていくのか。
自分の生まれた環境・教育・思想・習慣をチェックしていく。
その基準は、あくまでも中道、偏らない中道ということを根底にする。
両親の教育方法と、兄弟と、だんだんと分析していく。
・両親のことば
・兄弟や、兄弟との対話
・その頃の生活環境

この中で、どのへんに、正しいという基準からもって間違いがあったのか。
良い面と悪い面を、はっきり区別してみること。

―― 前段で、このようなお話のあと、以下具体的に述べてあります ――

続いて、生まれた一歳の頃から、五歳ぐらいまでのことを一つひとつ、生まれた環境・教育・思想・習慣というものを通し、モノの考え方、偽善・偽りの我がどのように出てきたのか。
善なる我が、どのように芽生えてきたか。
これを、一つひとつチェックしていく。

そして、お父さんやお母さんに対して、自分はどのような行為をし、こういうことを言われて、それがどのような結果になったのか。
ということは、自分が生まれた時からの、自分の心の歪を発見する。

こうして、五歳ぐらいから、徐々に他人との関係、友達との交友関係・・・
他人との関係で、友達同士で、どのようなことがあったのか。

特に、この頃は自我が大きく芽生えてくる。 
・・・喧嘩、あるいはまた、自己保存、自我我欲。こういうものの原因が、どこにあったかを自分を振り返ってみる。
そして、自分自身の心の中に、思ったこと・行ったことを基準としてやることが大事。

モノには、すべて原因と結果がある。
この原因と結果、この因果というものを、はっきりと見定めて、その原因がどこにあったのか。

両親から、怒られたことにより、心の中に歪を作り、親を恨む結果を作り出している場合がある。ノイローゼは、ほとんどが自分のせいではなく、他人のせいにする。

自分というものの、悪い原因がどこにあったか。その種の根っこを、根を除く。
除かない限り、また心の中に歪が出てくる。

それは、恨み・ねたみ・そしり・怒り・愚痴・自己保存、自我我欲。
こういうものを分類して、その時の状態というのを、しっかり見定める。

そうして、我々は、このような反省の基準というものを、しっかりと自分が知って、一歳から五歳までを、最もきれいに、心の中のテープレコーダー・ビデオテープの失敗した分野を修正していくことが大事。

我々は完全なモノにすることはできない。失敗したことは失敗として、二度と同じマチガイを犯さないようにすればいいんだが、人間はどうしても、同じマチガイを犯すんです。
そのために我々は、自分の偽りの我には、どうしても弱いのです。甘いのです。
その偽りの我に負けてしまうんです。
「今度は、やめよう・・・」
また、やりだすんです。
それには、勇気と知恵と努力というものが無ければ、できません。

そこで、反省は、そのような心の中の歪を、スモッグを取り除く一つの方法なのであり、神が我々に与えられた慈悲なのです。

煩悩即菩提というのも、我々は、その煩悩を自らして作った悪を修正し、その悪を芽として、新しい芽を我々は作り出した時に、煩悩は即菩提になるのです。

「人のふり見て、我がふり直せ」ということわざがあります。
我々の周辺は五官を通しても、すべて勉強の道具があるのです。
人の失敗を見て、自分が失敗しないように、自分というものが、常に他人を参考として見られるように・・・。
それも、すべて正しいという中道の基準を持ってなければなりません。

こうして、小学校に進むに従って、周囲の関連が深くなってきて、自己保存という偽我・偽りの我が芽生えております。
こうして八正道という基準を持って、私たちは一歩一歩、自分自身の心の状態を修正していくことが大事です。
やれば、やるほど心の中には・・・

「・・・いやー、ぼくはもう、一回やったから大丈夫なんだ・・・」
と、思っているけれども、そこには必ず、荒削りの分野があります。
心のメッシュは、どんなにでも、細かくなっていきます。
それだけの細かく、自分をしっかりと知り、そして、毎日毎日の生活を、同じマチガイを犯さないように前進させて行くことが大事なのです。

まず、一歳から五歳までは、特に父親に対しての問題。母親に対しての問題。兄弟に対しての問題を、はっきり区分して、まず皆さんは、じっくりと瞑想して、心の中で考え、思い出し、やればやるだけ結果が出てきます。

スモッグがとけてくれば、自らして、神の光は皆さんの心を満たします。
禅定というのは、それをしないでやるから、魔王に支配されたり、自分自身の「己心の魔」という、心の中にある魔が、心を騒がせ、不調和な状態を作り出してしまうわけです。
それゆえに、自分を見つめるということは、最も細かくやることが大事です。

「研修会のたびに、ぼくはやってるんだよ。」
・・・そう言っても、皆さんは歳に比例します。とれば、とっただけ、それだけの曇りを作り出しているのです。独りよがりの、どうしても判断をしがちになるのです。

あくまでも、自分を、まったくの第三者の立場に立って物事を思い・見・したならば、公正な自分を発見することができるのです。
公正な自分とは、正道をしっかり踏んだ己自身の姿なのです。

こうして、両親・兄弟、区分して、一つひとつ、両親に対しては、あるいは兄弟に対しては、周辺の人に対しては・・・
これを一つひとつチェックしてみることです。


五歳から十歳、徐々に自分というものの性格が完成されていきます。
ほとんど、人生における、一歳から五歳までの環境が大きく、その人を支配してしまうのです。

「思いこんだもの」を変える、ということは、難しいことです。

そのために、皆さん自身でも経験があると思うんですが・・・
自分の子供たちに、自分の兄弟の悪口を言ったり、ほめたり、いろいろあります。
小さな子供。お父さん、お母さんを絶対信頼している子供たちが、両親の言うことを信じ、悪口を言われれば、その子供たちは、また、その心というものは、なかなか消え去るものではありません。
子供の教育に対しても、そういう問題は必ず出てきて、それを、子供は毒を食べて、誤解する結果を招いてしまうわけです。
兄弟というものでも、よほど正しく語らなければ、子供は、絶対信頼している両親の言葉を信じてしまいます。
これが、一歳から、約十歳くらいの間が、特に影響されます。


十歳からは、だんだんと今度、学校の先生という対外的なものを信ずるようになってきます。
その学校の先生は、現代は、心なく、物質至上主義、そういう教育をしているのが現代の、心の中の歪を作る大きな原因になっているわけです。
本来は先生たちが、自分の心の状態をしっかり分析・・・。
このようにしてみて、真実のものを子供たちに教えていけば、間違いは無いんです。
ところが、修身教育・道徳教育というものは、現代は、日本だけがありません。それだけに、暗中模索の中で、人々が迷っているわけです。
だんだん、こういう日本の教育が普及されていきますと、外国からは相手にされなくなります。日本人が。
すべての基準を、物質や経済にもってっているからです。

こうして、今度は、十歳の状態というのは、対外的・・・。
特に、先生というものが絶対的な力を持ち、今まで、親の言うことは聞いとったが、今度は逆に先生の言うことを聞くようになります。
ですから、子供さんたちは、
「お母さん、こんなこと言ったって、先生はこう言っているんだ・・・。」
先生の意思によって、子供たちの人格が徐々に形成されていきます。

こうして、その当時は、今度は、先生と自分の関係というもの。先生に対する自分の心の在り方。その教えに対して、自分の心に記憶している分野。
これは少なくとも、皆さんの場合は、三日間くらい、その問題だけに取り組んでみてください。
小さい時なら、小さい時。大きくなったら、大きくなった時。一つの問題をしぼって、そして、それを書き出していくのです。瞑想をして、自分が反省しているうちに思い出す。それを記録していくことなんです。
そして、しっかりと自分の欠点というものは、こういうところに欠点がある。
あーいうところに欠点がある。
こういうものを、しっかり修正していくと、皆さんの、その状態において後光が出てきます。
当然、後光というのは、その人の心の状態が反映しておるからです。


十歳から十五歳までの間は、今度は徐々に、本能的分野の異性に対する感情。こういうものが出てまいります。
そのときの自分の心というものが、どのように・・・。
果たしてこれが、情欲的な面にまで発展していった、欲情的な問題を、だんだんと解決していくことです。


自分さえ良けりゃ良いという自己保存の念は、ますます心の中を占拠してきます。
その念を、もっと分析していくと・・・対人関係・・・
十五歳から二十五歳くらいの間は、自分自身の対外的・・・仕事の面。
会社の場合、勤めているならば上司と自分の関係。
取引先と自分との関係。あるいは、下請けと自分の関係。
・・・その心と行いの状態というもの。
毎日の仕事の中において、給料さえ貰えば良いんだ・・・という考えがあったか。
あるいは、正しくその中で自分が一所懸命に仕事をしたか。
・・・こういう面を、ずーっと分析していくことです。

そして、自分の心の、あらゆる、自分と周辺の関係というものを、はっきり区分して、自分の正しいという基準の中に当てはめていったならば、
「この分野は自分の歪だ。あぁ、これは直さなきゃいかん。これは、こうせなきゃならん。」
というのを、最後にピックアップしてみることです。

そして、自分の欠点は、堂々と人の前で言えるようにならなければ、いけないのです。
「いやー、ぼくは、こんなことやっちゃった。これは良くなかった・・・。」
心の中で、まだ、恥ずかしい、とか自己保存しているうちは、まだダメなんです。
これを懺悔といいます。懺悔。
そういうように、自分の欠点を堂々と言い、二度と犯さない人たちこそ、本当の、勇気ある人というのです。

そして、自分自身というものを完全に作り出して・・・
こうしていきますと、自分というものとの両親との関係は、生きている間は続いていきます。


さらにまた、二十五歳・二十六歳からは、だんだんと家庭問題が入ってきます。
夫と妻、妻と子供に対する関係。
独りよがりのモノの考え方で、自分を見ていなかったか。
妻と子供との関係において、正しく、偽りと善なる我を見極める教育をしたか。
あるいは、独りよがりの判断をしたか。
他人様と自分の子供との関係。
こういうことを一つひとつチェックしてください。
当然、両親が生きていれば、それとの関係。
兄弟との関係。
心にウソのない事実のモノをはっきりと思いだし、自分が八正道という正しい心の基準に照らし合わせていくことが大事なんです。
そして、自分の、常に、心の中に思っていること、行っていることが、果たして、正しいものであるか、ないかを、しっかりと吟味できるだけの余裕が大事なのです。
・・・病気。この病気に対して、自分自身が、その原因がどこにあったか・・・。病気の問題。
あるいは、拾得物。拾ったその拾得物の処理。
あるいは、偽りの生活・・・

こういうものをしっかりみて、その原因がどこに、なぜ、起こったのか。
こうして、一つひとつ、自分の心の中をチェックしていって、本当は、禅定をしなければいけないのです。

そうなってまいりますと、自ずから、生と死というものに対する執着から離れていくのです。
人間は、「生まれた」とか「死んだ」とかいう、こういうような執着。こういうものから離れていくものなんです。
心には安らぎ・・・というものが出てまいります。
その過程の中には、自分の犯した、いろいろな悲しみや苦しみの中から・・・。
マチガイを犯したことは事実なんだから、
「・・・許してください。こういう、原因だったんです。」

―― それから、高橋信次先生、質問者に対して ――
「・・・もう、わかりますね?」  
「・・・そうです。そうして、なるべく細かくして、やって欲しいのです。」  
「・・・いいですか?」

―― 質問者 ――
「一歳から五歳までのこと、ほとんど忘れているわけです。」
「それで、どうしたら良いかと、いろいろ考えてみたんですけれど・・・。」

―― 高橋信次先生 ――
「そのときは、瞑想をして、自分自身というものの、先ほどの、生まれた環境や教育や思想や、習慣を思い出してください。だんだんと。」
「自分の生まれたとき・・・あぁ、こういうことがあった。」
「こういう話を親から聞いた。そのとき自分は・・・」
「それから、あぁいうこともあった。お祭りの時は、どうだったのか。あぁいうこともあった、こういうこともあった。」
「だんだん・・・ですよ。月ごとに追っかけて。」

―― 質問者 ――
「それで・・・あのー、方法が無いもんですから、憶えている五歳以降の自分の行ったことを、逆に突っ込んでいったわけなんですが。」
「そうすると、だいたい、こういうことであったろう・・・ということが出てきたんですが・・・」

―― 高橋信次先生 ――
「そうですね。」「それでも良いです。」

―― 質問者 ――
「それで・・・」

―― 高橋信次先生 ――
「方法としては良いと思います。」

―― 質問者 ――
「それでも、尚且つ、細かいことは、ほとんど忘れているわけです。」

―― 以下、高橋信次先生 ――

はい。それが出てきます。
それは、まだ、反省の、自分自身の状態が中途半端なんです。
ですから・・・「よっしゃぁー・・・」と。
今日は、自分自身の生まれた時の環境を、一つひとつチェックしてみよう。
兄弟や姉さんや兄さん。あるいは、親父・お袋から聞いたこと。そして、自分の関係。自分はどうだったかな。・・・こういうこと。
で、罪を犯している偽りの我・・・というのはね、あんまり、小さい内は、我はあっても、その我自身が、自分自身を食い潰すようなことは無いんです。
知らない間に・・・、さっき言われたように、理性というものが無いんですから、欲しいと思えば欲しいし、泣いてでも取ろうとする。
まぁ、そういうことが出てくるわけですから、その分野においてのスモッグは、気がついた時に・・・
「あっ、これは、いかん・・・」と。
「・・・やっぱりガキだなぁ。」と・・・。
「小さかったから仕方ない。これ、許してください。」・・・で、済んでいくんです。

ところが、一番大きいのが、もうね、自分の心が両親から巣立って外へ出てからです。そうして、心の中で思っていたこと、行っていたこと、こういう問題が大きく影響します。

そちらのほうのスモッグを払うまでには、一番元からこうやって、だんだん、だんだんやってくると、
「あっ、これもあった、あれもあった。あれもあった、これもあった・・・。」
そこで、皆さんは、いろいろ、先ほど言ったこと。両親に対して、兄弟に対して、分類してしまうんです。
その時の状態を一本にしぼっていくんです。そうすると、
「はっ、父親は、こんなことをしてくれたなぁ。自転車に乗っけて、こういうこともして、あすこへも連れてってくれて。」「・・・そのとき、自分はどうだったかなぁ。」
「あっ、お袋におんぶされて、こういう所へ行った。ああいう所へ行った。」「あっ、このときは、自分は、どうだったかなぁ・・・」


こうやって、ひっくり返していくとね、小さいとき・・・
ぼくは、二歳まで、はっきり分かります。
二歳の、キントキっていうのを着てね、ここで、あのー・・・
子供の頃のこと、思い出していきましたねぇ。そして、あのー・・・
川に、こうやって、兄弟がおって、自然と石が転んで、水の中にアップアップしている時、えー、それで、その中で・・・
「誰か助けてくれ・・・」その時、ただ、泣いとって・・・
感謝なんか、ありませんね。子供だから。
あー、あの時に救ってくださった方にね、「ありがとう・・・」と。
ぼくは、あの時、お礼も言えなかった。
・・・知らないんですから。
えー、そうやって、やっていくわけですね。
                (※キントキ?? 赤い丸金のよだれかけ?)

ですから、小さいときも、そうやってね、やっていけば、やっていくほど、
「あっ、お父さんに対して、こういう感情を持ったことがある。」
「お袋に対して、こういう感情を持ったことがある。」

あるいは、生まれた自分の環境自身に、
「こういうことをもう少し、こういうふうに、せめてしてもらえば良かった・・・。」とか。欲望も、いろいろ、あるわねぇ。

そういうことを、チェックしていくわけですね。
そうして、それのチェックの中心が八正道です。
そして、自分が、その頃の、恨みや、ねたみや、そしりや、怒り・・・

そしてまた、病気をしたら、その病気を徹底的に追及するんです。
その時の、病気の自分の心の状態は、どうだったかなぁ・・・
周辺は、どうだったかなぁ・・・
感情は、どうだったかなぁ・・・
両親の状態は、どうだったかなぁ・・・
そうして、その根っこは、どこにあったのか・・・

こうやって、反省していけば、良いわけです。
ですから、あらゆる・・・
たとえば、事故でもいいですね。
あるいはまた、いろいろと、火災とか。
いろいろと、周辺に、そういうものを思い出していくうちに、周辺が、はっきりと映り、投映されてまいります。

そうして、自分を修正して、今度は、それをやってから瞑想していけば、その心さえ崩さなければ、光明に満たされて、光の天使たちが、自然と、その人たちの心の状態を反映して語り始めます。

ですから、そのように、一つ、徹底的に、自分というものを、もう一回、見てください。

しぼらなきゃ・・・。
あまりに広すぎるから。
一つひとつ、しぼっていく。

「・・・自分の生まれた時は、どうだったかな。」
「それから、どうなった。」
「・・・どうなった、・・・どうなった。」
「・・・どうなった、・・・」っと、突っ込んでいく。

やれば、やるだけ、細かくなってきますね。
そしてまず、自分を、そういう調和の状態に持ち込んでいくことが大事なんです。

そうして、我々は、人間としての自分を、ほんとうに、
「これは偉大な人生なんだ・・・」
ということを発見したら、もう、これは、しめたものですね。
もう、後は、自分が勇気を持って、神理を、ちゃーんと生活の中の法灯を消すことなく、ともかく、実践していくことです。


ところが、人間は、そういう、ひとつの状態になっても、苦労して、そこまでなっても、下がるのは簡単なんですよ。
ちょっと、思った時、バーッと、下がっちゃいます。
それだけに、生活の中に、ガッチリと、自分の正しい基準を持っていなかったならば、下り坂は、瞬間にして下ってしまいます。
難しいですよ。
ですから、上るのは難しいけれども、下るのは、ウンと早いということです。

それですから、自分を常に、毎日、それからは、
「今日一日はどうだったかなぁ・・・」
「今日は、こういうことが無かったかなぁ・・・」
「あっ、ぼくは、こういうところに、心に歪を作っちゃったなぁ・・・」
「・・・許してください。私は、今日、今から、このことは、もう、二度と同じマチガイを犯しません。」・・・といって、勇気ある自分を作っていったら、それは、素晴らしい力になります。
そのときには、次元の違った世界から、より偉大なる、また、現証を出されるようになるでしょうね。

このように、まず、自分というものを、しっかり見つめるためには、小さい時から思い出して、それを更に、今度やっていくと、心の中が綺麗にスカッとなっていくと、今度は、前生まで分かるようになるわけですね。
その前生のカルマは、「あぁ、こういうカルマがあった。このカルマは取り除かなくちゃ、いかん・・・」
ということが、自分というものを、はっきりと見分けがつくようになるわけです。


ですから、まず、しぼってください。ひとつ。
・・・あまりに大きすぎるからね。しぼって。
「この分野・・・、お父さん、お母さん。これも欠点。悪かった。」
「これは、どうだ。」「小さいときは、どうだった・・・。」

・・・そのために、さっき、生まれた環境や教育や、思想や習慣・・・

「どういうものが、あったかな・・・」
「習慣・・・。あっ、お祭り。」「あっ、お盆・・・」「暮れ・・・。」
「・・・そのとき、友達と、どうだったかなぁ。」
「親には、どうしたのかなぁ・・・。」
「小遣いを、ねだらなかったかなぁ・・・。」
「自分さえ良けりゃ、良いと思わなかったかなぁ・・・。」

これから入っていけば、いいでしょっ。
そうすると・・・

―― 高橋信次先生、質問者に対して ――
「・・・だいぶ、分かってきましたね。」

―― 質問者 ――
「はい。」

―― 高橋信次先生、質問者に対して ――
「ええ、いいんです。それで。」



―― 以上 ――


*********************************************

以前にも何度か、高橋信次先生の反省方法をブログで紹介しましたが、ご覧頂いた方には、今回挙げております内容との共通項を見出されてあるかと思います。

もう一つ、ご紹介させていただきます。
(まだ続けるんかい。爆!)

テーマ : 高橋信次 - ジャンル : 心と身体

タグ : 高橋信次:質疑応答 高橋信次:GLA誌より



[ 2014/01/18 19:55 ] 随 想 | TB(0) | CM(2)

来年も! 

天気予報のとおり、今朝は少しばかりの間、雪が降っていました!

この一年は自分にとっては、大きな出来事がありました。
今年に入ってすぐのことです。ある方から、現実には絶対にあり得ないような、大きな大きな慈愛を賜りました。その感謝の意は言葉では、とてもとても言い尽くすことが出来ません。有り難い思いは決して忘れることはないです。

そして、昨年の暮れから今年にまたがり、転換を迎えることを自分の内面が知っていました。何か急かされている感じです。この感覚は過去に二度ありました。今回で三度目です。これが最後であり、四度目というものは、もう無いことが何となく分かります。最後のチャンスみたいなものです。
一度目は、二十六歳の頃に高橋信次先生の『原説・般若心経』を初めて読むきっかけがそれでした。
二度目は、2001年にGLA関西本部の岸田本部長との出会いでした。思い出せば、この時は、内面から非常に急かされて、「今、会いに行かなかったら必ず後悔する」と、伝わっていました。翌日、本部長に会いに行くため、それを家内に話したら、新興宗教を毛嫌いしているため、親戚まで巻き込む大喧嘩になりました。「会いに行くなら離婚する」とまで突きつけられましたが、それを振り切って鹿児島まで会いに行きました。その後、本部長との交流の中で御指導をいろいろと受けることが出来ました。その中の一つで、高橋信次先生が仰ってある「精妙な波動」の実態を、本部長からの光により、自分の胸周辺から発するのをつかむように心で実感することができました。

今月中旬の朝のことでした。家内との会話の中で、少しばかり体験がありました。
その朝は起きてから、いつもと違い、自分の心から発する波動の波が細かいのに気付いていました。
そのちょっとした会話の中で、自分から家内に対して、ほんの少しの「愚痴」を思った瞬間のことでした。
自分の胸から、痺れをともなった黒い塊のようなものが、口は閉じているのに愚痴を語ったかのように喉から飛び出しました。口の中とか、唇が痺れました。
・・・それは、ほどなくして治まりましが、びっくりでした。
心の三毒に、「怒り」「愚痴」「足ることを知らぬ欲望」とありますが、その「毒」というのは、「毒」は名ばかりではなく、形があり、体にも毒として作用することを知ることが出来ました。

昨年の暮れから今年にかけて、三度目の転換・・・何をなすべきなのかなぁ。と考えていた時に、ある時、これだ! と思える高橋信次先生の言葉が思い浮かびました。それは、
「もし、皆さんが、三か月間、不平・不満なく過ごせたら大したもんです。それだけの根性があるのなら、やってみてください。」という言葉と、また、
「ボーっとしていたら、それだけのことしか、つかめません。真剣勝負でなきゃ、ならんのです。」という、お話を元に自分なりに頑張ってみました。

そんなこんなを、庭に出て、すがすがしい気分で、しばし大粒のボタン雪が降る鉛色の空を見上げて今年一年を振り返っていました。




ともかく、やる! しかないです。
真剣勝負で、内発的動機・前進への意欲を失うことなく、来年も、より精進の一年にしたい。








[ 2013/12/28 16:13 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)

新装改訂版 ! 

高橋信次先生ご著書の「心眼を開く」

平成25年8月12日に表紙と価格が新しく替わったようですね。

ご参考までに以下、リンク先です。

三宝出版


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[ 2013/09/27 16:22 ] others | トラックバック(-) | コメント(-)

やっと変化が・・・ 

濃く草蒸した匂いに囲まれて、汗だくになって草引き!

・・・夏野菜の収穫が終わる頃、長雨の影響もあり、家庭菜園は放置しっぱなしの結果、腰の高さぐらいまで草が伸び放題になってしまいました。(爆!
しかも、蔓(カズラ)が急激に成長して自宅横の収農小屋の雨どいを伝って、瓦にまで巻きつく始末・・・。
野に育つ草の生命力には圧倒させられます。

最近は平均気温が30℃を下回ってきたので、やっと重い腰を上げました!
唐芋(といも)はもう少しで収穫間近。秋茄子が今は美味しいです。


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家族全員が今の実家に引っ越しをしてから、娘の提案で、月末の日曜日には昼過ぎから夕方にかけて毎月、庭の一角で家族そろって炭火をおこしてBQを楽しんでいます。

実家に越してからは、家内は徐々に変化してきました。変化に伴い、今は家庭の中は以前に比べたら比べようもなく、とても明るくなりました。
環境が変わる機会に、今までの自分の心の在り方も変えようと決意していました。
家内とは、実家には結婚後四年間ほど住んでいました。その後、諸事情が重なり共に実家を離れて約18年。
その間は、夫婦互いに意思疎通がうまく出来ていませんでした。
夫婦仲睦ましいには程遠く、何かの問題があって夫婦喧嘩が頻発する仲でもなく・・・でも、一般よりも下だったかもね。

これは、ぼくの性分である我儘が原因でした。相手と意見や考えが違う時に、自分の言い分を無理やり通して受け入れさせようとしていました。そうなると相手は強引さを感じて抵抗しようとします。双方でそんなことを繰り返していました。(笑
今は、相手に対して受け入れさせるのではなく、まずは受け止めてもらえるよう、どう対応したらいいのかを良く考えてから話したり行動しています。それが伝わっているようです。

それともう一つ、当たり前ですが、朝夕などの家内への挨拶・・・
以前は夫婦喧嘩になると、ぼくは口では必ず負けちゃいます。だから無駄な抵抗はやめて、その間、鉄のカーテンをひいて冷戦体制です。その場に居たくない時には、「お前、出て行け!」ではなく、「俺は出て行く!」と言って家を飛び出します・・・汗。
喧嘩が治まってもその延長で、「おはよう」も「ただいま」「おやすみなさい」がほとんど習慣化していませんでした。爆!

実家に越してからは、ちょっとしんどい時でも一息おいて、元気な声でニコニコしながら朝夕の挨拶をしはじめました。
最初は家内は怪訝な顔をしていましたが(笑)今はすっかり変わりました。
とても恥ずかしい話ですが、ぼくの分だけ洗濯もしてくれない時期もあり、自分で洗って干していました。今では、こまめに洗濯もしてくれて綺麗に服をたたんでくれています!
お礼に何かしてあげることがないか考えていると、腰を折り曲げてのお風呂洗いがしんどそうだったので、些細なことですが、ぼくが毎日風呂掃除当番をしています!

子供たちもそれに比例してとても明るくなりました。
先日娘は、県の高校生音楽コンクールのピアノ部門で金賞を受賞しました!
今も次に向かって、真夜中にピアノの練習をしています。一軒家だし、近所の家からは離れているので以前みたいに周りを気にすることはありません。


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社会の縮図は「家庭」に在る。まずは家庭を調和することが正法の第一歩であり、原点である。と教わっていますが、とても明るくなり、やっと相手に安心感を与えられることが出来るようになりました。これが家庭の調和なのかなぁ、と実感しています。これからも維持できるようがんばりたい。この歳になってちょっと遅すぎですが。汗!

ぼくは原点を見失っていました。結婚当初は寛容さというか、ほとんどのことは無理なく受け入れていました。が、慣れるに従い、ぼくの我儘が湧いてきて受け入れるどころか、受け止めることでさえも出来ていなかったです。越してくる前からそれは分かっていましたが、変えるきっかけがつかめなくって・・・。
でも今は結婚当初の頃の気持ちが戻って来ている自分がいます!!

過去を振り返り反省しながら思っていたこと・やったことに対しては、「なぜ・どうして・・・。」「うん、だから、なぜ・どうして・・・。」と突っ込んで自問自答して詰めると、どこからでも「我儘」に突き当たります。
長男として生まれて、あまちゃんに育ったのが根っこにありました。

このことは職場でも同じです。今はアルバイトの大学生たちに支えられての仕事をさせて頂いています。今以上に、もっと明るい雰囲気作りをして気持ち良く働いてもらいたい。
小さな経営者ですが、経営者には「おごり」の気持ちがどこかに潜んでいるはずです。
与えて頂いた職場に於いても、生来からの我儘を少しでも無くすには「我慢」ではなく「辛抱」でもなく「素直(に言うことを聞く)さ」に心が傾けるよう、今は挑戦しています!











[ 2013/09/12 18:27 ] 随 想 | トラックバック(-) | コメント(-)
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